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十三.お狐様のお告げ

 自宅アパートからそう遠くない路地に、七葉と義経は並んで立っていた。


(戻ってきた……)


 石畳も、ガス燈もない。あやかしたちの姿も。

 さっきまで七葉がいたはずのレトロな街並みは、すべてが夢のように消え去っていた。


 すぐ横は雑居ビルの外壁だ。そこに、何やら唐突な印象の扉が開いていた。

 扉は朱赤に塗られている。コンクリートには不似合いな色は、あわい町で見た大門と同じだ。


「よし。任務完了、と」


 義経の右手が赤い扉をバタンと閉める。

 すると扉は突然、消えた。まるで壁の中へと吸い込まれたかのように。


「え……!?」


「あの町は、此岸と彼岸の中間にある。生者と死者、人間とあやかし、どっちも入れるけど、どっちのものでもない、あわいの場所。だから、あわい町」


 表通りから射しこむ光の中で、義経が静かに言った。


「あの町には、あやかしだけじゃなくて、死者も住んでるの?」


 生者がほぼいないらしいことは、あやかしたちが七葉をめずらしがっていたことから推測できる。

 異形だらけのあの町に、すんなり馴染める人間も少ないだろう。


「いないこともない、って程度かな。あわい町の住人のほとんどはあやかしで、死者はごく稀だ。人間の魂ってのは、かたちがない。体を失ったあとに自我を保つのは、すごく難しいんだ。憑代よりしろを求めて生きている人間に憑りついたり、理性を失くして害をなすやつもいる」


「愛実さんも、もう少しでそうなっていたかもしれないってこと?」


 七葉の問いに、そうだ、と義経は頷いた。


「昨日、俺がお前の肩を叩いただろ。あれはお前に絡み付いてた愛実の魂を一度追い払ったんだ。憑代のない状態が長く続けば、死者の魂は消耗して、自然と彼岸へ渡っていくのが普通だから」


「へえ……」


 そういえば昨夜、橋から落ちそうになったところを助けてくれたあと、義経に左肩をポンと叩かれた。

 あれは激励などではなく、七葉に取り憑こうとしていた愛実の魂を祓ってくれたのだ。

 義経が術を施してくれたおかげで、愛実は部屋の中まで追いかけてくることができなかったのだろう。


「けど、翌日には早速また愛実に捕まったんだな。それだけお前が弱ってたし、愛実が寂しがってたってことだ」


「そう……なんだ……」


「ああ。強い恨みや憎しみ、悲しみに囚われて、此岸を離れられない魂は、そこらへんにウヨウヨいる。そういうやつらが悪霊になって、ごく稀に強大な力を持ったりする。そうなったら厄介だ。生きてる人間にも悪さをするし、俺たちあやかしにとっても都合が悪い」


「都合が悪いって、どんなふうに?」


「悪霊ってのは基本、負の感情のかたまりだ。あやかしは人の念に敏感だから、悪霊が近くにいると疲弊するし、最悪の場合、取り込まれてしまうことだってある。だから俺や久楼は、こじらせてる魂を見つけたら彼岸へ渡る手伝いをするんだ。悪霊に変化する前に」


 やつらの大半は、好きで迷っているわけじゃないしな。

 小さな声で、義経はそう付け足した。


「さ、行こうぜ。いま立ってるここは、お前の知ってる東京だ」


 義経の長い足が表通りへ向けて歩き出す。

 自然に彼のあとに続きながら、七葉は愛実のことを思い出していた。

 自分が死んでいるという悲しい事実を、意外なほどすんなりと受け入れた彼女。


(……きっと、苦しかったね。愛実さん)


 死の瞬間に心を支配していたマイナスの感情から抜け出すことができず、かといって故郷にも帰れない。

 孤独、寒さ、そして自我が薄れていく恐怖。

 悪霊へと近づいていく自分との戦いに疲れ切っていたからこそ、愛実は久楼の説得を素直に聞き入れ、旅立っていったのかもしれない


「七葉」


「はい!?」


 急に名前を呼ばれて、七葉は驚いて顔を上げた。

 そのリアクションに、義経のほうが戸惑ったようだ。


「そんなビックリすんなよ。お前の名前、篠森七葉っていうんだろ」


「う……うん」


 頷いたあとで、義経に対して敬語を使うのを忘れていることに気づく。しかも、かなり前から。

 はい、と言い直そうとして、敢えてやめることにした。


 目の前にいるあやかしの青年に、妙な親しみを感じはじめていたからだ。

 つい昨日出会ったばかりなのに、もっと前から彼を知っていたような気がする。

 それにしても彼は、いつ七葉の名前を知ったのだろう?


 並んで歩むうち、二人の足は川に架かる橋の半ばに差し掛かっていた。

 昨夜、七葉と義経が初めて出会った場所だ。

 思えば、初対面の瞬間から義経には助けられてばかりいる。


「ありがとう、義経」


「なんだよ、いきなり」


「お礼、言ってなかったなって。ありがとう、助けてくれて。わたしだけじゃなくて、愛実さんのことも」


 七葉の言葉を聞いた義経が苦笑いの表情になった。


「愛実の分までありがとう、か。お前つくづくお人好しだな。あいつがお前に何をしたか、わかってるよな?」


「わかってる……つもり。でも、言いたかったの」


「どうして、そう思う」


「似てた気がするの、愛実さんとわたし。だから彼女、わたしについてきちゃったんだと思う」


「似てたって? 七葉と愛実が? ぜんぜん違うタイプだと思ったけどな、俺は」

  

「うん……でもね、この広い東京で偶然出会って、出身地が一緒って結構大きいと思う。嬉しくなるの、わかるんだよね。年齢も近いし、わたしもおばあちゃん子だったし、フラれたばっかりっていうのも似てるし、だから」


「なにお前、フラれたの?」

 

 素っ頓狂な声で義経が遮った。


「そこ!? まじめに話してたのに!」


「え、いつ? なんでフラれたの? フッたんじゃなくてフラれたの?」


 憤慨する七葉をよそに、義経は長身を屈めて顔を覗き込み、矢継ぎ早の質問を浴びせてくる。まるで小学生だ。


「引っ掛かるところがおかしくない? いいでしょ別に、たいしたことじゃないんだから」


「たいしたことだぞ、フラれたって」


「フラれたフラれた連呼しないで! それ重要?」


「重要。見る目ねえな、そいつ」


(え……)


 さらりと返された言葉に、不覚にも一瞬、言葉を失う。


 義経の瞳は真剣だ。

 七葉の胸が、ドキンと大きく波打った。

 慶一を憎む気持ちなど、欠片もない。ただ、彼との恋を失って以来、はじめて誰かに肯定された気がして。


 どぎまぎする七葉を見て、しかし義経は、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。


「あー、さてはお前、大食いが理由でフラれたな? 食費のかかる彼女なんて無理とか言われてさ。それで腹の虫があんなにデッカイ声で鳴くまで何も食わなかったんだろ」


「ち、違います!」


「それじゃアレか、一緒に映画に行ったとき、隣の席の七葉がしょっちゅう腹を鳴らすせいでストーリーに集中できない彼氏がキレて別れ話に」


「お腹の音は関係ないから! さっきのは、たまたま!」


「いや、あれはたまたまじゃないな。お前のポテンシャル半端ないぞ」


「本当だってば! もう、どうしたら忘れてくれるの!?」


 恥ずかしさのあまり繰り出した七葉のへなちょこパンチを華麗にかわし、義経はアハハと笑う。

 アパートの入り口が見える場所で、義経が足を止めた。


「ここまで来れば大丈夫だよな」


「うん。でも、どうしてわたしの家を知ってるの?」


「言ったろ。俺はお前の担当者だから」


「だからそれって何の」


 言いかけて、ハッとした。

 義経の背後にあるものに気づいたのだ。

 住宅街に残された、ささやかな緑の中に建つ小さな祠――そう、七葉が朝夕頭を下げ、声かけをしているあの祠だ。


「ちょっと……まさか」


 義経が片目を瞑る。

 刹那、彼の耳が再び獣のかたちをとり、腰に金色の尻尾が現れた。


「ここ、俺の縄張りなんで」


「えっ、ねえ、この祠に祀られてるのって」


「ちゃんと挨拶のできる女は嫌いじゃないぜ」


 七葉の言葉を遮り、グーにした両手でわざとらしい狐ポーズをつくる。


「明日は朝飯食えよ。お狐様からのお告げだ」


 次の瞬間、義経の姿は幻のように掻き消えた。




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