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都市伝説というものがある。
それは人々に語られる他愛もない噂話であり、時に怪談めいた側面を持っていたり、中には一部の事実や伝承を由来とするものもあるが、基本的にどれも来歴は曖昧で、言ってしまえば真しやかに語られるフィクションである。
誰しもが前提として弁える。
真に受ける者こそ稀で、それを嘲る者もいる。
そういった類の話であった。
ほんの数年前までは。
発端はSNSに投稿された動画だった。
夜間に走る電車内で撮影されたものだ。
再生直後から既に背を向けた乗客が窓に集まり騒いでいる。
車内の明かりに照らされた隣接する線路。
そこを、何者かが走っていた。
動物ではない。
日が沈んでいるせいで容姿こそ鮮明ではないが、人である事に違いはない。
それが、凄まじい速度で手足を動かしていた。
駅の停車に際した減速が始まると、それは次第に前へ前へと進み、やがて消えていった。
動画はここで停止している。
時間にして一分程である。
当然加工や根本からの創作であると疑う声もあった。
しかし同様の映像はそれ以外にも数多く投稿されていた。
ユーザー間に繋がりも、同乗していた友人知人を除いて一切なし。
巧妙なデマとするには決め手に欠けた。
疑問の声は次第に薄れ、やがて真実であるとされた。
問題はここからである。
映像が本物だとして、あれは人間だったのか?
黒いトレーニングウェアに、目深に被った黒いニット帽。
映像こそ不鮮明だが、外見だけは人間である。
動物ではありえぬ姿態だった。
では仮に人間として、人は電車と並走出来るか?
撮影時の時速はおよそ50キロ程と言われている。
理屈の上では人間も近い速度が出せる。
出せるが、そんなものはごく限られた時間での話だ。
動画の時間は約一分。
気付かれる前から同じ速度なら、更に長い。
人にそれだけの時間最高速を維持する能力は備わっていない。
では仮に、最高速ではなかったら?
今度は更に荒唐無稽になってくる。
例えば彼が中距離、あるいは長距離走のペースで走っていたとしたら?
下手をすれば最高速は100キロを超える。
あくまでも、可能性の話だが。
しかしそんなものはもう、人間ではない。
このせいで本物の怪物説、某国の開発したアンドロイド説まで生まれた。
もはや真偽は二の次である。
多くの謎を抱えながらも、人々は彼を〝ランナー〟と呼んだ。
鉄道会社はランナーに対する警告や警戒の姿勢を見せた。
彼は線路から一般道へ、河岸を変えた。
道路交通法に則るなら、車両を用いない移動は歩道と義務付けられている。
果たしてその法は、ランナーにおいても適切かどうか。
誰に問うでもなく、彼は好んで車道を走った。
車両並の速度で走るのだ。
歩行者からすれば妥当な選択だった。
馬鹿正直に歩道を走られでもしたら堪ったものではない。
撥ねられて人死にさえも出かねない。
他所でやれ、あっちに行けと言われても、これは仕方のない事である。
だが生憎と、生身の人間が車道を走る事は認められていない。
目撃や通報が増えれば警察も黙ってはいない。
ところが相手は神出鬼没。
どこに出たと言われた時にはもういない。
巡回中の車が運よく遭遇した場合も大差ない。
直線での勝負であれば勝ち目もあっただろう。
しかし信号だらけの市街地で、彼に追いつける者はいなかった。
その気になれば歩道にも移る。
桁外れの身体能力で、時にパルクールさながらの移動法も見せた。
闇雲に数で押しても変わらない。
また、躍起になりすぎても他の業務が立ち行かない。
そうした懸念に反して、事態は沈静に向かった。
通報が減ったのだ。
これは一切の事故を起こさずにいた彼の功績による所も大きい。
問題がないとわかれば批難もされず。
勿論別に、慣れた飽きたと言う向きもある。
ネット上では、募った有志による接触や交渉なども試みられた。
しかし成果は何も無し。
徒に目撃報告や動画が共有されただけだった。
関心も次第に薄れるかに見えた。
そうならなかったのは、二人目の存在だ。
ランナーに次ぐ、新たな超人が現れたのだ。
彼は通行人に紛れて動き、ある時ふいにその雑踏から外れる。
そして、さも当然の様に建物の壁を歩き始めるのだ。
まるでそこには全く別の物理法則でも働いているかの様に。
多くのカメラが悠然と壁面を歩むその姿を捉えた。
地上の騒ぎもどこ吹く風と、彼はそのまま屋上へ消えた。
初めてその光景を収めた映像は数十秒ほど。
これもランナー同様瞬く間に広がった。
恰好も彼とよく似ていた。
トレーニングウェアにニット帽。
唯一違ったのはその色だ。
ランナーの黒に対して、彼は全身を白に統一していた。
対照的なその姿から、人々は〝ウォーカー〟と呼んだ。
彼も多くの注目を集め、また語られた。
一時期ランナーと同一人物ではないかという者もいた。
しかし彼らはそれぞれ、体格に若干の差異があった。
比べてみると、ウォーカーの方が一回り程小さい。
同時刻に別々の場所で目撃される事もあり、その説自体はあっさり消えた。
超人的な脚力のランナー。
理の外を歩くウォーカー。
彼らは生きた都市伝説として持て囃された。
二人を真似て黒や白のトレーニングウェアとニット帽を着用する者が増えた。
この辺りから、混乱は加速していく。
二人目が出たのだからいずれ三人目も出てくる。
誰かがそう言った。
その通りになった。
浮遊や飛翔をしてみせる者。
地中に潜り、あるいは壁をすり抜ける者。
直前までそこにいながら煙のように霧散して消える者。
これらに混じって、いわゆる偽物も多く現れた。
自らがそうであると名乗る動画投稿者もいた。
しかしそれらはあっさりと種を見抜かれ、行き過ぎた演出のせいで逮捕者も出た。
彼らは声を上げたりしない。
現われ、消えるだけ。
いつしかそんな指標が出来た。
実際本物とされる者達は、その一切が謎のままである。
ウォーカー以降の数人も、それが義務でもあるかの様に顔を隠した。
その出現も傾向らしきものはなく、地域を問わずどこでも湧いた。
彼らは一体、どこから来るのか?
答えは未だに出ていない。
いわゆる序章的なやつです
よろしくおねがいします