E.C.1019.07-1
時系列的にはアデルの命日の二ヶ月後、第五章冒頭の前に入るお話です。
ローズマリーの最期について悲惨な描写がありますので、苦手な方はお気を付けください。
「あの日」も、頭上にはぬけるように青い空が広がっていた。
セシルの世界は哀しみに満ちていたのに、絶望を嘲笑うかのように空は晴れていた。
きっとそういうものなのだ。
どんなに哀しくてもうちひしがれても、決して世界は終わらない。
一個人の絶望なんて、世界には少しも関係ないのだから。
「ホントにデートじゃないんスね」
「……だから何度もそう言っているでしょう」
「だって噂になってるんスよー。毎月毎月同じ日に休みとって街に出て、一体何やってるんだろうって。城下に男でもいるんじゃないかって」
「……騎士団ってよっぽど暇なんですね。たかが侍女の休暇をいちいち覚えているなんて」
「やだなぁ。セシルさんのだから気になるんじゃないスか」
「面白がるのはやめて頂戴。不愉快です」
「面白がってなんかないっスよー」
「……」
軽口を叩きながらついてくる青年に、セシルは何とかため息を呑み込む。
「騎士団」に所属しているからには曲がりなりにも貴族令息であるはずなのに、その口調も内容も、やけに軽く馴れ馴れしい。
「宮廷」で警備をしている宮廷騎士のこの青年――名前は確かキースと呼ばれていたか――にセシルはここ最近つきまとわれている。
中流貴族の三男で、歳はセシルよりも二つ三つ下。貴族の堅苦しいマナーが苦手で、騎士として身を立てたいわけではなく、実家から逃げ出したいという一心で騎士団に入った。
そのようなことを、訊いてもいないのにべらべらと教えてくれた。
ついでにクリスティーナの護衛をした際、侍女としてつき従うセシルを見かけて見初めたということも言っていたけれど、真偽のほどは定かではない。
何しろ軽薄が服を着て歩いているような男なのだ。顔を合わせるたび口説かれたり、食事やデートに誘ってきたりしているが、どこまで本気なのかはわからない。
自己申告の通りセシルに対してある程度の好意や興味は持っているのだろうが、そこに誠意は感じられない。
ちょっかいを出して面白がっているだけなのだろうと、相手にはしていなかった。
それがいけなかったのか。
つきまといはエスカレートし、今日に至ってはついに城下へ出かけようとするセシルを待ち伏せしていた。
「毎月この日城下に出てますよね」と笑顔で言われ、少々背筋にぞわっとしたものが走った。
正直、然るべきところに訴え出れば然るべき沙汰が下るのではないだろうか。
固まったままそんなことを考えていると、図々しくも「俺も今日休みなんでついて行っていいっスよね」などと宣った。
許可を求めているわけではない問いに、当然のごとく拒否し何度も追い払おうとしたのだが、体力馬鹿の騎士を撒くことなど不可能で、諦めることしかできなかった。
同行を許したわけではなく、存在を黙殺しようと決めたのだ。
あまりにうるさくてこれもまた無理だったが。
「っていうかなんでわざわざ城下の花屋に来てるんスか?『宮廷』にだって庭園はあるでしょ?そこから分けてもらえばいいのに」
目的の場所、花屋に着くとキースは不思議そうに尋ねてきたが、セシルからすればその疑問の方が不思議だ。
「……城のものはすべて皇帝陛下のものです。一侍女が自由にできるわけないでしょう」
「へぇ。ややこしいんスね」
「何が……」
さして興味も無さそうな相槌に、呑み込んだはずのため息が止まらない。
セシルさんは花が好きなんスね、という見当違いの発言にも、呆れを通り越して何だかもう疲れてきた。
どうしてこんなにも無意味な問答をしなくてはいけないのだろう。
どうせセシルが花を買う理由を、この男に理解できるわけないのに。
否、何もこの男に限った話ではない。この国の誰にも、理解はできない。
だからこそ、「城下に男がいる」などという噂が立つのだ。
けれど、それでかまわない。
毎月セシルが休みをとって城下の花屋で花を買って部屋に飾っている理由を、誰も知らない。知らなくていいし、誰かに言うつもりもない。
「彼女」のことは、セシルだけが覚えていればそれでいい。
一番に想ってくれた彼は、もうどこにもいないのだから。
セシルの祖国アメジアでは、月命日に故人を偲んで花を手向ける風習があった。
それはこの国には無い文化だ。月命日どころか、命日でさえ何かしらの行事を催すこともない。
帝国において死とは決して忌むべきことではなく、神の御許へと招かれる魂の解放あるいは祝福であり、常に清く生きることこそが死者への餞なのだと言う。
正直、セシルには理解できない。
人が死ぬことは哀しい。
死とは喪失であり別離、そして聖域。生者にはどうすることもできない、手出しできない領域だ。
だからこそせめて生者は祈りを捧げる。
魂の安らかな幸いのために。
再び合い見える日を信じて。
だからセシルは一人、もう会えない主のために花を買い、主のいない部屋に花を飾っていた。
主が好きだった花を。
誰よりも美しく凛として清らかだったセシルの主。
灯すように微笑む彼女の笑顔が、セシルはとても好きだった。
誰よりも何よりも、大切だった。
運命に翻弄されるように生きたローズマリーだったが、側妃として「後宮」に入ってからは存外、穏やかな日々を送っていた。
少なくとも、セシルが侍女として「後宮」に上がってからの数年の間、あんな事件が起こるまでは皇帝の庇護の元静かに過ごせていた。
皇帝はアデルバートと交わした約束通り、ローズマリーのことを丁重に扱ってくれた。
「後宮」に潜む悪意に晒されないよう、静かに暮らせるよう手を尽くしてくれた。
側妃としての公務も社交も放棄し、「後宮」の最奥でひっそりと暮らすローズマリーを「忘れられた華」と嘲笑う者もいたけれど、とるに足らないことだった。
祖国の安寧のために皇帝の子を産み「人質」として暮らすローズマリーには、寵愛も贅沢も必要なかったのだから。
ただローズマリーにとっての第一子である第四皇女のクリスティーナが生まれてすぐの頃、ほんの少し不穏な気配が生じたことはあった。
生まれた子が、アデルバートによく似ていたせいだ。
母親譲りのアメジストの瞳以外はアデルバートにうりふたつで、そのことであらぬ噂が立った。
とはいえ結婚する半年前から「宮廷」に滞在していたローズマリーと離宮で暮らすアデルバートの間に間違いなど起こりようもない。
皆、そんなことはわかっていたのだ。ただ退屈な日々に刺激が欲しいだけ。
そもそもアデルバート自身が父親である皇帝にうりふたつなのだ。
結局、父親によく似たそっくりな兄妹、ということで納得したのかしばらくすると噂は水面下へと沈んだ。
一方で、そんなくだらない噂が耳に入っていないわけないのに、皇帝は末娘のことを存外可愛がった。
忙しい公務の合間を縫ってローズマリー母娘の元を訪れ、親子の時間を楽しんでいた。
――どんな気持ちだったのだろう。
息子の最愛の女性を妃に迎え、子を産ませ、慈しむ。まともな神経の持ち主に、そんなことできるのだろうか。
口に出したら不敬罪で罰を受けそうなことを考えながらも、穏やかなローズマリーの表情に、抱いた不信感は呑み込んだ。
幸せそうにクリスティーナを抱くローズマリーを見ていたら、何も言えなかった。
そうやって都合の悪いことから目を逸らしてばかりいた報いだろうか。
平穏な日々は、突如として終わりを告げた。
四年前の嵐の夜に起こった第六皇妃暗殺未遂事件。アメジアと帝国の戦争で婚約者を喪った侍女に、ローズマリーは命を狙われた。
異変に気付いた第二皇子――現皇太子の介入により実行犯の侍女は捕らえられ事なきを得たが、その事件以来、ローズマリーはずっとふさぎ込んでいた。
事件で負傷したセシルが復帰しても、ずっと暗い顔を見せていた。
そんなローズマリーを心配したのか、皇帝が再び彼女の元に足しげく通うようになった。
そしてしばらくするとローズマリーの懐妊がわかった。
第三皇妃以来の第二子の懐妊に「後宮」内に激震が走ったが、最も動揺したのはなぜか当のローズマリー本人だった。
城医に妊娠を告げられたローズマリーは顔色を失い、倒れた。
ベッドの中、うなされながらうわごとのように謝罪を繰り返すローズマリーの姿は、懐妊を喜んでいるなどとは到底思えなかった。
日に日に衰弱し、一時は生死の境をさまよったほどだ。
何とか容態ももち直し、再び起き上がれるようになっても、ローズマリーは沈んだままだった。
妊娠のせいで情緒が不安定になっているせいだと城医は言っていたが、果たして本当にそうだろうか。
クリスティーナを身籠っていた頃も、複雑そうにはしていたものの、隠しきれない喜びが滲み出ていた。
それが母性によるものなのか「人質」としての役目を果たせた安堵によるものなのかは、セシルにはわからなかったが。
どちらにしろ第二子を身籠ったローズマリーの表情には、絶望が色濃く滲んでいた。
この国で最も尊い男の子を身籠るという栄誉をその身に浴びていながら。
日に日に生気を失っていく主に、さすがにおかしいと思うと同時に、かつての姿が思い起こされた。
数年前、「後宮」入りを告げられた頃にも、ローズマリーはこんな風にうちひしがれていた。
食事も喉を通らず、セシルに隠れて毎夜泣いていた。
あの頃と同じような姿に、まさか、と思う同時に、やはり、とも思った。
そんなわけない、と打ち消そうとすればするほど、疑いは深まっていった。
ローズマリーの懐妊がわかったのは、思えばアデルバートの婚約が発表されたのとちょうど同じ時期だった。
相手は四大公爵家のランチェスター家の長女。第二皇子の従妹で、亡き第二皇妃の姪に当たる令嬢だ。
父親譲りの金の髪と蒼の瞳の美しい少女で、叔母である第二皇妃によく似ているらしい。
帝国の社交界に疎いセシルには詳細はよくわからなかったが、噂では皇家側――アデルバートの方から強く望んだ縁談だったのだという。
普段は帝都とセイレーヌと離れているが、帰都の際、アデルバートは必ず婚約者の元を訪ねているらしい。
微笑ましくも仲睦まじいふたりの様子がローズマリーの耳にも入り、そのことで彼女は胸を痛めていたのではないか。
ローズマリーに確かめたことはないし、確かめられるわけもなかった。
けれど物憂げなローズマリーの姿を見るたび、セシルの中の疑念は膨らんでいった。
結局ローズマリーは、アデルバートのことを忘れられないのではないか、と。
ありえない邪推だった。
けれど「そんなわけない」と笑い飛ばすには、記憶の中のふたりが鮮やかすぎた。
その美しい想い出が、ローズマリーを苛んでいるのだとしても。
―――ごめんなさい……ごめんなさい……ッ
壊れたように謝罪を繰り返すローズマリーを、皇帝は責めなかった。理由を問うこともしなかった。
泣き暮らすローズマリーに寄り添い、慈しみ、抱きしめた。
大丈夫。何も心配することはない。
そう優しく囁く皇帝のことが、セシルは薄気味悪かった。
他の男を恋い涙する妻を抱きしめる歪さに、眩暈がした。
けれど、今思えばきっと「後宮」にいる者は皆、歪んでいたのだ。
誰も彼も、何もかもが。
日に日にやつれていったローズマリーは、同時に少しずつ心の均衡を崩していった。
綻びが顕著になったのは、出産後――第四皇子のロベルトを産んですぐのことだった。
産んだ我が子を抱こうとしない。それどころかまるで悪魔でも見たかのように怯え、あまつさえ嬰児を殺すよう半乱狂になって叫んだ。
おかしいと、気付いたときにはもう手遅れだった。
ローズマリーは夢と現の狭間を行き来するようになっていた。
目を覚ますと取り乱し、怯え、泣き叫ぶ。
やけに静かだと思ったらグラスの破片で喉を切ろうとしていたこともあった。
それを取り押さえて鎮静剤を打ち、眠らせる。
そういった日々を繰り返していると、ある日、酷く穏やかな表情をしていたことがあった。
「今日は御気分がよろしいのですか」。おそるおそる尋ねると、ローズマリーは美しく微笑んで答えた。
「今日はアデルさまとピクニックに行くから、楽しみで早く目が覚めてしまったの」と。
壊れてしまった美しい皇妃は、少女のように無邪気に微笑んだ。
『昨日アデルさまといっしょに出かけたファーラの泉にまた行きたいわ』
『アデルさまがくださったコスモスの花を押し花にして栞にしたいの』
『アデルさまとお話したいわ。でも御政務の邪魔をしたらご迷惑よね』
色を失った唇が紡ぐのは、アデルバートの話ばかり。
離宮で過ごした彼との想い出を、まるで昨日のことのように語っていた。
きっとローズマリーには、それしかなかったのだ。
アデルバートの傍でともに過ごした日々だけが、彼女にとってかけがえのない宝物だった。
皇妃となったことも、皇帝の子を産んだことも、何もかも忘れてしまった。
幸せそうに微笑みながらアデルバートの訪れを待つローズマリーに、現実を突き付けることなどできなかった。
せめてもの救いは、幸せなまどろみのなか旅立てたことだろうか。
「正気」に戻ることなく、皇子を産んだ二月後、ローズマリーは帰らぬ人となった。
あの日も、空は青く晴れていた。
ローズマリーはもうどこにもいないのに、いつもと変わらず澄んだ空さえも恨めしかった。
もう会えない、もう戻らない最愛の主。
いっそあとを追おうかとさえ思った。
この哀しみから解放されるなら、常世の闇の中、再びローズマリーに会うことができるのなら、と。
思い留まらせたのは、アデルバートからの申し入れだ。
ローズマリーの遺児、クリスティーナとロベルトの後見人を引き受けることになった。二人の身柄は離宮で引き取るから、その侍女として二人に仕えてほしい。かつてローズマリーにしていたように。
数年ぶりに会ったアデルバートにそう言われ、従った。
遺された二人があまりにも不憫に思えてならなかったせいもある。
幼くして母を亡くしたクリスティーナと、生まれてから一度も母に抱かれたことのないロベルトのことが。
「――ますか、セシルさん」
「え……?」
いつの間にか物思いに耽ってしまっていたセシルの意識を、キースの声が呼び戻す。
ハッと顔を上げると、いつになく――初めて目にする真剣な表情をしていた。
嫌な予感がした。
「……ごめんなさい、聞いていなかったわ」
「ホント正直ッスね、セシルさん」
「……」
思いのほか柔らかな声に聞こえないふりをして選んだ花の支払いを済ませる。
その際顔見知りの女性店員に恋人かと尋ねられたが、キースには聞こえなくて本当によかった。
「さて。次はどこに行きます?」
店を出て、目的を果たしたのだからもう帰ると告げようとするも先手を打たれた。
「……どこにも参りません。目的の物は買えたのですから、もう城に戻ります」
「えぇ?まだこんな日も高いのに?せっかくの休みなのに帰って何するんスか」
「貴方に関係ないでしょう」
淡々と言い捨てると、キースは目を丸くした。
きっと今まで彼に向かってこんな口の聞き方する女などいなかったのだろう。
キースは見た目は決して悪くない。むしろどちらかと言えば美男の部類に入るだろう。
武人にしては柔和な顔立ちをしているし、言動から粗暴さは感じられない。軽薄だが女性の扱いは紳士的でスマートだ。
きっと彼に想いを寄せる女性も少なくはないのだろう。
それなのにこんな可愛げのないセシルにかまうなんて、本当に、どういうつもりなのだろう。
セシルは自分がこの国の紳士が理想とする淑女像からかけ離れていることは自覚していた。
けれど今更、貞淑にも従順にもなれない。
そんなんじゃ、何も守れない。
「……その花」
「はい?」
「その花、今度は俺がセシルさんに贈ります。そしたらまたデートしてくれますか?」
「何を……」
「初めてなんです。俺、こんな風に邪険にされても一緒にいたいって思うの。もっとセシルさんのこと知りたい」
真剣なまなざしに、「嫌な予感」が間違っていなかったことを知る。
「……知ってどうするおつもりです」
「え……」
「知ったところで無意味です。これ以上わたくしにかまったところで、貴方に利はありません」
「……利があるとか、そんな理由でセシルさんに近付いてるんじゃありません。ただ何か……気になるんです。あなたは他の誰とも違うから。他の令嬢みたいに、男に媚びたり他の女を陥れようとしたりしないでしょ?思ったことちゃんと言ってくれるし、自分を持ってるって言うか、芯の強い女性って言うか……」
「……それはわたくしが他の御令嬢と違って、貴方に好意を抱いていないからです」
セシルの言葉に、キースは目を見開く。
彼のことを傷つけたかったわけじゃないけれど、なぜかどうしようもなく苛立ったのも事実だ。
出会いから今日まで、セシルは彼に対して好意を抱いたことはない。
そっけないのは彼の気を惹きたいという恋の駆け引きなどではない。何ならちょっぴり辟易している。
セシルにはもう、誰かに心を寄せる余裕もつもりもないのだ。
「きっと貴方の周りの御令嬢方は、貴方に愛されたいのでしょう。気に入られたいから優しくするし、他の人よりも強く貴方の心に残りたいと考えておいでなのでしょう。もちろん他者を貶めるような言動は褒められたものではないけれど、女性のいじらしさを悪し様に言う貴方も、紳士として如何なものかと思います」
「俺はそんなつもりじゃ……」
「それにわたくしが強く見えているのだとしたら、わたくしにはもう、そうやって生きる道しか無いからです」
生家の庇護の元安穏と暮らす帝国貴族の御令嬢とは根本からして違うのだ。
仕えるべき主も後ろ盾となってくれたアデルバートももういない。
ローズマリーのいない今、セシルの存在に政治的意義は無い。
誰もセシルを守ってくれはしない。
「……じゃぁ、俺がセシルさんに優しくします」
「は……?」
「俺もセシルさんに気に入られたいから、すきになってほしいから……。だから、俺と結婚してください」
「はぁ……!?」
いったい何を言い出すのか。
つい今し方「もうかまうな」と告げたはずなのに、どうしてそんな結論に至るのか。突飛にもほどがある。
突然の求婚に、抱いたのは喜びでも嫌悪感でもなく戸惑い。
キースが真剣だとわかるからこそ、困惑しかできない。
「すきです、セシルさん。だから俺にあなたを守らせて」
「……ッ」
―――すきだったよ、アンタのこと
―――すきになってごめん
どうして。
こんなときに思い出すのか。
無口で不愛想で無表情で、けれど本当はとても優しいひと。
セシルに温もりをくれて、セシルが傷つけたひと。
「……お断りします」
「……ッ」
「わたくしには、亡き主以上に大切なものはありません。主の遺してくださった忘れ形見である両殿下のために生きることが、今のわたくしの生きる意味なのです。だから貴方とは……貴方以外の誰とも、結婚いたしません」
キースに告げた返事は紛れもないセシルの本心だったけれど、それだけではない。
恋したひとを、愛してくれたひとをあれほど傷つけておいて、生まれるはずだった命をセシルの都合で奪っておいて、今更他の誰かと寄り添い合うことなどできない。
幸せになるなんて、許されるわけない。
「あなたの主は、本当にそんなことを望んでいるんですか」
「……ッ」
「セシルさんがそんなにも大事に想っている人は、セシルさんがそんな風に自分の幸せを犠牲にしてるのを喜ぶような人なんですか」
「―――わかったようなこと言わないで!」
そんな人ではないことくらい、セシルが一番わかっている。
ローズマリーはいつも、セシルの幸せを願ってくれた。
大好きだと、大切だと言ってくれた。
そんな彼女が、今のセシルを見ても喜ばないことくらい、セシルにだってわかっている。
セシルが一番わかっている。
けれどセシルには、こういう生き方しかできない。
ローズマリーがいないのに、幸せになんてなれないのだから。
声を荒らげたセシルに、キースは顔を強張らせた。
「芯の強い女性が好き」だといっても、ヒステリックな女はさすがに嫌なのだろう。
「……御心遣い、感謝いたします。けれどどうかこれ以上、わたくしにかまうことはやめてください。貴方はきっとわたくしのことは理解できないし、してほしいとも思っておりません」
「……」
「貴方が貴方と同じ幸せを分け合える方と出逢えることを、祈っています」
それは、セシルではない。
遠回しだが明確な拒絶に、キースはもうそれ以上何も言わなかった。
セシル目線の番外編「或る侍女の永日」終了です。
長い間……本当に長い間お付き合いくださった方、ありがとうございました……。
セシルから見たアデルとローズマリーのお話がメインでしたが、本編では出番も少なく浮世離れした印象の二人の人間らしい面が見えたのではないでしょうか。
気付けば本編より番外編の方が長くなってしまいました。
次の番外編で終了の予定です。
更新までかなりお待たせすることになると思いますが、気長にお付き合いいただけましたら幸いです。




