プロローグ③
違和感はあった。
身体が重いような、軽いような。
まるで身体から何かが抜け落ちたような感覚だ。
「ぅ……」
もう朝だ。
今日もたくさん仕事があるから、早く起きて準備しないといけない。
私は気だるい身体を無理やり動かした。
違和感。
「あれ?」
ベッドから降りる時、転びそうになった。
いつもと違ったのは、足が床に着くタイミングだった。
少し遅かった気がする。
「寝ぼけているのね」
シャキっとしなくては。
朝から大事な会議もあるのだ。
だらけた姿は絶対に見せられない。
私は事前に用意された着替えに手を伸ばす。
使用人を呼んで着替えを手伝わせることもできるが、これくらいは自分でやれる。
前世が一般人だった頃の癖だ。
「ん? なんか大きい?」
サイズが合わなかった。
間違って違うサイズを用意されたのだろうか。
私はため息をこぼし、使用人を呼んだ。
すぐに使用人がかけつける。
「お呼びですか? 女王陛下」
「この服、ちゃんとした大きさのものに交換してくれる?」
「大きさ……!」
彼女は私を見て、酷く驚いた顔をした。
私は首を傾げる。
「どうしたの?」
「……あなたは、誰ですか?」
「は? 何を言っているの? 私は――」
「た、大変です! 女王陛下のお部屋に、知らない女性が!」
使用人は取り乱して部屋を出てしまう。
これは何のドッキリだ?
慌てて私は追いかける。
「待ちなさい! 何を言っ――!」
部屋にある大きな鏡に、その理由が映っていた。
鏡の前に立っているのは私だ。
私なのに、私じゃない。
髪の色は黄色から赤になり、背丈も縮んでいる。
すでに二十代に入っていた私の身体は、十代中盤の体格へと変化し、顔も……。
「誰?」
知らない女の子になっていた。
私は感覚を確かめる。
間違いなく、映っているのは私だ。
手鏡も取り出して確認したけど、この顔が映っている。
見ず知らずの少女が、私になっていた。
理解できないまま困惑していると、使用人が騎士を呼んだのだろう。
城内が慌ただしくなる。
「まずい……」
理由はわからないけど、この状況は非常にまずい。
このままでは捕まってしまう。
一先ず私は逃げることにした。
理由を探るのは落ち着いてからだ。
見つからないようこっそり部屋を抜け出し、普段は使われていない部屋に隠れた。
「ここなら……」
「慌ててどうしたのかしら? アリエル」
「――! お姉様……」
逃げ込んだ部屋にはお姉様がいた。
「どうしてここに……」
いや、問題はそこじゃない。
彼女は今、アリエルと呼んだ。
この容姿を見て、私がアリエルだと知っていた。
その答えは……。
「まさか、お姉様の仕業なの?」
「勘のいい子ね。でも、私じゃないわ」
もう一人、彼女の背後から現れる。
フードで顔を隠しているけど、雰囲気が不気味で……何だか怖い。
「初めまして、女王陛下。私はセミラミス。毒の魔女と呼ばれております」
「魔女……」
そうか、私の姿を変化させたのは魔法なのか。
この世界にも魔法はある。
ただし、使える人間はほとんどいない。
魔法が使える女性は魔女、男なら魔人と呼ばれ畏怖の念を抱かれる。
私も話に聞いていただけで、実際に会ったことはなかった。
もはや都市伝説だと思っていた。
「魔法を解きなさい。こんなことをして、大問題になるわ」
「ふふっ、それが何? 私の目的は自分が女王になることよ」
「そんなことのために……」
魔女と手を組んだというの?
「そんなこと? あなたにはそんなことでも、私には重要なことなのよ!」
お姉様は声を荒げる。
「あなたにわかる? 私の気持ち……ずっと選ばれなくて、期待されなかった私の惨めさが」
「……」
「私が女王になるはずだったのよ。あなたじゃない。私がふさわしいのよ!」
知っている。
彼女が内心、そう思っていたことなんて百も承知だ。
けれど、こんな強引な手段を取るとは思わなかった。
「今ならまだ間に合うわ」
「何が間に合うの? あなたの時代はもうおわったのよ。それを私だけじゃない。彼も望んでいるわ」
「彼?」
「――元女王陛下」
「――! ランド公爵」
私の背後に、ランド公爵が現れる。
そうか。
彼も共犯なのか。
「あなたは僕を優遇する気もなかった。このままでは夫にもなれないのでね」
「そういうこと……」
彼は野心家だった。
私と結婚すれば、王族の一員になれる。
それを狙って、ずっとアプローチを続けていたけど、最近は静かだった。
諦めて、別の手段を考えたのだ。
「婚約は破棄しましょう。代わりに、彼女が婚約してくれます」
「そういう約束ですから」
「お姉様……」
「悔しい? 自分が築いてきたものを奪われる気分はどうかしら? もうあなたは女王じゃない。その姿は呪いよ。解く方法なんてないわ!」
「……」
「これから一生、あなたは女王には戻れない。アリエルにも戻れない。可哀想に……」
そうか。
戻れないのか、私は。
元の姿にも、女王の地位にも……。
ならこれで……。
「じゃあもういいわ」
「……は?」
「女王になりたいのでしょう? だったら勝手にすればいい。私はもうアリエルじゃないし、関係ないから好きにするわよ」
「……何を、言っているの?」
開き直った私に、お姉様は戸惑っていた。
魔女は驚き、ランド公爵も目を疑っている。
彼女たちは知らない。
私の本心を。
「私が望んで女王になったと思う? そんなわけないじゃない」
「あなた……」
「むしろ感謝しているわ。辞め時もなかったから、これなら諦めて辞められる」
いささか強引なやり方だけど、これで晴れて自由の身だ。
こんなに嬉しいことはない。
期待してくれたお父様や、国民には申し訳ないと思うけど……。
それも全部、お姉様たちが引き継いでくれるらしいし。
「頭がおかしくなったのかしら?」
「私はいつも通りですよ。これが私、本来の私……そういうわけなので、王城を出る準備をします。一度部屋に戻ってもいいですか?」
「……いいわけないでしょう?」
「え?」
「あなたは真実を知っている。だから――」