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茶色いボストンバック

 「もしもし・・森山さん・・もしもし・・大丈夫ですか? 森山さん・・もしもし・・」


もう大倉先生の問いかけなど耳に届かない。裕也が亡くなった・・死んでしまった・・。その衝撃はあまりにも大きく、ショックで言葉が出ない・・。

『嘘でしょ、裕ちゃん! 嘘だよね・・嘘だって言ってよ! 何かの悪い冗談だって・・こんなこと受け止められないよ・・私のお腹の中には、あなたの子供がいるんだよ。まだそれを伝えてもないじゃん・・なんで裕也が死ななきゃいけないの? こんなの残酷過ぎるよ・・』私は気が狂いそうだった。父が亡くなったと時も、冷静に受け止めることが出来たのに、今回は違った。こんなにも人の死が悲しく儚く苦しいなんて・・。


「もしもし・・もしもし・・」


遠くで声がする。大倉先生だ。


「・・もしもし・・」

「あっ森山さん・・もしもし?」

「・・はい・・ごめんなさい・・」


もう涙が溢れ、声も出せない


「森山さん、大丈夫ですか? 申し訳ない!突然過ぎましたよね・・」

「・・うっ・・うっ・・」

「森山さん、お辛いと思いますが・・もし良ければ、うちの事務所にお越しになりませんか? お話しておきたいことが他にもありますので」

「・・はい・・わかりました・・」

「何時まででも待ってますから。気をつけて来てください」

「・・はい・・ありがとうございます」


子供の妊娠を知った日に、まさか裕也の死の知らせが届くなんて・・裕也との色々な思い出が溢れ出し、もう涙が止まらない・・。外は激しい雨が降り、まるで私の心の中を映し出したかのようだった・・。


弁護士事務所に着くと、大倉先生が出迎えてくれた。


「足元が悪い中、ご苦労様です」

「いいえ」

「少しは気分が落ち着きましたか?」

「・・はい・・いやまだ・・」

「急な知らせだったので仕方ないですね。正直言って、僕もまだ心の整理がつきません」


大倉先生は、私にとても気を使いながら話を続けた。


「僕と神崎は、大学の同級生でバイト先も同じでね、気がつくと就職先まで同じで、この事務所に入ってからも良いライバルであり、良い相談相手であり、最高の友でした」


そう言えば、昔、よく大倉先生の名前を裕也の会話の中で聞いていた。この人があの大倉さんなんだ。


「森山さんのこともよく聞かされたんですよ!」


えっ! そうなんだ。私のこと話題になってたの。私の知らない裕也のことを聞いていると少し気持ちが落ち着いた。


「あなたが森山さんなんですね・・何故だろう初めて会った気がしないな・・。あっすみません! 余計なことでしたね」

「いいえ、もっと話を聞かせてください。私、裕ちゃんのこと何も知らないから・・」

「あいつ・・あなたのことが本当に好きだったんだと思いますよ。若い頃は、酒を飲んで酔っ払うとあなたの名前をよく口にしてました。時間が経って、あいつ一度結婚したんですが、それもあなたへの思いが強過ぎて、別れてしまったんじゃないかと僕は思ってるんです。もちろん確証はありませんが・・」

「そんなことがあったんですね」

「神崎はストイックな奴だったんでね。気持ちが簡単には切り替えられなかったんでしょう。あいつ、よくモテたんですよ! 結婚した時も、奥さんに猛アピールされてね。同じ男としても本当羨ましいぐらいでしたよ」


結婚していたことは裕也から聞かされていたけど、詳しいことは知らなかった。こうして話を聞くと、裕也の人生に触れられて幸せな気持ちになった。


「仕事も出来る奴だったんで、これからって時に・・」


大倉先生は言葉を詰まらせた


「3年ぐらい前に、体調不良で病院に行くと『胃がん』だと診断されて、それも『ステージ3』それからは入退院を繰り返して、手術に抗がん剤治療で、本当、見てるのも辛くなる時もありました。でも、余命1年と言われたあいつが、3年生きられたのは今となれば奇跡というか、まぁあいつの頑張りがあった結果というか、でも、ほんとあいつは最後まで頑張りましたよ」


それを聞いて涙が止まらなかった。私と再会をした時にはもう・・辛いことや苦しいことがいっぱいあっただろうに、私は何も気づかずにわがままばかり・・いや違う・・不審に思ったことはあった。変に片付き過ぎた部屋、大量の薬袋、それに食欲もなさそうだった・・私がもう少し気にかけていれば・・裕也に何もしてあげられなかったことが悔し過ぎた。


「裕ちゃんは幸せでしたか?」


私は唐突に聞いた


「えぇ。幸せだったと僕は信じてます。仕事も弁護士という、あいつの志した職業でしたし、困った人を助けるんだっていう使命というか信念というか、そういったことに情熱を燃やして、病気になってからも最後まで仕事を続け、最後の最後まで神崎は神崎らしく生きました。本当に凄い奴でしたよ・・あいつは・・病気になってからも泣き言一つ言わずに・・僕だったら泣き叫んで狂ってますよ! この若さでこれからって時に・・ですからね。ほんと悔しいです。大切な友達をなくしました」

「ありがとうございます・・色々話を聞かせて頂いて・・裕ちゃんにこんな素晴らしい職場やお友達がいたことを知って、ほんと私、嬉しいです」


ふたりの間に少しの沈黙が続いた。


「森山さん」

「はい」

「僕は神崎から遺言を預かってます」

「はい」

「それをお伝えするのが僕の役割です。今回ご連絡した趣旨はそこにあります」

「はい」

「神崎が亡くなる1週間前に、口頭で意思を伝えられました。まず、亡くなった後、10日後に森山さんに亡くなったことを伝えること。おそらく死に顔を見られたくなかったのでしょう。それともう一つ『西福寺』に行って預けてあるものを受取るように伝えることです」

「西福寺ですか?」

「はい。西福寺です。神崎は、そこで葬儀を行い、納骨することも希望していまして、今もそこにあいつのお骨があります」

「お骨が・・」

「はい。理由はわかりませんが、妙に信心深いところがありまして、生前、時間がある時によく通っていたようです。それと最後にもう一つ、もしこの先、森山さんに何か困りごとがあれば助けるように・・です」

「はい。ありがとうございます」

「いいですか、以上が僕に預けられた遺言です。親友の遺言です、もし何か僕に出来ることがあれば、なんでも言ってくださいね」

「ありがとうございます」


なんだろう・・もの凄く安心感に包まれた。裕也の意思が生きていて、裕也の為にと協力してくれる大倉先生の心意気に、ただただ感謝すること以外、出来なかった。


裕也のお骨があるという『西福寺』の場所を聞き、急いで向かった。どんな形になったとしても、裕也に会いたかった。焦る気持ちを抑えきれない「裕ちゃん、ごめんね・・今から行くからね・・」雨の道は渋滞で思うように走らない・・ワイパーの繰り返す動き、音が虚しく響く・・。

西福寺は都会の喧騒の片隅にあり、歴史を感じさせる佇まい、とても奥ゆかしいお寺だった。裕也が、足繫く通っていた気持ちが少しわかるような気がした。中に入り、大きな庭を渡りお堂の前、どうやって誰に声をかけようかと迷っていると、とても優しく上品な声が


「どうかされましたか?」


振り返ると、そこには女性の僧侶が立っていた。


「あっ、あの私・・森山と申しますが・・あの・・」


そう言うと、その僧侶はとても切なく柔らかな表情を浮かべながら


「香織さんですね?」


そう尋ねてきた


「はい」

「お待ちしてましたよ」


そう言って、お堂の中へと案内してくれた。


「初めまして。私は僧侶の『思織』と申します」

「思織さん・・」


初老の女性、ふくよかで、とても柔らかい表情が印象的な人。なんだろう・・不思議と心が落ち着いた。


「裕也さんから、お話はお聞きしてました。いつになるかはわからない。でも必ず訪ねてくるから、その時はお願いしますと・・さぁ裕也さんに会ってあげてください」

「はい、ありがとうございます」


納骨堂から出された骨壺は少し小さく見えた。


「裕也さん、香織さんが会いに来てくれましたよ・・南無阿弥陀仏・・南無阿弥陀仏・・」


私は、そっと近くにより、手を合わせた・・

『裕ちゃん・・ごめんね・・病気だったんだね・・。私、気がつかなくて・・わがままばっかり言っちゃった・・。淋しかったよね・・痛かったよね・・ほんと辛かったよね・・どうか安らかに眠って・・』手を合わせ裕也が天国へ行けるようにと祈った・・。『裕ちゃんに、また会えると信じていたのに、まさかこんな形になるなんて悲し過ぎるよ・・受け止められないよ・・私・・』裕也の笑顔を思い出し、涙が溢れて止まらない・・『今日は裕ちゃんに報告があるよ。驚かないで聞いてね・・私のお腹の中には裕ちゃんの子供がいます。私、裕ちゃんの子供を身ごもったんだよ・・嬉しい? ねぇ答えてよ・・』私はその場に崩れ落ち動けなくなった・・もう・・。


「あらあら、大丈夫? しっかりして! 少しこちらで休みましょう」


思織さんは優しく私を抱き寄せ背中をさすってくれた。その手は温かく、まるで陽だまりに包まれるようだった・・


「いいのよ・・泣きたい時は泣いて・・我慢することはないのよ。辛かったのよね・・大切な人をなくしたんだもの・・」


思織さんが居てくれたことで物凄く救われた。『裕也はこうなること、わかっていたのかな・・』気持ちが落ち着くまで、どれぐらいの時間が必要だったのかわからない。その間、ずっと思織さんが傍に寄り添っていてくれた。その愛情のようなものに甘え、まるで子供ように泣きじゃくってしまった。


「だいぶ落ち着きましたか?」

「はい・・取り乱してしまって、すみませんでした」

「いいんですよ。お気になさらないでください。思いが強ければ強いほど別れは辛いものだから」


その言葉が胸に沁みた。


「少しお話してもよろしいかしら?」

「はい。ぜひ・・」

「裕也さんが初めてここに見えたのは、もう3年も前の事です。振り返れば懐かしいようで、それでいて昨日のことのようにも感じます・・。笑顔が素敵な青年といった印象でした。お話がお上手で、お仕事のこと、ご出身の町のこと、昔の話や趣味のことなんかも、色々話をしてくれました。もの凄く物知りで頭の良い方でした。そう・・香織さん、あなたのこともよくお話されていましたよ。香織さんの話をする時は、他の話をする時よりも嬉しそうに懐かしんでおられました」


裕也が話をする姿を思い浮かべながら、話の続きを聞いた。


「そんな裕也さんがある時、突然『俺はもう長く生きれません』余命あと1年と半年前に言われたと・・それを聞かされた時は本当に驚いて、私も言葉が見つかりませんでした。辛い闘病生活でお辛い中、お寺に通われていたようです。それからも変わらず、定期的にお顔を見せてくれていました。でも、抗がん剤の治療はかなりお辛いようで、髪の毛が抜け落ち、痩せこけた頬を見るのは耐え難いものがありました」


裕也がこんな辛い思いをしていたなんて知る由もなく、私は無力でせめて傍に居てあげられたらと思った。


「しかし、裕也さんはガンと闘い、見事にお元気な姿を取り戻されて、お仕事も再会され頑張っておられたのに、本当に残念です。もう私も自分の息子のように思えて、亡くなられた時は、家族を失ったような悲しみに包まれました。またあの笑顔で沢山お話を聞かせて欲しかった・・」


思織さんも裕也のことを大切に思ってくれていたんだ・・


「その裕也さんから、最後にお願いがあると二つのことを託されました。一つはここのお寺で供養すること、それともう一つは・・」


そう言い残すと、思織さんは奥の部屋へと消えていってしまった・・こちらに戻って来た時にはそれが手にされていた。


「これを・・」


それは使い古された茶色いボストンバック


「裕也さんが、いつか必ず香織さんが訪ねてくるから、それまで預かってほしいと・・」

「裕ちゃんがこれを・・」


すぐに中身を確認したい気持ちと、何故だろう怖くて開けられない気持ちとで揺れた。


「確かに渡しましたからね」

「はい。ありがとうございます」

「でも、不思議ですね。裕也さんにお聞きしていた香織さんは想像通りの人でした。こうして会えたこと、このご縁に、そしてこの機会を与えてくれた裕也さんに、本当に感謝しています」


涙を浮かべる思織さん・・


「裕也さんが亡くなる前に、あなた達が再会出来たこと、本当に良かったと思います」


裕也はあのことを思織さんに話したんだ・・


「再会できたこと、本当に喜んでおられましたよ・・そして、私も自分のことのように喜びました。どうかこの思い出をお大事に・・」


なんだろう・・嘘偽りのない言葉が胸の中に吸い込まれていく・・。

気がつくと私は秘密を打ち明けたていた・・。


「私、裕ちゃんの子供を妊娠してるんです」


その言葉に思織さんは、深く悲しくそれでいて慈しむような表情を浮かべ


「そう・・それはおめでとう。裕也さんも喜んでおられることでしょう。元気な赤ちゃんを産んでくださいね・・もし、私に出来ることがあればなんでも言ってください。どうか気を使わずに」


私は裕也を失った・・そして家族も失おうとしている・・でも新たな命を宿し、思織さんという存在に出会えた今日という日を決して忘れないだろう・・。



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