(7)巳の日
ドアを潜ると、そこは村だった。
ルシェルは面白がって、部屋の窓からの景色(中庭と屋敷と雑木林しか見えない)を見てはドアを開けて、まったく違う村の様子を繰り返し見返していた。
「魔法ってすごい」
だが、その言葉にガルヴェインとエヴァリスの顔は曇る。
確かに魔法に一切触れていない平民の中には奇跡と捉える者もいるだろう。だが、ルシェルはこの国の皇太子。王宮には【王直属の神秘顧問】がいる。国が誇るエリートたちが間近にいながら、皇太子が魔法に触れないなどということがあるだろうか…
結局、シンも村探検についていくというので(馬車で長時間揺られるのは嫌だが、こんなに近いなら行ってみたいらしい)、シンとルシェルで村を回ることになった。勿論小遣いも少し持たせている。
対する大人チーム、エヴァリスとガルヴェインは生活用品や食品を買い回ることになる。ガルヴェインは荷物係だ。
シンとルシェルがるんるんと飛び出していったのを見計らい、エヴァリスは初めてガルヴェインに問うた。
「王宮の魔術師たちは皇太子の魔法教育には一切携わっていないようだな」
この問いに、ガルヴェインは重たく頷く。
「そうらしい。正直、俺も下級貴族の出だからな。魔法が殆ど使えない。俺の出世はお前のおかげだ。だから魔法に関しては管轄外なんだが…」
確かにガルヴェインは殆ど魔法を使えない。
炎を司る下級貴族のレオンハルト家に生を受けたガルヴェインは、興奮するとその赤い髪が炎のように揺らぎ、剣を振るうと火花が飛び散るが、使える魔法といえば唯一の大技のみ。
流石に現在の地位、【王国近衛部隊】を総括する【王室師団の師団長】及び【首都エルマデイア管区司令官】という大層な出世が全てエヴァリスのおかげというのは大げさだが、魔法に詳しくないと言うのは事実である。
「ノクスフェルは貴族院の保守党との繋がりが強いと聞いた。バルモント公爵らはそういった勢力を背後に次期国王の座を狙い、皇太子への魔法教育も妨害していたのだろうか」
この国は、魔法という特殊な能力を糧に栄えた国であり、王族、貴族の魔法使いたちが長年君臨した稀有な国家だ。故に、かつては周辺諸国を圧倒した大国だったが、その力の源である魔法が衰えていったことにより、上流階級の権力も日に日に落ちていっている。故に先代国王アーサーは庶民院の肩を持ち、庶民たちが築き上げてきた文化や科学を奨励する政策をとったことで、貴族院とは度々衝突することがあったようだ。
エヴァリスは先々代王の知世しか知らぬ身ではあるものの、血と魔力で周辺諸国を統合していった賢王の末世は庶民たちに寄り添う政策が多かったと記憶している。
「奴らは、魔術師が国から冷遇されているという念に駆られていたようだ。だから、貴族の肩を持つバルモント公爵の元につき、ルシェルの即位を阻んだのだろう」
苦々しい表情でそう言うガルヴェインの言葉に、エヴァリスは「なるほどね」と鼻で笑った。
ガルヴェインの言葉はさらに続く。
「庶民院派の仲間たちが、奴らの動きを懸命に止めている。ルシェルの祖母君であられるイザベラ様を中心に、バルモント公爵に真っ向から対峙してくださっているようだ」
「だが、国王の座がいつまでも空席というわけにはいかぬだろう」
「そうだな。いずれはルシェル殿下がご自身で王位を継承するに値するお力を示す必要がある」
それは、こののどかな生活の終焉を意味している。ルシェルは王宮に戻り、バルモント公爵の即位を止めなければならない。つまり、ルシェルが王となるのだ。
「ルシェルの魔力を強化することが最優先、か」
エヴァリスは低い声で独り言のように言うのだった。
さて、そんな深刻な話をし終える頃、エヴァリスの目的地である、村唯一の雑貨屋に到着した。
カラン、とドアのベルが鳴り響き店内に入ると、気の良さそうな店主が笑顔で出迎える。
「おお、エヴァリス様!お久しぶりですな〜!!」
エヴァリスは陰気なマントを纏い、目深にフードを被っているが、こんな格好をする者は他にはいないのだろう。すぐさま誰だか判別するようだ。
「…店主、いつものやつだ」
そう言って、どこから出てきたのか十本以上ある薬瓶を箱ごとカウンターに置く。
「ありがてぇ。この薬がないと困るってもんが多いんだ。この前ジルの奴が“星霜の館”の前を通りがかったとき「館がなくなってる!」と騒いでいてな。魔法でどうにしかしちまったんだろうが、アンタがいなくなっちまったんじゃねぇかって、皆心配してたのさ」
「すまんな。今我が家はバカンス中でね。家ごと休んでいるのさ。薬は定期的に持ってくるから安心しろ」
「そいつはジルに聞かせてやらないとな。…風邪薬、腰痛の薬、痛風の薬、ほれ薬、と。はいよ、一式買い取らせていただくよ。お代はここに」
「ありがとう」
エヴァリスは顔すら見せずに無愛想な様子だが、薬は人気のようである。店主も慣れたものらしく、特段気にせず笑顔で見送ってくれた。
ちなみに「星霜の館」とは、村人達が勝手に呼び始めたエヴァリスの屋敷の名前である。
「よし。さっそく食材を買いに行くぞ。今日は《巳の日》だ。金運上昇の吉日だぞ。財布や宝くじを買うのに最適だ」
「…買うのか?」
「買わん」
はぁ?という顔をするガルヴェインだが、もはやこれ以上のツッコミは控えた。賢明な判断である。
その後、ルシェルとシンとも合流した。
二人は初めての村を隅々まで見て回り、屋台や洋品店もいくつか見て回って、小遣いで革でできた財布を買ったと嬉しそうだった。そういえば、金は裸で渡していたので、財布が必要だと思ったのだろう。今日は金運上昇の吉日、小遣いはなくなったが良い買物をしたと褒めてやった。