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十、お狐様と、翼ある鬼

『ごめんね。えっと……七葉ちゃん』


 七葉の思いを汲み取ったかのように、愛実がペコリと頭を下げた。


『あたし、あなたを殺そうとか、ぜんぜん考えてなかったよ。信じてもらえないかもしれないけど、話を聞いてほしかっただけなの。もうちょっとで取り返しのつかないことをするところだった。怖い思いさせて、本当にごめんなさい』


「そんな……謝らないで、愛実さん』


『優しいね。ありがとう』


 次に玖楼へと向き直る。


『マスターにも、お礼いわなきゃ。何でか知らないけど、これ、おばあちゃんの小豆善哉だよね。あったかいお茶も嬉しかった。あんなに寒かったのが嘘みたい』


 愛実の言葉に、玖楼くろうが穏やかな微笑みを返した。


「少しでも楽になっていただけたのなら良かったです。あなたの魂は二年前のクリスマスイブに閉じ込められたまま凍えていました。いつもなら珈琲をお出しするところですが、今夜はほうじ茶をお出ししてみました。体を温める効果が高いので」


『あたしのために、わざわざ? ありがとう、マスター。なんか、人間に戻れたって気がするよ。あ、そこの金髪のひと、あんたにも一応お礼いっとくね。ここに連れてきてくれてありがと』


「金髪のひとじゃなくて、義経な。昔はみんな『様』つけて呼んだもんだぜ」


 義経が憮然と応じる。


『へー、なんかオシャレな名前』


「棒読みにも程があるぞ。絶対そんなこと思ってないだろ」


「えへへ、バレた?」


 くしゃっと笑う愛実の顔は、素朴で可愛らしい二十歳の女性そのものだった。


(そうだ。悪霊なんかじゃない)

 

 愛実は本当に、七葉に危害を加えるつもりなどなかったのだ。

 彼女が言うように、友達になりたかっただけ。どこか自分に似ている七葉に、話を聞いてもらいたくて。 


 懐かしい故郷の思い出と重なる温かい小豆善哉が、本来の彼女の人格を呼び戻したのだ。

 七葉を苦しめていた酷い悪寒も、いつのまにか消えている。愛実の魂が慰められたせいだろうか。


 ピンクのマニキュアを塗った指で目元を拭い、愛実が、うーんと伸びをした。


『失恋したのは、もう、しょうがないよね。二股かけるような男を好きになったのは自分だし。でもね、誰かに話したかったの。思いきり泣きながら』


「……わかる」


 七葉が同意を示すと、


「わかる? まじかよ」


 義経は驚きと呆れが混じった視線を向けてきた。


「うん。友達と話しながら気持ちを整理するって、あるよ。それができないって、すごくつらいの」


 七葉にも覚えのある感情だ。

 それを聞いて、愛実はまた嬉しそうな笑顔になった。


『だよね! 女子ってそういう生き物じゃない? 嫌なことはトークで浄化みたいなとこあるじゃない? しかも、おばあちゃんの小豆善哉まで食べられるなんて最高だったな』


「美味しかったね、小豆善哉」


『なんだかね、胸につかえてたものが、溶けて流れていったみたい。……あたし、聞いてほしかったんだ。あたしの本当の気持ちを』


「わかんねえなあ。ま、お前が少しでも楽になったんなら、それでいいけどさ」


「愛実さん」


 玖楼が静かに呼びかけた。


「このままここにいるのは、あなたにとって苦しいことなのではありませんか。この世界ーー此岸しがんは、生者のために整えられた場所です。人は魂だけの存在になったら、彼岸ひがんへ渡らなければなりません」


『彼岸……』

「ひがん……?」


 愛実が繰り返した単語を、七葉も唇でなぞっていた。

 彼岸。一般的には死後の世界を意味する言葉だ。


 玖楼が頷き、続けた。


「愛実さんが向こう岸へ渡ることをお望みなら、私がお手伝いをさせていだたきます。ただ、魂だけになった人たちの中には、自らの意思で此岸しがんに留まり続ける人もいます。それを否定するつもりはありません。あなたは、どちらを選びますか?」


 短い沈黙が訪れた。

 やがて、静かな店内に愛実の声が響いた。


『あたし、行く』


「それがいいぜ。魂だけで此岸に残るのは、大抵の人間にとっちゃ辛い道だからな」


 ほっとしたように言ったのは、神妙な顔で聞いていた義経だ。

 愛実が尋ねた。


『彼岸とかってところに行く前に教えて。あなたたち、何者? 普通の人間じゃないよね』


 その質問には、七葉も同意だった。

 そう。義経も玖楼も、命を亡くした者の声を聞き、姿を見ることもできる。

 あまつさえ、あの世とこの世のはざまで迷っていた魂を、在るべき場所へと導こうとしている。


『もしかして、神様?』


「違いますよ。我々はただ、あわいに住まう者。ときどき、ふたつの世界の橋渡しをしているだけです」


『あわい……? 結局、なに? どうして、あたしが彼岸に行く手伝いなんかできるの?』


 疑問をぶつける愛実。

 嫌な顔をするでもなく、玖楼は柔らかく微笑んでみせた。


「不安に思うのも当然です。……そうですね。我々の本当の姿をお見せしましょう。大切なあなたの魂を、安心して委ねていただけるように」


 玖楼の瞳が金色に光った。

 途端に周囲が光に包まれる。


(まぶしい!)


 逆光の中で、玖楼のシルエットが変化していく。

 彼の額の上部から、ふたつの突起が盛り上がった。まるで角だ。

 そして背中からは、左右対称に二本の長い角のようなものが伸びる。

 ひゅ、という風音と共に、それが大きく広がった。白い羽毛が、雪のようにひらひらと舞う。


(……翼……!?)


 七葉は目をしばたたいた。

 見間違いではない。玖楼の背中から、銀色と白の大きな翼が生えている。そして額には、やはり銀色の二本の角。


『お……鬼?』


「正解」


 愛実の呟きに義経が応じる。


「玖楼は昔からこの一帯を仕切ってる鬼だ。安心しな、悪いやつじゃないから。彼岸への御霊送みたまおくりは鬼にしかできない。あいつに任せろ」


「鬼って……え!? 義経あなた、その姿はどうしちゃったの!?」


 素っ頓狂な声を上げたのは七葉だ。

 向かいの席に座る義経の姿にも変化が生じていた。

 瞳の黄金色は輝きを増し、両の耳が大きく尖って髪の間から突き出している。

 目を見開く七葉と視線を合わせ、義経はニヤリと不敵に笑った。


「で、俺はここらへんを縄張りにしてる『お狐様』さ」


「狐!?」


「もちろん、普通の狐とはワケが違うけどな。お前たち人間より、だいぶん長く生きてるよ。あやかし、とか呼ばれながら」


 あやかし。

 物語などでしか聞かない単語を、頭の中で反芻する。

 にわかには信じられない。けれど彼らを表現するのに、それ以上に適する言葉もみつからない。


 もとは人間や狐だったものが長い時を生きて変化したのか、それとも精霊のようなものなのか。

 いずれにせよ彼らは人ではなく、動物でもない。神とも違う。

 彼岸と此岸、現世と幽世の間に身を置く、あわいの存在。


 こんなことが現実にあるのか。

 あやかしが、本当にいるなんて――


「心の準備はよろしいですか、愛実さん」


 優雅な仕草で、玖楼が愛実へと掌を差し伸べる。

 愛実は一瞬、戸惑いの表情を見せたあと、真剣な表情で首を縦に振った。


『うん。でも……彼岸に渡る前に、おばあちゃんに会いたい。そういうのって、できる?』


「可能ですよ。あなたが強く願うなら」


 異形と化した玖楼が、金色に光る瞳で優しげに愛未を見遣る。


「ただ、少しの時間だけです。おばあさまがあなたに気づくという保証はできかねます。かえって悲しい思いをするかもしれませんよ」


『それでもいいの。連れて行って』


「わかりました。彼岸に渡る前に一度だけ、愛実さんの故郷に翼を寄せましょう」


 その言葉で、愛実の決意が固まったようだった。

 玖楼の大きな掌に、愛実の震える手が重なる。


 エスコートを受けて立ち上がる彼女の指に、玖楼が銀色の羽を握らせた。

 その羽が、よりいっそう強い光を放ち始める。


「この羽が、あなたを彼岸へ導きます。愛実さん、よく生きましたね。あなたはとても頑張りました。またいつか、お会いしましょう」


『うん。……ありがとう、マスター』


 愛実が静かに目を閉じる。

 その輪郭が、ほろほろと解けだしていた。

 やがて彼女の足元から光の渦が立ち上がり、華奢な姿を吞み込んでいく。


(行っちゃう……!)


 ようやく、七葉は実感した。

 愛実は旅立ってゆく。お別れだ。

 

『七葉ちゃん!』


 光の渦の中から、名前を呼ばれた。

 愛実の姿はもう朧で、ほとんど透き通って見える。

 それでも、うるんだ瞳で七葉を見つめて、たしかに愛実は笑っていた。満面の笑顔で、手を振りながら。


『あたし、さいごに七葉ちゃんと友達になれてよかった。バイバイ!』


 返す言葉を見つける前に、愛実の姿は掻き消えた。

 

(愛実さん……)

 

 怖い思いもさせられた。ちゃんと話したことは一度しかない。

 けれど、彼女との関係を表現するとしたら、もっとも近い言葉は、たぶん……「友達」。そう呼ぶのが、いちばんしっくりくると思う。

 

 彼女を呑み込んだ光の渦は見る間に淡く、小さくなり、ソーダの泡がはじけるように空気に溶けていく。

 いま、七葉は見送ったのだ。彼岸へと旅立ってゆく「友達」を。


 テーブルの上の石油ランプの炎が、ひとりでに消えた。愛実の魂が去ったことを告げるように。


 ぽつり。ぽつり。

 スカートの膝に、熱い雫が小さな染みをつくる。

 気づかないうちに、七葉は涙を流していた。



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