第7話 旅路
世界は、想像していた以上に壊れていた。
揺れに合わせて、視界が上下する。
ガイウス――いや、ルークは、母の腕の中で外を見ていた。
(……酷い有様じゃな)
焼け落ちた家屋。
放置された畑。
人の気配のない村。
道沿いに並ぶそれらは、
かつて“普通の暮らし”があった証だった。
「……ここも、もう駄目ね」
リーネが、ぽつりと呟く。
「半年前までは、人が住んでたはずなのに」
カイルは答えず、周囲を警戒しながら歩いていた。
剣の柄に、常に手がかかっている。
(……良い歩き方じゃ)
ルークは、父の背を見ながら思う。
剣を振るう覚悟と、
振るわずに済ませたい願い。
その両方を背負った歩き方だった。
彼らが辿り着いたのは、
小さな交易町――と呼ぶには、あまりに寂れた場所だった。
城壁は半壊し、
門番は二人だけ。
それでも、人はいた。
難民。
行き場を失った者たち。
そして、それを狙う者たち。
「……今日は泊まれそうね」
リーネが、胸を撫で下ろす。
「人がいるだけで、ありがたい」
宿と呼べる建物に入った、その時だった。
「おい」
低い声。
振り向くと、
三人の男が立っていた。
装備は粗末だが、
目が、獲物を見る目だ。
(……来たか)
ルークは、冷静だった。
(初陣じゃな、父よ)
「旅人か?」
「そうだ」
カイルは、静かに答える。
「子ども連れは、重荷だろ」
男の一人が、にやりと笑う。
「荷物を置いていけ。
それで見逃してやる」
(典型的じゃな)
ルークは、内心で息を吐いた。
だが――
カイルが、一歩前に出た。
「……退け」
短い言葉。
剣に手を置いたその姿に、
男たちの笑みが、僅かに歪む。
「やる気か?」
「やらせるな」
カイルは、剣を抜いた。
動きは、一瞬だった。
踏み込み。
最小限の軌道。
剣は振るわれたが、
刃は男たちを斬らない。
足元。
地面に、深く刻まれた一線。
「次は、ない」
静かな声。
男たちは、舌打ちしながら退いた。
(……良い)
ルークは、心からそう思った。
(剣を威嚇として使える。
守る剣じゃ)
前世の自分には、
なかなかできなかった選択だ。
その夜。
宿の一室。
リーネは、ルークを胸に抱いていた。
小さな寝息が、規則正しく上下する。
「……ルーク」
名前を呼ぶと、
赤子は、わずかに眉を動かした。
その瞬間、
リーネの脳裏に、ある光景がよみがえる。
――村に、まだ居た頃。
生まれて間もないこの子を前に、
二人で向き合っていた夜。
「名前……どうする?」
あの時、そう切り出したのはリーネだった。
「まだ急がなくてもいいんじゃないか」
カイルはそう言ったが、
視線は揺り籠から離れなかった。
「でも」
リーネは、赤子を見つめて言った。
「この子、ずっと闇の中を見てきたみたいな目をしてる」
「……」
「それでも、前を見ようとしてる」
少し考えてから、
彼女は、ぽつりと呟いた。
「光みたいな名前がいいなって、思ったの」
「……光」
カイルは、その言葉を噛みしめるように繰り返した。
やがて、静かに頷く。
「……ルーク」
「うん」
「ルーク・ハルヴェイン」
その名を口にした瞬間、
赤子は、小さく息を吐いた。
まるで――
受け入れたかのように。
「……ルーク」
現実に戻り、
リーネはもう一度、名を呼ぶ。
この世界で生きるために与えた名。
守ると決めた命の名。
ルークの胸の奥で、
その名が、確かに響いた。
(……ああ)
ガイウス・レッドハートとしてではない。
(この名で、生きるのじゃな)
ルーク・ハルヴェイン。
その名は、
今この瞬間、
はっきりと“自分のもの”になった。
窓の外。
壊れた世界の空に、
星が瞬いている。
ルークは、静かに目を閉じた。
(旅は、始まったばかりじゃ)
この名で、
この世界を歩く。
ガイウス・レッドハートではなく――
ルーク・ハルヴェインとして。




