E.C.1010.08-6
前回更新分から数日後のお話です。
皇女との一件から数日の間、ローズマリーは宣言通り皇女の目に触れないように過ごしていた。
食事は部屋で別にとり、日中も本を読んだり刺繍をしたりして部屋に閉じこもっている。
そもそも皇女の方もローズマリーと積極的に関わろうとはしていなかったのだろう。
ミアの協力もあり、皇女を避けることはさほど難しいことではなかった。
ただし、アデルバートが伏せっている間は。
「弟君たちと……ですか」
ようやく回復したアデルバートに呼ばれ、断るわけにもいかずローズマリーはティーサロンを訪ねた。
普段ならばアデルバートと過ごす時間を楽しみにしているローズマリーだが、今日に限っては万が一皇女に見つかったらと思うと気が気ではないのだろう。どことなく落ち着きがない。
そんなローズマリーの胸中になど気付かず、アデルバートは明日弟妹たちと共に街へ行くから一緒にどうかと誘ってきた。
ローズマリーとは対照的なうきうきと浮かれた様子に、この男は本当に呑気だなとセシルは呆れる。
思慮深く聡明なはずの皇太子は、弟妹にはとことん甘い。
「えぇ。まだ正式に会ったことがないでしょう?だから顔合わせも兼ねてどうかなと思いまして」
相変わらず笑顔が眩しい。
そして純度100パーセントの厚意は性質が悪い。
セシルはそのことをアデルバートに出逢って嫌と言うほど思い知らされた。
侍女としてセシルが息を殺して存在を消して見守るなか、ローズマリーは困ったように口を開いた。
「……お誘いは光栄なのですが、ここのところ何だか体調がすぐれなくて……。悪化して皆様にご迷惑をおかけすることになっては申し訳ないので……今回はご遠慮させていただきます」
「え……」
まさか断られるとは思っていなかったのか、ローズマリーの返答にアデルバートは驚いた表情を見せる。
顔面に「ショック」とでも書いていそうな反応に、なぜかローズマリーもまた動揺を見せる。
「申し訳ありません。せっかくのお心遣いを……」
「いや、そんなことより体調がすぐれないとはいつからです?なぜミアも報告しなかったんだ……。気付かなくて申し訳ありません。医者には診せましたか?まだなら今からでも呼びましょう」
「あ……いえ、あの、ミアさんはご存知なくて、そんな大したことはないので……。あ、でも、えっと、大事をとって言いますか、心配していただくほどでもないんですけれど、あの……弟君たちに伝染してしまっては申し訳ないので……」
ただでさえ嘘を吐くことが下手なのに、一生懸命しどろもどろに言い訳するローズマリーが可哀想になってくる。
策士策に溺れる、と言うか語れば語るほど生じる矛盾に勝手に追い込まれている。
アデルバートに心配されて狼狽するローズマリーに助け舟を出そうか迷っていると、ふいにアデルバートの表情が曇った。
困ったような、自嘲のような表情だった。
「……君はそうやって、人のことばかりですね。もっと自分のことを大切にしてほしいと思えてなりません」
「そんな……」
「それとも私は、そんなにも頼りないのかな」
「え……」
「君がレオンたちに……キャリーに会いたくない理由を、教えてはもらえないのでしょうか」
思いがけない問いにローズマリーは弾かれたようにセシルの方を振り返る。
セシルが慌てて首を振ると、わかりやすい主従に、アデルバートは小さく苦笑した。
「言っておきますが、密告者はブライトナー嬢ではありませんよ。君のブライトナー嬢は何よりも君の命を優先するけれど、私の侍女たちは必ずしもそうではありませんから」
「……」
確かに、最近ではローズマリーの専属侍女のようになっているミアも、本来は皇太子付侍女だ。
そのため主の意向を優先することは当然だし、また何より皇女とのやりとりをレベッカにも見られている。
具体的な会話の内容が聞こえていたかどうかはわからないが、あのときの不穏な空気で二人の間に「何かあった」と想像するのは当然だ。
そんなことに考えが及ばずセシルの口止めだけで安堵していたローズマリーが浅はかだったのだ。
「姫君。我が妹が本当に申し訳ないことをしました。あの子は負けん気が強くてお転婆だけれどこんなことをするような子ではないと思っていたんですが、私の思い違いだったようです」
アデルバートの苦悶の表情に、セシルは胸のすく思いがした。
アデルバートが皇女ではなくローズマリーの味方をしてくれたこともそうだし、同時にこれで少しは皇女も大人しくなるだろうと安堵した。
しかしローズマリーの表情は暗いままだ。
「……そんな風におっしゃらないでください」
「君に酷いことをした妹をかばおうとしてくれているですか?君は本当に優しいですね。けれど、それではあの子のためにならないし、何より君に申し訳ない。
あの子が君にしたことは、上に立つ者として……いや、人として許されないことです。二度とこのようなことがないよう、きつく言って聞かせますので……」
「違います。……皇女殿下をかばっていたわけではないんです。……わたくしは、少しも優しくなんてありません。……ただ……皇女殿下に嫌われたと、アデルさまに知られたくなかっただけなんです」
「え……?」
思いがけないローズマリーの「告白」に、アデルバートは不可解とでも言いたげに首を傾げる。
本当に、どこまでも鈍い男だ。
「どうして……」
「……アデルさまにとって大切な妹君でいらっしゃる皇女殿下に嫌われたと知られて、失望されることが怖かったんです……。アデルさまに、嫌われたくなかった……」
消え入りそうなほど小さな告白に、けれどセシルはようやく合点がいった。
アデルバートへの報告を頑なに拒んでいた理由はこれか、と。
結局、ローズマリーにとって何より優先したいのはアデルバートだったのだ。
「王女」としての責務を全うすると言いながら、「保身」に走ったローズマリーを身勝手だと思う気持ちは微塵も無い。
ただそのことでローズマリーが自分を責めているということの方がつらい。
きっと、彼女の中では様々な葛藤があったのだろう。
どうしてセシルの主はこんなにも不器用なのか。
「……姫君……」
「わかっています!
……わかっています。アデルさまがわたくしによくしてくださっているのは、『皇太子』としての御役目を果たされているだけだということ。わたくしも『王女』としての責務を果たすことでそれに応えるべきだと。ちゃんとわかって……」
「ローズマリー」
「……ッ」
初めて敬称なく名を呼ばれたローズマリーは、息を呑む。
けれど驚いたのはきっとそのせいだけでない。
そこには「穏やかな皇太子」はいなかった。
ローズマリーを見つめる銀灰色の瞳は、狂おしいほどの熱を孕んでいた。
「アデルさま……?ぁ……ッ」
女性と見間違うほど白く美しい手が、黒曜石の髪を一筋とる。そして麗しの唇を寄せた。
おそらくはいつかの指先に贈られたキスと同じくらい短い時間だっただろう。
けれどまるで、時間が止まったかのように思えた。
あまりにも美しい光景に、目を奪われる。
「……私が君を嫌うなど、そんなことはありえない」
アデルバートの手から、艶やかな髪が零れ落ちていく。
毎朝毎夜セシルが丹念に梳かしているローズマリーの髪は、漆黒なのに輝きを放っているかのように美しい。
誰よりも美しく愛らしいローズマリーを前に曖昧な態度をとり続けるなんて、アデルバートのオスは死んでいるのかと理不尽に腹を立てたこともあった。
思わせぶりなことばかりして、言って、ローズマリーの心を惑わせるアデルバートの態度が気に入らなかった。
だがそれは、セシルの見当違いだったことを知る。
「……アデルさま……」
「これだけは忘れないで、ローズマリー。この先何があっても私は君の味方だ。
誰よりなにより、君のことを大切に想うよ」
それは、アデルバートがくれたたったひとつの約束。
誰よりも、なによりも大切に想う。
そのことばに、嘘は無かった。
無いからこそ、悲劇を生んだ。




