表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/58

幕間: 好きですと言わないための練習会ーー呼吸の練習

※この作品は、

「好きです」と言わないための練習会の記録です。

会話と沈黙が中心になります。


集まった理由は、特に説明されなかった。

説明すると壊れるからだと思う。たぶん。


円になって座る。

机はない。

記録も取らない。


誰かが「じゃあ始めます」と言った気がしたけれど、

それが合図だったかどうかは、全員あやふやだった。


最初の練習は、深呼吸。


吸って。

吐いて。

それだけ。


「今、何を言おうとしましたか」


質問が飛ぶ。

名指しじゃない。

逃げ道はある。


誰も答えない。

正解だと思う。


次。


「“好きです”を、頭の中で言ってください」

「声には出さないで」


言った瞬間、空気が少しだけ変わる。

音はないのに、圧が生まれる。


誰かは笑いそうになる。

誰かは目を伏せる。

誰かは、何も起きていない顔をする。


それも、全部合格。


「今、言わなかった理由を一つだけ持ってください」

「言語化はしなくていいです」


理由は、形にならない。

怖いとか、優しいとか、遅いとか、

そういう単語になる前の、もっと手前。


胸の奥で、少しだけ呼吸が乱れる。


「はい、休憩」


拍子抜けするほど、あっさり終わる。


でも全員、分かっている。

これは練習の準備運動でしかない。


本番は――

言わないまま、日常に戻るところから始まる。


休憩は五分と告げられていたが、

誰も時間を計っていなかった。


立ち上がる者はいない。

水を飲む者もいない。

椅子の軋む音すら、なぜか出なかった。


「次は、二人組になります」


今度ははっきり聞こえた。

声は同じ人のものなのに、

少しだけ現実味が増している。


くじ引きはない。

目が合った者同士が、自然に組になる。


避けたつもりはないのに、

気づけば、いつも同じ距離にいる人が正面に座っていた。


相手は無表情だった。

嫌悪も好意も読み取れない、ちょうどいい顔。


「会話をしてください」

「ただし、“好き”に近づかないこと」


近づかない、という言い方が引っかかる。

遠ざけろ、ではない。


沈黙が落ちる。

さっきより、少し重い。


「……最近、眠れてますか」


相手が先に口を開いた。

安全な話題。

それなのに、なぜか息が詰まる。


「まあ、普通に」


嘘ではない。

本当でもない。


「夢、見ます?」


「たまに」


「どんな?」


そこで止まる。

夢の内容は、だいたいいつも同じだから。


「答えたくなければ、首を横に振ってください」


助け舟のようで、罠みたいな選択肢。

首を振れば、答えない理由が可視化される。


結局、言った。


「……誰かに呼ばれてる夢です」


「声は?」


「はっきりしない」


それ以上は続けなかった。

続けると、名前を言いそうだったから。


相手は頷くだけで、評価しない。

それが一番、楽だった。


「今の会話で、“好き”に何メートル近づいたと思いますか」


唐突な質問。

メートルという単位が、妙に具体的で笑えない。


「……一歩分くらい」


「私は、半歩」


ズレている。

でも、訂正しない。


「では、次」


今度は相手の番。


「最近、連絡を返せていない人がいます」


理由は言わない。

言わなくても、理由は想像できてしまう。


「返したら、何が起きそうですか」


「関係が、続くと思います」


良いことなのか、悪いことなのか。

どちらにも取れる言い方。


「続くのが、嫌?」


質問が、少しだけ踏み込む。


相手は一拍置いてから答えた。


「嫌、というより……決まってしまう感じがする」


ああ、と心の中で頷く。

それは、よく分かる。


「決まらないままでいるために、

“好き”を使わない練習です」


誰かが補足する。

今度は、記録者の声だった。


記録者は、机の端に座っている。

いつからいたのか分からない。


ノートは開いているが、

ペンは動いていない。


「ここでは、壊れなかった例も、壊れた例も、同じ扱いです」


「結果は、外に持ち出さない」


「ただし、身体の反応だけは覚えて帰ってください」


二人組は解散させられ、

また円に戻る。


胸の奥が、少しだけ熱い。

でも、痛くはない。


「最後に、一つだけ」


記録者が顔を上げる。


「今日、“好き”を言わなかったことで、

守られたものは何ですか」


答えは求められていない。

それでも、全員が考える。


仕事。

関係。

自分の立場。

あるいは、もっと小さなもの。


名前を呼ばれなかった安心。

期待されなかった余白。

まだ選ばなくていい、という猶予。


「以上です」


終了宣言は、拍子抜けするほど簡単だった。


帰り道、誰とも目を合わせない。

連絡先も交換しない。


それなのに、

世界が少しだけ騒がしく感じられる。


“好き”を言わなかった反動で、

あらゆる言葉が、意味を持ちすぎている。


それを誰にも伝えないまま。

次の開催日も知らされないまま。


練習会は、日常の中に溶けていく。


――本当に危ないのは、

ここから先だと、全員が薄々分かっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ