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夢のあと  作者: 緋桜
番外編 皇帝は荊冠を戴く
98/114

Ⅵ.カーティス=ディルク


 前回更新分から半年ほど経った頃のお話です。

カーティスから見たルーカスとアンジェリカ、ときどきマリアンヌ。

ミゲル兄さまはいつでも無駄に意味深です。



 人が恋に落ちていく姿を初めて見ていた。


 カーティスがそう言うと、目の前に座る美しい男は手にしたグラスを傾けながら、へぇ、と楽しそうに深緑色の目を細めた。

貴方からそんな色っぽい話が聞けるなんて思いませんでしたよ、と。


「お前の妹は何者なんだ」

「何者、と言われましてもねぇ」

「陛下は今までどんな女性にも御心を乱されたことなどなかった。正妃殿下がいらっしゃらなければ本当に、女性に興味が無いのかと思うほどにな。それなのに、何だお前の妹は。どんな手を使った」

「仮にもこの国の皇妃殿下に対して何て物言いですか。愛しの陛下に聞かれたら嫌われてしまいますよ?」

「何が愛しだ。お前こそ不敬罪でしょっぴくぞ」

「皇帝付近侍ともあろう御方が職権濫用ですか?悪いひとだなぁ」


 楽しくて仕方ない、というふうに男――ミゲルは笑う。

酔っているせいか、深緑の瞳には砂糖を煮詰めてとかしたような甘さが滲んでいて、男だというのに妙に婀娜っぽい。

この男の妹も、こんな目をするのだろうか。だとしたら、恋愛経験などほぼ皆無のルーカスなどイチコロだ。


 カーティスの主君でありこの国の君主であるルーカスは、三ヶ月前に側妃を迎えた。

相手はルーカスより三つ年下の公爵令嬢。社交界の花、淑女の中の(レディー・オブ・)淑女(レディー)と呼ばれる美しい少女に、ルーカスは夢中になった。


 初対面の第一印象は決して良くなかった、むしろ彼女の言動に困惑していたはずなのに。

婚約後初めての謁見のあと、何なんだあの娘は……と衝撃(ショック)を受けて若干具合も悪くなっていた。


 だが、元はと言えば悪いのはルーカスの方だ。

それまでに散々舅となるランチェスター公爵に詰められて虫の居所が悪かったのか、何を思ったのか「貴女を愛するつもりはない」と爆弾発言をぶちかましていた。

長い付き合いの中、見た目と違って抜けたところのあるルーカスのフォローに奔走してきたが、あそこまで酷い失言は初めてだ。

フォローのしようもなく、シンプルに後ろ頭を張り倒してやろうかと思った。

案の定、マリアンヌ側仕えの伯爵家令嬢は呆気にとられ、マリアンヌ自身は一瞬――本当に一瞬だけ、顔を強張らせた。

その後何やら大胆不敵なことを言っていたが、きっとあれは、傷ついていた。


 当然だ。

これから夫となる相手にあんなことを言われて腹を立てたり傷ついたりしない方がおかしい。

政略結婚が珍しくない貴族社会で仮面夫婦は少なくないが、それでも思っていても口に出さないのがマナーであり暗黙のルールだ。

馬鹿正直に告げるなど、あまりにも悪手すぎる。

あんな始まり方で、上手くいくはずがない。名ばかりの夫婦、下手すれば白い結婚にすらなりかねないと危惧した。


 しかし頭を抱えたカーティスの予想に反し、結婚から三ヶ月、ふたりの仲はすこぶる良好だ。

いったいどういうことなのか。


「何者と言われましてもねぇ」


 唇に残った雫を赤い舌で舐めとりながら、ミゲルが首を傾げる。


 どうしてこの男とこうして酒を呑むような仲になったのか、カーティスはいまだによくわからない。

 数ヶ月前、とある侯爵家主催の夜会に妻とともに参加した際、ミゲルの方から声をかけてきた。

元々彼の父や長兄との仕事上の付き合いはあったが、彼自身とはほとんど面識も無かった。

公爵家の三男で、側妃の兄、騎士団所属、社交界をにぎわす遊び人。カーティスの認識はその程度だ。

 しかしカーティスの妻は「閃光の騎士」或いは「日輪の貴公子」の登場におおいに舞い上がった。

父であるランチェスター公爵の美貌を受け継いだミゲルは、老若男女問わず骨抜きにしてしまうのだという。

カーティスの妻も例外ではなかったようだ。

公爵令息という身分の高さからおいそれと声をかけることも叶わない高嶺の花が向こうから近付いてきて、浮足立ったのだろう。

すぐにミゲルの虜になり、話の流れで「ぜひ我が家に遊びにいらしてください」などと血迷ったことをのたまった。

 内心余計なことを言うなと思いながら妻を窘めると、舞い上がる妻にたじろぐことなく光栄です、ぜひ、と完璧な笑顔を返された。

その後すぐにお互い別の招待客に声をかけられその場を離れた。

妻は名残惜しそうにしていたが、その後その夜会中に再びミゲルと話すことはなかった。


 だからそのときの会話はどう考えてもお互い社交辞令として流されるはずなのに、以来なぜかミゲルは本当にカーティスの屋敷を訪ねてくるようになった。

先触れ無しで、辻馬車で。

追い返そうにも「馬車は帰してしまったので迎えが来るまで中で待たせてくださいね」と上がり込まれる。

そうなると序列的にもディルク侯爵家としてのプライド的にももてなさないわけにもいかず、招き入れるしかなくなる。無礼な来訪者の思うつぼだ。

そもそも百戦錬磨の遊び人が、うら若き夫人の社交辞令など真に受けるわけない。

わかったうえで、「言質を取った」と大手を振って乗り込んでくるのだ。つまるところ、妻はまんまと踊らされたわけだ。


 彼の目的はわからないが、目当て(・・・)は間違いなくカーティスだろう。少なくとも、カーティスの留守中に上がり込んで妻と火遊び(アバンチュール)、などというつもりはなさそうだ。

毎回初めのうちは妻も一緒になってもてなす――同席してミゲルの隣で酌をしたがるのだが、ミゲルがあの手この手で言いくるめて追い出してしまう。

夜が深まる頃にはいつもカーティスとミゲルの二人きりだ。


 とはいえ、カーティスもこの晩酌に利が無いわけではない。

ミゲルの所属する騎士団の実情や社交界での噂話、彼の妹であり側妃であるマリアンヌについての情報を得ることができるのだから。


「あの子の考えていることなんて私にはさっぱりわかりませんよ。基本的にアホの子なんで」

「あほのこ」

「純粋っていうか、素直っていうか、単純っていうか。極端なんです。色恋沙汰については特にね。私みたいに手練手管で男をたらしこむ、なんてできやしませんよ、基本的にアホの子だから。単純に陛下の好みだったんじゃないですか、妹が」

「……陛下は御幼少の頃からずっと正妃殿下一筋だったんだぞ」

「人の好みは変わると言いますし、そうでなくとも目新しいものに興味を抱くものでしょう、人間って。突然現れた珍獣が思いの外ツボを突いたとかそんなんじゃないですか」

「……」


 仮にも自分の妹を、それも社交界の花と呼ばれた淑女の中の(レディー・オブ・)淑女(レディー)を珍獣呼ばわりとは。

巷では妹を溺愛していると評判の公爵家三男は、時折その妹に対してやけに辛辣だ。


 だが本人にはいろいろと畏れ多くて口が裂けても言えないが、確かに「珍獣」とは言い得て妙かもしれない。

マリアンヌは、カーティスから見ても一般的な貴族令嬢とは違う独特の感性の持ち主だ。

跳ねっ返り令嬢代表のようなレベッカに青春を捧げていたカーティスでも思うのだ。

純粋培養温室育ちのルーカスには、さぞや刺激が強かったことだろう。


 成人し、それなりに「社交」をこなすようになったとはいえ、あくまでもルーカスにとっての「女性」の基準は、アンジェリカだ。

よく言えば冷静沈着、悪く言えば淡泊。昔から、力いっぱい愛情表現するルーカスに対し、彼女の反応は大層冷淡(クール)なものだった。

贈り物をしてもデートに連れ出しても、礼こそ言うものの少しも嬉しそう、楽しそうにしない。

聞いているこちらが砂を吐きそうなくらい甘い言葉を紡がれても、「そう」と照れることなく淡々と受け入れる。

「ルーカスは語彙が豊富なのね」という明後日の方向への感想が、彼女なりの最大級の賛辞なのだろう。

 そんな婚約者のち妻の態度にも、若かりし頃のルーカスは一切不満は抱いていないようだった。


 だってルーカスは、アンジェリカしか知らなかったから。

アンジェリカから与えられるものがすべてで、例えば妻が夫にくちづけをねだるとか愛の言葉を囁くだとか、そんな世界があるなんて、考えもしなかっただろう。


 そんなルーカスの世界に風穴をぶち開けたが、ルーカスの人生において二人目の「女性」であるマリアンヌだ。

彼女にとっての唯一の武器はおそらく、誰もが認める美貌でも高貴な身分でもない。

「アンジェリカと全く違う」ことだ。


 婚約当初はアンジェリカに言われて渋々マリアンヌと過ごす時間を作っていたルーカスは、今や暇さえあれば彼女の元を訪ねるようになった。

庭園をいっしょに歩いたりふたりでお茶を飲んだり、ピクニックと称した遠駆けに出かけたり城下の視察につれ出してお忍びデートをしたり、遅れてきた青春を取り戻すようにルーカスはとても楽しそうだ。

何をしてもマリアンヌが大げさなほどの反応を返してくるのが、嬉しくて仕方ないのだろう。

あの手この手でマリアンヌを喜ばそうと日々を謳歌している。


 そんな新妻を溺愛する主の姿に、カーティスは内心複雑だった。

ルーカスとマリアンヌの仲睦まじい姿に安堵する一方で、ルーカスとアンジェリカの仲がこれ以上こじれてしまうことを懸念もしていた。

 ルーカスとアンジェリカの関係はあまりにも不等号で不平等で、いびつだった。

 幼い頃からアンジェリカ中心に世界が回っていたルーカスと違って、アンジェリカがルーカスと結婚したのはあくまでも国のため、政の一環だ。

少なくともアンジェリカはそう思っている。

彼女は幼い頃からずっとそう言い聞かされて育ったのだ。ルーカスに対し、多少の情はあれどそれは親愛や敬愛であり、恋情などではない。

ルーカスとアンジェリカの間には、種類も量も違う愛情が交わることなくただただ平行線に存在していた。

端から見ていてカーティスは、ルーカスのことが不憫でならなかった。


 けれどふたりは、それでよかったのだ。

一方通行でもちぐはぐでも、ふたりは互いが唯一だった。

唯一で、絶対で、すべてだった。

周りが口を出すようなことではない。あれがふたりの在り方だったのだ。

 カーティスとしてはあのまま、ふたりの間に波風立たず平穏無事に添い遂げてくれることを願っていた。

けれどそんな思いもむなしく、マリアンヌがルーカスの前に現れた。

 薄氷の上に立つような危うさで保たれていたふたりのバランスを、マリアンヌが崩した。


 もちろんマリアンヌに非は無い。

彼女は「国事」としてルーカスの側妃になることが定められ、それに従っただけ。むしろ被害者かもしれない。


 すべての元凶は、ルーカスとアンジェリカ。

ふたりのすれ違いにマリアンヌは巻き込まれただけだ。


 こんなにもこじれる前に、ふたりはもっと向き合うべきだった。

自分の愛情や信念だけでなく、互いのことを見つめるべきだった。

アンジェリカは妃として役目を果たすだけでなく妻としてルーカスに寄り添うべきだったし、ルーカスは妃としてではなく妻として、一人の女として愛しているのだと、他の女など要らないと、きちんと言葉で本人に伝えるべきだった。

互いの認識に齟齬があることに気付いていれば、ここまでこじれることはなかったはずだ。

たとえアンジェリカがルーカスの愛情を受け入れられなくても、ルーカスだってどこかで折り合いをつけ、少なくとも、当てつけのような真似はしなかっただろう。


 きっともう、ふたりの仲は昔のようには戻らない。

からまり合ってもつれた糸がほどけないように、引き返すには遅すぎた。


 昔のように気安い関係ではいられないが、カーティス個人としてはルーカスのことだけでなくアンジェリカのことも大切に思っている。

「兄さま」と呼ばれなくなって久しいが、いまだに妹のように思っている。

アンジェリカは、子どもの頃から賢くて、自分の役目も周囲の期待もきちんと理解し、それに応えられる子だった。

わがままなんて一度も聞いたことない。泣いているところも見たことない。

常に凛として美しく、正しさを着ているような子だった。

 その正しさが、カーティスにはどこか危うく映っていた。

常に感情より理想を優先させる彼女の潔さが心配でならなかった。

父や母に言っても、考えすぎだと一笑された。アンジェリカの父に告げても、あの子はあれでいいのだとすげなくされた。


 盲目的な献身。

それがいかにいびつなことであったのか、今のカーティスにならわかるのに、もう、どうすることもできない。

カーティスにできるのは、これ以上ふたりの仲がこじれてアンジェリカの立場が悪くなるようなことを防ぐことだけ。

 誰よりもこの国のことを、民のことを考え、ルーカスを支えてきた姿を知っているからこそ、そんな彼女がないがしろにされるようなことは耐えられない。


 もちろん男女のことだ。カーティスが口を出すようなことではないということはわかっている。

ルーカスがアンジェリカのぞんざいな態度に見切りをつけたとしても、それはアンジェリカの自業自得だ。

けれどたとえ以前のような愛情が無くなりその寵愛が本当にマリアンヌに移ったとしても、アンジェリカの正妃としての立場は尊重してほしい。されるべきだ。

でなければこれまでのアンジェリカの人生が無意味なものになってしまう。


「ディルク卿は、妹のことがお気に召しませんか?」

「は?」

「妹が陛下の御寵愛を賜っていることを、よく思っていらっしゃらないようだ」

「いや……そういうわけではない……」


 政治的な意義を思えば、側妃を迎えたことに否やはない。夫婦仲が良好なことも、不仲よりは断然いい。

あまりの急展開に戸惑いはしたが、マリアンヌ自身に不満は無いのだ。

今のところルーカスの寵愛を笠に着てやりたい放題振舞うということもなく、側妃として「後宮」内を上手く取り仕切ってくれている。

アンジェリカに対し時折ひやりとするような爆弾発言をすることもあるが、結局はアンジェリカを立てている。

「後宮」内の誰に訊いても、マリアンヌは理想の側妃だと誉めそやす。

二年前、側妃の選定にアンジェリカが加わったときはどうなることかと思ったが、彼女の眼に、狂いはなかった―――。


「……色恋沙汰については特に、とはどういう意味だ」

「はい?」


 ふと、今まで気にも留めなかった不自然な点(・・・・・)が気になった。


 そもそもマリアンヌが側妃候補に挙がったのは、公爵令嬢という血統と社交界の花と呼ばれるだけの彼女自身の確固たる地位、そして何より独身で婚約者がいなかったためだ。

あまりの好条件に満場一致で彼女に決まったが、そもそも、デビュタントを終えアカデミーも卒業した高位貴族の御令嬢がその歳まで婚約者がいないなんてこと、あり得るのだろうか。


 一昔前に比べて貴族同士の恋愛結婚も増えてきたが、それでも高位貴族の間では政略結婚が主流だ。

侯爵家以上となると早いうちから婚約者がいて当たり前だ。

実際ランチェスター公爵家の嫡男でありミゲルたちの長兄には幼少期から婚約者がいて、アカデミーを卒業してすぐ結婚している。

それなのに、三男のミゲルはともかく長女であり一人娘のマリアンヌに婚約者がいなかったなんておかしい。


 違和感を一つ抱くと、何もかもが疑わしく思えてくる。

先ほどのミゲルの発言も、何か別の意味があるのでは、と勘繰ってしまう。


「先ほど言っただろう。妃殿下が色恋沙汰については特に極端だ、と。彼女には婚約者などいなかったはずだろう。それとも皇家には言えない何かが過去にあったのか?」

「婚約しなくったって恋くらいできますよ。

 あぁご安心を。婚前交渉には至ってませんし、あくまで妹の片想いでした。皇妃教育開始時点で妹が清いカラダだったことはご存知でしょう?」

「……」


 たしかに婚約を正式に成立させる前に皇妃候補の身体検査が行われるし、皇帝との初夜までの間、皇妃教育という名目でその身柄は皇城内で拘束(・・)される。

皇妃候補の傍には常に皇家の息のかかった侍女が置かれ、常に行動を監視される。

また家族親類を含め、皇帝以外の異性との接触を絶たれる。

それらはすべて、皇帝の妃においては通常の貴族同士の結婚以上にその処女性が重視されるためだ。

マリアンヌはその厳しい審査を突破し、皇妃の座に収まったのだ。その純潔は疑いようもない。


 しかしそれはあくまでも身体の話。人は時に、心と身体が別になる。マリアンヌの過去の色恋沙汰(・・・・・・・)になど正直カーティス自身は興味無いが、この先、ルーカスがこれ以上傷つくようなことだけは避けたかった。

ルーカスはずっと傍で見守ってきた大切な主だ。苦労も苦悩も誰より知っている。誰より幸せを願っている。


 しかしカーティスの心配をよそに、ミゲルはこともなさげに言い放つ。


「婚約のお話をお受けした時点で、こっぴどくフラれています。以来会ってもいないはずだ」


 言いながらミゲルは黒のスラックスに包まれた長い足を組み替える。

淑女であれば決してしない所作に、どれほど美しくてもこの男は男なのだと思い知る。

マリアンヌの兄であり、公爵家の三男であり、騎士団に身を置く武人なのだ。


「……妃殿下が、フラれたのか」

「えぇ。そりゃぁもう。バッサリと。ぐうの音も出ないほどに。求婚した翌日に別の女性との結婚を宣言されてました」

「……」

「最低な男だと思うでしょう?」


 酒のせいか赤く熟れた濡れた唇が、美しい弧を描く。

仮にも溺愛する妹に対する仕打ちを語るにしては、やはりやけに楽しげだ。


「最低で、薄情で、意気地無しな男だった。けれど彼は、誰よりも妹の幸せを願っていました。妹が幸せであることが、彼の何よりの願いだったんです。……たとえそれが、自分の隣でなくとも」

「……その男は……」

「私には理解できない。私なら、自分のために生きてくれないような男、いっそ地獄に堕ちてしまえばいいのにと」

「……」

「そう、思いますよ」


 まるで愛を囁くように吐いたのは、呪いの言葉。

それを睦言のように響かせるミゲルは、紛れもなく魔性だ。

一体何人の人間がこの男に魅入られ、囚われ、破滅していったのだろう。

 緑玉に似た瞳は、人を狂わせる。

誰もがこの男の愛を請いながら、誰もそれを手に入れられない。

美しくて残酷な男だ。


「……その男が今後妃殿下と顔を合わせる可能性は?」

「はい?」

「皇家主催の夜会でなければ、側妃とて参加可能だ。他にも、今の陛下は妃殿下がねだればどこへでもお連れするだろう。そういった場所で鉢合わされては……困る」


 はっきりとは言えないが、カーティスは焼けぼっくいに何とやら、を危惧していた。

皇妃に対して侮辱にもなりかねないが、禍の芽は早めに摘んでおくに限る。


 ミゲルはカーティスの言わんとしていることを察したのか、けれど妹への侮辱ともとれる発言に、あっさりと答えた。


「限りなくゼロに近いと思いますよ。彼は社交界に出入りできる身分ではありません」

「は?どういうことだ」

「平民なんです」


 ミゲルは多くを語らなかったが、理由(・・)としては、それだけで十分だった。

 ある程度の家格の男なら、長男だろうと庶子だろうと何とかなっただろう。

何とかする(・・・・・)だけの力が、ランチェスター公爵家にはある。

 けれど平民の男と公爵令嬢が結ばれるなどありえない。結ばれたいのなら、公爵令嬢という身分を捨てるしかない。


 公爵が手を回したのか男の方が怖気づいたのかはわからないが、ミゲルの言うとおり、しがらみを乗り越えるだけの「意気地」が男には無かったのだ。


「……そんな男と、妃殿下はどうやって知り合ったんだ」

「そんなこと、卿が知る必要あります?」

「……」

「私も少し喋りすぎてしまいましたが、これ以上は近侍殿のお耳に入れることではありませんね」


 すべてはもう、終わったことなのですから。


 そう言ってミゲルは手元の杯を空ける。

 白い喉が上下に動く様を、カーティスは何も言えずにただ見ていた。


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