第捌話 架け橋
「望海、昨晩の勤務お疲れ様。書類整理は私がやるから夕刻まで体を休めると良い」
「ありがとうございます、野師屋様。お心遣い感謝致します」
そう言いながらも拠点である事務所から望海は離れようとしない。
それどころか、側にあったソファに座りジッと野師屋を見ているようだった。
彼と目を合わせると、望海は頬を赤らめながら微笑み。逆に彼は呆れた表情をした。
「皆、そうだ。揃いも揃って私を崇拝する。知っているかい?この事務所、冷房が使えないんだ。壊れていてね。直ぐにここを立ち去った方が賢明だと思うけどな」
「嫌です。この時間は私と野師屋様だけのもの。皆、日勤で外に出ています。今が独り占めするチャンスなのです」
「淡い恋心だね。そうだ、君が摘んできた月下美人。先程、スープの具にさせてもらった。美味だったよ」
その言葉に望海は口をあんぐりさせた。
「花は部屋に飾る物では?」
「そうかな?私は花を食す事はあっても愛でる趣味はないからね。梅や桜を愛でる物もいるけど。私にはさっぱりだ」
「野師屋様には人の心がないのですか?」
「私は運び屋だからね。それ以上でもそれ以下でもない。自分の糧になればそれで良いんだ」
「そんな事言って、いつもインスタント麺ばかり食べてるじゃないですか!?不健康です!身体壊しますよ」
野師屋は望海から見ても掴み所のない人という印象があった。
ただ、悪い人ではない事は良く知っているのだ。
それは他のメンバーも同じだろう。
ミステリアスで何を考えているのか分からない、そんな彼を皆愛しているのだ。
「野師屋様、聞いて頂けますか?実は私には現実世界で弟がいまして。今、異国で運び屋として頑張っているのです」
「それはそれは、おめでたい事だ。自分の事の様に嬉しいよ。それを聞くと望海も同じ事だろう?今、君は此処から離れ異国で運び屋をしている。そして君は妹だ。何か、親近感が湧かないか?」
「...あ。確かにそうです。圭太は私と良く似ている。向こうで、仲間と一緒に頑張っている。先日、手紙が届きまして。皆から慕われているそうです。そう言われると、帰りたくなってきたかも」
戸惑う望海に対して、寂しげな笑顔を見せながらも野師屋は彼女に近づき。同じ目線まで腰を下ろした。
「それが正常な反応だ。君達は今を生きている。此処で生きている訳じゃない。望海、帰りなさい。元の世界に」
「では野師屋様はどうなるのですか!?この世界が無くなったら貴方は!?」
「望海、いつ私がこの世界が消えるなんて言ったんだ?無くなったりしないよ。私は此処にいる。此処で生きてるんだ。君達にはそれをちゃんと理解して欲しかった。私を侮辱しないでくれ。私はいつでも君達の活躍と繁栄を祈っている。側にいられなくても、この気持ちが揺らぐ事はない」
その言葉に望海は目を見開き、大粒の涙を流した。
「どうして!どうして野師屋様がいらっしゃらないの!こんなにも素晴らしいお方なのに!私達の太陽なのに!」
「望海、ありがとう。私はね、幸せものだ。こうして、幻影であっても君達と会えたのだから。でもね、例え私達が優れた運び屋。異能力者だったとしても、過去に戻る事は出来ないんだ。現実世界の望海が弾丸と言われようともね。時間は必ず経過する。時を取り戻せる訳ではないんだ。それは君も良く分かってるね?」
そう言うと望海は泣きながら何度も頷いた。
「野師屋様、貴方といられた日々は私達の宝物です。それだけは伝えておきたい」
その言葉を噛み締めるように野師屋は頷いた。
それと同時刻、旭は雄基で依頼を受けていた。
「あの海の向こうはどうなっているんだろうな?琉球みたいに別の国があるのか?」
水平線を見ながら夕陽が沈むのを見届けている。
だが、此処で違和感を感じている人もいるだろう。
そう、向こうの帝国にあった例のカーテンが此方にはないのだ。
時空の歪みか?はたまた、神の悪戯か?
そんな事も知らぬまま、旭はその光景に釘付けになる。
「もうすぐ日が暮れる。帝都に戻らないとな」
そんな時だった、海岸から女性の声が聞こえる。
その存在に旭は恐怖した。何故なら、比良坂町で何度も何度も目にし。その度に傷を負わされた相手だからだ。
「嘘だろ!この世界にも人魚がいるのか!?あり得ないだろ、武器もないのに!?」
『男だ。男がいる』 『若いな。美味そうだ』
『貴重な赤い血』 『絶対に逃してはダメよ』
人魚達は複数人で旭の足を掴み、海へ引きづり込もうとする。
旭はその先の結末を良く知っている。必死に抵抗し、踠くがそれでも尚、人魚達は旭の悲痛な表情を楽しんでいるようだった。
「嫌だ!やめてくれ!いっその事、俺をこのまま死なせてくれ!...嫌だ。...縁」
そのあと、旭は海へと引きずり込まれた。
絶対絶命かと思われたそんな時だった、何故か一瞬にして人魚達が消え失せたのだ。
助かったのかと不可思議な状況に苛まれながらも、次第に意識が遠のいていく。そのまま、凍てつく海水に身を委ねながら旭は目を閉じた。
「...あさ。...あさひ。旭!お願いだ!目を覚ましてくれ!やっと会えたのにこんな」
暖かい海水が旭の顔を濡らす。いや、海水ではなく誰かの涙のようだった。
その声の主を旭は良く知っている。1番大事に思うあの人の声だ。
「...縁?」
「そうだよ。朱鷺田縁だ。お前のトッキーだよ。良かった、本当に良かった。お前が無事で」
その声に旭は安心し、彼の涙を拭った。
「朝方、カーテンの様子を見ようと思って越後の海岸を歩いてたんだ。そしたらお前を見つけた。ほら、薄らとだけど朝日が見えるだろう?」
確かに朱鷺田の指差す方向に朝日はある。
しかしだ、向こうで見た景色と明らかに違うと言う事を旭は良く知っている。
「何だあの不気味なオーロラみたいな奴。あんな物、雄基から見えなかったぞ」
その言葉に朱鷺田は目を見開いた。
「旭、お前一体何処にいたんだ?」
「望海や光莉。後、斑鳩の爺さんと一緒に異国で運び屋やってた。結構楽しかったぞ。だけど、俺が担当してた場所が海の近くでな。運が悪いことに人魚に目をつけられて海に引きづり込まれた」
カラッとした様子で話す旭に対し、顔を真っ青にしながら朱鷺田はその話を聞いていた。
「そんなの絶対に助からないじゃないか!?いや、それ以上に...済まない。吐きそうだ。想像しただけで寒気がする。いや、命があっただけ儲け物だとは思うが」
「大丈夫、不幸中の幸いだったんだ。俺は海に引きずり込まれただけ。そのあと、不思議な事に人魚は姿を消してしまった。お前が思うような事はされてないよ」
そう言うと、朱鷺田は安心しながらも涙を流していた。
「とりあえず、此処にいるのは危険だ。すぐにでも離れよう。それに不思議な格好をしているな。比良坂町でもそうだが帝国でも見た事がない格好だ」
「向こうでは色んな人達がいて、服装も疎らだった。俺達はこの格好をしてたけどな。もうびしょ濡れだ。直ぐにでも着替えたい」
「分かった。殿なら旭を手厚く歓迎してくれると思う。それ以上にあのカーテンを抜けて此処に来たんだ。旭はもしかしたら此方と向こうの架け橋になる存在なのかもな」
「大袈裟な。だが、この名をもらっている以上。それに相応しい働きはする。トッキー、此処にたどり着いたのは運命だったんだ。この帝国の担当場所になってる。凄い事になっているな、範囲が膨大過ぎる」
二つの帝国を行き来し、もう手慣れているのだろう。
旭は自分の担当場所を確認すると、朱鷺田に連れられ巨城へと向かった。