プロローグ(2)
一行は暗い森を進んだ。
森の気配は、兵の武具と大鉈、そしてアミネが身につけた鉄の巫女衣と神具に反応し始めた。大きな流れに、今まで隠れようとしていた森の意志が混ざり始める。
――クロガネ、キタゾ。
――ワザワイ、キタゾ。
――アラソイ、キタゾ。
アミネは立ち止まった。兵士たちも盾をかかげ、守りの体制を作る。
『聞け、森の神、精霊、暗きものども。我らはイアの末。この地は、イアの大王が統べ、光り満ち満ちるイアの国となった。イアの大王の威光は、高き天の頂きより高く、深き地の国の深きところより深く、あまねく行き渡るものなれば、ありとあらゆる神々と精霊はイアの統べるところにより、この現世に現るるは、あらゆる人は及ばず神々精霊といえども、いと高き深きイアの末の大王が威光を前に、畏みひれ伏すべし……』
強い風が木々の枝を揺らした。葉が舞い、古い木の実がこぼれた。
兵士たちの鉢のような兜や盾に、飛礫のように当たっては鈍い音を鳴らす。その勢いは徐々に増してきた。
ひときわ大きなこぶしほどの木の実がアミネに向かってくる。前に控えていた若い兵士が飛び出し、盾を掲げた。だが、あまりに急なことで間に合わず、木の実は守りをすり抜けた。
アミネに当たるかと見えた直前、木の実は粉々に砕け散った。シルメトの巫女衣に織り込まれた鉄が作り上げた、結界が発動したのだった。
森はイアの民を受け入れない。あらゆる災厄が、森に入ったイアの民を襲ってきた。疫病、飢饉、そして精霊と神々の襲撃。
アミネたちは民よりも先に、鉄を纏い、森に分け入る。イアの大王の威光に刃向かう、森の息の根を止めるために。イアの民を傷つける森の精霊と神々を、封じるために。
大王は東の地に馬を駆り、鉄の道具も神聖文字ももたない森の人、エナイシケを打ち滅ぼしながら進んでいる。
アミネたちシルメトの巫女は森の神々を封じて、イアの民にとって安全なところへと変えていくのが役目だった。
大王は、あらゆる森の神々と精霊を封じ従えるまで、アミネのようなシルメトの巫女を、兵士とともに派遣し続けるだろう。シルメトの巫女一行が作った道に沿って、イアの民が森に分け入り、ムラを作る。
ムラをつなぐ森の道は、人々の往来で広がる。森は田畑と牧場、整然と植えられた材木の林に変わり、豊かな恵みをもたらす。イアの民は増え、豊かになり、イアの大王の威光がすべての土地をあまねく覆うのだ。
繁栄。そのために、神封じは避けて通れない。
この森は、抵抗を示した。シルメトの習いにより、打ち滅ぼさなければならない。
アミネは意識を集中した。
この近くに、必ず大きな力の源があるはずだった。森を流れる見えない光の渦の上流に。
「あちらへ」
先に行く兵士に指示を出す。森の攻撃が手薄になった隙に、アミネたちの一団は、流れの上流へ向かった。前に進むたび、光の流れの強さが増してきた。さすがに巫女の力をもたない兵士たちにも、見えず、聞こえないはずの何かが、感じられるほどの強さになってきたのだろう。みな、顔付きが険しくなっている。荷馬も暴れ、隊列が乱れた。
神に挑む。これから、人の分際で、神や精霊に挑むのだ。
――狂っている。
あまりにも多くの神々を封じ過ぎたのかもしれない。接することが増えれば増えるほど、アミネには神や精霊を封じることが、本能的に危うく感じられてきた。
彼らの持つ、単純で、強い、何かの力。抗えないその力に触れるたび、自らの、人という存在の、弱さとはかなさを感じずにはいられなかった。
森を流れる神々と精霊の息吹は、心地よさとなつかしさを呼び起こす。そんな彼らを滅ぼすたびに、心のどこかに喪失感が、澱のようにたまっていくのが感じられた。
その一方で、この地にイアの民が繁栄するためには、彼らを野放しにはできないことも、嫌というほど分かっていた。混沌に満ち、秩序を破壊し、イアの民に害をなす、危険な存在。憎むべき、滅ぼすべき対象。
それに……わたしは巫女なのだ。選ばれた、シルメトの巫女。神を滅ぼすことこそ、我が使命。
シルメトの教義を繰り返し、無理やりにでも信じ込もうとしている自分の姿が、滑稽に感じるほど愚かしくも思えてしまう。
いつから、こんなになったのだろうか……。
初めて真名を探り出し、森神を封じてからだった。
(イアの娘よ。おまえは本当に、そこまでして、おまえたちが言う繁栄とやらを手に入れたいのか。人の分際で神を殺し、精霊を封じてまで……)
真名を得るための、一瞬だが、あまりにも深い森神とのつながり。それは、封じる間際に、森神からの最期の問いかけとなって投げかけられた。
――わたしは……。
慌てて頭を振る。
うかつだった。これから戦いが始まるのに、戦意をおとす問いを自らかけるとは。
深く息を整え、すべての考えと感情を押し殺す。
アミネは森の悪意を思い出し、神への怒りを高めた。