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志すもの

 彼女の名前は『香織』一生忘れられない女の子。かけがえのない存在。何度も、もう一度、もう一度だけでいいから、『会いたい』と思ったことかわからない。神様がいるのなら、もう一度だけあの時に戻して欲しい、もう一度だけ香織に会わせて欲しいと願い続けてきた。俺・・狂ってる・・。そう思ったことも何度もあった。忘れたい、でも忘れたくない思い出、思い続けてもどうなるわけでもないよな・・。


「もう俺のことなんて覚えてないよ」


なんて自分自身に言い聞かせていた。でもダメなんだよ・・忘れられないよ・・。忘れようとすればするほど、夢の中にまで香織が出てきた。こんな女々しい奴、最低だよ俺は・・。

街を歩けば、香織に似た後ろ姿に目を奪われた。こんなところに居るはずないのに・・心にポッカリ開いた穴は、誰であろうと、何をしようと埋まらない。あれから一日も、香織の存在を忘れたこと・・なかったよ。

こんなに思い続けた香織に今日再会をした。

それは突然だった。突然過ぎて何も出来なかった・・。香織に会ったら、いっぱい話したい事があったのに、俺、何やってんだよ! 結婚指輪に動揺するなんて、情けない・・。覚悟はしていたのに。小さく手を振り無理に笑顔を作って去っていく香織をただぼんやりと眺めていた。『仕事なんてどうでもいい! 何もかも放り出して追いかけよう』なんでそれができないんだよ・・また離れていってしまう・・胸が締め付けられる。


「ごめんな・・俺に勇気がなくて・・」


香織は無理に笑顔を作ってくれてたんだろ。

焦燥感に襲われた。街の喧騒も耳に入らない。突然の再会も嘘のよう・・切なさで胸が押しつぶされそう・・。どうやってここまで来たのかも記憶がない・・ゆっくりと事務所に向かって歩いていた。その時、携帯が鳴る。『誰からかわからない。見知らぬ番号だった』


「はい、神崎です」


香織の声が受話器越しに聞こえる。『裕ちゃん』そう呼ばれるその声に心が吸い込まれる感覚に襲われる。俺は冷静さを装っていたけど、香織の泣き声に、切なすぎてもう耐えられなかった。

『ごめんな。遅くなって・・もっと、もっと早く会いに行けば良かったんだよな! 気が遠くなるほど時間が過ぎてしまったけど、今から行くよ』

もう待たせない。そう覚悟を決めて車のアクセルを踏み込んだ。


今では立派な弁護士の俺も、香織に出会った頃は何もない、ただの平凡な少年だった。プライドが高く、人と群れるのが嫌いで、人見知り、そんな俺に香織はいつも優しくしてくれた。いつも一緒にいた。香織とはほんと似たもの同士だったけど、俺の短所を補ってくれるところがあった。明るく天真爛漫、人見知りもせず行動的で、俺を引っ張ってくれた。運命なんて信じない俺が、香織に出会ってからは大きく変わった。生活のすべて、俺のすべてが香織になった。もう香織無しには生きていけない! そうなっていた。

香織と付き合うようになって1年半が過ぎようとしてた頃、俺の人生を大きく変えた事件が起きた。そうあの事件があったから、今の自分がいる。あの日、青白い顔で夜遅くに返って来た母さんの顔は今も忘れられない。俺は母さんと二人で暮らしていた。典型的な母子家庭。父親の存在は物心ついた時にはなかった。お金もなく、身内と呼べるような人は周りに誰もいなかった。香織の家も父子家庭で二人暮らし、同じような境遇だから余計にお互いの気持ちを理解し合えたのかもしれない。俺の母さんは女手一つで俺を育てた。母子家庭だからと馬鹿にされないようにと、色々と資格を取り仕事場でも悪戦苦闘していたことは子供ながらに覚えている。その甲斐もあって、俺が高校生になる頃には生活も安定していた。それが一変するかもしれないと言うのだ。


「おかえり。今日はえらく帰り遅くない?」

「ごめん・・。大変なことが起きて・・」


冗談じゃないことぐらいは、母さんの顔を見てすぐにわかった。それぐらいは気がつく歳になっていた。


「何があったの?」

「詐欺にあって、貯金とか全部騙し取られたの・・会社のお金にも横領の疑いがかかってしまって・・」


詳しい話しは高校生の俺には難し過ぎてわからなかったが、事態の深刻さだけはよくわかった。次の日から地獄が始まった。母さんは会社に行けず、自宅待機になっていた。小さな田舎町だった俺の地元では、こういった噂話はあっと言う間に拡がる。スーパー、学校、病院、もうこの話を知らない人はこの街にはいない。


「詐欺師」

「犯罪者」


俺はその子供だ! 元々、友達の多くない俺は高校ですぐに孤立していった。香織や淳史、早希だけが俺の数少ない味方だった。特に淳史は正義感の強い奴で、俺に罵詈雑言を浴びせてきた上級生と大喧嘩までしたぐらいだ。

普段はチャラけたことばかり言ってる奴なのにその時は胸を熱くさせられた。

そんな日々が3週間ほど過ぎたある日の夜、その淳史の親父がうちを訪ねて来たのだ。正直言ってそんなに面識もない。おそらく淳史が助けを求めてくれたのだろう。淳史の親父は老舗の作り酒屋の当主で、町では知らない人はいないぐらい有名な人だった。淳史の親父の紹介で、もう一人の町の有名人、町のひとから長老と呼ばれていた元裁判官で弁護士の爺さん、『上松勘次郎』という人を紹介されたのだ。この長老に出会ったことで、俺の道は拓けた。そして、母さんは救わにれたのだ。長老が動けばあっという間に問題は解決し、また穏やかな日常を取り戻すことが出来たのだ。貯金など戻らぬものもあったけど、母さんも被害者で、騙されていたことが証明され名誉が回復出来ただけで、俺も母さんも十分だった。

淳史や淳史の親父、香織や香織の家族、早希や数少ない知人、そして長老。感謝してもしきれないほどの恩をこの時受けたのだ。それだけじゃない・・人を救うことができるのはこの事件があるまで医者か消防士ぐらいなものだと思っていた俺に、弁護士の魅力、すごさを教えてくれた。この事件で俺は何も出来なかった。いつも偉そうにしているくせに何も・・。プライドだけ高くて何もできない最低な男。


俺は長老に深く感銘を受けてしまった。この事件が起きるまで、自分の進むべき道を真剣に考えたことなんてなかった。


「どうやったら上松先生みたいになれますか?」


幼く、ひ弱な瞳の少年、真っすぐに純粋に、ただ疑問をぶつけていた。


「一にも二にも学びなさい」


長老は厳しくも優しく答えてくれた。


「はい!」


目の前に道が現れ一歩一歩歩き始めて行く。ただ心のままに。もう二度と同じことは繰り替えさない。『俺、もっともっと強くなる。そして母さんや香織を守っていく』俺は覚悟を決めた。その為にも『弁護士』になってみせる。そこから今に繋がるのだから人生ってのは本当にわからないものだ。こうして今の自分がいる。皮肉なもので、俺は夢を叶えて、大切なものを失ったんだ。人生って何なんだろう・・そうやって何度も思い返し悔やんだことかわからない。


「俺、弁護士になる!」


そう言った決意表明を、予想はしていたが、学校の先生、友達、淳史、早希、母さんまでが、嘲るような反応をした。


「神崎、弁護士って自分の偏差値知ってるか?」

「お前が弁護士?」

「無理だってやめとけよ」

「あんたが言うなら止めないけど、弁護士なんて簡単になれないよ」


否定、否定、否定、そりゃそうだよな。これまでろくに勉強なんてしたことない奴が『弁護士』なんて言うのだから・・。でも何故、人は人の夢を馬鹿にし茶化すのか。わかっていても腹が立った! 悔しかった。ふざけんな! 俺は負けない! 自分で決めたんだから負けたくない! そう何かで学んだ『なせば成る成さねば成らぬ何事も。成さぬは己の成さぬなりけり』意志あるところに道は拓けるはずだ。俺も人間ならみんな人間なんだ。なれないなんて否定すんなよ! って強がってもどうやって勉強すればいいのかもわからないのが現実だ・・。この時代にはネットなんて代物はない。まだまだデジタルなんて言葉もなくアナログ的に物事を進めるしかない。俺は長老を頼りに、学び方から相談相手に至るまでを探した。長老には熱意が伝わったのか、俺を否定したり茶化すような言葉はなかった。唯一の理解者・協力者、大きな存在だ。そして俺には香織がいた。


「俺、弁護士になろうと思う」


誰よりも先に俺の思いを知って欲しくて、夜遅くに呼び出して、そう伝えた・・。いつもと違う俺の雰囲気を感じ取り、少し緊張していた香織はこう答えた。


「すごいじゃん! 裕也なら必ずなれるよ。私も応援するからね」

「ありがとう。俺、頑張るよ!」


そう言って香織を抱きしめた。真の理解者は彼女しかいない。彼女を守りたい・・覚悟を決めた瞬間だった。

その日からの俺の生活は一変した。朝は早くに起きて勉強をし、学校に行く。授業の合間も昼の休憩時間もすべて勉強に費やした。今までの遅れを取り戻し、更に成長しなければならない。休日もなく、わからないことは長老に紹介してもらった塾講師に教授してもらい、なんとか前進をした。お金がなく、進学校生のような学び方は出来ない・・。でも、泣き言は言ってられない。国立大学法学部に的を絞り猪突猛進、負けたくない一心だった。その姿は、周りのみんなにも次第に伝わり協力者も増えた。3年の時の担任の森脇先生は、俺の夢を応援し助けてくれた。情熱は人を動かすことを学んだ。そんな日々だ、香織には本当に可愛そうな思いをさせたと思う。2年の5月、香織が唐突に言った。


「私、バイト始めるよ」

「えっそうなの。どこで?」

「ほか弁屋のまんぷく」

「ごめん・・俺が勉強ばかりだから・・」

「勘違いしないでよ! そんなんじゃないよ! 私の家も色々苦しくて、もういい加減バイトぐらいしろってお姉ちゃんに言われてさ・・」


そう言って俺をはぐらかした。でも香織が嘘をついていることぐらい俺にはわかっていた。そっとプレゼントしてくれた参考書、模試会場までの旅費、何も言わずに負担してくれたのだ。自分の欲しい物もあるだろうに、何も言わずに・・。今、思い出しても涙がでそうになる・・。そんな香織に勉強がうまくいかない時、自分に迷う時、八つ当たりをした。最低だった。そんな俺を黙って支えてくれたのだ。その結果、見事に目標だった国立大学法学部に入学することが出来たのだ。ずっと言えなかった『ありがとう』の言葉を今度こそ伝えよう。香織の元へ向いながらそんなことを思い出していた。


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