───12月4日───
『失礼します』
例によって、ノックをして扉を開く。
横スライド式の扉は、もう古くなってるらしく、白い見た目とは裏腹に、きしきしと音を立てている。
───そこにはいつもの姿がある。
ベッドに腰掛け、訳もなく窓の外を見つめている。
どこか寂しそうな表情に、目を奪われ、なんとも言えぬ心情に陥る。
外の景色を眺める彼女の眼光に光は無く、───ただただ虚無を表している。
…。
───
しばしの沈黙。
えも言わぬ時を悶々と過ごす。
(───気づいてない?)
それもそうか。
当然だ。だって───
今の彼女の、あらゆる物事を捉えている視覚。
だがその視線を別の対象へずらしている。───ましてや、何も考えずに、ただ空虚に眺めているんじゃあ、気づきようがない。
近づく事にした。
「ひゃっ───!」
彼女の甲高い声が、病室に響く。多分、この分じゃあ、病院じゅうにも聞こえている気がする。
「ふ! あっはははは!」
「───?」
彼女があんまりにも驚きすぎていたんで、つい堪えきれなくなった。
そんな僕を見定め、彼女は紙に文字を綴る。
『酷いよ! いるならゆっくり来てよ! それに、いくら聞こえてないからって言っても、笑ってるの、判るんだからね?』
『ごめんごめん。つい翡翠か可愛くってさ』
何気なく書いた。
心の底で思った事、───不意に思いついた本音をただ書き綴った。
『こら、そんなお世辞で機嫌が直るもんか』
僕がその文字を見終える前に、翡翠は僕のネクタイを引っ張り引き寄せる。
でも、その力加減が、その苦しさが、
───少しだけ心地が良かった。
『とまぁ、冗談はこれくらいにして。今日は来てくれてありがとう。禊君』
『あぁ。こんばんは翡翠』
大人しく素直に、筆談で挨拶を交わす。
彼女との今のコミュニケーション方法は、確かに不便なのかもしれないけれど、不思議と嫌だとは感じなかった。
だって彼女は、それでも笑ってくれるから───
『今日の手話の授業はどうだった?』
何の悪ぶれもなく、その字体を彼女に見せる。
途端に元気が無くなる翡翠。一瞬にして、顔が曇る。
『どうだったって何? 今日はサボったりしてないよ?』
『疑ってなんかいないよ。翡翠は偉い子だ。
ただ、順調なのかなって思ってさ』
『軽い挨拶くらいなら、もうできるよ』
『すごいじゃないか。よく頑張ってる』
ーー
───寒いな。
此処、何度なんだ?
ふと、壁にかけられている温度計に目を配る。
───7℃。
「───7度!?」
思ったよりも気温が低かったんで、つい大声を出してしまう。
『何? どうしたの?』
訳が判らず、文字で質する翡翠。
───と。
「すいません。苅原さん。少し、時間を貰っても宜しいでしょうか」
声の主は、病室へと入ってくる。
翡翠の担当の看護師。見知った顔につい安堵する。
「はい、大丈夫です」
「翡翠さんの事で、少しお話が」
「わかりました」
言って、病室を出る。
最後にばいばいとを振って、翡翠は微笑んだ。
ーー
病室よりも少しだけ肌寒い廊下で、躰を震わす。
話とはなんだろうか、
嫌な予感が当たらなければ良いのだが。
「あの、話って、なんですか?」
堪らずに問いただす。
「翡翠さんの足の件です」
「はい」
事故の影響で、翡翠は両足の骨を折っている。
それ故、先日からリハビリをしてもらっている。
「もしかして、足、悪化したんですか?」
「いえ、その逆です」
「逆、ですか」
胸を撫で下ろす。
「最近は、リハビリの影響もあってか、段々と歩けるようになってきているんです。
だから、その日程をもっと増やそうかと思っているんですけど、どうですか?」
良かった─────、
…と。心の底から安堵した。安心したのだ。もし彼女に何かあったらと考えたのだが、良くなってきているなら良かった。
「はい! 是非お願いします」