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好きと言わないための練習会 ――報告されなかったこと

※この作品は、

「好きです」と言わないための練習会の記録です。

会話と沈黙が中心になります。


その日は、開始時間を五分過ぎても、彼女は来なかった。


「遅刻、ですかね」

誰かが言う。


「珍しいね」

別の声。


遅刻自体は、規約違反ではない。

誰も注意しないし、咎めない。

それでも、室内の空気が少しだけざわついた。


十分後、彼女は入ってきた。


「すみません」

軽く頭を下げる。

理由は言わない。


いつもなら、ここで誰かが「大丈夫です」と返す。

でも今日は、返事がなかった。


「では」

彼女は何事もなかったように言う。

「始めましょう」


名簿を開く。

出席確認。


途中で、彼女の指が止まった。


「……一人、いませんね」


「欠席連絡、ありました?」

誰かが聞く。


彼女は首を振る。


「ありません」


室内が静かになる。


「初めて、ですよね」

前の席の人が言う。

「無断欠席」


「そうですね」

彼女は言う。

「初めてです」


名簿を閉じる音が、少し強かった。


「今日は」

彼女は一瞬だけ間を置く。

「確認事項があります」


ホワイトボードに何も書かない。

代わりに、全員を順番に見る。


「前回の会のあと」

彼女は言う。

「本当に“何も”起きていませんか」


あの時と、同じ問い。


でも、響きが違う。


「連絡を取った人はいない」

「言ってしまった人もいない」

いつもの確認が、淡々と続く。


「では」

彼女は言う。

「“言いそうになった”人はいますか」


沈黙。


「……それは、起きたことに含まれますか」

誰かが聞く。


「含みません」

彼女は即答する。

「今回は」


少し、肩の力が抜ける。


「では」

彼女は続ける。

「“言われた気がした”人はいますか」


数人が、同時に視線を逸らした。


「気がした、だけです」

彼女は補足する。

「勘違いでも構いません」


誰も手を挙げない。


「そうですか」

彼女は言う。

「記録上は、何も起きていない」


――記録上は。


その言葉が、妙に残った。


「欠席者については」

彼女は続ける。

「追及しません」


「連絡、取らないんですか」

誰かが聞く。


「取れません」

彼女は言った。

「規約上」


それは、全員が知っている。

連絡先は交換しない。

会の外に、関係を持たない。


「ただ」

彼女は言う。

「一つだけ、共有します」


全員の視線が集まる。


「彼女は」

一拍。

「最後に私に言いました」


部屋が、完全に静まる。


「“何も起きていないって言うの、疲れました”」


誰も声を出さない。


「それ以上は」

彼女は言う。

「聞いていません」


ホワイトボードに、初めて文字を書く。


――報告されなかったこと。


「今日は」

彼女は言う。

「ここまでです」


いつもより、早い解散だった。


部屋を出るとき、

誰も、欠席者の名前を口にしなかった。


それが、

この会で一番、

“起きたこと”のような気がした。


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