Ⅱ.カーティス=ディルク
「陛下が側妃をお迎えになるって、どういうこと?」
バルコニーで二人きりになった途端、ブルーサファイアのドレスを纏った淑女――レベッカ=エイミスは開口一番にそう尋ねた。
杏子色の髪を上部だけ複雑に編み込み藍色の宝石が付いたアクセサリーを付け夜会用の化粧を施した様子は、普段の城で働く姿からは想像もできないほど華やかだ。
けれど「不機嫌」或いは「不愉快」を隠そうともしない、淑女にあるまじき態度だった。
「いったい何を考えているのかしら。……いいえ、どうせ何も考えていないんでしょうね。昔からそう。思いこみが激しくて、自分本位で、いつも考えが足りないのよ」
「……それくらいにしておけ。今する話じゃないだろう」
「じゃぁいつしろって言うのよ!」
地団太こそ踏まないが、全身で怒りをアピールするレベッカにカーティスはため息を押し殺す。
実際に吐いてしまったら、それに気付かれようものなら、火に油だろう。
カーティスの前でレベッカはいつも怒っている気がする。
ただし怒らせているのはカーティスではない。大体ほとんどルーカスが犯人だ。
余計な一言が多いルーカスはすぐにレベッカの逆鱗に触れ、その八つ当たりの矛先がカーティスに向く。
そして正論であるはずのカーティスの余計な発言が火に油を注ぐ。昔から、ずっとそうだった。
そういう意味ではやはりカーティスがレベッカを怒らせてしまっていると言えるかもしれない。
それでも怒ったり拗ねたり、感情がすべて表に出てしまうところも可愛いと思っていた。
主人と仕事に忠実で、周囲の文官たちから恐れられているけれど、レベッカは可愛い。
そして美しい。
今日だって、カーティスのパートナーとして渋々参加したこの夜会で、男性陣の視線を集めている。
カーティスが目を離すとすぐにダンスに誘われているのが鬱陶しくて、二人でバルコニーに逃げてきたところだ。
「……アンジェリカ様がお可哀想」
風に遊ばれる髪を抑えることなく、レベッカが呟いた。
「どうせ今回のことだって、陛下がアンジェリカ様の気を惹きたくて言い出したことなんでしょう。『皇帝陛下』の決めたことに『正妃殿下』が逆らえるわけないのに、アンジェリカ様が拒否しないから引くに引けなくなったんでしょうね。本当、アンジェリカ様を振り回すのもいい加減にしてほしいわ」
「……見ていたのか?君」
「見ていなくてもわかるわよ、そのくらい」
「……あの子ももう少し陛下の御心に寄り添ってくれれば、あそこまでこじらせることもなかったんだろうがな」
「アンジェリカ様が悪いみたいな言い方しないで」
カーティスの嘆息に、レベッカは更に眼差しを鋭くする。
また要らぬひとことを言って怒らせてしまったらしい。
それもこれもルーカスのせいだ。全部ルーカスが悪い。
昔から、レベッカはアンジェリカへの愛情が強い。盲目的と言ってもいいくらいアンジェリカ至上主義だ。
公の場では弁えているようだが、正妃の立場にあるアンジェリカのことを未だに名前で呼んでいる。
レベッカにとって、アンジェリカは仕える主人であると同時に庇護すべき対象だった。
子どもの頃からレベッカはアンジェリカを可愛がり、甘やかしてきた。
だからこそ同じくアンジェリカを溺愛するルーカスとは衝突が絶えなかった。
もちろん皇太子だったルーカスに正面切って刃向かうようなことはなかったが、アンジェリカを独り占めしようとするルーカスの存在は、レベッカにとっては面白くなかっただろう。
皇帝と正妃、正妃付侍女となった今も、それは変わらない。
むしろルーカスは常にアンジェリカの傍に侍っているレベッカに対し、レベッカは唯一アンジェリカを思いのままにできるルーカスに対し、互いが互いに嫉妬し合うという奇妙な関係に進化あるいは悪化していた。
何にせよ、今となっては一国の主となったルーカスへの遠慮の無いレベッカの物言いに、カーティスはいつも肝を冷やしている。
とは言えカーティス自身、気を抜くと未だにアンジェリカのことを「あの子」呼ばわりしてしまうのだが。
カーティスたちより二つ歳下のアンジェリカは、カーティスにとっては遠縁にあたる。
ただしカーティス自身には皇家の血は流れていない。アンジェリカの母方の祖母がディルク侯爵家の出身だった。
関係性としてははとこよりも更に遠いが、一族の集まりの際、アンジェリカのおもりはカーティスの役目だった。
当時ディルク侯爵家には男児が多く、アンジェリカと歳の近い女児がいなかったせいだ。
そのため、一番歳が近く比較的気性が穏やかなカーティスに白羽の矢が立った。
他のやんちゃな従兄弟たちと違って外を駆け回って遊ぶような子ではなかったカーティスなら、他のやんちゃな従兄弟たちと違って幼い少女を男児特有の危険な遊びに連れ回すことはないとふんだのだろう。
そんな思惑通りアンジェリカはカーティスによく懐いた。
懐いたというよりは無害と認定されただけのような気もするが。
ともあれ、本の虫のカーティスと、幼少期から淑女教育を受け骨の髄まで淑女の心得を叩き込まれていたアンジェリカは、相性がよかったのだろう。
やんちゃ盛りの男児が好むような危険な遊びに巻き込むこともなく、穏やかに親睦を深めていった。
そのせいで結果的にカーティスは当時の帝国唯一の皇子、ルーカスの「不興」を買うことになったのだが。
カーティスがルーカスに引き合わされたのは、カーティスが十歳、ルーカスが八歳のときだった。
父と共にサルヴァドーリ皇爵家の屋敷を訪ねると、ルーカスがお忍びで遊びに来ていた。
それまで水面下でアンジェリカと第一皇子の婚約話が進められていることは何となく聞いていたが、実際に並んだふたりを見て、本当に驚いた。
皇子の訪問とか婚約とかよりも、こんなにも美しい人間が存在するのか、と。
十にも満たない幼子でありながふら、当時からルーカスの美貌は圧倒的だった。
ルーカスとの交流はその一度きりにとどまらず、以降もアンジェリカを交えて三人で会うようになった。
どうやらカーティスは皇子の「遊び相手」として皇家のお眼鏡に敵ったようだった。
次第にアンジェリカ抜きでも皇城に呼ばれるようになった。
先帝の一粒種であるルーカスにとって、同年代の子どもは新鮮だったのだろう。
二つ歳上のカーティスによく懐いた。
「アンジェのお兄様ならぼくにとってもお義兄様だね」と。
そのときの言い回しにかすかな違和感を覚えるも、ルーカスが何か壮大な勘違いをしているとはっきり気付いたのは、もっとあとになってからだった。
アカデミーの高等科に上がった年、突然思いつめたような表情のルーカスに訊かれたことがあった。
「カーティスはアンジェの本当のお兄様じゃないの……?」と。
本当も何も、兄だと名乗ったつもりはなかった。
ただ年長の親戚に対する敬称としてアンジェリカがカーティスのことを「お兄さま」と呼んでいただけだ。
それをルーカスが勝手に勘違いしていただけだ。
勘違いと言うか、聞いていなかったのだろう。
昔からルーカスはアンジェリカに関することだけ急に知能指数が下がる。
俗な言い方をすると「ポンコツになる」。
何がきっかけで真実に気付いたのかはわからないが、「本当の兄妹じゃないってことは結婚できるってことだよね……。カーティスはアンジェと結婚したいの……?僕からアンジェを奪るつもり……?」などと詰め寄ってきたときにはどうしようかと思った。
同世代の子どもから見ても、ルーカスのアンジェリカに対する執着は異常なものに思えていたが、まさかここまでとは。
あの手この手で弁明と説得を試み、苦し紛れの「異性に興味ありません」という主張にようやく納得してくれた。
あの頃はまさかあの発言を曲解され、のちのカーティスの人生を大きく狂わせるなんて思ってもみなかった。
カーティスは決して、異性に興味が無かったわけではない。
レベッカ以外の誰に対しても、恋情を抱かなかっただけだ。
「どういう方なの?そのランチェスター嬢っていうのは」
顔をしかめたまま、レベッカが尋ねる。
ルーカスが側妃として迎える令嬢、マリアンヌ=ランチェスターは、カーティスたちより五つ歳下だった。
アカデミーの在籍期間は重なっていないし、彼女のデビュタントの時期、レベッカはほとんど社交界に顔を出していなかった。
彼女の父親である現宰相補佐官のランチェスター公爵や城仕えしている公爵令息たちのことは知っていても、末娘との面識は無いらしい。
主人のためにまだ見ぬ恋敵の情報を少しでも集めたいようだ。
「……アカデミーでの成績は優秀だったようだし、素行も問題無いと聞く。社交界での評判も……悪くないようだ。求婚者は多いようだが、婚約の話は出ていなかったし、特定の異性との噂も無い。あの美貌だから同性からの妬みも多いと思ったが、上手く立ち回っているようだ。要領のよさは父親(ギルベルト卿)譲りと言ったところか」
「そんなに美人なの?」
「まぁ……ランチェスター一族だからな。見た目は末の兄君のミゲル殿にそっくりらしい。ミゲル殿から妖艶さと魔性を引いて天真爛漫を足した感じだとか……」
「何それ。どういう計算?」
呆れたようにレベッカは眉を寄せるが、事実なのだから仕方がない。
四大公爵家の一つであるランチェスター公爵家は、金髪に青系や緑系の瞳が特徴的な美形の一族だ。
三人の令息たちは皆、若い頃「社交界の蒼き薔薇」と謳われた当主のギルベルトによく似ており、父親同様社交界をにぎわせている。
特に三男はランチェスター公爵家の人間としては珍しく騎士団に所属しているが、兄弟の中では最も華奢で女性的な容貌をしている。
騎士服を着ていても女性と見紛うほどの美しさで、さながら男装の麗人のようだ。
性格も真面目な長兄、寡黙な次兄とは対照的に社交的で人懐っこく、老若男女問わず誑しこんでは骨抜きにしているらしい。
その末兄によく似ているのだ。
実物を見なくともとんでもない美人、という想像くらいはできたのだろう。
レベッカはますます渋面になる。
だがレベッカがどれほど不機嫌になろうと、事実マリアンヌはデビュタントから一年も経たないうちに「社交界の花」と謳われるようになったほどの美貌の持ち主だった。
「……でも、いくら美しくても意味無いわ。考えてみれば彼女も気の毒な方よね」
「……?」
「だって、陛下がアンジェリカ様以外の女性に御心を傾けるなんてありえないもの。御世継ぎを産むためだけに愛の無い結婚するなんて……」
「レベッカ。口を慎め」
「……ッ」
自分でも驚くほど強い口調に、さすがのレベッカも反論することなく口を噤んだ。
レベッカも、わかっているのだろう。
今の発言がマリアンヌのことを慮っているふりをした彼女への侮辱だということ。
同じ女でありながら、マリアンヌの尊厳を貶めるような発言だ。
ルーカスの寵愛を奪われるのが我慢ならないという気持ちはわかる。
だが、本人不在の牽制に、何の意味があるというのか。
意味など無くとも、言わずにはいられないのか。
アンジェリカを独り占めしようとするルーカスのことは気に入らないが、ルーカスがアンジェリカ以外の女にうつつを抜かすことも許せないのだろう。
皇帝の寵愛に一介の侍女が口を挟む権利など無いのに、アンジェリカのためならそんな理さえ曲げてしまう。
レベッカは、決して愚昧ではない。
曲がったことが嫌いな分他者に厳しいが、底意地が悪いわけではない。
面倒見がよく情にもろいところもある。
ただアンジェリカに関することになると、周りが見えなくなることがあった。
出逢いから十数年、レベッカは常にアンジェリカ至上主義だ。
彼女に出逢った瞬間から、レベッカの世界の中心はアンジェリカとなっていた。
きっと、これからも。
「……いつまで続けるつもりだ」
「え……?」
「正妃殿下の侍女だよ。……もう十分だろう」
「な……何よいきなり……急にそんな……」
「急じゃない。……十分待ったはずだ。一日でも早く城仕えを辞して子を産んでほしいと、ずっと思っていたよ」
あけすけな物言いに、未婚の令嬢らしくレベッカはサッと頬を朱に染める。
それが恥じらいや喜びのせいなどではないということくらいは、カーティスにだってわかっているが。
「で……でも……今だとアンジェリカ様の御子の乳母にはなれないじゃない……。せめてもう少し待って……」
「聞こえなかったのか?辞めてほしい、と言ったんだ。乳母として再び城に上がらせるつもりは無い」
「な……ッ」
カーティスの追い打ちのような言葉に、レベッカは瞠目する。そしてすぐに眉を顰めた。
感情を少しも隠そうとしないレベッカなのに、よくそれで侍女が務まるものだ。
否、今までは大丈夫でも、これからもそうとはかぎらない。
もう「後宮」は、アンジェリカだけのためのものではなくなるのだから。
「約束が違うわ……!侍女を辞める必要はないって言ったじゃない!」
「先に約束を違えたのは君の方だろう。五年前、君は自分が何を言ったか覚えているか?正妃殿下が第一子を身籠られるタイミングで君も子を産み乳母として仕えるという約束だったはずだ。それなのに君は、正妃殿下が皇子殿下を身籠られたとき、初産で心細いだろう正妃殿下についてさしあげたいと『後宮』を出ることを拒んだんだ」
「だって……あのときは……」
「あれからもう三年だ。……これ以上は、待てない」
冷たく言い放ったカーティスに、レベッカの瞳が揺れる。
うしろめたいとこがあるとすぐに目を逸らすのは、子どもの頃から変わらない。
そういうところも可愛いと思っていたはずなのに。
幼馴染だった。
母親同士が仲が良く、父親同士も事業の取引があり、幼い頃から互いの家を行き来していた。
カーティスがルーカスに引き合わされるより、レベッカがアンジェリカに出逢うよりもっと前からいっしょだった。
温厚だが淡白なカーティスとは対称的に、おてんばだけど情に厚く感情豊かなレベッカに、幼いながら好意を抱いていた。
母親同士の「大人になったら結婚させましょうね」という軽口を真に受けるほどには。
誰にも言ったことはないけれど、カーティスの隣で無邪気に笑うレベッカのことが、誰より何よりすきだった。
あくまでも母親同士の口約束で、正式に婚約の儀を交わしたわけではなかった。
けれどおそらくはレベッカも漠然と、カーティスと夫婦になる未来を描いてくれていたのだと思う。学園に入学してもレベッカはカーティスとルーカス以外の異性と交流をもとうとしなかったし、同級生の令嬢の誘いよりもカーティスのことを優先してくれた。
十五歳になって迎えたデビュタントの夜会のパートナーもカーティスだった。
純白のドレスを纏いカーティスの瞳の色のアクセサリーを付けるレベッカはあの夜、ホール中のどのデビュタントを迎える令嬢よりも美しかった。
ルーカスのように燃え上がるような恋ではなかったかもしれないけれど、カーティスには、レベッカ以外の相手など考えられなかった。
それはレベッカも同じだと思っていたのに、アカデミーを卒業したら結婚しようというカーティスの言葉に、レベッカは頷いてはくれなかった。
卒業したら城に上がり侍女となり、いずれはアンジェリカに仕えるのだと言われた。
だから少なくともルーカスが成人し、アンジェリカを皇太子妃に迎え世継ぎが生まれるまでは待ってほしい、と。
一人娘の将来設計に、レベッカの両親、エイミス伯爵夫妻は大層困惑した。
宮廷侍女はまだいい。城に出入りする高位貴族の目に留まる可能性がある。だが後宮侍女となると話は別だ。そもそもアンジェリカが皇太子妃の座に就くまであと何年あると思っている。そんなことしていて婚期を逃したらどうする。
夫妻の言い分を聞いてカーティスは初めて自分が夫妻にとって「娘の結婚相手」ではなく、十数年前の夫人の発言が完全なる冗談であったことに気付いた。
二つの意味での衝撃の事実にカーティスが動揺していると、レベッカは泣き出した。淑女らしからぬ大声で泣き喚いた。
アンジェリカに仕えることができないなら誰とも結婚しない。修道院に入るかいっそ身を投げてやる。
現実的ではないことを叫びながら泣き喚くレベッカに、何だかんだと娘に甘い夫妻は可哀想なくらい狼狽した。
結局、数年間侍女としてアンジェリカに仕えたら責任もってカーティスがレベッカを貰い受ける、と夫妻を説得しその場を収めた。
カーティスに一体何の責任が発生したのかは謎だし、泣きたいのはカーティスの方だった。
レベッカの未来に、カーティスは必要ないと言われたようなものだったのだから。
釈然としないながらもアカデミー卒業後、カーティスは文官候補生、レベッカは侍女見習いとして城で働き始めた。
その後先帝の急逝により成人を待たずしてルーカスが即位し、急遽アンジェリカが皇妃となり世継ぎであるアデルバートも生まれたが、「数年」経ってもレベッカが城仕えを辞す気配は一向に無かった。
気付けばカーティスもレベッカも二十二になる。
放任主義だったカーティスの両親を含むディルク侯爵家の方からも、カーティスの結婚に対し急かすような声が上がっていた。
嫡男であるカーティスが皇帝の側近――近侍として仕えるのなら、領地経営の全容を担う夫人の存在が不可欠だと。
「選んでくれ、レベッカ。このまま侍女として正妃殿下にお仕えし続けるのか、城仕えを辞してディルク家の後継ぎを産むか」
「ちょ……ちょっと待ってよ……。やっぱり急だわ。確かに引き延ばしてたのはわたしが悪かったと思うわ。でも、そんなの、今すぐにだなんて……」
「……レベッカ」
きっと、レベッカにはわからない。
祈るような、この気持ち。覚悟に似た諦念。
本当は、答えなんて聞かなくてもわかっていた。
「……もし……わたしがまだ結婚できないって言ったら、どうするの……?」
「……そのときは父の選んだ令嬢と結婚することになる」
驚愕に目を見開くレベッカに、ほんの少しだけ溜飲が下がる。
このひとはまだ、カーティスのことで心を乱してくれるのか、と。
「……どういう……意味……」
「そのままの意味だ。君が私の子を産んでくれないのなら、他の女に産んでもらうことになる」
レベッカが揶揄したルーカスとマリアンヌの結婚のように、カーティスもまた愛の無い結婚をするのだ。
――否、レベッカとだって、「愛のある結婚」ができるわけではない。
レベッカは、カーティスのことを愛してなどいないのだから。
「他の女って何!?どういうこと!?貴方、まさか……」
「今じゃなきゃ、間に合わないんだ。……父上が、もう永くはない……」
「え……小父様が……?」
カーティスの「浮気」を疑い激昂するくらいには、カーティスに関心があったらしい。
詰問を遮りながら、いっそ「浮気」できればどんなによかっただろうかと思う。
何を考えても、空しくて仕方なかった。
「昨年末に大病を患ったんだ。一命はとりとめたが、後遺症で身体の自由が利かなくなってしまったらしい。心の方も随分と弱気になってしまっているようだ。私に家督を譲り、余生は静かに暮らしたいそうだ。しばらくは母が領主代理として治めてくれているが、一日も早く当主夫人を迎えて統治を任せたい、と」
侯爵家のなかでもディルク侯爵家の領地は広大で、経営や公爵の仕事はとても後宮侍女の片手間にできるようなものではない。
つまりカーティスとの未来を選ぶならば、レベッカはアンジェリカにこのまま仕え続けることを諦めなければいけない。
エイミス伯爵夫妻がそうだったように、カーティスの両親もレベッカをカーティスの嫁に、などとは考えていなかった。
アカデミー卒業時の騒動をカーティスは両親に報告していなかったし、二十歳をすぎても令嬢としての社交に精を出すことなく皇城で働き続けるレベッカに、結婚する気はないのだと見切りをつけていたようだ。
息子の思惑など知らず、自分たちで勝手に嫁候補を探していた。
その話を病床の父から聞かされたとき、カーティスは潮時か、と思った。
両親にレベッカやエイミス伯爵夫妻との約束を打ち明けることはせず、あと少しだけ待ってほしいと頼んだ。
自分の気持ちに整理をつける時間のために。
「レベッカ」
「……今……じゃなきゃだめなの……?」
「あぁ」
「でも、そんなの、小母様だってお一人で全部されてたわけじゃないし、家令だっているし、管財人に任せれば……」
「レベッカ」
「……」
「それが君の、答えなんだな」
選べないことが。
レベッカは、カーティスのためには何も捨てられない。
捨ててはくれない。
それなのにどうして、まるで自分が傷ついたような表情をするのだろう。
「わたしは……あなた以外の男の人と結婚するつもりなんてなかった……。……したくなんてなかった……」
この期に及んで何を言い出すのか。
酷い女だ。ずるくて、傲慢だ。
けれど愛していた。
すきだった。
二人の気持ちが同じでなくとも。
「それは、私でなければ駄目だということではないんだろう」
諦念の滲むカーティスの問いに、綺麗に紅を刷かれた唇が何か言いたげに動く。
けれど結局、反論することなく引き結ばれた。
わかっていた。
レベッカが、カーティスのことを幼馴染以上には思っていないこと。
レベッカにとって一番大切なものがカーティスではないこと。
それでもよかった。
カーティスのものにならなくても、他の誰のものにもならないのなら。
今となってはもう、それすら叶わない。
「すまない……レベッカ……」
それは何に対する謝罪だったのか。
カーティス自身、わからなかった。
くちづけひとつ、愛のことばひとつも捧げられないまま終わった恋だった。




