プロローグ⑤
アルザード王国、第二王子。
そんな人物がなぜ、森の中に一人でいる?
訳がわからなかった。
ただ、知人に出会えたことにホッとして、思わず声をかけようとした。
私のことを覚えている?
無理だ。
今の私は、アリエルじゃないから……。
「間に合ってよかったよ。アリエル」
「……?」
今、なんて……。
「私が……アリエルだって、わかるの?」
「もちろん。十年ぶりくらいだけど、忘れるはずないよ。君の魂は、他にはない輝きがあるからね」
別に、アリエルであることにこだわりはない。
所詮は第二の人生だ。
女王でもなくなった私は、一生アリエルには戻れない。
それでいいと思っていた。
けれど……。
涙がこぼれてしまった。
「あれ……」
そうか。
私は不安だったんだ。
自分が何者でもなくなって、一人になってしまった現実から目を背けていた。
それを気づかされ、私を知ってくれている人に、救われた。
「ところでその姿は……」
「あなたこそ、なんでここに?」
「それは天啓があったからだよ」
「天啓? ああ、そういえばあなた、聖人だったわね」
女神の加護を直接受け、様々な恩恵を持つ存在。
男性の場合は聖人、女性なら聖女。
彼はその一人であり、女神の加護によって見えないものが見える目を持っている。
彼の眼は、他人の魂が見えるらしい。
そして天啓とは、女神様からのお告げだ。
「今日、ここで君を助ける。そういう天啓だった」
「……そう」
意地悪なんて言ってごめんなさい。
女神様は、ちゃんと私にも救いの手を差し伸べてくれたらしい。
「立てるか?」
「ごめんなさい。今は無理よ」
「そうか。じゃあ少し休憩しよう。あまり景色はよくないけどな」
「そうね」
彼は私の隣に座る。
「十年ぶりか」
「ええ」
「随分と変わったな」
「それは皮肉?」
私と彼は、十年前に知り合った。
隣国の王族同士だったから、顔を合わせる機会は何度かあって。
彼は私を見て、こういった。
君、どうしてそんなに魂が綺麗なの?
意味不明だった。
彼がそういう力を持っていると知ったのは最近のことだ。
けれどその日から、私たちはよく一緒に遊ぶようになった。
短い時間だ。
王族同士だから、頻回に会えるわけじゃない。
でも、楽しかった。
彼は私を王女としてではなく、一人の女の子として扱ってくれたから。
「何があったんだ? 君のその姿は……」
「面白い話じゃないわよ」
「面白さはいい。ただ、何があったのか教えてほしい。どうして君がここにいるのか」
「天啓は教えてくれなかったの?」
「天啓があったのは、ここに来れば君に会えるということだけだよ」
「大雑把なのね」
もしも彼が無視していたら……今頃私は死んでいた。
「私は――」
助けられたこと。
そして、彼は友人だからこそ、話してもいいと思った。
何があったのか。
私がもう、女王には戻れないことを。
「そんなことが……! 今すぐに戻ればまだ間に合うかもしれない」
「レント?」
「僕も協力しよう。君が女王に戻れるように」
「……いいわよ、そんなこと」
「え?」
「私は女王に戻りたいなんて思っていないわ」
呆気にとられる彼に、私は本心を伝えた。
彼は尋ねてくる。
「その気はないって……それだけされて、復讐しようとも思わなかったのか?」
「面倒臭いじゃない」
「面倒って……」
「だってそうでしょう? 私の代わりをしてくれるなら嬉しい限りだわ。私はずっと、女王なんて地位は望んでいなかった。ただ……自分がしたいように、生きたかっただけなのに……」
それはきっと我儘なのだろう。
王族に生まれたなら、自由なんて許されない。
彼も王族だから理解できるはずだ。
「じゃあ君は、これからどうするんだ?」
「そうね……女王じゃない私として、普通に生きて、普通に幸せになりたい……それだけ」
「普通に……か。難しいんじゃないのか?」
「そうね。自覚してる」
たとえ女王でなくなっても、今の私に普通は難しいことだ。
すでに母国には戻れない。
誰でもない私は、どこへ行っても馴染めないだろう。
加えて呪いと魔力……不安な要素が多すぎる。
「どこか山奥でひっそりと暮らすしかないわね」
「それで幸せ?」
「……どうかな。わからないけど……」
幸せは人それぞれだ。
やってみたら案外、幸せと感じるかも……。
「俺の国に来ないか?」
「え?」
突然のお誘いに私はびっくりする。
冗談かと思ったけど、彼は笑顔で、さらに真剣だった。
「君も知ってると思うけど、うちの状況はよろしくない」
「アルザード王国ね」
事情は把握している。
隣国のことだ。
女王として耳に入っている。
アルザード王国は今、国が三つに分かれていた。
「何とかしたいんだけど、中々うまくいかなくてね……そこで、君の知恵を借りたいんだよ」
「まさか私に、女王になれとでも?」
「いわないよ。ただちょっとだけ力を貸してほしい。その代わり、君の衣食住と安全は俺が保証する。やりたいことは、これから見つければいいだろ?」
「……確かに」
そういう生き方も、ありかもしれない。
誰ともわからない人を頼るより、私を知ってくれている人に頼るほうが安心できる。
「でもいいの? 面倒になるわよ」
「かもな? けどここで君を見送ったら、後悔すると思うんだ」
「後悔……」
「天啓にしたがってここへ来た。これは女神の導き……なら、出会いは運命だろう?」
運命……。
確かにその通りで、奇跡的な出会いだった。
私は彼に救われた。
その恩もある。
「仕方ないわね。恩もあるし、ちょっとくらいなら手伝ってあげるわよ」
「本当か?」
「代わりに、約束は守ってよね」
「もちろん、君の生活と安全は、この俺が保証しよう。女神に誓ってね」
その誓いに嘘はない。
私はため息をこぼし、少しだけ気持ちが軽くなった。
「それじゃ、いつまでもこんな場所にいられないな」
「え、ちょっ!」
彼は私を抱きかかえた。
お姫様を連れ出すように、少し強引に。
「行こうか。アリエル」
「もうアリエルじゃないわ」
「そう? なら新しい名前を考えよう」
「そうね」
新しい名前か。
自分で考えるのは面倒だし、彼に考えてもらうとしよう。
第二の人生の、第二幕。
そのスタートには、ちょうどいい。
この運命から、私の新たな人生が始まった。