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最後の贈り物

 時に人は究極の選択に迫られる。心はふたつ身はひとつ・・心が引き裂かれそうになる瞬間・・。人生は大なり小なり決断の連続で、その決断の上に道があるのだと思う。しかし、ここまで大きな決断に迫られることは、私の人生、いや他の誰の人生においても、こんな状況下ではそうはないだろう・・。

私は覚悟を胸に秘め、裕也のもとへと急いだ。西福寺の門をくぐり、足早に思織さんを尋ねた。


「こんにちは。香織さん、よくお越しくださいました」


今日も思織さんは笑顔で、優しく奥ゆかしい雰囲気をまとっていた。


「こんにちは。裕ちゃんに会えますか?」

「もちろん。さぁこちらへ」


納骨堂から裕也のお骨が出され


「じゃあ、どうぞごゆっくり。済みましたら声をかけてください」

「はい。ありがとうございます」


静かな場所で私たちは三人になった・・。私は右手を裕也の骨壺にあて、左手をお腹にあてた。これで私たち親子三人は、ひとつになれた。不思議と右手が温かくなり、優しく語り掛けて来てくれている感覚がした。耳元に『香織』と呼ぶ裕也の声が聞こえる。

『裕ちゃん・・遅くなってごめんね・・。いっぱいいっぱい悩んだけど、私、決めたよ! 私、裕ちゃんの子供・・産むね・・絶対、元気で丈夫な子供を産んでみせる。ひとりでも立派に育ててみせるから、ずっと見守ってて欲しい。ずっとずっと・・。裕ちゃんがこの世に残した命を捨てることなんて、私には出来ないよ。もう覚悟は出来たから・・私、もう悲しまないよ・・』

そう裕也に報告をした・・。そして、ここに来て私には、子供を産み育てる覚悟、決心が出来たことを確信した。


「私はもう迷わない・・」


静かに裕也と別れ、私は思織さんに声をかけた。


「ありがとうございました」

「もういいんですか?」

「はい。今日はこれで」

「少し休んで行かれますか?」

「はい。ありがとうございます。そうします」


思織さんのいれたお茶を頂きながら、私は話しを切り出すタイミングを見計らっていた。今日は、もうひとつ、ハッキリさせなきゃいけない大事なことがあった。私の手元には1通の手紙がある。あの日、裕也が私に残した手紙はもう1通存在した。その内容は驚きと同時に、困惑、喜び、憎悪、言葉では表現の出来ない複雑な感情を呼び起こす内容だった。


『香織に、こんなことをしてしまう俺を許して欲しい。

俺は余命1年と宣告された後、香織のために生きている間に何かをしてあげたい、何かを残したい、そう思うようになったんだ。

その答えがこの手紙の中にある・・。もし、この最後の贈り物を受取りたくないなら読むのをやめて欲しい。

昔、お互いの親について話しをしたよね。もし、生き別れた親に会えるなら会いたいかって、話しをしたことがあった。俺が香織にどうしたいの?って聞いた時、香織は「母親に会いたい」そう言ったことを覚えているかな? あれから本当に長い時間が流れたけど、その気持ちに変化が無いことを信じて、香織の母親探しをしたんだ。

もちろん勝手だってわかってるよ・・余計なことだってわかってる。でも、二人を引き合わせることを最後の贈り物にしようと決めたんだ。

そう決めて色々探して、お母さん・・見つけたよ・・もう、感の良い香織にはわかってるだろ・・。

『思織さんは、香織の母親だよ・・』

ごめんな・・こんな形で伝えることを許して欲しい・・。

俺は思織さんを見つけて、色々話しをさせてもらった。不思議となんでも素直に正直に話しが出来て、俺の事だけじゃなく、香織とのこと、仕事に職場、田舎の事まで本当にたくさん話しをしたよ。

いつも笑顔で、優しく穏やかな思織さんには何度も助けられた。苦しかった闘病生活を乗り越えられたのは、間違いなく思織さんの支えがあったからだった。

今となっては、俺にとってもかけがえのない存在。

まだ、思織さんには、香織のことは何も伝えていない。でも、気がついていることだけは確かだから・・。

恐らく思織さんから、母親であることは告げないと思うんだ。だから香織から告げてあげて欲しい。お願いだから感情的にならずに冷静に・・落ち着いてな。これは俺の推測だけど、思織さんも相当苦労し悩まれて来たんだと思う。だから、思織さんを責めることだけはしないで欲しい。どうか頼むよ・・。

俺は思うけど、親にも色々あるんだよ! 結婚も離婚も社会のルールである以上、どうすることもできないじゃん。親だって完璧な人間じゃないんだよ。

俺の最後の贈り物が、香織にとって、いや、二人とって喜びであるように・・再会が穏やかであるように祈っているよ』


初めて思織さんに会った時、何故か懐かしさを感じ、心が落ち着いた。まさか、その時はお母さんだなんて気づきもしなかったけど・・今思えば、私の背中をさすってくれた、あの手の優しく陽だまりのような温かさは、母親の愛情の現れだったのかもしれない。不思議とそう感じた。

裕也の気持ちに応えたかった。私は裕也からの最後の贈り物を、今・・受取ろうとしている。思織さんとの雑談の中で、お腹の子供の話しになった時、私は唐突に切り出した。


「赤ちゃんは順調? 体の具合は大丈夫?」


そう聞いてくれた思織さんに


「思織さんは、私のお母さんなんですか?」


そう尋ねると思織さんは『その時が来たんだな』といった表情を浮かべた。まるで長い逃亡の果てに、逃げきることの出来なかった逃亡者の最後。疲れ果て、捕まることに『ホッ』としたような感覚に、今日までの時間がとても長く苦悩に満ち溢れていたことが伺い知れた。


「・・はい・・そうです・・」


そう言った思織さんはとても小さく弱く見えた。


「なんで私を捨てたの?」


反射的にそう言葉を投げつけた


「ごめんなさい」


思織さんの目から涙が溢れ頬をつたう・・


「私は理由が知りたいの!?」


語気を強めた。突然の展開に心の準備が出来ていなかったのか、思織さんは気持ちを落ち着かせようと、少し間をおいて話しを始めた。


「・・私には当時、忘れられない男性がいました。しかし、叶わぬ恋と諦め、あなたのお父さんと結婚をし、あなたを授かったの・・その妊娠中に、先程、忘れられない男性と言った方が大病をし、長く生きられないことを聞かされたの・・私はあなたを妊娠していてどうすることも出来ず、一度諦めた恋と聞かなかったことにしようと、忘れようとしたけど、その方から届いた手紙に心を打たれ、あなたを産んですぐ家を出たんです・・。彼の残された少ない人生に私のすべてを捧げたいそう思ってしまったの・・」

「そんな・・」

「ごめんなさい・・謝って済むことじゃないのはわかってます。でも若気の至り、こんな言葉じゃ許されないけど、どうしても彼を諦めきれなかった・・」

「それで私を産んですぐ出てったの? 自分の子供を捨ててよくそんなことが出来たよね! 信じられない! 私がそれでどれだけ苦労したのかわかる? わからないでしょ!?」


裕也にあれだけ感情的にならないようにと言われたのに、またやってしまった・・でも40年もの長い年月が理性的でなくさせた。


「本当にごめんなさい・・私は謝ることしか出来ない・・一生罪を背負いどんな罰でも受けます。これからでも遅くなければ償いをさせて」


思織さんの言葉が胸に刺さった。一瞬『はッ』となった。冷静に考えてみれば、私も同じなんだよ・・それなのに何故、思織さん・・いや、お母さんを責めることが出来るんだろう


「だから私に子供が出来たと言った時、あんなに優しかったんだね・・娘が母親と同じことをするんだもん、もう笑っちゃうよね」


薄笑いを浮かべて、こんなにも汚い言葉が口から出た。私はお母さんを責めるようにして、自分自身を責めていたのだ。


「お願いだから、そんなことは言わないで」


娘諭すようにお母さんが言う


「だってそうじゃん! やっぱ血なのかなぁ・・どうしようもないよね・・ほんと・・」


どうしようもないのは私だ。裕也が最後の贈り物にこの再会を用意してくれたのに、何をやってるんだろう・・「ごめんね・・裕ちゃん・・またやっちゃった・・」まるで子供が親に八つ当たりするように、甘えているだけだった。やり場のない感情を爆発させて、せっかくの再会の場面を自ら壊そうとしている。「ダメだよ・・こんなの・・」自己嫌悪で押しつぶされそう・・その時、裕也の手紙を思い出した「思織さんを責めることだけはしないで欲しい。どうか頼むよ」そうだよね。思織さんを責めちゃだめだよね。裕也の言葉が冷静さを取り戻させていく・・それと同時にまるで津波のように抑えていた感情が溢れ出しもう止められなかった・・。


「香織さん、長い間、苦労をかけて淋しい思いをさせて、本当にごめんなさい。私の残りの人生のすべてを償いに使わせて・・そうすることが、あなたと、あなたと再会させてくれた裕也さんへの恩返しになると思うから・・」


そう言ってくれたお母さんが愛おしかった。そして、裕也への感謝が感情として溢れ出た。次の瞬間、私は「お母さん」の言葉と同時に思織さんに抱きついていた。


「ひどいことを言ってごめんなさい・・私・・私・・」


もう涙が溢れ出し、言葉が出なかった


「いいの・・いいのよ・・私はあなたを、どんなことがあっても受け止めます。だから思いをもっとぶつけて・・不安だったのよね・・辛かったのよね・・」

「ごめんね・・本当にごめんなさい・・私、お母さんに会いたかった・・ずっと会いたかったよ・・」

「ありがとう・・本当にありがとう・・私もあなたに会いたかった・・香織さん、あなたのことを一日も忘れたことなかったわ・・」

「お母さん・・」


私は子供に戻ったかのように、お母さんに甘え抱きついた。泣いて、泣いて、これでもかっていうぐらい感情を爆発させた。その私の背中には、あの優しく陽だまりのような手があり、ゆっくりとゆっくりとさすってくれる。その温かさに包まれていると、不思議と心が癒された・・。私は、初めて母性というもの、母親の愛情というものを感じることが出来たんだ。この愛に触れ、人を愛するということを教わった気がした。


「裕ちゃん、本当にありがとう。まさかお母さんに会えるなんて思ってもみなかったよ。再会は穏やかに出来なかった・・ごめん・・でも、ふたりには、こんなに嬉しいことはないんだよ。ありがとう・・本当にありがとうね」


その後、私はお母さんと遅くまで色々な話しをした。離れていた遠い距離を埋めるように・・。

その中で、私はひとつの疑問をぶつけた。


「どうして思織と名乗っているの?」


私の母の本名は『慶子』という。


「それはね、先程、話しをした男性と死に別れた後、途方に暮れ、私自身も自死を考えるようになり、生きる気力を無くしていた時、私に手を差し伸べてくれた人が居たの。その人の勧めで仏の道に入った・・もう俗世に何の未練もなかった・・いや違うわね・・俗世を絶ち、仏の道に入ることで、私の罪滅ぼしがしたかったのが本音ね・・。一生かけて償いをしたかった・・。そして、法名を頂く時、最後のわがままを言って思織という名を頂いたのよ。そう、その意味は『香織を思う・・』その日から毎日、一日も欠かさず香織の幸せを祈っていました。どこで暮らしているのか、元気のしているのか、どうしてるのか・・色んなことを思い馳せながら・・そこに裕也さんが現れた・・。まるで仏様の使いのように・・」


その話しを聞いて、私はふたりの子供たちのことを思い出していた。でも、もう後戻りは出来ない。今度は私の番だね・・。私も、裕也のように、母のように強く生きてみせる。産まれてくる子供のためにも・・そう心に誓った・・。


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