───11月27日───
───微かに躰を震わせる。
最近は、また一段と寒くなった気がする。
ついこの間まで、エアコンの季節だったと言うのに、今じゃヒーターの季節と言える。
いきなり気温が変わったんで、衣替えも出来ていない。甚だ迷惑な話だ。
月は11月の後半で、1ヶ月後にはクリスマスだって控えている。
(去年は確か、イルミネーションに行ったんだっけ)
この街から電車を使って4駅。
少しだけ離れた都会の街で見たイルミネーション。
眺めていると、思わず息を飲むような夜景。
───ただそこにあるだけで、自然と落ち着いていられる花。
まるで。
───まるで、長年捜し求めていたオアシスを感じさせる新鮮な空気。
今思い返しても、あれはいいものだった。
月日を遡ると、沢山の記憶が蘇る。
あれから、もう1年か───
そう思うと、色々とこう、感慨深いものがある。
(今年はどうしたものか……)
言って、
夜の街を歩き進める。
ーー
○○市○○病院。
彼女が2ヶ月前から入院している。
最初のうちは、毎日と通っていたのだが、最近はどうも仕事が忙しくて見舞いのペースが落ちている。
本当は彼氏なんだから、僕が毎日会いに行って話を聞いてあげなければいけないと言うのに、───だらしないものだ。
そんな僕の事を彼女は、”いいんだよ。たまに来て顔を見れるだけで私は嬉しいから”と。そう告げる。
(───本当、あいつには頭があがらないな)
コツコツと、尖る靴の音を鳴らし、廊下を軽快に歩く。
彼女の方が不安なのだ。僕が辛気臭い顔をしてどうする。
「失礼します」
ノックをし、病室のドアを開ける。
───、と。
彼女は窓際のベッドに凛として座っている。
なんともその姿が可憐で、彼氏ながら、知らず唾を呑み込んでしまう。
「やぁ。翡翠。今日も来たよ」
「───ん」
声をかけると、彼女は微笑み、手を優しく振りかざす。その動作が愛らしくて、まるで人形を連想させる。
彼女は出来るだけ自然に笑おうとしている。それでも不自然に口の端を吊り上げているもんだから、僕には直ぐに作り笑いだと判る。
(こりゃあなんかあったな)
出来るだけ少ない動作で、彼女の蕎麦の椅子に腰掛ける。人1人座るくらいの、小さな丸椅子。
同時、
僕は鞄から紙とペンを取り出す。
───して、
慣れた動作で、文字を綴ってゆく。
『今日はどんな日だった? 何か楽しい事はあった?』
ひとまずは、彼女の機嫌を伺う。
それで───、
彼女は直ぐに文字を綴り返す。僕の文字の真下に、返答をするように。
『今日ね、お隣の佐藤さんがとっても面白かったんだよ』
返ってきた文字の更に下に、もう一度文字を綴る。
『佐藤さん? 確か、右足の骨をやっちゃって入院しているんだっけ? 何が面白かったの?』
彼女が言う、佐藤という老人とは顔見知りだ。
と言っても、前に2度、3度顔を合わせて喋った程度だが、それだけでいい人と断定できる程の人柄でユーモアのある元気なご老人だった。
彼女がペンを奔らせること、ほんの数秒。
直ぐに返事は返ってくる。
『それがね、私にフラフープを見せてくれたんだけど。失敗しちゃったの。それでそれで、治りかけてた骨に新しくヒビが入っちゃったの』
『ヒビが? それ、結構ヤバいんじゃない?』
……。
………。
───沈黙が流れる。
時計の針の音が、微かに耳を揺らす。
─────さて。
『翡翠。何か僕に隠している事、あるでしょ?』
何となく。漠然と。
態度から、そんな気がした。
根拠なんて無い。理由なんて直感だ。それでも彼女と長年一緒に居る僕には判る。
さっきからやけに目が合わないし、この作り笑いだって気になる。
彼女がこういう顔をする時は、大抵僕に後ろめたい事がある時なのだ。
彼女はポタポタと汗を垂らしつつ、文字を綴る。
『何の事?』
───すっとぼけ。頬被りもいいとこだ。
『誤魔化しても無駄だよ翡翠。僕の目は欺けない』
やはり、何処か気まずそうに目をそらす彼女。
依然として、何も書こうとはしない。
『翡翠。さては、───また手話の授業をサボったな?』
ギクッ。
とでも言わんばかりに肩をふるわせる翡翠。
どうやら解釈は合っていたらしい。
『嫌だなぁ。サボっただなんて、人聞きが悪いよ』
『嘘なんでしょ?』
『ごめんなさい』
こくりと頭を下げる翡翠。
2週間程前から、翡翠の部屋に来てくれている講師の方。毎週水曜日に来て、彼女に手話を教えてくださっている。
『翡翠。僕も頑張って覚えるから、一緒に頑張ろう?』
……再びこくりと頷く翡翠。
すっと頭を撫でてやると、彼女は申し訳無さそうな表情をするが、どうにも唇は少しだけ緩んでいるらしい。
今朝、通勤中に見た景色を思い出す。
そして、思いついた話のネタを振る。
勿論、筆談で。
『True sweetって覚えてるでしょ?』
彼女のお気に入りのケーキ店の名称。
良く2人で行ったっけ…。
『うん! 覚えているよ! それがどうしたの?』
『どうやら、入店音が変わったらしいよ』
『そっか』
僕の書いた文字を見るやいなや、彼女は少しだけ顔を顰めた。
僕も酷な事をしたと思う。話題を変えることにする。
『そう、新メニューも追加らしいよ』
『え!? どんな!?』
───途端、
俯きかけた顔を上げ、期待の目をする。
『苺のミルクレープだってさ。今朝見たけど、真っ赤な苺がとても綺麗で、多分好きだと思うよ?』
『食べたいな』
『今度買ってくるよ』
楽しみにしてるよ、とでも言うように彼女ははにかんだ。
ーー
こうしている間にも、時間という鎖に急かされる。
現在時刻は19:49。
そろそろ病院をでなければいけない。
『翡翠。そろそろ帰るよ』
別れの言葉を書き綴ると、こくりと首を動かした。で、例によって返事を綴る。
『次は、いつ来てくれるの?』
『わからないけど、またすぐ来るよ』
曖昧に返事をした。
『待ってるね』
そう彼女は綴った。