『猫化』で阻止する、婚約破棄 ~マタタビガジガジしてる皇子は嫌なのですけれど、寄ってくる猫ちゃんはかわいいので、婚約破棄しにくくて困ってます!~
「にゃぁああん!!」
「まぁ可愛い! どこから迷い込んだのかしら?」
公爵家の庭園に突如迷い込んだ一匹の白猫。
ふさふさと長く、真っ白い毛並みはよく手入れがされており、陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
「飼い猫かしら?」
人懐っこくアメリアの足元まで歩み寄ると、再度「にゃぁん!」と一鳴きした。
猫が大好きな公爵令嬢アメリアは、両手でそっと抱き上げ、もふっとしたお腹に顔をうずめる。
「はぁぁ……しあわせ」
アメリアの頭にポフリと小さな手が触れると、ほのかな温かさが伝わり、それがまた堪らなく幸せな気持ちにさせてくれる。
「迷子なの? もし飼い主が見つからなかったら、うちにいらっしゃい!」
あまりの可愛さに、願いを込めてチュッとキスをすると、気のせいだろうか、白猫はほんのりと頬を赤らめながら目を逸らした。
「やだもう、かわいい……」
我慢出来ずにスリスリと頬ずりをすると、アーモンド形の目を嬉しそうに瞬かせている。
「婚約破棄が受理されれば、私は晴れて自由の身。あなたさえ良ければ、別荘でのびのびと一緒に暮らしましょう! あんな浮気性の婚約者、私には必要ないわ!」
アメリアの婚約相手は、獣人国の第五皇子ライオネス。
十年前に疫病が流行り、適齢期の女性が激減した獣人国。
結婚相手のいない男性は、成人を迎えると同時に国外へ放り出され、妻を娶らねば帰国を許されない……という鉄の掟があるらしい。
とはいえ、さすがに皇族ともなると相手に困ることはなく、国外からもちらほら申し込みがあったそうだが……ライオネスの婚約者として、なぜか隣国の公爵令嬢アメリアに白羽の矢が立ったのである。
「あら、どうしたのかしら? 急に元気がなくなっちゃったわ」
先ほどまで元気いっぱい、あんなに目を輝かせていたのに……。
突然生気を失い、腕の中でくたりと死んだように力を失くした白猫にビックリして、アメリアは落ち着きなく、おろおろと辺りを見回した。
「どうしましょう、もうすぐライオネス様がいらっしゃるのに」
前回喧嘩をしてしまったため、正直会うのは気乗りしない。
猫の看病を理由にお断りしようかしらと思い悩んでいると、断るより先に、叫ぶ声が耳へと届いた。
「うわぁぁ、殿下! どうされたのですかッ!?」
「……殿下?」
約束の時間よりも随分と早いが、もう到着したのだろうか。
「アメリア様、殿下が気絶しておられます! 急ぎ医師の手配を……!」
「……はい?」
辺りを見回すが、ライオネスの姿は見当たらない。
不思議に思い、見つめた護衛騎士の視線の先には、一匹の白猫。
「あああ殿下ッ、おいたわしい!」
……獣人国の皇族は、獣の血がとても濃く受け継がれるため、子供の頃は獣の姿。
そして成人をむかえる前に、完全な人型になると聞いたことがある。
「まさか、この子が?」
いやいやまさか、そんなこと……恐る恐る護衛騎士に尋ねると、これ以上無いほどに眉をひそめ、神妙な顔でこくりと頷いたのである。
*****
――遡ること一年前。
絵姿はとても美しく、こんな素敵な人が婚約者になるなどと到底信じられなかった。
公爵令嬢という身分はあるものの、取り立てて美しくもない上に、特別な才能があるわけでもない。
釣り合わないことなんて、アメリア自身が一番よく分かっている。
獣人国に蔓延した疫病により、適齢期の女性が激減した故に、降ってわいた縁談だということも――よく、分かっている。
それでもこの人と一生を共にするからには、少しでも心を通じ合わせようと……お互いを想いあえる幸せな夫婦になりたいと、ライオネスに会える日を心待ちにしていたのだ。
そして顔合わせに現れたのは、絵姿どおりの美青年……柔らかい物腰で優しくエスコートされ、アメリアは相手が自分で申し訳ない気持ちになりながらも、きっと仲良くなれるとその時は信じていたのだ。
だが顔合わせ後、程なくして彼は落ち着きを失くし、キョロキョロと視線を彷徨わせるようになった。
アメリアのことなどまるで興味が無い様子で、何を話しかけてもロクに返事すらしてくれない。
紅茶を注ぎ、後ろに控える侍女頭のエイミーに釘付けになったまま、その日は終始うわの空だったのである。
その日以降、手紙を送り、会う機会を増やし、少しでも仲良くなろうと頑張ってはみたのだが、どれも無駄に終わってしまった。
アメリアのもとを訪れるたび、ライオネスはまるで愛する女性に向けるような、熱のこもった眼差しをエイミーへと送り、頬を上気させる。
婚約者であるアメリアのことなど、まるで眼中にないかのように。
だが聞いて欲しい。
エイミーは既婚者……それも孫も立派に成人し、御年六十歳を軽く超えようかという、侍女頭なのだ。
先日など、目の前に婚約者のアメリアがいるにも関わらず、ふらふらと引き寄せられるようにエイミーのもとへ行こうとした前科まである。
同年代の令嬢相手に浮気されるならまだ頑張りようもあるが、相手は成人の孫がいるおばあちゃん。
そういう性癖なのだと思うと対抗する気も起きず、このまま静かに身を引こうと考えていたある日、エイミーが日頃から愛飲しているお茶を勧めてくれたのである。
「お嬢様、最近顔色が悪うございます。もしお嫌でなければ、滋養強壮に効くお茶はいかがですか?」
実を煎じて飲むと疲労回復にも効果があるのですよ、とエイミーに優しく勧められ、それではと口に含むと、独特の香りが鼻腔をついた。
「殿下はきっと照れていらっしゃるのだと思います。あまり気に病まないでくださいね」
恋敵であるはずのおばあちゃん……エイミーに優しく諭され、思わずうるりと泣きそうになってしまった。
「時々エイミーから薬草のような香りがしていたのは、コレだったのね……ありがとう」
すぐに元気になるのは難しいかもしれないが、その気持ちが嬉しい。
幼い頃から優しく接してくれる、おばあちゃんの侍女頭が自分の『恋敵』という悲しい現実に、アメリアは小さく溜息を吐いた。
そして今日もまた時間になり、ライオネスが訪れる。
どうせまたエイミーを見つめ、うっとりと顔を赤らめるに違いない……そう思っていのに、今日はなぜかアメリアへと、欲望に満ちた眼差しを向けた。
どうしたのかと尋ねる間もなく、ライオネスはアメリアのもとへと歩み寄り、あろうことか……突然ぎゅうっと抱きしめたのである。
「きゃあぁぁッ、どうされたのですか!? お、おやめください……!」
腕から逃れようと抵抗するが、相手は人間の倍ほども力がある獣人……押せども引けども、ビクともしない。
そのままアメリアの顎をグイっと上向けると、無言のまま……あろうことか口付けを落としたのである。
「んーーッ!?」
突然口をふさがれ、あまりのことに、これ以上ないほど目を大きく見開くアメリア。
「……ッ」
突然の口付けに息をするタイミングすら分からない。
だがそれを気にする様子もなく、続けて二度目の口付けを迫ろうとして……ついに堪忍袋の緒が切れたアメリアは、人生初の全力ビンタをお見舞いしたのである。
*****
「この浮気者ッ! ……もう我慢の限界です!!」
「は? 浮気者!?」
普段の優しい姿からは想像もできないほど激怒したアメリアが、目の前で仁王立ちをしていた。
万が一不敬罪で罰せられたら、末代まで祟ってやる!
そんな声が聞こえてきそうな程、険しい顔で睨みつけてくる。
「エイミーを一途に愛しているなら、身を引いて応援しようと思っていたのに!」
「ええッ!?」
可愛い紅葉の手形を頬に付けたまま、ライオネスは驚きに目をみはった。
一方、二人の様子を見守っていたおばあちゃん侍女頭エイミーも、驚愕の表情でアメリアを見つめている。
「ライオネス様と結婚なんて絶対に嫌! どんなに慰謝料を払ったとしても、婚約は破棄させていただきます!!」
「そ、そんな……ごめ」
「謝ったって許しません! もう顔も見たくありません! 本日はこれにて失礼させていただきますッ!!」
アメリアは怒りに任せて言い放つと、踵を返し、そのままその場を後にした。
残されたライオネスは呆然とアメリアの後ろ姿を見つめ――。
そのまま、フッと意識を失ったのである。
*****
そして、話は冒頭に戻るのだが――。
「つまりは幼児退行……過度のストレスによる赤ちゃん返りのようなものです」
「か、過度のストレス!?」
確かに子供の頃は、獣の姿だったと聞き及んでおりますが……。
「そもそも殿下はアメリア様に会うたび、帰りの馬車で可愛いだの抱きしめたいだの、それはもう大騒ぎだったのですよ? 浮気などとんでもない話です」
「はいぃ!?」
そんなバカな……だって訪れるたび、エイミーに熱い視線を送っていたではないか。
「殿下はネコ科です。マタタビの誘惑にも負けず、エイミー様にじゃれつくのを必死で耐えていたというのに……これではあまりにも殿下が報われません!」
「…………マタタビ?」
驚いてエイミーを見遣ると、「はい、先日お出ししたお茶は、木天蓼の実を煎じたものです」と微笑んでいる。
「喧嘩をした日だってそうです! マタタビの香りをプンプンさせて誘惑したのは、アメリア様のほうですよ?」
「ゆ、誘惑ッ!?」
まったくもって酷過ぎる! と憤る護衛騎士。
タイミング良く意識を取り戻したモフモフ白猫のライオネスは、その通りだと言わんばかりに頷いている。
「大好きな女性から大好きな香りがしたら、そりゃあ抱きしめて口付けしたくもなるというもの。それなのにあんな……平手打ちをしたあげく、婚約破棄だなんて」
「そんなことを仰られましても……!」
「あの後、ショックのあまり気絶したあげく猫になった殿下を馬車に乗せ、なんとか人型に戻すも気付くとまた猫に戻るの繰り返し……。よろしいですか? 殿下はまだ十六歳。御兄弟の中では一番お優しく、かつ打たれ弱いお方です」
「なるほど、打たれ弱い……」
護衛騎士がプンプンしているが、そもそもショックを受けると猫に戻るだなんて初耳である。
ひとたび人型になった成人獣人は、二度と獣の姿には戻らないと思っていたのに。
『婚約破棄』という単語に反応したのだろうか。
白猫ライオネスがまたしてもグッタリと意識を失い、アメリアの膝の上で動かなくなってしまった。
「で、殿下! しっかりなさってください! アメリア様……『婚約破棄』をするにしても、責任をもって殿下を元に戻してからにしてもらいますよ!」
こればかりはと譲れないと護衛騎士にギロリと睨まれ――。
そんなこんなでアメリアのいる公爵邸に、急遽白猫が住まうことになった。
少しでも『婚約破棄』について触れると気を失い、くたりと動かなくなるため、もはや禁句となっている。
結局仲直りできないまま、究極のヒーリングスポット……アメリアの膝の上で癒しを得た一か月後、ついに赤ちゃん返りを乗り越えて、ライオネスは立派に人型へと戻ったのである――。
***
「王都へお出かけですか?」
「――その、アメリアが嫌じゃなければだけど」
アメリアの両親である公爵夫妻から許可が出ているため、人型に戻ったにも関わらず、なぜか引き続き公爵邸に居座っているライオネス。
結局あの後婚約破棄はできず仕舞い。
さらには獣人国の王族なので雑に扱うこともできず、少々扱いに困っている。
「アメリアと一緒に出掛けてみたい」
確かにいつも公爵邸内で会うばかりで、お出掛けしたことは一度も無かったかもしれない。
マタタビの誤解は解けたが、ぎこちない関係が続いており、婚約破棄を撤回しようにも言い出せず困っていたところだった。
きちんと話し合う、良い機会かもしれない。
アメリア自身も久しぶりに外で羽を伸ばしたくなり、二つ返事で出掛けたまでは良かったのだが、先程から女性達の視線がチクチクと突き刺さる。
まだ少年っぽさの残る顔立ちに、キラキラしい高貴な王族オーラ。
完全人型の時は猫耳も出ないため、ぱっと見は神レベルの美青年である。
「こうなるわよね……」
恋心を護衛騎士にすべてバラされたと聞き、しばらく猫の姿で泣いていたライオネス。
あの時の可愛らしい姿が嘘のように、ビシバシとイケメンオーラを放っている。
どうみても釣り合わないわよね、とアメリアが溜息を吐いていると、不意にライオネスが足を止め、躊躇いがちに手を差し出してきた。
「……えっ」
つなごうと思ったのだろうか、突然のことにアメリアはピシリと固まり、その手をすぐに取ることができなかった。
「その……なんでもない。アメリア、ごめんね」
アメリアが一瞬ためらったことに気付き、ライオネスは慌てて謝る。
ぎこちなく微笑んだ後、無言で手を引っ込めた。
早々に漂う気まずい気配に、二人は黙りこくって歩みを進める。
後ろを歩く護衛騎士の足音が、やけに大きく耳へと届き、……アメリアの視界が涙でにじんだ。
差し出された手をすぐに握れていれば、仲直りできていたのだろうか。
望んでいたのはこんな関係じゃなかったはずなのに。
俯いたアメリアの瞳から、ぽたりと大きな雫がこぼれる。
「アメリア、この後……えっ! 泣いているの!? どうして!?」
「な、なんでもありません。大丈夫です。申し訳ございません」
「泣いているのに、大丈夫な訳が無いじゃないか! どこか痛いの? もう戻る?」
振り返るなりアメリアが泣いていることに気付き、おろおろと心配して落ち着きを失くすライオネス。
そう、――彼は優しいのだ。
気になったのはマタタビの一件くらいで、王族であることを鼻にかけるでもなく、身分が低い者達にも紳士に接する人格者。
さらにはこの容姿……勘違いしたあげく一方的に引け目を感じて、どうしたらいいか分からずウジウジする自分に嫌気が差す。
「ほっ、本当に大丈夫です。目にゴミが入っただけです」
優しい言葉を掛けられて、さらに涙が出そうになるのをグッとこらえて答えると、ライオネスは悲し気に眉を下げ、アメリアの頭を優しく撫でた。
「……それなら今日は行き先を変えて、動物がたくさんいるお店にしないか? アメリアは動物が好きだから、きっと元気が出るはずだ」
「猫のライオネス様とはいっぱい触れ合っているのにですか?」
「うん、まぁそうだね。たまには別腹で、どう?」
気遣ってくれているのだろう。
覗き込むように見つめるライオネスの瞳が、優しく揺れる。
「よろしいのですか?」
「君が元気になるのが一番だよ。人気の動物カフェが近くにあるんだ。この時間なら人も少ないから、行ってみよう」
「あ、ありがとうございます。行き先を変えてしまい、申し訳ございませんでした」
「謝らなくても大丈夫、僕もちょうど行きたいと思っていたところだったんだ」
そんなはずないのに優しく微笑まれ、アメリアはなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
五分ほどで動物カフェに到着すると、二人に気付いた店員が慌てて頭を下げ、王族のライオネスが一緒だからだろうか、最奥のVIPルームへと案内された。
「この部屋は貸し切りになっております。存分に触れ合いをお楽しみください」
店員が頭を下げ、「御用の際は呼び鈴を鳴らしてくださいね」と声をかけて去っていく。
護衛騎士も退室し、部屋にはライオネスとアメリア、そして犬や猫、鳥などの各種動物達のみが残された。
「わぁ、みんな可愛いですね!」
もふもふと柔らかな感触に幸せいっぱい、やっとアメリアに笑顔が戻り、ライオネスがホッとした表情で頷いた。
皆アメリアに興味津々で歩み寄り、匂いを嗅いだり頬ずりしたり、頭の上に乗ったり……だがなぜかライオネスにはじゃれつかず、一定の距離を保っている。
「動物は獣人が怖いのですか?」
不思議に思って尋ねると、ライオネスから「そうなのかな?」と曖昧な返事が返って来た。
「御覧ください、すごく毛並みの綺麗な子がおります! ライオネス様のように真っ白な猫ですよ! ……なんて可愛いの」
ひとしきり楽しそうに戯れた後、膝元にいた白猫を抱き上げて、アメリアはエメラルドのようにその瞳を輝かせた。
「ああもう、モフモフで本当に可愛い」
にゃおん、と鳴いた可愛い声に我慢できず、思わずチュッとキスをする。
ぎゅうっと抱きしめて頬を寄せたその時、室内の空気が一瞬にして凍り付いた。
ひんやりと凍えるオーラを放ち、ライオネスが無言で呼び鈴を鳴らすと、アメリアの手中にいる白猫が怯えるような視線を向ける。
その場にいた動物たちも不穏な気配を察知したのか、皆縮こまり、まるで人間のようにさっと目を逸らした。
「……おい、こいつらを全員下がらせろ」
いつもの優しい口調からは想像できないほど冷たさの残る声で、駆け付けた店員へ命じると、室内にいた動物達が一斉に退室する。
静まり返った二人きりの部屋でアメリアが少し怯えて目を上向けると、ライオネスはハァ、と苛立ったように溜息を洩らした。
「き、急にどうされたのですか?」
「……浮気者は君のほうじゃないか」
ソファーに腰掛けるアメリアのすぐ近くに膝を突き、逃げられないよう腰に手を回される。
「それも婚約者の僕の前で、他の男に口付けるなんて、どういうつもり?」
いつものキラキラ輝くような瞳とはまったく違う、どろりとした陰鬱な眼差しがアメリアを貫いた。
「そんな……私はただあまりに猫が可愛くて」
「可愛いとキスするの? なら僕ともできるよね?」
「――え?」
もう片方の手をアメリアの肩口に突くと、覆いかぶさるように身体を寄せて、唇が触れるだけのキスをする。
「今日は平手打ちしないの?」
身動きが取れず、されるがままのアメリアは驚きに目を見開いた。
「……婚約破棄するって怒らないの?」
先程までの冷たい声が次第に落ち着きを失くし、縋るような切なさを帯びる。
目の前にあるライオネスの顔が歪み、アメリアは何一つ言葉を紡ぐことができなくなってしまった。
押し黙るアメリアの頭の後ろに手を差し入れ、ライオネスはその唇を食むように優しく触れる。
何度も何度も角度を変え、繰り返しアメリアにキスをした。
「んう……」
一体いつまで続くのか……空気を求めるように胸板を腕で押し、顔を背けようと力を籠めるが、逃れることを許してはもらえない。
「どうしたら僕のこと、好きになってくれる?」
熱に浮かされたように呟くライオネスの頬は上気し、熱を孕んだ瞳でアメリアを支配する。
「初めて会った時、ああやって僕にもキスしてくれたのに」
「――え?」
「君が初めてこのお店に来た時、白い猫が何匹もいたの、覚えてる? 君の結婚相手が誰になるか……その時はまだ決まっていなかったんだ」
婚約者が決まる前、父親に連れられてこの動物カフェを訪れたことがある。
目的を知らされず、ただ可愛い動物がいるからと部屋に一人通されたのだ。
「可愛い僕のアメリア。会った瞬間、一目見て好きになったんだ。絶対君に選ばれたくて、兄弟達を押しのけて膝に乗ってたくさんアピールしたら、僕を撫でてキスしてくれたのに」
確かに数匹の白猫がおり、アメリアは膝の上でデロデロに甘える一匹の白猫を抱き上げ、先程のようにキスをしたのを覚えている――。
「僕だけだと思っていたのに……こんなに好きなのに。どうして? どうして弟にキスをしたの?」
問いかけるライオネスの瞳から、大粒の雨が落ちてくる。
その雫を頬に受けながら、アメリアは信じられない思いでライオネスを見つめていた。
あの時の触れ合いが、お見合いだったなんて知らなかった。
どの子が一番気に入ったか最後に聞かれて、可愛さのあまり口付けたあの子がライオネスだったなんて、思いもよらなかった。
こんなにも自分を好きでいてくれたなんて、気付きもしなかった――。
はらはらと涙をこぼすライオネスを、言葉もなく、アメリアはただ呆然と見つめた。
「ご、ごめんなさ」
「謝らないで。何のごめんなさいか分からない。浮気してごめんなさい?」
「ちが……だってその、ただの猫だと思って……弟さんだなんて思いもよらなくて」
「じゃあ何にごめんなさい? 婚約破棄しようとしてごめんなさい? 頬を叩いてごめんなさい? 僕が浮気をしたと勘違いしてごめんなさい? それとも――」
そこまで言って、ライオネスはこらえるようにグッと唇を噛みしめる。
これ以上無いほど眉間にシワを寄せ、整った顔をぐしゃりと泣きそうに歪ませた。
「――――想いを返せなくて、ごめんなさい?」
自分で言って、どうしようもなく悲しくなってしまったのだろうか。
先程よりもいっぱいの雨がぽたりぽたりと、ひっきりなしに降ってくる。
うっ、うっ……と漏れ聞こえる、嗚咽交じりの涙声が切なく震え、次第に複数の音が入り交じった。
肩を震わせながらアメリアの胸に突っ伏して泣き出したライオネスの身体がしゅるりと小さく縮んでいく。
ついに堪えきれなくなり、にゃあにゃあとアメリアの胸に顔を埋めて、泣きじゃくる……一匹の白猫。
アメリアは落ちないようにそうっと抱きしめながら、ゆっくりとソファから起き上がった。
「……違います。気付かなくて、弟猫さんにキスしてごめんなさい」
落ちないように支え、悲し気に泣く白猫を、何度も何度も優しく撫でる。
「婚約破棄だなんて言ってごめんなさい。頬を叩いて、マタタビの時も勘違いしてごめんなさい」
小さく震える頭に、アメリアはちゅ、とキスをした。
「ずっと仲直りしたかったの。不安にさせて、ごめんね……」
ぎゅうっと抱きしめると、白猫は一瞬驚いたようにビクッと身体を震わせて――。
にゃあああ……と、一層激しさを増して泣きじゃくり、顔じゅう涙でグシャグシャになってしまった。
ライオネスがあんまり泣くものだから、アメリアもつられて涙ぐみ……それから湿ったほっぺにキスをする。
泣き止もうと一生懸命頑張っているのか、スンスンと洟をすする白猫の姿がまた可愛くて、力を入れて食い縛るその口に、ちゅ、とまたキスをした。
「……ほんとは、大好き」
驚いて見開かれるアメジストの瞳。
涙で輝く大きな瞳がアメリアを映しこみ、またじわぁっと涙があふれ出してしまう。
人目もはばからず、またしてもにゃあにゃあと泣き出したライオネスを見つめるアメリアの瞳からも涙があふれ、二人はほっぺたが涙でカピカピになるまで泣き続けたのであった――。
***
あれから暫く経った、ある日のこと。
公爵邸、アメリアの私室に遊びに来た居候皇子ライオネスは、ご機嫌な様子でアメリアにクッキーを食べさせていた。
「じ、自分で食べられます……」
「獣人はこうやって手ずから食べさせるのが愛情表現なんだよ。次はどれにしようかな、アメリアは細いから、もう少しふっくらしてもいいくらいだ」
人型に戻ったライオネスの膝の上に、なぜかアメリアが乗せられている。
さらには後ろからギュッと抱きしめられ、先程から肩口にキスを落としてくるのだ。
「これは一体どういう状況でしょうか?」
「もちろん、僕の御褒美タイムだ。ああもう幸せ……アメリア、何かして欲しいことはある?」
「いえ、特には……そういえば、動物カフェにいらっしゃったのは皆、獣人の方々なのですか?」
「うん、あそこは別名『獣人婚活センター』と言って、花嫁募集中の獣人達が路頭に迷わないよう保護しているんだ。ほらうちの国、男に厳しいから」
「じゅ、獣人婚活センター!?」
そういえば、とアメリアは思い出した。
嫁不足の獣人国では、成人を迎えると国外へ放り出され、妻を娶らねば帰国を許されないという鉄の掟があったはず。
「獣人を忌み嫌う国も中にはあるんだけど、この国の王様は比較的寛容でね。王家公認なんだ」
「……ところでなぜライオネス様はあの場所に?」
「え、だって自分の妻になる人を決めるんだよ? 写真だけで選ぶなんてとんでもない。獣人は勘が鋭いから、大抵の嘘は見破れるんだ」
「それはすごいですね! さすがライオネス様です!!」
つい先日赤ちゃん返りを起こして、にゃあにゃあ号泣していたのはどこの誰だ……と思わなくもないが、アメリアは至って平和主義。
適当に褒めると、ライオネスは得意げな表情を浮かべる。
もはやこの時点で、彼は何ひとつ見抜けてはいないのだが……脳筋が多く、体力勝負の獣人国はこの手のタイプが多いらしい。
「ライオネス様、結婚式までまだ日がございます。元に戻ったのであれば、ご自身の屋敷へとお戻りになってはいかがですか」
「――嫌だ。離れたくない」
「まったく、子供ですか……? お仕事はどうされたのですか?」
「仕事はちゃんとしているから問題ない。今日の分は終わったから、もう自由時間だ」
一体何の仕事をしているのか怪しさ満点だが、聞くのは少し怖いので、あえて追求しないことにしている。
そしてアメリアが何も聞かないのをいいことに、ライオネスは開き直り、暇をみつけてはアメリアの部屋を訪れて抱きしめ、触れあおうとするのだ。
「獣人は番をとても大切にする。僕もまた然りだ。……君が抜け出せなくなるくらい甘やかしたいのに」
「いえもうじゅうぶ」
「……でも両思いならもう遠慮する必要はないよね?」
「……ッ!?」
白猫の時には想像もできないほどの色気を振りまきながら、アメリアの言葉を途中で遮り、ゆっくりと口付けた。
「ねぇアメリア、こっちを向いて」
ライオネスはアメリアの頬に手を添え、顔を傾けると優しく唇を重ね合わせる。
触れ合うような口付けに、頬を上気させたアメリアから目を離せず、ライオネスはゴクリと息を呑んだ。
「大好き、大好きだよアメリア。君に触れさせて」
「……結婚式まで待ってくださらないのですか?」
そのまま手を伸ばそうとして――アメリアにその手を阻まれた。
アメリアがぽつりと呟くと、ライオネスはハッとしたように顔を上げる。
「誓いを終えた夜、幸せのうちにライオネス様と一緒になるのを夢見ていたのに……」
「ご、ごめ、その悪気はなくて、君のことが大好きだからつい」
くすん、とアメリアは顔を背けて、悲しそうな演技をする。
大抵の嘘は見破れるとつい先程まで豪語していたライオネス……あっさり騙され、しどろもどろになりながら手を引き、大慌てでアメリアを慰め始めた。
獣人国の貞操観念は比較的ゆるめなようだが、我が国の貴族令嬢は、結婚まで貞操を守るのが一般的である。
「可愛くて仕方なくて、その、もっと甘えた姿が見たかったというか」
「文化の違いでしょうか……改めて色々と考えさせられます」
結婚式までこれが続いては身が持たない。
とはいえ結婚式後に四六時中求められるのも困るから、今から何か良い言い訳を考えておかなければならなそうだ。
牽制の意味も込めてアメリアがチクリと告げると、必死で言い訳をしていたライオネスの動きがピタリと止まる。
しばらく停止した後、ふらりと一人立ち上がり、廊下に出る扉に向かって歩き出した。
ガチャリと音を立てて扉を開くと、外で待機していた護衛騎士がなにごとかと目をみはる。
しゅるしゅると縮まるライオネスの身体……可愛らしい白猫は、廊下に敷かれた柔らかい絨毯の上にパタリと倒れ込んでしまった。
「あああ殿下ッ、おいたわしい!」
グッタリと動かなくなった白猫のライオネスを抱き上げ、叫ぶ護衛騎士。
百パーセント心配してもらえる確定枠、護衛騎士の前でわざわざ猫になるあたり、自在に変化できるのではとアメリアは無言で訝し気な視線を送る。
嘘か本当か、都合よく赤ちゃん返りをしてモフモフ白猫化しては、グッタリと動かなくなる婚約者のライオネスに、アメリアは日々振り回されっぱなしである。
婚約破棄をしようと思っていたのに……。
寄って来る白猫のライオネスが可愛すぎて、アメリアはきっと大抵のことを許してしまいそうな気がしている。
これまでも。
そしてきっと、これからも――。
読んでくださり、ありがとうございました。
メンタル弱めのモフモフ猫皇子……楽しんでいただけましたら幸いです。
2024/6/5 楽しく改稿しました!
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※他小説もありますので、是非ご覧ください。