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07

 

 雪村ゆきむらとおるは困惑していた。

 それは元々抵抗のあった、校内での道具使用に対してではない。

 あかりが紫の仮面の正体を突き止めたせいでもない。

 勿論それが同じ学校の生徒だったからでもない。

 あの露天商がどんな意図で道具を配っているのかは知らない。

 傾向けいこうとしては十代がほとんどだが、それも保証の限りではない。

 大人は大人で慎重に使用しているだけかもしれないからだ。

 そこを差し引いてもこの学校にはホルダーが多い。

 まだ一人隠れていたと言われても、今更何の驚きもない。

 だが、何かおかしい。

 唐突な展開に理解が追いつかない訳ではない。

 朱に話を切り出してから、ずっと続く違和感。

(何だ――?)

 その正体が、あと一歩の所で掴めずにいた。



 今日のランチは三人で。

 それ自体は朝の内から言われていた。

 しかし直接ではなくなぜかアプリ経由で。

 思い返せば昨日の帰り辺りから、朱の態度がどこか余所余所しい。

 心当たりはない。

 無意識に自分が何かしたのだろうか。

 七海ななみが何か言ったか、というような他人を疑う思考は元よりこの少年にはない。

 誘われるのだから嫌われているとは考えにくい。

 雪村は前向きに様子を見る事にした。

 ちなみに朱が連れてきたもう一人は吉成きなり七海。

 揃って食堂を目指す。

「悪いね。今日は一緒するよ」

「いや、悪くはないよ」

 とはいえ、雪村は七海が少し苦手だった。

 正確には押しの強い相手が苦手なのだが。

 勿論嫌いな訳ではない。

「悪くはないって事は良くもないって事?」

 言いながら七海が肘で突いてくる。

「いや、そんなつもりで言ったんじゃ」

 ないよ、と小声で呟く。

「七海、あんまり雪村君をいじめないで」

「いじめてないよ」

 雪村の首に腕を回しながら。

「仲が良いから今日はお昼おごってくれるんだもんね?」

 完全にいじめっこのやり口だった。

「え、いや、吉成を誘ったのは佐倉じゃ」

「誘った奴が奢れって? じゃあ雪村も朱に奢ってもらうつもりで来たの?」

「えっ?」

 唐突に向けられたその矛先に、雪村以上に狼狽うろたえる朱。

「え、ここ私持ちなの?」

 朱はかなでに誘われた時の事を思い出した。

 高校生ともなるとそういうものなのか。

 朱には経験がなさすぎて判断出来ずあせるばかり。

「ほら見なよゆっきー。こんなおろおろしてる子に払わせる気?」

「くっ」

(自分の分は自分で払えよ……!)

 その一言が出ないのが雪村という少年だった。

 七海の分を出すとなれば、朱の分だけ出さないという訳にもいかない。

 結局食券の購入は全て雪村が持つ事に。

「いいの、雪村君?」

 難を逃れた安堵とかばわれた負い目。

 二つに挟まれ悩める朱。

「いいのいいの」

 まるで自分が気前よく奢るような顔の七海。

「い、いいんだ」

 引きつった笑みの雪村。

 三者三様の面持ちで食堂に到着。

 朱は席の確保。

 七海は雪村に付き添って券売機へ。

 並んでいると、七海が雪村の胸ポケットに丸めた紙幣を入れた。

「え?」

 千円札だった。

「チップだよ」

「え、え?」

 雪村は状況が上手く飲み込めなかった。

「マジで奢らせるわけないじゃん」

 肩をすくめながら。

「まさかあたしがただ昼食をたかりに来ただけの女に見えた?」

「いや……」

 正直見えていた。

「いじった後のフォローも忘れないのが七海ちゃんなんだなー」

「少し多いんだけど」

 七海と朱の分を引いてもお釣りがくる。

「だからチップだって。じゃなきゃ面倒な絡み方した迷惑料だと思っといて」

「いや、余った分は返すよ」

「いやいいよ」

「よくないって」

「クソが」

「!?」

 テーブルに行くまで揉め続けたが、結局どちらも最後まで譲らなかった。

「なんか喧嘩してなかった?」

 離れている朱からも様子は見えていた。

「雪村がメシ奢るんだからおっぱい揉ませろって迫ってきたから断ってた」

「えっ?」

「そうなんだ」

「い、言ってないよ。佐倉も何で納得するんだよ」

「いや、嘘なのは分かってたから聞き流しただけだよ」

「冗談だってゆっきー。泣くなよ。ほら座れって」

「くっ……」

 散々翻弄ほんろうされて本当に泣きたい気持ちのまま着席。

「で、何で今日は吉成もいるの?」

 しばらく会話もなく、黙々と食べてから。

「おっ、仕返しに吉成いじりか?」

「た、単純な疑問だよ」

 そういう部分も、ないではなかったが

「私が呼んだんだよ」

「あ、そうなの。吉成が来たがったのかと」

「ちょっと、三人で話がしたかったんだ」

 微妙な空気の中食事も半分程済んだ所で、朱が箸を止めた。

「あと、出来れば二人が暴れられない場所が良いと思って、ここにした」

「え、もしかして俺達、仲悪いと思われてる?」

 それも取っ組み合いの喧嘩にまでなると思われていたのか。

 どちらもそんな凶暴性は持ち合わせていない。

 少なからず心外だという顔の雪村。

 この時は気づかなかったが、朱の横で七海がそっと表情を消した。

「七海も、ここまで来て逃げたりしないだろうし」

「朱、やめて」

「やめない」

「……?」

 雪村も、ここでようやく気付いた

 朱が何か意図を持って七海を呼んだのだと。

「基本的にお互い干渉しない約束だけど、ちょっとそうも言ってられなくなったから」

「だとしても、ここじゃなくてもいいでしょ」

「駄目。ここ。座って」

 腰を浮かせた七海に、朱は淡々たんたんと告げる。

「…………」

 凝然ぎょうぜんと自分を見下ろす七海に目もくれず、朱は食事を再開した。

 何か言いたげなまま、それでも黙って腰を下ろす七海。

「あの、何の話?」

 不穏なものを感じて、仲裁ちゅうさいがてら口をはさむ。

 あまりにも置き去りにされていたせいもあるが。

「ずっと、七海に聞きたい事があったんだ」

「……何?」

 溜息交じりの顔には、諦念ていねんの色が濃い。

 七海のそうした顔を、雪村は初めて見た。

 何を聞かれるか予見している。

 都合の悪い、それでいて沈黙の許されない問い。

 雪村だけが取り残されたまま進む会話。

「紫の仮面って、七海?」

 そこに、一瞬で引きずり込まれた。



 ここまではいい。

 いや、よくはないが。

 朱の投下した爆弾の威力は、実際凄まじいものであった。

 初めは何の冗談かと思った。

 理解が追いつかない状況。

 一つはようやく見つけたという喜び。

 しかし半信半疑。

 もう一つは友人が敵であった事への困惑。

 朱の思い違いであってくれという願望。

 そしてそれらが事実であると、臆面もなく認める七海。



「――は?」

 雪村は、今しがた朱の投げた問いの意味を計りかねていた。

 冗談か。

 しかし七海を見ても、一向に笑みが戻る様子はない。

「どうして、そう思ったの?」

 周囲の喧騒が、酷く遠くに感じられた。

「この前、白鳥を助ける時に道具を使ったでしょ」

 それで、と朱。

 雪村は七海を見る。

 それこそ食い入るように。

 これが探していた相手なのか。

 真偽を見定めるために。

「あの恰好で、よく気付いたね」

「余計な情報のせいで私も迷ってた。別人かなって。でもベージュの槍って聞いて、やっと確信が持てた」

「助けなきゃよかった、かな」

 冷笑。

 恐らくは自分に向けた。

「あの子はまだ怖がってたけど、私からはお礼を言っとく」

「お礼って言うなら、黙っといて欲しかったよ」

「雪村君にも協力するって言っちゃったし、そんな暗躍あんやくしてるって知ったら黙ってられないよ」

「…………」

 雪村自身、無意識に伸ばされた手。

 それが七海の首の前で止まり、空を掴む。

「お前、なのか。本当に」

 もはや否定を求める顔ではない。

 うなずけば、それを合図に飛び掛かる。

 そんな決意をたぎらせながら。

「雪村君、ここでは」

 食堂でなら安全だろうという見込みは、少し甘かったかもしれない。

 朱もそれが分かったから、制止の声を掛けた。

「……悪い」

 七海からけして視線を外さないまま、伸ばした腕を引く。

「ちょっと、頭冷やしてくる」

 まだ少し食事を残したまま、トレーを持って立ち上がる。

「また後で、話いいか?」

 確認。

 けれど拒否は許さぬ顔。

「今更逃げたりしないって」

 七海は肩をすくめて苦笑で応じる。

「ありがとな」

 逃げるなよ。

 そう念を押すようでもあった。



「何あれ。怖すぎ。無理」

 この様な言葉を残して、七海も雪村の後を追うように消えた。

 どちらにとっても時間を置く事が必要だった。

 そして恐らく、朱にも。

 教室に戻る途中、手洗い場で頭に水を被る奇行にふける生徒がいた。

(なにこれ……)

 急に水浴びしたくなる程暑い日でもない。

 同じ学年にとんだ変人がいたものだ、と呆れながら通過。

「あ、佐倉」

「え?」

 呼び止められてやっと気付く。

 変人は雪村だった。

 水の滴る髪を絞ってから、ベルトに掛けていたタオルで拭き始める。

「……何してるの?」

「ちょっと、頭冷やしてた」

「へぇ」

 確かに頭を冷やすとは言っていたが。

(本当に冷やすのか)

 朱はちょっと引いていた。

「吉成は?」

「どっか行った。雪村君が怖いって」

「え、マジ?」

 タオルの隙間から見える顔に、にじむように浮かぶ動揺。

 雪村の最大の懸念けねんは七海の逃亡だ。

「本人も言ってた通り逃げたりはしない筈だから、もう少し待ってあげて」

「いや、それはいいんだけど」

 混乱しているのは雪村も同じだ。

 考えをまとめる時間も欲しい筈。

 待てと言われる事に異存はない。

「ほんとに逃げたりしない?」

 頷いた途端に不安になっていた。

 やはり落ち着けていない。

「大丈夫だよ。七海は約束を破ったりしないから」

「俺との約束に対しても?」

「もちろん」

 真顔で請け合う。

「…………」

 なおも不安を隠せずに、けれど口には出すまいとする雪村。

 信じようとはしてくれている。

 追い付いていないのは気持ちの方だ。

 どうしたものかとあぐねる朱。

「じゃあもし七海が逃げたら、私が責任を持って雪村君の前に連れてくるよ」

 雪村の頭に、簀巻すまきにされて転がる七海の姿が浮かんだ。

 それなら安心かと思う一方で、少しやり過ぎな気もした。

 何も簀巻きにまではされまいが。

「あ、七海」

 先に気付いたのは朱。

 雪村も声に釣られて振り返る。

 丁度教室から出てきた七海が見えた。

 離れているせいか二人には気付いていない。

 そのまま教室の前にある階段へと消えようとしている。

 ここまではいい。

 上か下か。どちらかに用があるのだろう。

 問題は、その肩に掛けている鞄にあった。

 下校時間にはまだ早い。

 擁護ようごしようのない逃亡者の姿が、そこにあった。

「まぁ……吉成はともかく佐倉の事は信じてるから」

「うん」

 二人が同時に歩き出す。

 声は掛けない。

 追跡を悟らせずに確保するためだ。

 七海の姿が角の向こうに完全に消えるのを見計らって走り出す。

 数秒遅れで角を曲がる。

 いない。

 気付かれていたか。

 上か下か。

 確率で言えば降りる方が高い。

「雪村君は下を探して」

 いない場合の事も考え、自らゆずる。

 逃げるのに手を貸したのだと思われたくはないからだ。

「OK」

 とはいえ、探す階層だけで言えば朱の方が圧倒的に少ない。

 上は一階のみ。

 下は三階分ある。

 確認だけはあっという間に終わる。

 いない。

 念のために女子トイレも覗いてみるがこちらもおらず。

 反対側に位置する階段を降りていると、下から上がってきた雪村と出くわした。

「いた?」

「いや」

 両者の間に、思案の沈黙が横たわる。

 おかしい。

 いや、おかしいというなら最初からおかしかった。

 まず角に隠れてから消えるまでが速すぎる。

 急いだにしても目立った足音は無し。

「念のために下駄箱も見ておく?」

 大した期待もなく。

「うん」

 案の定、七海の靴はまだ残っていた。

 上履きで下校したのでない限り、まだ校内にいる筈である。

「あいつ……どこに行った?」

 途方に暮れたつぶやき。

 昼休みの終了を告げる予鈴が聞こえてきた。



 朱と別れた後、七海はトイレの個室にこもっていた。

 隠れていると言っても良い。

 雪村が頭を冷やしたいと言ったように、彼女もまた考える時間が欲しかった。

 この後で雪村は物理的に頭部の冷却を試みる訳だが、そんな事は知る由もない。

(これからどうしよう……)

 自分の暗躍は、遅かれ早かれ露見ろけんするとわかっていた。

 ただ、このタイミングで来るとは思っていなかった。

 更に言うなら、追及されるにしても朱と二人きり。

 加えて言えば、手持ちの道具フル装備でのぞみたかった。

 普段はつとめて見せないように振る舞っているが、これでかなりの小心者だ。

(これからどうしよう……)

 同じ言葉が繰り返される。

 開き直って素直に話すか。

 朱は納得してくれるだろう。

 だが雪村は?

 雪村が納得してくれたとして、彼に連なる人間は?

 これからの事を考えると、わずらわしさばかりが目立った。

 理解も求めず動くより、一人でも多く味方に付けるべき。

 それは七海もわかっている。

 朱や雪村も話の通じない相手ではない。

 こうなってしまった以上は避けられない。

 避けられないならやるしかない。

「はぁー」

 想定していた状況と少し違ったせいで狼狽うろたえただけだ。

 大きく息を吐いて立ち上がり、トイレを出た。

 クラスに戻ると、七海はよどみない動作で鞄に荷物をまとめ始める。

「あれ、七海ー。どしたん?」

 すぐに友人から声が掛かったが、今は時間が惜しい。

「んー。ちょっと急用出来たから帰る」

 焦りを隠しながら端的に告げる。

「やば。また明日ね」

 短いやり取りで何か察したか、余計な追求はない。

 あるいは、単純にダルいからサボると思われたか。

 どちらにしても拘束されないのは助かる。

「ばい」

 手を振って教室を出る。

(明日。明日ちゃんと話すから)

 逃げるべきではない。

 分かっていても、気持ちが追いつかない。

 今はひたすら逃亡を後押しする口実を探している。

 しかし結果として、この選択は間違いであった。

 階段を降りようとした所で、腕を掴まれた。

「――え?」

 ありえない事が起きた。

 自分の腕を掴む、何者かの手。

 それが、壁から生えていた。

「ちょっ――」

 理解しようとするより先に、壁の亀裂に引きずり込まれた。

 つんのめりながらも体勢を立て直して周囲を見回す。

 誰もいない。

 頭上に空。

(どこ?)

 校内ではない。

 一か所に並べられた空調の室外機。

 給水塔。

(屋上?)

 恐らくは。

 ホルダーの仕業と分かって、ようやく冷静さを取り戻す。

「……何か用ですか」

 姿の見えない相手に告げる。

「――桧和田ひわだ先輩?」

 数秒の沈黙。

「よくわかったねぇ」

 声は背後から。

 振り返ると、思った通りの相手。

 桧和田奏。

 そしてその横にもう一人の男子生徒。

(山吹一鉄いってつ……)

 校内においての話だけでなく、あまり会いたくはない二人だ。

 こんな形であれば尚更。

「この学校で空間を移動出来るホルダーは、一人だけなんで」

 どちらか一方でも辛い相手だ。

 それがよりによって二人揃っている。

 逃がす気はない。

 暗黙のうちにそう告げていた。

「私達の事も知ってるんだ」

「……それなりに」

「私達は貴女の事あまり知らないんだけど、教えてくれる?」

 優しい上級生の微笑み。

 何も知らなければ、そういう風にも見えただろう。

 隠し事は許さない。

 七海の目にはそう映った。

「別に、先輩が知って楽しい事なんて」

「紫の仮面って、貴女なんだって?」

 七海の言葉をさえぎるように。

(こわ)

「雪村から聞きました?」

 嘘ですよそれ、ととぼける度胸まではなかった。

「ううん。さっきの会話、直接聞いてたから」

「直接?」

 咄嗟とっさに食堂での事を思い返す。

 あの時、近くの席にいただろうか?

 食堂の喧騒では、隣接したテーブルでもないと会話は聞こえない。

 十数分程度の記憶を掘り返しても、それらしい姿は出てこない。

 カクテルパーティ効果というものがある。

 これは談笑などの場において雑多なノイズとなる周囲の会話の中に、自身が関心を持つ単語を無自覚に認識する現象を指す。

 ギリギリ声の届く範囲にいたとして、その全容まで把握出来るのか。

 七海にはわからなかった。

 何より、近くにいて雪村や朱が気付かぬ訳がない。

 技能の一つとして読唇どくしん術もあるが、これは流石にありえないように思えた。

 一介の学生が身に付けているというのは荒唐無稽に過ぎる。

「わからないかな?」

「!?」

 不意に、二か所から全く同じ声。

 一つは正面から。

 もう一つは耳元から。

 反射的に飛び退く。

 奏は一歩も動いていない。

「私が空間を移動する時は、最初に切り込みを入れてから開くんだけど」

 互いの距離に対し、声だけがやけに近い。

 奇妙な感覚だった。

「人が通れないサイズの小さい穴でも使い道はあってね。バレないような所に小さな隙間を作ると遠くの会話でも聞こえちゃうの」

 喋る奏の口元に、妙なものが見えた。

 それが彼女の作った隙間から覗く自分の耳だと、遅れて気付く。

 今まで自分がいた場所の側頭部に沿うように、似たような亀裂が二つ。

 角度のせいか、そこから奏の口は見えない。

「こっちばかりじゃなくて、貴女の事も教えてくれない?」

 早く喋れと、柔和な笑みから滲む圧力。

 屋外にいるせいか、昼休みの終わりを告げる予鈴が遠く聞こえた。

「どうかな。こういう無理矢理っていうのはあんまり好きじゃないんで」

「でも貴女、朱ちゃん達から逃げたでしょう?」

(……何で知ってるんだよ)

 舌打ちをこらえる。

 食堂を出てからも監視されていたのかもしれない。

「帰ろうとしなければ黙ってるつもりだったから、私達も残念」

 さして残念そうに見えない面持ちで。

「これには少し、事情がありまして」

(もういいか)

 弁解を匂わせながら、内心で二人に向けて舌を出す。

 歩き出す七海を、奏達の目は追おうとしない。

 変わらず七海の立っていた場所を見据えている。

 そこには現在、水色の小さな案山子かかしが立っている。

 十字の体に球状の頭部が乗る、簡素な作りの身代わり人形。

 相手に幻覚を見せる道具だ。

 奏と一鉄は現在、この案山子が七海に見えている。

 そして本物の七海の事は見えていない。

 先程奏の声に驚いたふりをして設置しておいたのだ。

 滅多に使うものではない。

 基本的に逃走用の道具。

 回収はまた別の道具を使う。

「事情って?」

 首をかしげる奏を尻目に遠ざかる。

 案山子に欠点があるとすれば、衝撃を加えると幻覚が解ける事だ。

 喋る機能はないので、いずれ怪しまれはするだろう。

 攻撃も受けるかもしれない。

 しかしその時には既に去った後。

 間抜けな先輩方の姿を見届けられないのは残念だが、まともに相手をするよりいい。

(ばいばーい)

 ひらひらと手を振り、校舎への入り口に向かう。

 カラン。

 背後で、そんな音がした。

 振り返ると、二つに断たれて転がる案山子。

(――早過ぎる)

 そして、同じ様に振り返ってこちらを見る先輩二人。

 むしろよくここまで何もせずにいてくれたというべきか。

 もっと急いで逃げるべきだった。

「げ」

 目が合う。

 瞬間、足の力が抜けて崩れるように倒れた。

(違う)

 膝を打ち付けて苦痛に顔を歪ませながら思う。

 力が抜けたのではない。

 足を斬られたのだ。

 膝から下の足が、体から離れて背後に転がっている。

 違う――わかっていても総毛立つ。

 痛みはない。

 これは奏の攻撃だ。

 感覚はある。

 視覚的に切断されている様に見えるが、物理的には繋がっているらしい。

 どういう原理なのかはまるでわからない。

 自分達の持つ道具はどれもそうだが。

(今更驚く事じゃない)

 必死にそう言い聞かせる。

「事情って?」

 先程と全く変わらぬ問い。

 悠然と自分を見下ろす奏。

 その手には、いつの間にか茶色のはさみが握られていた。

「複数の道具を使うとは聞いてたけど、本当だったんだ」

 次に妙な動きをすればどこを斬られるか。

「あといくつ隠してるの?」

「…………」

 奏の背後で、一鉄が黄色い皮の手袋をめていた。

(これは、詰みかな)

 うつむきながら考える。

 ここを乗り切る方策は、ものの見事に潰された。

 他の道具では逃げられない。

 かといって二人を相手に勝てる気もしない。

 逆立ちしてもくつがえせない。

 降参だ。

「――それ、どうするつもり?」

 新たな問いは、両手を上げようとした時だった。

「?」

 心当たりがない。

 何の事かと見上げると、互いの間に二本の赤い槍。

 それ程長くはない。

 淡い光を放ちながら浮いている。

 その切っ先は、どちらも奏達に向いている。

 七海の道具ではない。

 ただ、誰の物かは知っていた。

「奏!」

 それまで沈黙を貫いていた一鉄が叫ぶ。

 殆ど一瞬の出来事だった。

 静止していた槍の一本が、奏に迫る。

 彼女を守る為、前に出た一鉄がそれを拳で迎撃。

 衝突。

 直後、視界を閃光が覆った。



 瞬間的に屋上を覆った炎は、どこに燃え移るでもなく数秒で消えた。

 残されたのは奏と一鉄のみ。

 二人に火傷の痕はない。

 発火とそれに伴う火炎の操作は、一鉄の能力である。

 ただ、無傷という訳ではなかった。

 両者共に、負傷は右手。

「山吹君、平気?」

 槍を殴った方の手から滴る血を見ながら。

「骨が折れた」

 己の拳を見もせずに、他人事の様に告げる。

「こっちも」

 顔をしかめながら持ち上げた右手。

 親指と人差し指の先が、あらぬ方向に折れ曲がっている。

「やられたね」

 言いながら落ちた鋏を拾う。

「まさかあれ程とはな」

「色も少し持ってかれちゃった」

 苦笑気味に肩を竦める。

「最後の赤槍は別人のものだな」

「その辺の事は次会った時に聞こう。同じ学校の生徒なんだし、機会はいくらでもあるよ。授業が始まる前に千草に看て貰わなきゃ。手も痛いし」

 返事はせず、黙って頷く一鉄。

 二人が去ってからおよそ一分。

「…………」

 戻って来ない事を確認してから、雪村は透過の能力を解いた。

 右手で朱の手を握り、左手は七海の肩に乗せている。

 それまで息を潜めていた反動か、一際大きな吐息を漏らす。

「もう、いいよな」

 二人から手を離して、地べたに腰を下ろす。

「七海、平気?」

「うん。助かった。けどいいの、あの状態の靴を見せちゃって」

「いいよ。あれじゃなきゃ助けられなかったし」

「待った」

 耐えられず、二人の会話に割って入る。

 食堂での会話から続く違和感。

 漠然と漂うだけのその念が、確かな像を結び始めた。

 それは、朱が服の中から短槍たんそうを取り出した時からだ。

 明らかに靴ではない一対の武器。

 どこにいったのか、今は見当たらない。

「佐倉、あれは何だ?」

 ものの数秒で七海を発見し、戻ってきた短槍を片方渡された。

 絶対に離すなと言われた直後、屋上まで飛翔。

 事前に言われて透過は済ませていたので、誰にも気付かれずに着地。

 百歩譲ってそこまではいい。

 靴を無理矢理にじって槍状にしたというのはわかる。

 道具の形状変化は基礎的な技術だ。

 ただ、一鉄に打ち勝った点は納得できない。

 彼の強さは雪村もよく知るところだ。

 道具を持って一月程度のホルダーが勝てる相手ではない。

「――いや、お前、何だ?」


早く温かくなってほしいです

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