好きと言わないための練習会 ――揃っていないという事実
※この作品は、
「好きです」と言わないための練習会の記録です。
会話と沈黙が中心になります。
【昼】
「今日は」
彼女は、名簿を閉じたまま言った。
「比較の話をします」
空気が、少し硬くなる。
「比較といっても」
すぐに補足する。
「優劣ではありません」
ホワイトボードに、短く書く。
――同時ではない
「違和感の位置は」
彼女は続ける。
「人によって、動くタイミングが違います」
「それは」
前の席の人が言う。
「前回、出た話ですよね」
「はい」
彼女は頷く。
「今日は、その事実を固定します」
ペンで線を引き、
いくつかの点を、ばらばらに置く。
「前に来ている人」
「まだ動いていない人」
「動いたかどうか、分からない人」
説明は淡々としている。
「ここで確認します」
彼女は言う。
「全員が、同じ場所にいる必要はありません」
誰かが、少しほっとした顔をする。
「同時である必要もありません」
続けて言う。
「揃っていない、という状態自体は問題ではない」
一拍。
「ただし」
全員が、彼女を見る。
「揃っていないことを」
彼女は言う。
「“揃っている前提”で扱い続けると、歪みます」
「歪み?」
誰かが聞く。
「はい」
彼女は頷く。
「自覚のない差です」
ホワイトボードの点を、いくつか消す。
「今日の確認事項は、これだけです」
彼女は言う。
「この会の参加者は、同時ではありません」
「進度も」
「重さも」
「自覚の速度も」
誰も反論しない。
「以上です」
解散。
誰かが立ち上がり、
誰かが少し遅れ、
誰かが座ったまま考えている。
その差が、
初めて、
はっきり見えた。
⸻
【夜】
遅れている。
そう言葉にした瞬間、
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
昼は、
「同時ではない」と言っていた。
でも、
夜になると、
それは「遅れ」になる。
自分は、
前にも後ろにも行けていない。
動いていないことが、
もう分かってしまった。
布団の中で、
息を整える。
追いつきたい、とは思わない。
先に行きたいとも思わない。
ただ、
置いていかれている感覚が、
確かにある。
それが、
違和感の正体なのかもしれない。
昼の言葉を反芻する。
――揃っていない前提で扱わないと、歪む。
じゃあ、
今までの自分は、
何を前提にしていたんだろう。
皆と同じ、という前提。
変わっていない、という前提。
その前提が、
もう使えない。
眠れない夜ではない。
でも、
目を閉じるのが、
少し怖い。
このまま行けば、
次は、
何かを選ばされる気がした。
それだけは、
はっきりしていた。
⸻




