E.C.1011.02-1
前回更新より長らく間が空いてしまい申し訳ありません……。
待ってくださってた方いらっしゃいましたら、長いですがお付き合いいただけましたら幸いです。
夏が終わり、皇女たちが帝都へと帰っていくと離宮に平穏が戻った。
だが何もかもが元通りというわけではない。
少なくとも、ローズマリーとアデルバートの仲は確実に変化していた。
アデルバートはローズマリーのことを「ロゼ」と愛称で呼ぶようになり、口調も砕けたものになった。
恒例のティータイムも、屋内の場合はサロンではなくアデルバートの自室で行われるようになった。
もちろん常にセシルや他の侍女、近衛騎士のフェリックスの立ち合いがあるためふたりきりになることはないが、ふたりの「関係」が変化――進展したことは明らかだ。
ティータイムや庭園の散歩、城下の視察以外でもふたりがともに過ごす時間は以前にも増して長くなっていった。
以前と違うのは、その間、ふたりが半刻以上話さないこともあるということ。
同じ空間にいるのにローズマリーは本を読みアデルバートは公務に勤しむなど、それぞれが違うことをしているときもある。
机で転寝していたアデルバートをローズマリーがただ眺めていたこともあった。
いっしょにいるのに別のことをしていて淋しくはないかとローズマリーに尋ねると、いっしょにいられるだけで十分よ、と健気な答えが返ってきた。
アデルバートも刺繍をするローズマリーを結構な時間黙って見つめていたことがあるから、同じように思っているのだろう。
ふたりにとって、ふたりで過ごす時間はただそれだけで何物にも代えがたい価値があるのだ。
一方で、ローズマリーがアデルバートと過ごす時間が増えると、セシルがローズマリーの傍に侍る時間は減っていった。
そもそも高貴な身分の女性に仕える侍女の主な仕事は、主の話し相手がほとんどだ。
もちろん主を着替え褪せたり風呂に入れたりと身の周りの世話はするけれど、ローズリーは祖国にいた頃から一日に何度も着替えたりはしなかった。
そのため出かける予定の無い日は朝身支度を整えると、日中何度かお茶を淹れたり読書や刺繍の用意をしたりくらいしかやることがない。
そのささやかな役目さえもアデルバートと過ごすときはミアやレベッカたちアデルバート付の侍女がやってくれる。
そのせいか、ローズマリーはやたらとセシルに休みを与えるようになった。
働きづめでは息も詰まるでしょう、外で羽を伸ばしていらっしゃい、と。
ー・-・-・-・-
「で?アンタはそれの何が不満なんだよ」
普段通りの淡々とした口調で一瞥もくれずに尋ねられた。
雑に扱われているという自覚はある。
この男はいつもそっけなくて、無礼者で、少しも優しくなんてない。ただそれが不快ではないだけ。
もちろん心地よいわけではない。不愉快だと思うこともある。
それなのに、会うのをやめたいと思わないのはなぜなのか。
「……別に、気に入らないわけでは……」
「じゃぁなんでそんな不満そうな表情してんだ」
「……」
そんな表情してない、と小声で反論するも、聞こえねぇよと一蹴される。
顔なんて見ていないくせに、テキトーなこと言ってんじゃないわよ、と内心毒づくセシルは、いつの間にか随分口が悪くなった。
誰の影響か。誰のせいだと思っているのか。
黙秘するセシルに呆れたようにため息を吐き、ロイは読んでいた手紙を畳んだ。
そして横向きに寝そべっていた態勢から身体を起こす。温もりと重みが、セシルの膝から離れていった。
いわゆる膝枕という態勢から解放されたセシルは、何となくスカートの皺を整える。
いつの間にかこの態勢に疑問を抱かなくなっていた。あれほど拒んでいた「密室でふたりきり」という状況にも。
慣れとは本当に恐ろしい。
非番の日、セシルがセイレーヌの城下にあるロイの家で過ごすことはここ数ヶ月の間ですっかり日常と化していた。
明確な約束をしているわけではない。けれどロイは突然訪ねてくるセシルを拒むこともない。
急ぎの仕事で立て込んでいるときは工房に籠りセシルを放置することもあるけれど、大抵は同じ部屋で一緒に過ごす。
ロイはセシルが淹れたお茶に感想の一つも言わないで、当たり前のようにセシルの膝に頭を預ける。
硝子職人として独り立ちしたロイは師の家を出て、街の外れに工房を構えた。
販売はしていないため店舗ではなく、一階は作業場で二階が住居スペースになっている。
アメジアの貴族であるセシルに帝国の平民の「標準」はわからないが、男一人で暮らすのに不自由ない庶民的な広さらしい。
だが食卓にはなぜか仕事で使うであろう資料が雑然と広げられ、椅子も食器も一人分しかなかった。
そのためセシルが訪ねているときは専らベッドを椅子代わりにして過ごしている。
ベッドと言ってももちろんローズマリーたちや貴族が使うような立派なものではなく、三人掛けのソファーに近いかもしれない。
実際、最初セシルが抵抗なく腰掛けたのは、ベッドではなくソファーだと思ったからだ。
ロイの家で、時折言葉を交わしながら、けれどさほど話が弾むわけでもなく、それぞれが思い思いの時間を過ごす。
不思議な時間。
本来ならば関わることのなどなかったであろうロイとこうして休日を共有していることが、セシルにはとても奇妙なことに思えた。
初めてセシルがロイの家を訪れたのは、半年前のことだった。
ローズマリーの壊れた首飾りの修理のため「お忍び」でロイの元を訪ねた。
アデルバートに知られないよう直す方法は無いかとリリーに相談したところ、硝子の装飾を使ったアクセサリーも取り扱っているロイならば何とかできるのではないかと言われたためだ。
結局首飾りが壊されたことはアデルバートの知るところとなり、帝都の宝石店に修理に出したのだが。
二度目はその数ヶ月後。非番の日にセシルが街をふらついていたときのことだ。
せっかくの休日に何をしていいかわからず、慣れない城下に戸惑うセシルは悪目立ちしていたのだろう。
明らかにあまり素行のよろしくない男たちに声をかけられ、案内するという口実で連れ回されそうになっていたところをロイに助けられた。
見知らぬ男にカラまれていたところ、見知った男の登場に安堵した。
思えば、あれがいけなかった。吊り橋効果の一環で、ついつい心を許してしまった。
ロイのことだってそうよく知っているわけではないのに、手を引かれるまま家までついてきて、暇ならいつでも来ればいいという言葉を真に受けて。
どうかしていた。
否。
今も、どうかしている。
身を起こしたロイはセシルに向き直り、片膝を立てて座る。
その膝の上に顎を乗せると、背中が丸まるため自然と上目遣いになる。
そうやって見つめられると、何だか甘えられている気分になる。
きっとローズマリーにはわからないだろう。
だってアデルバートは絶対に、こんな座り方はしないから。
火傷の痕の残る指が伸びてくる。
触れる寸前、セシルは口を開いた。
「り……リリーさんからのお手紙には何と……っ?」
「は?」
「先程読まれていたお手紙、リリーさんからなのでしょう?」
「あぁ……」
明らかに気を逸らそうとしているセシルの意図に気付いただろうが、ロイは表情を変えず、無造作に置かれた手紙をちらりと見る。
昨年の秋、冬がくる前にリリーは薬師としての修行のために帝都へ向かった。
帝都ではクラリスの知人の家に滞在しているらしいが、ロイの元には十日に一度程の頻度で手紙が届く。
ちなみにローズマリーには月に一度程のペースで送られてくる。あぁ見えて、意外とマメなようだ。
「いつも通りの内容だよ。何とかって菓子屋のプディング?が美味いだの、肉屋の娘と喧嘩しただの、……パン屋の次男に求婚されただの」
「まぁ!ではご結婚されるのですね。それはおめでとうございます」
「しねぇよ!するわけねえだろ!……結婚とか……あいつにはまだ早ぇし……」
珍しく声を荒げたと思ったら、気まずげに視線を逸らしもごもごと何か言い始めた。
耳を澄ませてみると、あいつはまだ十五だし、そりゃ平民に成人とかカンケーねぇけど、たしかに兄離れしろとは言ってるけど、とのことだ。
要するに、妹離れができていないのはロイも同じのようだ。
「実際にリリーさんが結婚するときは泣いてしまいそうですね、あなた」
「……」
「ふふ、何だかおかしい……」
意外にも思えるロイの新たな一面を見た気がして、セシルは思わず笑みを零す。
帝都へ出発する直前もリリーは相変わらずセシルに対して当たりが強かったが、ローズマリー宛の手紙にはセシルの安否を気遣う言葉も時折入っていて、素直じゃないただの跳ねっ返りかと思うと、ほんの少し可愛くも思えた。
それにあの憎まれ口を久しく聞いていないと思うと、何だか寂しくもある。
「……それはアンタもだろ」
「え……?」
「アンタだって、姫さんが結婚するってなったら泣くだろ」
「そんなこと……」
ロイの言葉を、すぐには否定できなかった。
ロイとリリー、ローズマリーとセシルを同じように考えるなど恐れ多い。
セシルにとってローズマリーは彼女が生まれたときから絶対的な主で。
彼女に尽くすことがセシルの生きる意味で。
彼女のために生きることがセシルの使命で。
誰よりもローズマリーの幸せを祈っている。ローズマリーが幸せでいてくれるなら、それ以上のことは何も望まない。
その願いに、嘘なんてないはずなのに。
千切れそうに、胸が痛い。
いつか来る、そう遠くない未来を思い浮かべるだけで、足元が崩れ落ちていくような、底知れぬ恐怖に似た何かが込み上げる。
「……悪い。アンタにそんな表情をさせたいわけじゃなかった」
「そんな表情」って、よほど酷い表情をしているのだろうか。
ロイに謝られるのは、これが初めてかもしれない。
そんなことを考えていると、口元を隠していた左手をとられた。
掴まれた手に、力が入らない。
握り返すことも振り払うこともできずにいると、指を絡めとられる。
傷痕の残る、長い指。大きな手。
怖くなくなったのは、いつからだろう。
関係が変わってしまったのは、ローズマリーとアデルバートだけではない。
セシルとロイもまた、「ただの知り合い」などではなくなった。
けれど、ふたりの関係に名前を付けるとしたら一体何なのか。
セシルにはわからない。
「……再来月に、皇帝陛下が離宮にいらっしゃるんですって」
指先を絡めたままの左手を見つめ、独り言のように告げる。
ロイは何も言わない。黙ってその先を待ってくれる。
「きっと、……姫様と皇太子殿下の婚姻のお話を進められるためだわ」
終戦の条件の一つである両国の王家の婚姻について、具体的な話はいまだ何も動いていない。
少なくとも、ローズマリーもセシルも何も聞かされていない。
けれどローズマリーが帝国に来てもうすぐ一年、終戦からは既に一年半が経った。
ローズマリーは十五歳、アデルバートは十七歳になった。
帝国では皇族の成人は十八歳らしいが、ならばそれまでにもう一年もない。
そんな状況での皇帝のわざわざの来訪。勘繰るなと言う方が無理だ。
ローズマリーがアデルバートに嫁ぐこと。
それはもはや暗黙の了解、公然の秘密だ。
おそらくは当人同士でさえそのつもりだろう。
「国賓」であるローズマリーがわざわざ帝都から遠く離れたこの街で暮らしているのもそのためだ。
初めから、覚悟はしていた。
異を唱えるつもりも権限もセシルには無い。
何より、きっとローズマリー自身がそれを望んでいる。
聡明で、穏やかで、優しくて、どこか抜けていて、どうしようもなく無神経なところもあって、けれど誰よりもローズマリーのことを大切にしてくれるアデルバート。
そんな彼にローズマリーが心を寄せるようになることは、何も不思議なことではない。
仲睦まじく語り合うふたりを、セシルは一番近くで見守ってきた。
ローズマリーの幸せを何より大切にしなければと、繰り返し自分に言い聞かせながら。
「……あなたは、恨んだことはないの?」
「は……?」
唐突な――ロイからしてみれば脈絡の無い質問だろう。
大人しくセシルの言葉を待っていたロイは、予想外の問いに訝しむように眉を寄せた。
ロイは表情の変化が少ないけれど、まったく無いわけではない。
今日は機嫌がいいとか少し疲れているとか、よく見ればわかる。
そのことに気付いたとき、セシルはなぜか嬉しかった。
「あなたの村を焼いた……ご両親を殺したブリティックスへの報復を願ったことはないの?」
酷い質問だと思った。
けれど尋ねずにはいられなかった。
ロイは元々セイレーヌの生まれではない。
ここからもう少し北にある国境にほど近い村で生まれた。
人口百人にも満たない小さなその村は、今はもう無い。
十七年前の戦争でブリティックス軍の襲撃を受け、壊滅させられた。
村の男は皆殺され、若い女や子どものほとんどは連れさられた。
運よく逃げ延びたロイの母親は赤ん坊だったロイを連れて隣の村の縁者を頼ったが、そのときの傷が元で亡くなった。
その後ロイは孤児院に引き取られたが、当然のことながら当時のことは覚えていない。すべて神父から聞いた話なのだと言う。
だがそれでも自らの生い立ちについて、自らを襲った悲劇について、何とも思わなかったわけはないだろう。
そう思ったのに。
「……そんなこと、考えたこともなかったな」
呟くような声だった。
怒りも嘆きも無い声は、ふたりきりの部屋の中、聞き違えようもないほど明瞭に響いた。
「そんなこと考える余裕なんて無かった。俺らみたいな何の力も無いガキは、その日を生きてくことで精いっぱいだったからな。どうやってその日の飯にありつくか、寒さを凌ぐか。そんなことしか考えられなかったよ」
答える声は淡々としていて、そんなことをわざわざ訊いたセシルを責めるわけでも、「そんなことを考える余裕があった」セシルを詰るわけでもなかった。
静かで、穏やかな声。それなのに、突き放されたと思ってしまった。
どうせお前にはわからないと、言われた気がした。
何よりもセシル自身が、わからないということをわかってしまった。
「……帰ります」
「は?」
「お邪魔いたしました」
「おい……ッ」
ロイの手を振り払い、立ち上がる。
自分から質問しておいて、無礼にもほどがある。
けれどもう、セシルはどうすればいいかわからなかった。
同じだと思っていた。同じであってほしかった。自分だけじゃないと、安心したかった。
「待てよ」
「きゃ……ッ」
振り払った手を、再び掴まれる。痛いくらいに強く。
立ち上がろうとしていたセシルはバランスを崩し、反動で倒れ込む。
硬いベッドの上ではなく、ロイの腕の中に。
「離……ッ」
「言えよ」
抱きすくめられて、腕一つ動かせない。
吐息が耳を撫で、肌が粟立つ。不快感からではないことは、セシルも気付いている。
「思ってること、全部。そうしなきゃわかんねぇ」
「……ッ」
「アンタのこと、わかりたいって思ってんのに……」
こうして抱きしめられると、互いの鼓動を何より近くに感じられる。
けれど顔はすれ違う。
どんな表情をしているのか、抱きしめているのが誰なのかさえ見えない。
「……わかるわけないわ」
頬が冷たいのは、セシルが泣いているから。
抱きしめたままではそのことにも気付けない。
「あなたたちにわかるわけないのよ……ッ」
だって、セシルだってわかっていなかった。
ローズマリーと共にこの国に来ると決めた頃、この国に来たばかりの頃。
敗戦国の人間が戦勝国に来ることがどういうことなのか、少しもわかっていなかった。
ただローズマリーの傍にいたい。その一心で周囲の反対を押し切ってついてきた。
ローズマリーがいれば、他に何も要らなかったから。
けれど。
―――思い上がるなよ人質風情が!
―――貴様は我らに生かされているだけだ!そのことを忘れるな……ッ
蔑まれ、罵られるローズマリーを目の当たりにして、衝撃と同時になぜ、という想いが押し寄せてきた。
ローズマリーは何も悪くないのに。
国のため、民のためにその身を捧げる彼女がどうしてこんな屈辱を受けなければいけないのか。
主がこんな扱いを受けるのは、誰のせいなのか。
戸惑いと嘆きは、やがて怒りへと変わった。
そしてそれは、戦を始めたアメジアの前王でもローズマリーを帝国に送った兄王でもなく、帝国そのものへと向けられた。
祖国を焼いたことよりも、ローズマリーを苦しめていることが許せなかった。
それなのに。
―――あなたの心からの笑顔が見たい。それが私の、何よりの願いです
―――アデルさまに、嫌われたくなかった……
ローズマリーを苦しめている「帝国」の皇太子は、ローズマリーに愛のことばを囁いた。
ローズマリーもまた、彼に愛されたいと願うようになっていった。
まるで運命のようにふたりは出逢い、惹かれ合った。
けれどふたりが近づけば近づくほど、セシルの心は黒い感情に塗り潰されていった。
最愛の主の幸せを何よりも願っていたはずなのに、アデルバートの隣で微笑むローズマリーを見ていると、裏切られたように思ってしまった。
どうしてと、決して口にすることのできない疑問が浮かんだ。
どうして帝国の皇太子などに心を許すのか。
誰のせいで苦しんでいるのか。
ローズマリーの幸せを願う一方で、そんな非難がましい感情を抱いていた。
ねじれていく。
心も、願いも。
だからなのか。
こんな醜い感情を抱くことをやめられないから遠ざけられてしまったのだろうか。
こんなにも醜いセシルは、ローズマリーの傍に相応しくないから。
「……ごめんなさい」
「……」
「少し、疲れているみたい。八つ当たりして、みっともなくてごめんなさい」
「……別に」
言い訳にもならない謝罪を口にすると、抱きしめる腕の力が緩んだ。
放してほしかったはずなのに、不安になる。
この男にも、見限られてしまうのか、と。
「みっともなくたってかまわねぇ」
「え……」
「そんなんでアンタのこと、嫌になったりしないし、わかんなくても知りたいって思ってる。……諦めたくないんだ」
青い瞳が、セシルを見ていた。
ただそれだけのことに、鼓動が速くなっていく。
ロイの手が、頬に触れる。冬だというのにその手は温かかった。
当たり前だ。
生きているのだから。
目の前にいるこの男は、血の通った人間。
その身体にはセシルの主を苦しめる帝国の血が流れている。
心の奥底へと沈めたはずの疑問が、自らへと跳ね返る。
どうして「帝国の男」に心を許しているのか。
与えられた温もりを、愛しいと思うのか。
失いたくないと思ってしまうのか。与えられるだけでなく、与えたいと願うのか。
「……もう……どうしたらいいかわからないの……」
零れ落ちたのは、偽らざる本音。
どうすればいいのか、どうしたいのかすらわからなくて苦しい。
―――憎めばいい
―――あなたに憎まれるために、私はずっとあなたの傍にいます
アデルバートがローズマリーに贈ったのは、まるで呪いのような、愛に似たことば。
あの言葉に、セシルもまた救われた。
あの瞬間、憎んでいいのだと安堵した。そして同時に、そんな自分の醜さに絶望した。
本当は、誰も憎みたくない。誰かを憎みながら生きることは、きっととても哀しいことだから。
そう思うのに、憎まずにはいられない。
どうしようもない矛盾に、胸が苦しくて、たまらずセシルは瞼を伏せた。
目を閉じて、耳を塞いで、何もかも忘れられたらどれほど楽だろう。
伏せられた瞼に、熱を帯びた何かが触れる。
それがロイの唇だと気付いたときには、柔らかな熱は頬の涙を伝い、セシルの唇に触れていた。
重ねられた唇を、セシルは拒まなかった。
肌を辿る熱が心地よくて、もう何も考えたくなかった。
「……たすけて……」
口づけの合間に零れ落ちた声が、ロイの耳に届いたかどうかはわからない。
ただそれは、紛れもなくセシルの本音であり、初めて吐露した弱音だった。




