子供たちの成長
※この段あたりから、物語の時間経過がちょっと「あらら?」なことになってきます。故大納言の服喪明けの描写はまだありません。なのに、道頼の太郎君が十二歳になったと書かれているのです。
姫君と父親との再会(太郎君三歳)から法華八講まで、法華八講から七十の賀まで、七十の賀から父親の死まで、記述はないのですが、それぞれ数年が経過していたと考えざるを得ません。
千年前の作者さん、ちょっと、はちゃめちゃすぎ。編集者が怠慢なのか? 校正の責任者、出てこい!
●太郎君と二郎君
左大臣道頼の太郎君(長男)は十二歳※(正しくは十歳)になり、しっかりしてきたので、道頼は殿上童として春宮※に仕えさせることにしました。
太郎君は賢くて性格もすばらしいのです。まだ年若い帝は、管弦の遊びの際にはいつも太郎君をそばへ呼んで、かわいがります。
「笙を吹いてみるかい?」
「吹いてみとうございますが、できますでしょうか?」
「教えてあげよう」
「もったいのうございます」
「ははは。そんなに畏まらなくてもいいよ」
祖父の太政大臣の養子となっている二郎君(道頼の次男)は、九歳です。兄の太郎君が童殿上をしていると聞いて、うらやましくてなりません。
「お祖父さま、まろも参内しとうございます」
「おお、そうであったか! その気があるなら、もっと早く言ってくれたらよかったのに。私も迂闊であった。太郎君ばかり帝と春宮のおぼえめでたいというのでは、不公平であるな」
孫であり養子である二郎君がかわいくてならない太政大臣は、早速、二郎君を参内させます。
父親である左大臣道頼は、いかがなものか、と思います。
「童殿上には、あれはまだ幼すぎると思いますが」
太郎君と二郎君は年子ですが、太郎君は正月生まれ、二郎君は翌年の秋生まれなので、一歳六か月~八か月ほど離れているはずですね。
「そんなことはない。ウチの二郎は太郎君以上に聡明であるぞ。兄より優っている弟ぞ」
道頼、苦笑します。自分の子を祖父が溺愛してくれるのです。嬉しくないはずはありません。
太政大臣は、孫である帝に、このように願い上げます。
「ここにおります二郎は、このジイジめが、かわいくてならんと思っている子です(これなむ、翁の、限りなく愛しとおぼえ侍る)。帝もお目をおかけください。太郎君にもまして、ご寵愛ください」
さらに、太政大臣はこんなことまで思いついちゃうのでした。
「二郎は、将来、官職に就けさせても、太郎君以上に務めるだろうて。もう何事につけても、この子が太郎君でよいではないか。そうだ! この子を弟太郎と呼ぶことにしよう!」
※太郎君(長男)は十二歳――あきらかに誤りで、十歳でしょう。後段に出てくる四の君と面白の駒とのあいだの女の子が十一歳で、太郎君は女の子より一歳下だったはずです。十歳としても、故大納言の喪が明ける話はこの後に出てくるので、大納言の死の直前に九歳くらいになっていたことになります。やはり、落窪姫と父親との再会から父親の死まで、数年が経過していたと考えるべきですね。
※春宮――今上の弟。こちらも道頼の甥。太郎君と二郎君は今上・春宮とは従兄弟どうしになります。
帝、太政大臣、左大臣、全員が身内同士です。祖父、孫、叔父、甥といったファミリーの世界なのですね。帝の前で太政大臣が「翁」なんて自称しちゃうんです。藤原兼家や道長も、そんなふうだったのかなぁ、なんて想像がふくらみますね。『落窪物語』は帝も登場するホームドラマです。
●いつのまにか、第五子誕生!
太郎君、二郎君(弟太郎クン)の下に女の子がいましたね。八歳になりました。お約束どおりに超絶かわいい姫君です。左大臣道頼と北の方(姫君)は、この姫君を大切に大切に育てています。将来の入内を見据えているのですね。
その姫君のすぐ下も女の子です。六歳です。
さらに、四歳の男の子がいます。第五子になりますが、あれ、いつ生まれたの???
そして、なんとなんと、北の方(姫君)は第六子の出産を控えているのでした。おめでたいことではありますね。
道頼はあいかわらず、母体の健康やら胎教やらに神経をつかっています。北の方(姫君)がそばにいれば、抱きしめてキスして髪を愛撫せずにはいられません。
「愛しているなんて台詞は、虚しい? でも、言わずにいられないんだ。愛しているよ。私の大切な人……!」
整理しておきましょう。道頼と北の方(姫君)のあいだには――
長男 十歳(十二歳と書いてありますが)
次男 九歳
長女 八歳
次女 六歳
三男 四歳
?? もうすぐ誕生
●太政大臣の六十の賀
太政大臣は六十歳を迎えます。
道頼は父親の六十の賀を盛大に執り行います。太郎君と二郎君(弟太郎クン)が童舞※を披露します。太政大臣、ボロ泣きします。
算賀にかぎらず、執り行われるべきイベントは、すべて時期を失することなく執り行われます。経費たるや莫大なものです。贅沢が過ぎるのではないか、と批判されるでしょうか?
いいえ。そんなことはなく、左大臣は世間の徳望を弥増し集めるばかりなのでした(かくすべきことは、過ごさず、厳めしうし給へど、御徳はいやまさりなり)。
※ふたたび、算賀での童舞のエピソードが出てきましたね。
兄弟による童舞というと、藤原道長の嫡男(田鶴君=頼通、母源倫子)と次男(頼宗=巌君、母源明子)が、道長の姉・東三条院詮子の算賀の折に舞った話が有名ですね。一条天皇(詮子の子、道長の甥)も来臨しての祝宴でのことでした。
田鶴君は蘭陵王を上手に舞います。そして、巌君は納曾利をさらに巧く舞ったのです。一条天皇は、その場で、巌君の舞の師匠である多好茂に従五位の栄誉を与えます。
すると、道長は不機嫌そうに席を立ってしまいます。子供みたいに拗ねて、宴席へ戻ろうとしません。道長の甥っ子である一条天皇は、「あ、まずったかな」と感じたことでしょう。
道長の行動は幼稚にも見えますが、長子頼通はいずれ左大臣位(太政大臣はほぼ名誉職なので、政治的には実質的トップ)に就くことが既定路線であり、異母弟の頼宗は常に下役と決まっているのです。道長がそう決めたのです。厳然としてある生まれながらの身分差を、たとえ座を白けさせたとしても、世間に(わけても帝に)はっきりと認知させておきたい、という考えがあったかと思います。最高権力を握る男のロジックは単純で、冷徹なものですね。
来年のNHKの大河ドラマで、兼家の六十の賀か詮子の四十の賀か、どちらかが映像化されないかしら、と楽しみにしているのですが。
●故大納言の喪が明ける
故大納言の喪が明けます。左大臣の北の方(姫君)は、この一年間身にまとっていた鈍色の喪服を脱ぎます(服脱ぎ=喪明け)。
第六子は生まれたのでしょうか?




