(9)不熟日
結局、人形はガルヴェインが購入した。
「保護呪文がかけてあるのになんで保護されてないんだよおおおお」
ガルヴェインは嘆き悲しんだが後の祭りだ。ふっ飛ばされた人形は、手に乗っていた鴉が魔術師の手ごと折れており、保護呪文のせいで修復も不可能らしい。買い取る他に手段がなかった。
とはいえ、ガルヴェインは貴族。しかも現在は【王国近衛部隊】を総括する【王室師団の師団長】兼【首都エルマデイア管区司令官】という肩書を持つ高給取りだ。金銭的には問題ない。
問題なのは、鬼の形相で怒るエヴァリスをどう諌めるかということだった。
ガルヴェインは泣きべそをかきながら謝り散らかし、何故か身ぐるみを剥がされ、またパンツ一丁で土下座していた。
王宮での彼の確固とした地位と、その威圧で周囲を圧倒する近衛師団長としての顔を知るルシェルは、今の無様なガルヴェインを見て何を思うかというと、実はもう慣れてしまった。
むしろ、屋敷の食卓に鎮座している例の人形、これが気になってしょうがない。
「ねぇエヴァリス。僕の魔法で直せるか試してもいい?」
ルシェルはあれからさらに使える魔法が増えた。
「ふむ、[ルーメン・レストラーレ]、“光魔法による修復”か。やってみてもいいぞ。たぶん無理だと思うけど」
エヴァリスの一応の了承を得てルシェルが呪文を唱える。
「光の修復よ、形を蘇らせよ![輝ける修復]」
光魔法独特の金の光が人形を包み込む。が、やはり「パシンッ」と弾かれて魔法が霧散した。
「ああっ、駄目かー。ちぇっ」
ルシェルが口をすぼめて悔しがった。その様子をエヴァリスがくすりと笑う。
「随分と上達したな。まあ、今日は何事も成就しない《不成就日》。ついでに言うと《不熟日》でもある。何事を成そうとも成果が出ない日だ。また別日に挑戦してみればいいさ」
《不熟日》とは、種まき、植付けをするとよく実らないという俗信のある日。基本的には土に関係する凶日だが、何を頑張っても実らない日とも捉えることができる。
エヴァリス曰く、今日は保護呪文の解呪はもちろん、もう魔法は使わないということだった。ガルヴェインが壊した通り、強力な魔法・魔術の類であれば破壊することも可能らしい。だがそれでは本末転倒だろう。次は吉日を選んで試すということだった。
引き込んでしまった厄は、しばらくこの屋敷に留まることとなる。
「ジョージという人の言う通り、この人形、なんだか凄く気になるね。そういえば、王宮でも同じようものがいっぱいあるんだよ」
ルシェルはこの人形をいたく気に入ったようである。
王宮にはこのようなオートマタのコレクション部屋があり、幼い頃よく見せてもらったそうだ。
そしてその晩、ルシェルは夢を見た。
長い長い廊下をひたすら進む。
そこは産まれてからずっと過ごしていた王宮の一角だ。この辺は普段通らない場所だが、ルシェルはこの先に何があるのか分かっている。
そうだ、あのコレクション部屋があるところ。人形を見たせいで思い出したんだな。本当にオートマタばかり集められていて、王族の誰かが好きだったのだろうか。
部屋に入ると、王族や貴族のために作られた豪華なオートマタが並んでいる。どれもこれも見事なもので、オルゴールの音楽に合わせて踊り出したり、キコリが木を切ったり、風車が回って音楽が奏でられたり、夢中になって見ていた記憶がある。
しかし、何故か一番気になったのは、部屋の隅に追いやられていた一つのオートマタだったことも思い出した。一番質素で、何の飾りもない。しかし、動き出すと面白い仕掛けで見た目が変わるものだった。
どんなオートマタだったっけ?
それが気になって、夢の中で見に来たのだろうか。
ルシェルは扉を開けて部屋の中を見て回る。たくさんのきらびやかなオートマタを通り過ぎ、目的のものを探していると…
「少年」
と後ろから声をかけられた。
驚いて振り向くと誰もいない。
「誰だ?」
ルシェルは問いかける。するとまた声が聞こえた。
「少年」
見ると、目線よりはるか下に何かある。
鴉だ。
「うわっ」
「そんなに驚かないでくれヨ」
鴉が喋っている。
「あれ。この鴉、あの人形の鴉かな」
「その通りダ。悪いけど、時間がないから手短に用件を言わせてクレ」
「用件…?」
ルシェルは突然喋り出した鴉に訝しむが、鴉は焦っているのか早口でまくし立てる。
「俺達は長年逃げ続けてきたんダ。アイツはそれでも追ってくる。早く逃げないと壊されちまう…イイカ、人形の持ち主にはすぐに売り払ってくれと頼んでくれ。でないと片割れの人形がやってクル!アレはとてつもなく邪悪なんダ!」
***
同じ頃、薄暗い宮殿の地下でぼっと蒼い炎が揺らめき立ち上がった。
その炎に照らされているのは、白銀の真っ直ぐな髪を靡かせた麗しい男の顔。名をノクスフェル・ダスクレインという。
ノクスフェルは目の前に置かれた水晶球の前で何かをひたすらに待っているようだ。身じろぎせず、静かにその時を待つ。すると、水晶球に人影が映し出される。
ーー 見つけました
水晶球から発せられる低い声に、ノクスフェルは笑みを漏らした。
「場所は」
ーー グラストン地方のヴェルト。エヴァリスの屋敷に一番近い村です
その言葉を聞いてノクスフェルは笑い出す。
「逃げた、と見せかけてやはりずっとそこにいたのだな、エヴァリス・アルゲルナ」
エヴァリスの所在は、隠匿してからはほとんどの者には知らされていない。知っているのは先々代王とガルヴェインのみ。
ルシェルを引き連れたガルヴェインが向かった先は間違いなくエヴァリスだと思われていたが、その居場所を探し出すのにかなり手間取ったのは記憶に新しい。そして、いざその屋敷の在り処を探索した時にはもぬけの殻。あの魔女がなんの手立てもなく屋敷に匿うはずもない。見つからぬような小細工を張ったのだろう。
だが、ノクスフェルはあきらめなかった。国中に「眼」を張り巡らせ情報を探らせ続けている。
「恐らく屋敷自体は別空間に隠されているが、外界との接触を一切断つのは不可能だ。ガルヴェインは我々の動きを注視する必要があるからな。その入口がヴェルトにあるのだ」
ーー どうなさいますか?
水晶球の人影がノクスフェルの指示を仰ぐ。
「居所が分かれば、あとは罠を張るだけだ。お前は支度を整えろ」
ーー はっ
さて、ルシェルを炙り出すのは簡単だ。特等席を準備してやらねばな。
ノクスフェルはその整った顔を歪め、暗闇の中で肩を震わせ笑い出す。