第3話 兆し
最初の異変は、小さな違和感だった。
(……強く、なっておる)
生まれてから半年ほどが経った頃。
ガイウスは、はっきりとそう実感していた。
身体の成長ではない。
赤子としては順調そのものだが、剣を振れるようになるには程遠い。
違う。
内側だ。
呼吸とともに、身体の奥を巡る流れ。
意識を向ければ、応じるように微かに揺らぐ力。
(これが……魔力)
前世でも魔力という概念は存在していた。
だが、剣を極める道を選んだ自分にとって、それは最後まで「他人事」だった。
しかし今世では違う。
剣よりも先に、
この力が、自然と身近にある。
(油断すると、溢れるな……)
事実、最近は眠っている間に、
周囲の空気がざわつくことが増えていた。
「……最近、夜が騒がしい気がしない?」
母――リーネ・ハルヴェインが、そう呟いたのは夕食の後だった。
「風の音じゃないのか」
父――カイル・ハルヴェインはそう答えながらも、
どこか落ち着かない様子で家の中を見回している。
「それにしては……」
リーネは、揺り籠の中で眠る赤子――ガイウスを見つめた。
「この子の周りだけ、空気が変わる時があるの」
「……」
カイルは黙り込んだ。
彼は騎士だった。
魔法の専門家ではない。
だが、戦場で生き残った者だけが持つ、
危険を嗅ぎ取る勘が、確かに告げていた。
――この子は、普通ではない。
「リーネ」
「なに?」
「この子が……もし、特別な存在だったとしても」
カイルは、少し言葉を探すように間を置いた。
「俺たちは、親だ。
それだけは、変わらない」
リーネは、少し驚いたように目を見開き、
それから微笑んだ。
「ええ。もちろんよ」
その会話を、ガイウスは静かに聞いていた。
(……ありがたいのう)
前世では、
自分の強さが、周囲との距離を作っていた。
だが今世では、
弱い自分を守ろうとする人がいる。
(この感覚……悪くない)
異変は、数日後に起きた。
それは、昼下がりのことだった。
村の外れで、子どもたちが遊んでいた。
リーネは薬草を干し、
カイルは家の裏で剣の手入れをしていた。
ガイウスは、揺り籠の中で目を覚ましていた。
(……来る)
理由は分からない。
だが、確信があった。
体内の魔力が、
呼吸とは無関係に、脈打ち始めている。
(まずい……抑えねば……)
意識を集中させる。
呼吸を整え、流れを静める。
だが――
「――ッ!?」
次の瞬間、
空気が弾けた。
揺り籠を中心に、
目に見えぬ衝撃が走る。
干してあった薬草が宙を舞い、
家の戸が大きく音を立てて揺れた。
「きゃっ!?」
「何だ!?」
リーネとカイルが、同時に駆け込んでくる。
揺り籠の中で、
ガイウスは泣いていた。
いや、泣いているのは身体だけだ。
(……やってしもうた)
室内には、まだ微かに魔力の余波が残っている。
「今の……」
リーネは、青ざめた顔で辺りを見回した。
「……魔法?」
「いや……」
カイルは、床に散らばった木屑を見つめ、
ゆっくりと首を振った。
「魔法陣も、詠唱もない。
ただ……力が、弾けたような」
二人の視線が、
自然と揺り籠へ向かう。
ガイウスは、必死に泣き続けていた。
(すまん……すまんのう……)
この身体では、
謝ることすらできない。
その夜。
カイルは、家の外に立っていた。
月明かりの下、
彼は静かに剣を抜く。
構えは、無駄がなく、洗練されている。
(……ほう)
ガイウスは、家の中からその動きを感じ取っていた。
(基礎は、相当なものじゃ)
だが、どこか違和感がある。
踏み込みが浅い。
剣先に、迷いがある。
――恐れている。
戦場で何かを失った者の剣だ。
「……」
カイルは、一振りして剣を収めた。
「……守るだけなら、これでいい」
だが、その言葉には、
自分に言い聞かせるような響きがあった。
ガイウスは、胸の奥で静かに思う。
(この男も……戦っておるのじゃな)
守るために、
戦うことから逃げて。
(ならば……)
赤子の小さな手が、
無意識に握られる。
(力は、制御せねばならん)
強さは、振るうものではない。
使いこなすものだ。
それは、剣でも、魔法でも同じ。
(この世界で生きるなら……)
ガイウス・レッドハートは、
はっきりと決意した。
(今度は、間違えん)
力に振り回されず、
人を守るために力を使う。
そのために――
学び、制御し、成長する。
揺り籠の中で、
赤子は静かに眠りについた。
だがその内側では、
確かに“勇者の目”が覚めていた。
世界はまだ、滅びていない。
そして、
その再生は、
この小さな命から始まろうとしていた。




