(2)不成就日
― 星廻草木雑暦書
見慣れない質の紙に、そうカンの文字で書かれている謎の冊子。
多くのブランタメイア人は読めないが、エヴァリスは友人のヒノモト人に教えてもらってある程度の読解ができるので、この冊子をもらい受けた。これは彼の国の暦書、つまりカレンダーであり、現在、エヴァリスにとって聖書より大事なバイブルになっている。
エヴァリスはバタバタと屋敷に戻り、引き出しに閉まっていたこの「星廻草木雑暦書」を開いて今日の頁を探した。
「え〜…と、カミサマホトケサマ今日は良い日でありますよね…?」
だが、エヴァリスの願望は無残にも断たれる。今朝、己の口で言った通り吉のオンパレードなのだが、同時に凶のオンパレードでもあった。
ここで改めて吉日について確認しよう。
《天恩日》
天の恩恵を受ける5日間。文字通り、天に見守られる中での慶事を行うと良いとされる日で5日連続続く。
《一粒万倍日》
一粒の籾が万倍にも実る稲穂になることから、物事が大きく発展する吉日。金運も上がる日と言われる。
《月徳日》
その月の徳(善)神がいる日とされ、万事に吉とされる日で、土に関わる行いが吉と言われる。
これだけ縁起の良い吉日が重なりながら、実は凶日も重なっていることも言及しよう。
《不成就日》
陰陽道で「何事も成就しない日」とされる縁起の悪い日。
《帰忌日》
遠出や帰宅、転居、結婚などを忌む日。
《八専》
何事も上手くいかない8日間。今日は入日。※入日はその始まりの日のこと。
上記のうち、特筆すべきは《不成就日》だ。今日はすべての吉をひっくり返し「結局すべて凶になる」という最凶日が含まれていることである。
ちなみに現代に於いてもこの《不成就日》は市販の暦にも記載されているものもあり、気にする人はいるようだ。つまり、何が言いたいかというと。
「の゙お゙お゙を゙ぉ゙゙ぉ゙゙ぉ゙゙ぉ!!!」
のたうち回るエヴァリス。
それを「どしたん?」とのほほんとした顔で迎えるシンだが、直後に窓やドアが強風に吹かれてガタピシと音を立て始めたことに驚いて「うにゃんっ」と隠れた。
あれだけ天気が良かったにも関わらず、風が雨雲を運んできたようだ。美しかった夕日は雲で遮られ、雨音まで混じってきた。
ドンドンドンドンドンッッッ
ドアがけたたましく鳴った。
風、ではない。人がノックする音だ。
「留守だっ!」
ショックを隠しきれないエヴァリスがマントのフードをほっかむり、大声で叫ぶ。が、そんな居留守が通用するはずもなかった。
「なんで留守なのに返事があるんだよっ!中へ入れてくれ、雨が降り出してきた!!」
「うるさい!今は無人だ!だいたいこんな夕暮れにやってきて雨だから入れろと?!晴れた昼間にやってこい!」
ドアを挟んだこの攻防を(どっちもどっちの言い草だな…)と思って眺めていたシンだったが、中に入りたがっている外の声に聞き覚えがあった。
「意地悪してないで入れてあげたら?」
気がつくと、シンはドア近くに置かれたテーブルの上で、金色の瞳をまん丸に見開いてエヴァリスを見つめていた。先程まで風音にビビって逃げていたとは思えないほど大人な仕草である。
「ちっ。今日は厄日だ」
「朝は大開運日だとか言ってたくせに」
「…」
反論する気も失せたのか、エヴァリスはひとしきりドアを眺め、そして開けた。
ザザァ…!
外はもはや大雨だった。
日もすっかり暮れている上、屋敷の中も明かり一つ灯していないので男のシルエットしか見えない。随分と大柄だ。
「よぉ、エヴァリス。久しぶりだな」
真っ黒な人影が妙に懐かしそうな声で言った。
男から見たエヴァリスも、マントを着込んでフードで顔を貸しているのでよくは見えないだろう。
「ガルヴェイン」
エヴァリスは彼の名を呼んだ。
7フィート近い(2メートル以上)の体躯に赤い髪。筋骨隆々のたくましい体つきはまさに百獣の王を連想させるようないかつい男。
が、エヴァリスは直後に何かに気づく。
「連れがいるのか」
尋ねると、少し呆けた様子だったガルヴェインが「あ、ああ」と言って大きな身体を脇へ寄せる。すると、背後にずぶ濡れのマントの人物がいた。背丈から子供である。
大男が濡れ鼠になろうが濡れライオンになろうが構わないと思っていたエヴァリスだったが、流石に子供を放置するわけにはいかなかった。
「入れ」
短くそう言い、彼等を招き入れた。
真っ暗闇の室内だが、エヴァリスが手のひらを掲げると途端に部屋中のランプに火が灯る。
「…!!!」
マントの子供が無言でたじろいだ。
魔法。
この国はまだ魔法が息づいている。
そして、エヴァリスはこの国でも稀有なほどの魔力を誇る、「東の魔女」と呼ばれる魔術師である。