生真面目な少年狩人はちびっ子錬金少女に振り回されちゃいます
その集落は深い森に囲まれた真ん中にあった。
あまり高価なものは産しないが、ここでしか産しない変わったものもとれるので、時折帝都から商人のキャラバンが訪れる。
優れた狩猟者の家系に生まれ、自身もその資質を受け継いだ少年はキャラバンの一人に森で得たものを次々見せていく。
イッカクウサギの毛皮、干し肉、角。ニジイロヤマドリの鮮やかな尾羽。少年が取り出すものに商人は「それは三百ゲルド。こっちは二百だね。うん。この尾羽はいい。これなら千ゲルドは出してもいい」
正直、この集落の周辺から出たことのない少年には実際の相場など分からない。いや周囲の大人たちだってそうだろう。
つまり商人から「ぼったくられている」可能性も多分にあるが、集落の民にとって唯一の現金収入を得られる場だし、帝都で売られている商品を手に入れられる場でもある。あまり文句も言えない。
それでも少年がその植物を見せた時、商人は感嘆の声を上げた。
「おおう、そいつあクレビティフォリアじゃないか。これなら五万ゲルドで買うぞ」
ざわっ
さすがに周囲がざわめく。猛獣の毛皮ならともかく野生の植物にそこまでの高値がつくことはそうはない。
「それでは五万ゲルドでお譲り「ちょっと待ったあ……」」
突然の制止に少年は驚き、振り返る。そこには全身黒の服をはおり、黒のとんがり帽子をかぶり、木の杖を持った小柄な少女が息を切らせて立っていた。
「そのクレビティフォリアッ! あたしが買うっ!」
「いやいやいや、お嬢さん。これはもう私が買ったし。それに私は五万ゲルドで買ったが、お嬢さんはいくらで買うと言うのだね?」
嘲笑うかのように問いかける商人に少女は胸を張って答えた。
「五百ゲルド。それが今のあたしの出せる全てだ」
「ぷっ」
商人は吹き出す。
「冗談を言っちゃいけないよ。このクレビティフォリアは帝都の錬金術師なら五十万ゲルド出しても買いたいってのがいる代物だよ。それを五百ゲルドって冗談にもならないよ」
「それでもっ!」
少女はずいと前に出る。
「あたしの錬金術のためにクレビティフォリアは必要。あたしに売ってほしい」
「だそうだけど、どうします? 私に五万ゲルドで売るか、この女の子に五百ゲルドで売るか?」
少年は困ってしまった。少女の目からは今にも涙が溢れそうだ。しかし、少年にもまた別の思いがあった。
(五万ゲルドあれば、ほしくても買えなかった武器や防具が買える)
「あなたに五万ゲルドで売ります」
満面の笑みの商人。少女は衝撃を受けた表情で立ちすくんだが、すぐに少年に向かって突進するとその胸ぐらを掴むと泣き叫んだ。
「何でだーっ! あたしに売ってくれーっ! クレビティフォリアがあれば今まで出来なかった錬金ができるんだーっ!」
少女に胸ぐらを掴まれ、振り回される少年はただただ呆然とするしかなかった。そこへ少年に声がかかった。
「ルッツ。何を真っ昼間から女の子を泣かせているんだ?」
◇◇◇
「あ」
少年ことルッツに声をかけたのは、数いるルッツの男兄弟のうちの次兄ラルフだった。そして、ルッツは男ばかりの兄弟の末っ子。兄弟は全員が狩猟の名手である。
「ラルフ兄さん。いやこれは僕が泣かしたと言うより……」
「ぷっ」
困惑しきったルッツに思わず吹き出したのはラルフと一緒にいたラルフの妻クリスティーネ。
「ごめんなさいね。ルッツ君。うちの妹がわがままで」
「ええーっ」
ルッツ驚くまいことか。実はクリスティーネの家は集落の中でも名門。ラルフはそこに婿養子で入った身だ。
そんな縁でルッツはラルフ・クリスティーネ夫妻の家には何度も訪れているのだが、こんな全身黒ずくめの小柄な女の子は見たことがない。
「エンデはちょっと変わった子だからねえ」
クリスティーネは苦笑い。
「一人で部屋に籠もって錬金術ばっかりやっていて、お客様が来ても挨拶に出たことなんかないからね。最後は死んだ父さんも根負けして、エンデのために一軒家のアトリエまで建ててやったんだよ。見たことないのは無理ないよ。ルッツ君」
「そうでしたか」
最早何と言っていいか分からない状態のルッツ。
「それではこのクレビティフォリアは私が五万ゲルドで買い取ることで決まりで良いですな」
事態の幕引きを図った商人だが、それはラルフが許さなかった。
「いやそうはいきませんよ。アードルフさん。さっきクレビティフォリアは帝都では五十万ゲルドでも売れるって言っていたじゃないですか。運送の手間賃があるにしてもそれを五万ゲルドで買うのは、ぼり過ぎでしょう」
「くっ」
商人ことアードルフは一瞬絶句した。しかし、この集落はクレビティフォリアに限らず、量こそ採れないが珍しい植物や猛獣の毛皮などが採れる。ここはやむをえない。妥協しよう。
「ラルフさんにはかないませんな。よろしい。二十万ゲルドでいかがで。さすがにうちとしてもこれ以上は……」
「うーん。まだ安い気もするが、アードルフさんとは長い付き合いだ。今回はそれで手を打ちましょう」
ラルフはアードルフと握手。クリスティーネはそんな夫ラルフを頼もしそうな目で見る。いい婿を取ったと思っているようだ。
そして、ルッツは飛び上がった。五万ゲルドでも望外の収入だったのに、二十万とは。だがそれは束の間の喜びだった。
「しかし、二十万ともなると大金だからな。ルッツに持たせるわけにはいかないな。俺が預かろう。安心しろ。武器、防具、薬草とかがほしい場合には言ってこい。必要な分だけ引き出してやるよ」
ラルフの言葉にがっくりするルッツ。そして、収まらない黒ずくめの少女ことエンデ。
「あたしはどうなるのだ? クレビティフォリアは手に入らないのか? むうっ、そうだっ! 少年っ! あたしにクレビティフォリアが生えている場所を教えろっ! 自分で取りにいくぞっ!」
またもルッツの胸ぐらを掴み、揺さぶり出すエンデ。揺さぶられるがままのルッツ。
「エンデちゃん。その熱い情熱は見上げたもんだが、不慣れな女の子が一人で森に行くのは危険だ。おい、ルッツ。エンデちゃんを護衛してやれ」
そんなラルフの言葉に今度はクリスティーネが慌てる。
「いやそれはよくない。護衛を無償でやってもらうのはルッツ君に甘えすぎだよ。エンデ、何かルッツ君に支払えるものはない?」
「むー」
姉クリスティーネに言われて考え込むエンデ。しかしすぐにルッツの体をべたべたと触り始めた。
「!」
相手は女の子。防具ごしとはいえ、体を触られたルッツの顔は極度の緊張感に強ばった。ルッツ、十四歳。思春期真っ只中である。
「うーん。ちょっと失礼」
エンデは全く無遠慮にルッツの腰から鞘ごと剣を外すと、抜いて、その刃をしげしげとながめた。
「やはり。少年、いや、ルッツ殿の武器と防具はまだまだ改良の余地がある。義兄上、ルッツ殿の預け金二十万ゲルドで鉄鉱石を買ってくれ。そう。三日もあれば防御力、攻撃力ともマシマシに出来る。ルッツ殿。支払はそれでどうだ?」
「いいね。いいねえ」
何と答えていいか分からず呆然としているルッツに代わりラルフが満面の笑みを見せる。
「俺も前からルッツの装備が貧相なのは気になっていたんだ。エンデちゃん。存分に錬金してやって」
「うわあああ。待って待って待って」
本人不在でどんどん進む話にさすがに慌てるルッツ。
「鉄鉱石なら森の中で採れる場所を知っているよ。買わなくても大丈夫だよ」
「何? それは本当か?」
エンデの目が光る。
「それはいい。クレビティフォリアが生えている場所の他に鉄鉱石の採れる場所も教えてくれ」
「なっ、なっ、教えてくれ」
そう言いながらルッツの手を取り、振り回すエンデ。ルッツの顔は再び硬直した。
「ようし話はついたな。ルッツ、しっかりエンデちゃんを守ってやれよ。鉄鉱石は立て替えておいてやるから、代わりの鉄鉱石を森から採ってこい」
「はあ」
結局、話はほぼルッツの意思不在のうちに決まったのだった。
◇◇◇
「大丈夫かなあ。結局、ルッツ君の意思とは関係なく決まっちゃった感じだけど」
帰宅後、クリスティーネはラルフに語りかける。
「いやルッツにはあれくらいでいいんだ」
ラルフは苦笑しながら返す。
「俺たち兄弟の中でも狩猟者としての腕は一、二を争うくらい優れている。だけど、堅物過ぎるのが玉にキズなんだ。今回のことで少し柔らかくなってもらおう」
「それを言ったらね」
クリスティーネも苦笑する。
「今回のことでエンデの変人ぶりが少しでもマシになってくれればいいんだけど。私たち四姉妹の中で結婚どころか婚約者もいないのはあの娘だけだからね」
ラルフとクリスティーネは顔を見合わせるともう一度苦笑した。
◇◇◇
その一軒家の重い扉をギシギシ音を立てながら開けると何とも言えぬ匂いがしてきた。悪臭という訳でもないが、集落の他ではあまり嗅いだことのない匂いだ。
「おおっ、ルッツ殿。来てくれたか。着てみてくれ。着てみてくれ。私が錬金した鎧だぞ」
エンデは鎧を渡すばかりでなく直接着せようとする。さすがにルッツは制止する。
「いやいいから、いいから。自分で着るから」
「!」
着てみると軽い。もちろん鎧は軽いに越したことはない。だけど、軽量化により防御力が落ちていないか心配だ。
「それでこれが剣だ」
「……」
剣も軽い。剣だって軽いに越したことはない。しかし、やはり軽量化により攻撃力が落ちていたら元も子もない。
「ふふふ」
エンデはそんなルッツの心境を分かっているとばかりに微笑んだ。
「軽くなったから不安でしょう。まあそこは実戦で試すということで」
ルッツは不安が完全に拭えたわけではなかったが、今はそうするしかないなと思った。
◇◇◇
かくて森に入ったルッツとエンデだが、エンデは初手からハイテンションだった。
「うおおお。ここが、ここが森かあ。おおっ、木がっ、木がある。当たり前か。おおう、木の実がなっている。何かに使えないか?」
エンデは脇目も触れず実のなっている木に向かって突進。木を揺すり始めた。
「あっ、あっ、あっ」
ルッツは気が気でない。やたらと暴走されると、思わぬところでモンスターと遭遇しないともいえないし。
ボタボタボタ
ルッツの気持ちをよそに木の実は次々地面に落ち、そのうち一つはエンデの頭の上に落ちた。
エンデは無造作に頭に落ちた木の実を掴むと割れたところからしみ出た果汁をぺろりと舐めた。
「あーっ、そんな。毒だったらどうするの?」
そんなルッツの懸念もエンデにはどこ吹く風。
「大丈夫。この実には毒はない。匂いで分かる。うん。舌が痺れるほど酸味が強い。この実も何かに使えそうだわ」
(舌が痺れるほど酸味が強いって大丈夫なの?)
ルッツの懸念はなおもあったが、これ以上突っ込むのはやめておいた。
◇◇◇
それからもエンデのマイペースぶりは変わらずに……
「ルッツ殿。あれは何だ?」
「あの草の揺れ具合からするとイッカクウサギだね。狩ろうか?」
ピキーン
エンデの目が光る。
「イッカクウサギ? あの角は凄く使えるんだ。オラーッ、待てえー」
言うが早いか木の杖を振り上げ、イッカクウサギに向かって突進するエンデ。
当然、必死に逃げるイッカクウサギ。そして、ウサギは足が速い。ルッツですら気配を殺して近づいて仕留める。ましてや普段家に籠もり、錬金術に打ち込むエンデの足であっては。
イッカクウサギの姿はあっという間に見えなくなった。
「くっそお、卑怯者め。あんなに足が速いとは」
悔しがるエンデを見て、ルッツは思うのだった。
(いやそれは『卑怯者』とは違うと思うな)
◇◇◇
一事が万事この調子で、普段より採集効率が格段に落ちたルッツだったが、それでも鉄鉱石の鉱脈が露出している現場にエンデを連れて行けた。
「うおおおおお」
歓喜の声を上げるエンデ。
「見ろっ! 見たまえっ! ルッツ殿っ! この鉱石をっ!」
「はあ」
エキサイティングモードのエンデには悪いが、ルッツにはごくごく普通の鉱石にしか見えない。
「良く見ろ。こうやってこの角度から陽の光を当てたときの煌めき具合を。うっ、美しいっ!」
(まあそりゃ綺麗かって言われれば綺麗かもしれないけどそんな興奮するものかな?)
やはりエンデの気持ちを分かりかねるルッツ。
「そしてだなあ、この肌触り。何とも最高じゃないか」
そういいながら、自分の頬を鉱石にすりつけるエンデ。さすがにその光景には思春期特有の動揺をしたルッツだった。
もちろんその動揺をルッツは隠そうとしたし、鉱石に夢中のエンデがそれに気づいている様子もなかったのだけれど。
◇◇◇
これらだけでも錬金術の素材収集としては、結構な収穫があったエンデ。しかし、あくまで大本命はクレビティフォリアである。
「前にも言ったけど」
エンデに念押しするルッツ。
「クレビティフォリアは本当に希少で前に生えていた場所でも採れることの方が少ないよ」
「それでもいい」
エンデは両拳を握りしめて答える。
「以前に生えていた場所の植生を知れば、自生している場所の推測もしやすくなる」
(張り切っているなあ)。
ルッツは妙に感心した。
◇◇◇
前回にクレビティフォリアが生えていたところでは、やはり今回は生えていなかった。
「今回は生えていなかったね」
申し訳なさそうに言うルッツを尻目にエンデは周辺の土を手に取って匂いを嗅ぎ、果ては土を舐めてみた。
「こっちだ。こっちの方からここの土と同じ匂いがする。ひょっとするとクレビティフォリアがあるかも」
奥の方にどんどん進んでいくエンデ。それを見て慌てるルッツ。
「待って。この辺はもう森でも奥の方だよ。モンスターも出る。一人で進むと危ない」
キシェー
ルッツの懸念は的中した。その辺にいたであろうゴブリンが四匹現れ、エンデを囲んだ。
エンデは気丈にも木の杖を前に構え、応戦の態勢を取っているが、実戦経験のない十四歳の女の子がいきなり四匹のゴブリンと対峙するのは無茶だ。
ルッツはエンデのところに駆け出す。以前より剣も鎧も随分と軽い。もちろん機能的なことは使ってみないと分からないけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。とにかくエンデを守らないと。
一番自分から近いところにいるゴブリンに向かい、ルッツは剣を振る。剣自体の軽さもあって、当たっても浅手かもと思われたが……
グギエエエ
ゴブリンの体は真っ二つに斬れ、そのまま倒れた。
「「「!」」」
高性能な剣を振るう少年の登場に動揺する残り三人のゴブリン。
対照的にテンションが上がるルッツ。すかさず次のコブリンに狙いを定め、剣を振るう。
二匹目のゴブリンも剣の切れ味にあっという間に斬られる。この状況に残った二匹のゴブリンたちは覚悟を決めた。一斉にルッツに襲いかかったのだ。
一匹はルッツによりすぐに斬られたが、もう一匹は健闘した。爪でルッツの胴をひっかき、腕に噛みついたのだ。
しかし、エンデが錬金した鎧には傷一つつかず、ルッツは全くダメージを受けることなく、最後の一匹のゴブリンを倒したのだった。
「凄い」
エンデの護衛の報酬として錬金された剣と鎧がここまで高性能とは。
「ふふん。凄いでしょ」
胸を張ってドヤ顔のエンデ。だけど、それも一瞬。
「さあて、ルッツ殿がモンスターを倒してくれたことだし、クレビティフォリア探しを再開っ!」
言うが早いか駆け出すエンデ。
「あっ、ああ、待ってよ」
慌てて追いかけるルッツ。
◇◇◇
速い。何故か速い。錬金術に打ち込むあまり、ろくに家を出なかったはずのエンデ。
それに比べ、森での採取、狩猟に従事していたルッツの足の方がはるかに速いはず。
なのに追いつけないのは何故だ。採取に対する情熱の差が足の速さにこうまで影響してくるというのか。
ついにエンデを見失い途方に暮れるルッツ。しかし、声がした。
「やったっ! やったぞっ! クレビティフォリアがあったぞっ! おーい、ルッツ殿。どこ行ったー? クレビティフォリアがあったぞーっ!」
え? 見つけたんだ。執念てやつは凄いなあ。ルッツは半ば呆れながら声のした方に向かった。
◇◇◇
ようやくルッツが追いついたことに気づいたエンデはその喜びをぶつけた。
「ルッツ殿―っ! 待っていたぞーっ! さあっ、見てくれっ! 見てくれっ! これはクレビティフォリアだよなー?」
しかし、ルッツはクレビティフォリアよりもエンデの背後に迫る不穏な影に気が付いていた。
「待って、危ないよっ!」
◇◇◇
グワンッ
そのモンスターの持つ爪がエンデに襲いかかったのとそれをルッツが体を張ってかばったのは同時だった。
「ルッツ殿っ!」
慌てるエンデ。
「エンデッ! 逃げてっ! すぐこの場から離れてっ!」
エンデを襲わんと狙っていたモンスターはグリーンベアー。その緑の毛皮は光沢があり、美しい高級品だが、その狂暴さもこの森の中でトップクラスだ。
相当なダメージだったが、ルッツは何とか立ち上がる。さすがにエンデが錬金した鎧は高性能だ。
「ルッツ殿っ! ルッツ殿っ! すまないっ! すまないっ! あたしのせいで」
「大丈夫だよ。エンデ」
ルッツは少し微笑む。
「エンデが錬金した剣と鎧は凄い高性能なんだ。こんな奴には負けない」
グオオオオッ
グリーンベアーが怒りの咆哮をあげる。獲物を横取りされて怒っているのだ。
フギオオオッ
思い切り右腕を振り、その爪をルッツに突き立てんとするグリーンベアー。受け止めるか? いや、受け止められるか怪しい。ここは敢えて懐に飛び込んで……
ガシーン
グリーンベアーの右手の爪がルッツの鎧を叩いたのとルッツの剣がグリーンベアーの右胸を刺したのは同時だった。
グギエエエ
グリーンベアーは悲鳴を上げるが、まだまだ立っていられるようだ。それに対し、ルッツはエンデが錬金した鎧が高性能とはいえ、二回にわたって殴打されたダメージはかなり大きい。
(後一回の攻撃が限界だな。これで仕留められなかったら、エンデには僕が喰われている間に逃げてもらうしかない)
ルッツは覚悟を決めた。
(左胸か喉。いややはり確実に動きを止められて的も大きいのは左胸の方だ。そっちで勝負をかける)
キシャアアア
グリーンベアーは更に力強く右腕を振ってきた。あちらはあちらで次の一撃で決着をつけようと思っているのだろう。
だが、右腕に力を込める分、動作もどうしても大きくなる。すなわち懐に飛び込める隙も大きくなる。
ルッツは思い切り懐に飛び込んだ。
ガシーン
三度目のルッツの鎧をグリーンベアーが叩く音がした後、グリーンベアーは左胸から血を噴出し、前方に倒れ始めた。
(いけない。下敷きにされる)
ルッツは慌ててグリーンベアーから離れる。どおという音をたて、グリーンベアーは倒れ、そのまま動かなくなった。
「ルッツ殿っ! ルッツ殿っ!」
慌てて駆け寄るエンデ。
「あっ、ああ、エンデ。大丈夫?」
「何を言うか。『大丈夫?』とは、あたしがルッツ殿に言うセリフって……」
ルッツの手を取ったエンデは気づいた。すごい高熱だ。意識も朦朧としているに違いない。
「ルッツ殿。帰ろう。急いで帰ろう。立てるか?」
「立てるさ」
ルッツは立ち上がったが、すぐにふらついた。エンデは慌てて支えるが、体格差が大きい。何とかルッツがぎりぎり立っていられるから支えられるが、ルッツが完全に気を失ってしまったら、エンデでは支えられないだろう。
(あたしのアトリエまで帰っていたのではルッツ殿がもたない。森から出て一番近いところにあるクリスティーネ姉上のいる実家に向かおう)
そう思っているエンデにずしりとルッツの体重がかかる。
(いかん。気を失いかけている。これは何とかせねば)
「ルッツ殿。あたしは四人姉妹の末っ子でな」
「うん。それは聞いている」
エンデは考える。とにかく会話を続けよう。とりとめのないものでいい。そのことでルッツの気を失わせないようにするのだ。
「うちはこの地区に最初に入植したということで名門ということになっている。そういうこともあって亡き父が跡取り息子をとてもほしがっていた」
「え? でも」
「そう。娘ばかり立て続けに四人も生まれてな。あたしなぞは、もう娘はいいという理由でENDE(エンデ・終わり)と名付けられた」
「何かそれも酷いね」
「でもな、あたしはこの名前嫌いじゃないぞ。この集落の人たちの悩みや苦労を錬金術でENDEに出来たらいいじゃないか」
「エンデは前向きで凄いよ。僕も四人兄弟の末っ子だけど、兄たちはみんな凄腕の狩人。とにかく置いていかれないようにやってくるだけで精一杯だった」
「何を言うか。ルッツ殿だって凄いではないか」
何とか会話を続けようとしたエンデだが、ついにルッツから返事が来なくなった。しかもルッツの体重がかかる。
エンデの体力では気を失ったルッツの体重を支えきれない。二人はそのまま地面に倒れた。
「ルッツ殿っ! ルッツ殿っ!」
エンデは必死にルッツを揺さぶるがルッツは目覚めない。
エンデは焦燥感にとらわれる。
(実家はすぐそこまで見えてはいるけど、ここに気を失ったルッツ殿を置いて助けを呼びに走るのは危険過ぎる。モンスターの格好の餌にされてしまう)
(! これしかない)
エンデは覚悟を決めたような表情になり、最初に拾い集めた木の実を頬張ると咀嚼した。強い酸味が口の中いっぱいに広がる。
◇◇◇
ルッツは目が覚めた。口の中いっぱいに広がる強い酸味で目が覚めた。
(いつの間にこんなものが口の中に入ったのだろう。毒ではなさそうだけどって、!)
ルッツは完全に目を覚ました。自分の口の中に強い酸味があるものを流し込んでいる、それがエンデの口であることに気が付き、そのことで完全に目を覚ましたのだ。
「わっ、わっ、わっ。エッ、エンデッ!」
エンデは口の周りを木の実の食べかすで汚したまま、ほっとした表情を見せる。
「良かった。気が付いてくれたか。ルッツ殿。すまんが立てるか?」
「うっ、うん」
ルッツは立ち上がった。フラフラするが、そこはエンデが支えた。
「良かった。申し訳ないが、あたしの体力では気を失ったルッツ殿を実家に連れて行くことが出来ないのだ。でも、この状態なら何とかなる。実家はすぐそこなのだ。すまんがもうちょっとだけ頑張ってくれ」
「うっ、うん」
ルッツは答えながら、自分の体が妙に火照っていることを自覚していた。それはどこまでが発熱によるもので、どこまでが先ほどエンデからされたことからくるものか、ルッツ自身にも分からなかった。
◇◇◇
「おう、起きたか?」
エンデの実家の寝台で伏せっていたルッツに声をかけたのは、この家に婿入りしているラルフだった。
「うっ、うん」
ルッツの返事を確認したラルフは、妻でありエンデの長姉であるクリスティーネを呼んだ。
「おーい、ルッツが起きたよ」
パタパタと音がし、クリスティーネが駆け込んでくる。
「よかった。ルッツ君」
クリスティーネはルッツの額に手を触れる。
「熱も下がったみたいね。何か消化のよいもの作ってくるから食べて。あ、それから……」
「何かエンデが随分ルッツ君を振り回しちゃったみたいね。姉の私が言うのもなんだけど、悪気はない子なの。よかったらまたつきあってやって」
「はあ」
足早に立ち去るクリスティーネ。そして、ラルフはルッツの伏せる寝台の脇に腰を下ろす。
「なあルッツ」
「何? ラルフ兄さん」
「今回のことはおまえがエンデちゃんを守ろうとして負傷したと聞いたし、おまえとエンデちゃんの口の周りが同じ木の実の食べかすで汚れていたことについても、あえて何かを言う気もない。しかしなルッツ」
「な、何?」
「俺たちおまえの兄三人は多分に荒っぽいところもあるが、全員女性に対しては誠実にやってきた。それは分かるな?」
「うっ、うん」
「エンデちゃんは俺の最愛の妻クリスティーネの可愛い末の妹だ。間違っても泣かしたりしたら承知しねえぞ」
「うっ、うん」
ルッツは何やら背筋が寒くなるものも感じたが、エンデは自分の命の恩人でもある。大事にしなければならないと気持ちは確かにあった。
◇◇◇
すっかり体調の回復したルッツはエンデのアトリエに向かっていた。クリスティーネはそんなことは気にしなくてもいいと言ってくれたが、ラルフは命の恩人なのだからお土産の一つも持っていけといったので、取りあえずちょっと高そうなピオニーリリーの花束を買った。これをエンデが喜んでくれるかどうか分からないが。
例によって、ギシギシきしむ音のする重い扉を開ける。
何となく照れくさいが声をかける。
「エッ、エンデ。こんにちは。この間はどうも。助けてもらって」
「おおうっ! ルッツ殿。ケガは治ったのだな。良かった良かった」
ルッツに飛びつかんばかりに駆け寄るエンデ。赤面するルッツ。
「お、ルッツ殿。このピオニーリリーは何だ?」
「うっ、うん。この間は助けてもらったからお礼」
「そうかそうか。嬉しいなあ」
ルッツは意外に思った。エンデのことだから花とかには興味ないのかなとも思ったが、喜んでくれているようだ。ルッツも何か嬉しくなった。
「ちょうど錬金しているもので赤色の染料が足らんかったのだ。絶好のタイミングで持ってきてくれて、本当に助かった。嬉しいよ」
エンデはそう言うが早いか、ピオニーリリーを魔女の鍋に躊躇なく投げ込むと、嬉々として棒でかき混ぜ始めた。
ルッツはすっかり脱力したが、嬉しそうに魔女の鍋をかき混ぜるエンデを見ているのは何故か嫌ではなかった。