第一章(4)
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「ユニ様、何があっても神殿では、泣いてはだめですよ。たとえシルメトの巫女であっても、穢れとされてしまいます」
「うん……。でも……、でも……」
「よしよし……」
ユニはアミネに向けられたエリキ姫の言葉を耳にして、余計に大声を上げて泣いた。しゃっくりがそれから全く止まらないユニを抱いたまま、アミネは夕日に照らされた神殿の長階段を一段一段、ゆっくりと降りる。
もうこの長階段を上ることも、神殿の高みからムラを一望することも、無いだろう。
まぶしい夕日は、まもなく西の山へと沈むところだった。山のふもとには広大な森が広がって、ムラまで続いていた。その恐ろしい森から、柵を張り巡らせた土塁がムラを守っている。
土塁の内側には、小さな田畑に囲まれ、大小の家々が建ち並んでいた。夕餉の支度をするたき火の煙が、幾筋も細くなびいて、夕日に輝いている。
田畑には、新しい苗が規則正しく整然と植えられていた。大巫女様の神託によれば、今年は例年にないほどの豊作になるとのことだった。まだ小さなムラだが、豊かな実りがもたらされると、噂を聞いてさらに多くのイアの民が移り住んでくることだろう。
アミネは、この地に住まう神々や精霊たちを神封じた頃を思い出していた。まだシルメトの巫女位を授けられたばかりだった。あたりの森は、神々や精霊の棲まう危険な場所だった。森を平らげてから、わずかばかりの民と移り住み、たった一つの仮小屋のような神殿。そんなムラは、わずか三年でここまで大きくなった。
アミネは今そびえ立つ神殿を見上げた。仮の宮とはされているものの、太い柱を束ねた立派なもので、ムラの発展を象徴していた。
クタガのムラは、田畑も神殿も貧相だろう。もしかするとエナイシケや森の精霊や神々、そして獣たちから身を守るための最低限の土塁さえ、十分には整えられていないかもしれない。
心に浮かぶ不安を、アミネは無理やりおし隠し、ユニを抱いたまま巫女の寮となっている小屋に戻った。
干し草の寝床があるだけの、粗末な部屋が許された居場所だった。留守の間に、かまどにはクモの巣がかかっている。このままでは明かりはもちろん、煮炊きにもつかえない。
べそをかいているユニに、すぐ戻るからと告げ、神妙な顔でうなずくユニを寝床におろすと、アミネは向かいの家を訪ねた。巫女寮を取り仕切る夫婦の家だった。かまどの火を分けてもらい、明日にはクタガのムラへ旅立つこと、今まで色々と世話になったことの感謝を伝える。
夫婦は餞別にと、団子を持ってきてくれた。軽くて日持ちがするし、ほのかな甘みの口当たりはアミネの好物だった。腹持ちもよく、旅の口糧にも最適だ。アミネは二人に改めて、心を込めた感謝の祝詞を奉げた。
小屋に戻ってみると、ユニは藁に包まって寝てしまっていた。
かまどの灰に火種を置いて枯れ枝で覆う。煙が上がったところで少し強く吹くと、小さな炎が揺れて現れた。素焼の壷に水を張り火にかけ、わずかに残っていたスアの実を溶いて粥にした。塩と香り草で味付けをする。出来上がった頃にはユニも目を覚ますのでは、と思っていたが、ユニは泣き疲れたのか、こんこんと眠りつづけていた。
「さぁ、ユニ様。スアの粥ができあがりましたよ。一緒に食べましょう」
声をかけ、軽く揺すってみても、起きる気配はなかった。
アミネは、きれいに切り揃えられたユニの前髪を撫でた。かまどの火にぼんやりと照らされた寝顔を見ていると、急にやり切れなくなる。
いつも「アミネ様、アミネ様」と、行く先へはどこへでも付いて回ったユニ。アミネがしばらく森に征伐へ向かうとなると、それこそ、今生の別れとばかりに大騒ぎだった。
実際、神や精霊を封じそこねて、帰ってこなかったシルメトの巫女は多い。
そんな現実を幼いころから目の当たりにしてきたから、ユニは別れの気配には敏感だった。もともと、ユニはことのほか、勘が強い子だ。すでに神殿の時点で、なにかに気づいていたのだろう。
目を覚ましてアミネがいなくなったことを知れば、ユニはきっと泣き続ける。
もしかすると、裏切られたと思うかもしれない。
そう思うと、胸が痛んだ。
アミネは、静かに寝息を立てるユニを見つめた。