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第一章(6)


  ***


 夜明け前に旅立つには、済ませねばならないことはたくさんある。ユニが寝続けているのは、アミネにとって、ある意味幸運だった。

 普通なら、大巫女様からの命が下ると旅に必要な資材の一式が整えられ、それから護衛に付き添われて巫女の移動となる。今回のようなシルメトからハイワエへの降格と、辺境への巫女のみの単独派遣が行われるのは、前例のないことだった。

 そのため、必要なものはすべて自分で手配しなければならない。

 旅の備品を用意するために神殿裏の倉を訪れると、遅い時間にも関わらず、倉番の老人が入口に火をともして座っていた。

 アミネの姿を認めると、曲がった腰を精一杯伸ばして立ち上がる。

「アミネ様、お待ちしておりましたぞ」

「お爺さん、申し訳ありません。大急ぎで済ませますので……」

 アミネが倉に飛び込もうとすると、

「いやいや、その必要はありませんですぞ」

 そう言って倉番は得意気に、歯の欠けた口を大きくあけて、しわだらけの顔に笑みを浮かべる。

「実はですの。話を聞いて、わしの方で揃えておきましたでな。どうぞご確認くだされ」

 たき火のかたわらには、きれいに中身の整えられた背負子と麻の旅衣が一揃え、並べてあった。長旅に必要なものがすべて収められている。

「口糧には軽いものを、少し多めにしておきましたぞ。かならず道中、しっかり食べて下され。アミネ様は食が細くて、お身体も痩せておいでだから、わしは心配でならんのですわ」

「ありがとうございます」

「わしにできることなど、この程度ですからな。アミネ様、な、……なごり惜しゅうございます」

 小刻みに震える老人の顔には、たき火に照らされた皺が少しずつ濃くなっていく。

「おじいさん……」

 慌てたように老人は顔をそむけ、鼻をすすった。

「ははは……ちょっとした、夜の寒さでも、鼻水がとまらんで、このざまですわ。歳はとりたくないもんですのぅ。……そうそう、忘れるところじゃったわい」

 そう言うと老人は、腰に下げた袋をさぐり始めた。

「別れに一つ、年寄りのわがままを聞いてくれんでしょうかの。……お、あったあった」

 皮の厚い節くれた手が、包み込むようにして、アミネに何かを握らせた。

「どうぞ、受け取ってくだされ」

 ひんやりと冷たく、なめらかなもの。触れた瞬間に、身体を貫くような衝撃が走る。

「森の石でできた、珠ですわ。わしの娘が遺した、たった一つのものでしてな。わしが死ぬまで秘密にして、そのままあの世まで持って行くつもりでしたがの。アミネ様がクタガに行ってしまうと聞いて、いてもたってもいられなくなりましてな。この老いぼれ、あわてて隠し場所から、とり出してきたのですわ」

 そっと手を開くと、焚火に照らされたのは、濃い緑をした宝珠だった。なめらかな曲線を描いて落ちこんでいく中心には、飾り穴が開いて、そこに真新しい革の紐が通されている。

「もう、ずっとずっと昔のことですがの。なにがあったのか、いまだによう分からんのですが……。先代の大王様に従い、森へ討伐に出ているはずの娘が、あるとき、ひょっこりと家に戻ってきたのですわ。巫女が討伐の最中に家へ戻るなど、イアの恩光の前に、許されるはずがありませぬからの。わしも心を鬼にして、追い返したんじゃが、娘はお願いだからと言うて、泣きながらこの石をのこしていきおったのです」

 ふれている指先に、森の神とひとつに繋がったときの感覚が、かすかに戻ってきた。

「……もしや、穢らわしいものでは、とも思うて、本当はこのムラにくる前に、捨ててしまおうかとも思ったんじゃがの。この老いぼれ、イアの恩光には疎いですがのぅ、娘が大切にしておったようだから、何かあるように思うて、持ってきたのですわ」

 触れている指先から伝わる感覚に、懐かしい切なさと、身を引き裂くようなやりきれない悲しさが、同時にわき起こる。思わずアミネは宝珠をきつく握りしめていた。

「これはきっと、アミネ様を守って下さるに違いない。いつかどこかで、お役に立つに違いない。……そんな気がして、ならんのです。だからどうぞ、捨てずに持って下され。後生ですからの」

 アミネがうなずくと、老人は革のひもを後ろから結んで、首から宝珠を下げてくれた。娘もこんな格好で持ってきたのですわ、と言いながら。

「さあ、アミネ様。早う行きなされ。ほかの用事も、ござりましょう。それに……、ああ眠い。年寄りは朝が早いで、もう眠くて仕方ないですわ。早う家に帰りたくてたまらんのです。もうあくびが止まらんのですわ。鼻水もとまらんですし、あくびで目もぐちゃぐちゃでは、みっともないですからのぅ。早う行ってくだされ」

「おじいさん。……いままで、ありがとう」

「アミネ様……。もういいから……。もう、行きなされ。……早う行ってくだされっ」

 アミネは後ろ髪を引かれる思いで、倉をあとにした。

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