Ⅰ.ルーカス=ジュエリアル
若かりし頃のルーカスの胸中。
一夫多妻制という世界観のため、ルーカスは若干クズ…ダメ男…どうしようもない感じです。
レオンやセレス視点の彼と比べて、実際にはメンタルブレブレです。
始まりの気持ちがいつだったかなんて、もう覚えていない。
ただ、気付いたときにはすきだった。
一番すきで、何より大切で、特別だった。
ずっと傍にいたかったし、独り占めしたかった。
十になると同時に始まった皇太子教育は厳しくて、何度逃げ出そうと思ったかしれないけれど、将来彼女を妃に迎えるために必要なことだと言われたから頑張った。
ルーカスは、彼女――アンジェリカの傍にいるためなら何だってできた。
シルバーブロンドの髪とブルーサファイアの瞳をもつ可愛い可愛いルーカスのお姫さま。
生まれたときからルーカスの妻になることが決まっていたアンジェリカは、はとこで幼馴染だった。
子どもの頃からずっと、彼女との未来を夢見ていた。
その夢が現実になったのは、十七歳のとき。
本来皇族は十八歳で成人を迎えるのだが、先帝――ルーカスの父が亡くなったため、異例なことではあったが即位し、同時にアンジェリカを正妃に迎えた。
急なことだったため婚礼式も祝宴も盛大にはできなかったけれど、ふたりで過ごした初めての夜は、ルーカスにとって人生で一番幸せな時間だった。
世界で一番愛しい女性をこの腕に抱く喜びに胸が震えた。
――きっと、罰が当たったのだ。父が死んで間も無いのに、浮かれていたから。
ルーカスが即位して半年御、戦が始まった。
相手は北の大国ブリティックス。先帝の頃から不穏な動きはあったが、とうとう国境での小さな火種は大火となって国を焼いた。
開戦から半年もした頃、国境付近の村が地図から消えた。
そうなってようやくルーカスの出陣が決まった。
ルーカスにとって初めての戦だった。
怖くはなかった。
ただアンジェリカと離れることが嫌だった。
情けない男だと思われたくなかったから言わなかったけれど、本当は戦争も何もかもどうでもよくて、アンジェリカの傍にいたかった。
アンジェリカさえいてくれれば、他には何も要らなかった。
出陣の前夜は一晩中睦み合った。
離れている間に肌のぬくもりを忘れないように。
あの頃――初めから、アンジェリカはルーカスにとってのすべてだった。
愛しくて、大切で、特別だった。
そう思っていたのが自分だけだということに気付いたのは、一年に亘るブリティックスとの戦争が終わり、国に帰ったあとだった。
城に戻るとアンジェリカが出迎えてくれた。久しぶりのアンジェリカの姿に、声に、匂いに、胸が熱くなった。
けれど想いのままに抱きしめることができなかったのは、彼女の隣にいる侍女が赤子を抱いていたから。
何だそれは、と震える声で尋ねると、アンジェリカは貴方の子です、と淡々と答えた。
一月前に生まれたばかりの第一皇子です、と続けるアンジェリカが何を言っているのかすぐには理解できなかった。
心当たりが無い、などとは言わない。むしろ十二分にある。生まれたのが一月前だというのなら時期的にも問題は無い。
何より、無邪気にルーカスを見つめる銀灰色の瞳や亜麻色の髪はルーカスとまるで同じだった。
髪の色はともかく銀に近い灰色の瞳は珍しく、皇族の中にしか生まれないといわれている。
そして現在その色をもつ者はルーカスしかいない。。
間違いなくルーカスの子。
ルーカスが理解できなかったのは、どうして生まれてから一月もの間そのことを知らされなかったのかということだ。
いくら戦地にいたとしても、仮にも皇子の誕生を皇帝に伝えないなんてありえない。
いや、そもそも懐妊の報せさえルーカスは受けていない。
皇子だとか世継ぎだとかいう前に、ふたりの子だ。
ルーカスとアンジェリカの子が生まれるのだ。
その喜びを分かち合おうとは思わなかったのか。
問い詰めると、アンジェリカは答えた。
「陛下が戦場にて大変な折、このような些事で煩わせるのは忍びないかと」と。
今度こそ、耳を疑った。
ふたりの子が生まれることを、ふたりの愛の証を、「つまらないこと」と言い切ったアンジェリカを前に、ようやく気付いた。
アンジェリカは今まで一度もルーカスのことを愛していると言ってくれたことなどなかったことに。
愛のことばを伝えるのも囁くのもルーカスの方からで、彼女の方から気持ちを伝えてくれたことはなかった。
わざわざ訊いたこともなかった。
それなのに、確かめもせず彼女も同じようにルーカスのことを愛してくれているのだと、勝手に思いこんでいた。
彼女がずっとルーカスの傍にいてくれたのは、ルーカスが皇太子でアンジェリカが次期皇太子妃だったから。
婚礼の夜ルーカスを受け入れてくれたのは、彼女が正妃となったから。
ただそれだけのことだった。
ようやく自らの思い上がりに気付いたルーカスは、もうアンジェリカとどう接すればいいのかわからくなった。
愛情が無くなったわけでも、憎しみに変わったわけでもない。
むしろ愛しているからこそ、怖くなった。
もしもアンジェリカに嫌われたら、疎まれたら。
そう思うと、彼女に近付くことさえ怖くなった。
自分の妻に触れることを恐れるなんて、とんだ笑い種だ。
幸か不幸か、ブリティックスとの戦争が終わってもしばらくは終戦後の処理や復興によって慌ただしい日々が続いていたため、アンジェリカの元で夜を過ごさなくても非難の声は上がらなかった。
アンジェリカの方も夫の訪れを催促するような真似はしなかった。
正妃としてルーカスに寄り添い、復興支援に尽力した。
しかし国内の情勢が落ち着いてくると、第二子を望む声が上がるようになった。
これ以上足が遠のけばアンジェリカの立場が悪くなる。そう諭され、あと単純に己の欲望に負けて手を伸ばした。
あれほど躊躇していたはずなのに、アンジェリカの前では理性などいともたやすく決壊した。
ルーカスの欲望を、アンジェリカは拒まなかった。
身勝手な夫に怒ることもなく、ルーカスに身を預けてくれた。
いつもそう。
アンジェリカは、決してルーカスを拒まない。
けれど彼女の方からルーカスを求めることはしない。
当然だ。
彼女はルーカスを愛してなどいないのだから。
絶望のなか、幼い息子――アデルバートだけがルーカスの癒しだった。
アデルバートは言葉も喋れないうちから、ルーカスを見ると嬉しそうに声を上げていた。
ぐずっていてもルーカスが抱き上げると機嫌を直すし、這い這いができるようになると必死に追いかけてきた。
初めて「とぉさま」と呼ばれたときには、涙が出た。
こんなにも愛しくて大切なものがあるのかと思った。
この世で一番無垢な存在。
すべての禍から守り、幸福だけで包んでやりたかった。
その一方で、幼いアデルバートを愛しく思えば思うほど、思い知らされた。
アデルバートはルーカスの留守中に生まれた子だったが、そんなことでは疑いようもないほど、ルーカスによく似ていた。
古参の臣下たちからもルーカスの幼い頃に生き写しだともてはやされた。
けれどふとしたとき、アンジェリカの面影が覗く。
笑った表情が、アンジェリカに似ていた。目元が、横顔が、仕草が、ほくろの位置が、アンジェリカに似ていて、同じで。
そんなところを見つけるたびに、愛おしくて、むなしくなった。
あんな仕打ちを受けても、アンジェリカのことを愛していた。
アンジェリカに似たところを見つけるたび、アデルバートへの愛情は募った。
アデルバートのことを可愛いと思えば思うほど、どうしようもなくアンジェリカを愛しているのだと思い知らされた。
だからどうにかしてアンジェリカの愛を得ようと、くだらない計略に出た。
臣下たちの中から側妃を迎えてはどうかという声が出ている。
そう告げると、アンジェリカは青い瞳をわずかに見開いた。
だがそれ以上の感情の変化は読み取れなかった。
アンジェリカはしばらく考え込んだあと、承知しました、とだけ答えた。
成人したのち、アンジェリカはルーカスに対して敬語で話すようになった。
元々美しい丁寧な言葉遣いではあったが、結婚後それはますます顕著になり、今ではルーカスの前では気心の知れた幼馴染でも妻でもなく、妃として振る舞う。
ルーカスはそれが淋しかった。
何にせよ、他の女の影が見えれば嫉妬してくれるかもという浅はかな期待はもろくも崩れ去った。
あまりにもあっさりと頷いたため、「君が嫌がるならやめる」などとは言い出せなくなった。
せめてもの抵抗で、「他に妃を迎えることは嫌ではないのか」と問うと、「国のために貴方が決めたことならば」と返された。
うしろめたくて、あまりにも惨めで、それ以上何も言えなかった。
人の心を試そうとした罰だろうか。
側妃の選定は、アンジェリカが行った。
愛するひとに他の女をあてがわれる絶望。どこまでも忠実で、残酷な女だと思った。
それでも愛していた。
恨むことも憎むこともできず、ただ愛していた。
思えばルーカスはいつも、アンジェリカの気を惹きたくて、子どもじみた真似ばかりしていた。
【時系列の補足】
ルーカス17歳
5月:先帝崩御・即位
6月:結婚
12月:ブリティックス戦開戦
ルーカス18歳
5月:ルーカス出陣
1月:アデル誕生・終戦
2月:ルーカス帰国
ざっくりこんな感じです。
ブリティックスとの戦争は約一年でしたが、ルーカスが出陣したのは開戦後半年ほどしてからです。
そのためアデルは間違いなくルーカスの子です。




