好きと言わないための練習会 ――沈黙は誠実か
※この作品は、
「好きです」と言わないための練習会の記録です。
会話と沈黙が中心になります。
「それでは本日の議題です」
彼女はホワイトボードに、ためらいもなく書いた。
――言葉にしない関係は、誠実か不誠実か。
「まず前提として確認したいんですけど」
僕は手を挙げる。
「これ、誰かに“好きです”って言いそうになった人が集まる会、ですよね」
「そうです」
彼女は即答した。
「言ってしまいそうな人間が、言わないための練習をする場です」
「言わなかった結果、関係が壊れた場合は?」
「成功例です」
会議室に、数秒の沈黙が落ちる。
「それ、誠実なんですか?」
誰かが言った。
「誠実です」
彼女は迷わない。
「少なくとも、“相手の人生を勝手に揺らさない”という点では」
「でも」
別の声が続く。
「言われなかった側は、選択肢を奪われてません?」
「奪ってません」
彼女はペンを回しながら言う。
「与えていないだけです」
「それって、逃げじゃない?」
少し笑いが起きた。
この会では、“逃げ”という言葉はだいたい便利に使われる。
「逃げる権利も、人にはあります」
彼女はそう言ってから、少しだけ言葉を選んだ。
「特に、優しさを言語化すると、だいたい過剰になるので」
「過剰?」
「期待、責任、未来、約束」
ホワイトボードに箇条書きが増える。
「好きです、の後ろには、これ全部が勝手についてくる」
「でも」
僕は口を挟んだ。
「それを一緒に引き受けるかどうか、相手に決めさせるのが誠実なんじゃ?」
彼女は一瞬だけこちらを見る。
本当に、一瞬だけ。
「あなたは」
静かに言った。
「引き受ける覚悟がありますか」
答えられなかった。
会議室の空気が、ほんの少しだけ変わる。
重くはならない。
ただ、全員が自分の椅子の座り心地を確かめ直す感じ。
「というわけで」
彼女は手を叩く。
「本日の結論です」
全員が顔を上げる。
「結論は出ません」
「え」
「沈黙は、誠実な場合もあるし、不誠実な場合もあります」
彼女は淡々と続ける。
「少なくとも、この会にいる間は、“言わない”という選択を、安易に否定しないこと」
ホワイトボードの文字を消しながら、彼女は付け足した。
「それが出来ない人は、次回から参加資格なしです」
「理由は?」
彼女は振り返らずに言った。
「すぐ“好きです”って言う人は、討論に向いてないので」
誰かが吹き出した。
誰かは黙ったままだった。
僕は、最後まで何も言わなかった。
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