中納言はダメ親父
●中納言はダメ親父
そんなころ、落窪姫の父親である中納言は、厠で用足しをして居間へ戻る途中、落窪の間を覗いてみます。滅多にないことです。いつも、落窪の間の前は素通りしているのです。
見ると、姫君は素肌にたった一枚の着物を羽織っただけで、それもずいぶんみすぼらしいのです。
このダメ親父の目にも、姫君の姿はあまりにも哀れなものに映ります。このままじゃ、さすがにやばいだろ。
「おまえのことは、かわいそうだとは思うけど、四人の娘たちの世話で忙しくてね。だから、かまってやれなくて。そういうわけだから……まあ、そうだな、おまえは好きにしたらいいよ。よさそうな話があったら、おまえが自分で判断したらいい。いつまでもここでこうしているってのは哀しすぎる」
えええええ?
ちょっと何言ってるかわかんないんですけど――とつっこみたくなるダメ親父っぷりです。
親としての責任を完全に放棄していて、結婚についても「好きにしたらいい」と、放り出しています。公卿とは思えない態度ですね。
貴族中の貴族である公卿は、ふつう、自分の娘の縁談には神経をつかいます。
中納言にとって、落窪姫は実の娘としてカウントされていなくて、ただのお荷物扱いなわけです。北の方にマインドコントロールされているとしか思えません。
中納言は、居間でトイプードルと戯れている北の方に声をかけます。
「古着でいいから、落窪に一枚やってくれ。さすがにあのままでは、夜は寒くてふるえるだろう」
「あら。いつもいいものを着せてあげているんですよ。でも、どこかへ放ってしまうんですわ。着古すまで着るということをなさらないで」
「そうか。あれにも困ったものだな。母親と早く死に別れたから、躾がなっていないということか」
数日後――
鬼ババ継母は落窪姫に、蔵人の少将(三の君の婿さん)の装束を上手に縫ったご褒美だといって、自分が着古したウルトラライトダウンコートを与えます。ダウンがへたれてぺしょぺしょになっているのに、えらく恩着せがましくします。
そんな古着でも、寒さがあまりにも身にこたえていた姫君は嬉しく思います。同時に、嬉しく思う自分を卑屈に感じないわけにいきません。
蔵人の少将には審美眼があって、落窪姫が仕立てた装束を絶賛します。それを聞いた女房たちが北の方に知らせます。
「蔵人の少将の君がたいそうお褒めになっておいででした。嬉しいことですわね」
「しいっ! 落窪の君の耳に入れるんじゃないよ。思い上がると困る。ああいう者には、自分はダメ人間なんだと思わせておくに限るよ。そういうのが身の幸い、他人さまから使ってもらえるというもの」
これを聞いた女房たち、さすがにドン引きです。
「落窪の君は、あんなに気立てもよくて、お美しい方なのに……」
と隠れて嘆く女房もいたのでした。
●道頼のラブレター作戦
さて。
右近少将道頼は落窪姫へのラブレター作戦を続けています。
返事は、ありません。
姫君はどうしているのかというと、あいかわらず裁縫です。中の君(次女)の婿さんの袍(内裏に出仕するときの礼服)を仕立てさせられています。不眠不休で、です。
道頼はラブレター作戦を根気よく続けます。
返事は、ありません。
十日ほど文を贈るのを中断してみます。
再開します。
だけれども。
返事が来ないんだなぁ、これが。
どうなってるのよ、まったく???
※【落窪の間】
落窪の間が具体的にどのような部屋なのか、いまいちはっきりしません。この物語の題名になっている部分ですので、ちょっとしつこく考察してみたいと思います。
寝殿造りでは、一つのスペースの中央に母屋があり、一段低い廂が母屋をぐるりと囲み、さらに一段低い簀子という廊下がぐるりと囲むという三重構造になっています。
簀子と廂の境目に、格子という、取り外し可能な吊り上げ式の雨戸がついています。蔀ともいいます。格子は、廂と母屋との境目にもつけられることがあります。
宮廷や貴族に仕える女房たちは、廂を区切って曹司として使うのですが、落窪の間はそのような曹司ではありません。後段で、女童あこぎが三の君(継母腹の三女)から曹司をもらったが畏れ多くて云々という文章が出てくるので、あきらかです。
落窪の間は、雑に建て増しされた一部屋のようです。おそらくは簀子という廊下の上に、もう一枚床を張って、部屋にしたのでしょう。それで、廂と床の高さが合っていないのだと思われます。
そして落窪の間は、おそらくは、北側と西側の二面が格子で、東側が襖障子(今日の襖)、南側が遣戸(板の引き戸)であるようです。襖障子のある側は、ほかの部屋とつながっているのだと思われます。