5:真夜中の訪問者
「マスター、起きてください」
耳元の囁きでノアは目を覚ます。
「囲まれています」
「ホント?」
ゆっくりと頷いたルーナを見て、ノアは意識を集中する。
すると、十人ほどが建物を囲むように位置していることがわかった。
ホント、この体の性能はすごいね。
ゲーム時代に最高レベルとなるまで積んだバトルの経験が生きているのか、転生前は「気配なにそれ?」といった状態だったのにもかかわらず、はっきりと害意を持つ存在の位置が把握できている。
「減ってるね。なんでだろう?」
「隠密性を意識したのかもしれませんね。それか処罰されたか」
ルーナが「どうしますか?」と問いかけてきた。
「火は?」
「用意はあるでしょうが、現状は使っている者はいないようです」
「なら、待ち伏せかな」
「わかりました。それでは私はラウラ様達を起こしてこの部屋に来てもらいます」
ノアがルーナに頷き返すと。
ルーナは部屋を出てラウラさんとローラントさんを起こすために部屋を出る。
その背中を見送って。
さて、私も仕事をしないとね。ノアはそう気合を入れ召喚術を行使する。
「ジャック・オー・ランタン」
真夜中の家といえば彼だろう。
「俺を呼んだかい? ご主人」
切り抜かれたかぼちゃから洩れる光を明滅させ、ジャック・オー・ランタンは生意気さを含んだ声音を響かせる。
「宿の外にいる連中の監視をお願い」
「畏まったぜ」
ジャック・オー・ランタンはノアの命令を聞くと、ふっと持っていた提灯の煙を消す。
それが実態を消すキーとなっているのだろう。ノアの眼からかぼちゃ頭が完全に消え去った。
これでジャック・オー・ランタンは物質をすり抜けることができる。
自身の召喚獣だからノアにははっきりと認識できるが、感が優れた者でもない限り壁をすり抜けて動く彼の動きを捉えることは出来ないだろう。
「リーゼ」
「はいなのです」
「部屋に風の結界をお願い。後、火をかけられたらその対応も」
「お任せなのです」
一通り準備を終え、フィーネの様子を確認すると――
ハードな1日だったせいかノア達の動きに気が付くこともなくフィーネはすやすやと寝ていた。
「フィーネ、フィーネ」
ノアはフィーネを起こそうと優しく彼女を肩に触れた。
「な~に~」
根気よく揺することで、フィーネが目をこすりながらとても辛そうに起き上がった。
その様子を見て、ノアはフィーネが私とルーナがいたから安心して眠れたのかなと嬉しさを感じつつもそれを顔に出さないという苦行を行う。
「お客さんが来たみたい」
「えっ?」
とろんと垂れていたフィーネの眼がパチリと開いた。
「あの野盗と同じグループかな」
「たぶん、同じ人だと思う」
「えっ? わかるの」
本当はリーゼからの情報で同一人物が来ているのは確認済みだ。
だが、それを言う訳にもいかない。
「うん、気配から判断するならってくらいの確度なんだけど」
ノアがそれらしい理由で誤魔化すと――
「そ、そうなんだ」
ノアの想像を絶する技量に対してフィーネは若干引きながら返答する。
「マスター、戻りました」
ルーナがローラント達を連れてきたのは調度そんな時だった。
周囲を見回すと、ノアとルーナを除いた全員の顏に不安ですと書かれている。
「大丈夫なのでしょうか?」
ラウラが溜まらずと言った様子で感情を漏らすとノアは殊更明るく声をかける。
「大丈夫、大丈夫。それにしてもその日の内に報復に来るなんて、わかり易いと言えばそうなんだけど、ハードな展開になりそうだね」
「街の権力者と大喧嘩ですか、悪くないですね」
「悪くない?」
「ええ。全員ぶちのめせばわかり易く平和になりますから」
「ハハッ。そうかもね」
気軽なノアとルーナの様子に――
「フフッ」
「ハハハ」
フィーネ達も緊張を和らげた。
巻き込まれたのか、首を突っ込んだのか……。
どっちになるんだろうね。でも放ってはおけない、か
まったく
「じゃあ、いっちょ開幕の狼煙を上げようかな。バンシー」
ノアに呼ばれた闇の精霊が――
「■■■■■■■■■■■■■■■」
恐慌を告げる叫び声をあげた。
*
馬鹿げた話だ。
そもそもノアとかいう魔術師が居合わせたせいで失敗したというのに、その原因へと報復をかけるなんて……。
治安の悪い最低な街なのだ、高貴な魔術師など放っておけばいなくなる。
それをわざわざ藪をつつきに行けと言うなんて、本当に馬鹿げた話だ。
「頭、本当にやるんで?」
「他に生き残る方法がねえからな」
「ですが……」
不安そうな部下の顏を見てバリーは舌を打ちそうになる。これではやる前から結果が決まってしまう。
「昼間のことは不意打ちされたのが、魔術師に詠唱の時間を与えちまったてのが負けた原因だ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうだ」
バリーはふうぅぅと息を深く吐く。
ローラントの店舗兼自宅となっている建物からは明かりが漏れていない。
「おい、火が落ちてもうどれくらい経つ?」
「もう2刻になると思いやす」
部下の報告を聞きバリーは自信に満ちた表情を無理矢理作ると、いつも通り顎ニヤリと笑って鬚を撫でる。
「よし、ならもう寝静まってんな」
「そうですね。物音一つしませんし、そう思っていいと思いやす」
部下の言葉でバリーは突入を決める。
「よし、いくぞ」
「へい」
「寝込みを襲えば魔術師なんて大したもんじゃねえさ」
いつもは頼もしく感じる部下の返事に不安を覚えるのは、彼らに出したバリーの命令が自身の不安を打ち消すための言葉だったせいだろうか?
「やれ!!!!!」
自らの心の内から目を逸らし、バリーは直属の部下と別動隊へと合図を出す。
その合図を受け部下の一人が正面の扉を蹴破った。
木が割れる音に続いて、バタンと扉が床に落ちる音が響く。
さすがに魔術師は目を覚ましたかもしれない。
「急ぐぞ」
ここからは時間との勝負だ。
やるしかねぇ、やるしかねえんだ。
バリーがそう覚悟を決めて、建物へと踏み込むと――
「■■■■■■■■■■■■■■■」
目の前に広がる暗闇がぐにゃりと歪んでいく。
心の奥底から湧く恐怖が、発汗を促し、ガクガクと体を震わせた。
それなのに。
体だけが凍ったように冷え切っていく。
*
「■■■■■■■■■■■■■■■」
「ちっ、煩いんだぜ」
バンシーの挙げた絶叫にジャック・オー・ランタンのポティロンが顔をしかめる。
流石に恐慌の状態異常にはならないが、じりじりとした焦燥感が湧く程度には影響を受けている自覚があるだけに面白くないのだ。
彼の目の前には抵抗に失敗し、こぼれ落ちそうなほど目を見開いたまま呆然と佇む男たちがいる。
「ご主人のオーダーだ。サクッと片付けるぜ」
ポティロンは手に持った提灯を掲げ、魔法を使用する。
すると、提灯の明滅と共に弾けた光が衝撃となり、男たちを昏倒させた。
「手ごたえがないな。これなら俺一人で良かったんだぜ」
あっけない戦闘にポティロンは自身の不満をうっすらと滲ませると、仲間へと合図を送る。
自分たちの安全を考えてくれているとわかっていても、こんな雑魚が相手なら自分一人に任せてくれればいいのにと、どうしても思ってしまうのだ。
「一番槍を取られた嫉妬ですか?」
そんなポティロンの心境を察してか、バンシーのオルールがニマニマとした表情で登場する。
「ちっ、本当に煩いんだぜ」
それを見てポティロンはオルールに視線を合わせることなくプイッとそっぽを向いてしまった。
「ポティロン君、オルールちゃん、真面目にやりましょうよ~。私たちにとってはこの世界の初陣なのです」
そしてそんな場の雰囲気を察してか、ポティロンとオルールを取り成すようにシルフのリーゼが現れた。
「リーゼ」
オルールが名前を呼ぶと、リーゼが手を振って答える。
その様子から察するに、裏口を守っていたリーゼもポティロン同様にあっさりと侵入者を撃退したようだ。
「お前はご主人につくんじゃないのか?」
「ご主人様の護衛はルーナちゃんがしているのです」
ポティロンの問いに「現場を任されました」とリーゼが答えたのを聞き。
「ちっ、役得なんだぜ」
ポティロンは再度不満を表した。
ルーナは常にノアの隣にいるのだ、こんな時くらい自分とは言わずとも、リーゼに、一万歩くらい譲ってオルールにその位置を譲ってもいいのではないか?
特に、この世界の魔法技術もわからぬ状態で敵を監視し続けたリーゼ。
彼女が間違いなく今回の戦の武勲第一位だ。
そして認めたくはないが一番槍となる叫びで敵を状態異常に陥れ、戦闘を優位にしたのはオルールである。
もっと二人が報われてもいいのではないか?
それがポティロンの正直な思いであり、彼の仲間に対する愛情でもある。
「男の嫉妬は見苦しい」
「オルールちゃん!!」
そしてその考えは筒抜けなのだろう。
くだらない愚痴のまま済ませておこうと、オルールがわざとらしくポティロンを冷やかし、オルールをリーゼが感心しないのですと叱りつける。
「ヘヘヘ」
「ポティロン君?」
「何でもないんだぜ」
そんな昔から変わらぬ仲間たちにポティロンは嬉しさを覚えた。
和やかな空気が漂うの中。
「それでこいつらはどうする? 始末する?」
オルールが口を開く
「ご主人に聞かないのか?」
オルールはポティロンに明確に否定の意を示した。
「ノア様は優しいから無力化した相手に止めを刺せとは言わない」
「それが問題なのです?」
リーゼの疑問にオルールがコクリと頷く。ポティロンにもオルールが何を心配しているかがわかった。
「2度生かして返せば、敵はノア様が人を殺せない甘い相手と判断して策略を練る」
「そうすると敵が悪辣な選択肢を用意してくる危険があるんだぜ」
「ご主人様の心を傷付けることになるのですね」
リーゼが愛らしい顔に嫌悪の表情を浮かべると、オルールが真剣な面持ちで瞳へ力を籠める。
ポティロンは黙っていた。
「相手にはこちらに手を出したら大変だと思わせないといけない」
「オルールちゃん。ご主人様の手を、心を煩わせないために必要なのです?」
「私はそう思っている」
「俺たちが勝手に判断して手を下しても……」
議論の趨勢が傾きかけたのを感じ、ポティロンが口をはさんだ。
「ご主人は自分の責任だって言うと思うぜ」
「……………………ポティロンは反対なの?」
オルールの刺すような視線を正面から受け止め。
「オルール、殺るのは簡単さ。ご主人のことを狙った奴らなんだぜ。躊躇いなんて一つも生まれない」
「ならなんで?」
悪魔と契約した幽体の自分と恐怖を司る闇の精霊バンシー。
風の精霊であるリーゼと違い、自分たちが人の負の側面を強く持つことをポティロンは自覚している。
ご主人の為となるならばオルールもポティロンと同様に死を積み上げることに感傷など抱かないだろう。
だがそれをして本当にご主人の為になるのだろうか?
本位でなくても優しい御主人のことだ、ありがとうと礼を告げるに違いない。
だが恐らく影を纏うであろうその言葉を心のそこから喜べるだろうか?
できやしない。そしてそれが積み重なれば……
ポティロン同様、オルールもご主人の前に顏など出せないと思うはずだ。
「俺たちのために、何よりご主人のためにならないんだぜ」
ポティロンの重々しい口調に、オルールは言葉を受け止めきれなくなる。
「二人は私が勝手にやったって言えばいい」
オルールが乱暴に振り、叫ぶように宣言すると――
「それは無しなのです」
どこにも行かせないと言わんばかりに、オルールの握りしめた手をリーゼが握った。
ポティロン、オルール、リーゼの3人が無言で見つめ合う。
時間が経つにつれ、それに比例するように空気には緊張感が満たされていく。
身を裂かれそうなピリピリとした空間で。
「面倒事はルーナに丸投げすればいいんだぜ」
ふっと息を抜き、ポティロンが肩をすくめると。
「ポティロン君は相変わらずなのです」
それにつられてリーゼがぽわっと表情を緩める。
「オルール」
「勝手はしない」
今度は悪戯に笑うポティロンからオルールがサッと目を逸らした。
ご主人の横に常にいるのだ。
これくらいの面倒など押し付けても良いだろう。
「では、ご主人様へと報告に行くのですよ~」
リーゼを先頭にポティロン、オルールはノアの元へと戻ることにした。
「ポティロン、ありがとう」
そして。
空気に溶け込むような小さな呟きを。
「なんか言ったかなんだぜ?」
「…………なんでもない」
ポティロンは聞こえなかった振りをした。