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夢のあと  作者: 緋桜
番外編 或る侍女の永日
82/114

E.C.1010.07-1


前回更新分から少し時間が経って、数ヶ月後のお話です。

長いです。



 貴女のことが知りたい。


 その言葉通り、アデルバートはローズマリーと過ごす時間を積極的に作るようになった。

 できる限り食事を一緒にとるようにしたり、ほんの半刻ほどでも時間を見つけて庭をふたりで歩いたり。

 ローズマリーは戸惑いながらもアデルバートの誘いを断ることはしなかった。

 「義務」だからではない。

 セシルの目にはローズマリーもまたアデルバートのことを知ろうと、歩み寄ろうとしていたように思えた。


 ふたりは、いろいろな話をしていた。

 基本的にはアデルバートが尋ねてローズマリーが答える一問一答形式だったが、時折ローズマリーの方から質問するとアデルバートは大袈裟なほど喜んだ。

 あまりの喜びようにローズマリーが困惑したほどだ。

 感情の起伏がある意味乏しいと思っていたアデルバートだが、嬉しいとか楽しいとか、正の感情に関しての表現は素直だった。

 アデルバートの形のよい唇からはローズマリーへの賛辞や口説き文句のような言葉が流水のように止めどなく溢れ出て、聞いているこちらが恥ずかしくなるほどだった。




「あいつは素直な奴だよ」


 苺のヘタを取りながら、褐色の髪と青色の瞳をした少年は言う。

 少年らしい骨張った手にはいくつもの古い火傷の痕があって、最初のうち、セシルはその傷が怖かった。


「素直っつーか、素直すぎるっつーか。無神経とも言うけど、思ったこと全部口に出すんだよ。初めて会ったときに『君は僕より年上なのにどうして字が読めないの?僕の弟は五歳だけど読めるし書けるよ』って言われたときは、マジかこいつって思ったな」

「『まじか』?」

「あー……『正気か』ってこと」


 話の腰を折ったセシルに、少年は苦笑する。

 そこに揶揄は無いが、何となくムッとした。理由は自分でもよくわからないけれど。


「……自国の皇太子をそんなふうに言って、不敬罪で縛り首にされたりしません?」

「アンタが黙ってりゃバレないさ」

「んぐ」


 皮肉気に唇の端を歪め、少年はヘタを取ったばかりの苺をセシルの口に押し付ける。

 思わず開いた唇の隙間から押し込まれ、反射的に歯を立てると、苺の甘みと酸味が口の中に広がった。


「口止め料。食っちまったな」


 苺の果汁で赤くなった親指を舐めながら少年は言う。

 薄い唇の間から赤い舌が見えて、何だかとってもイケナイことをしている気分になった。


「な……ッ。貴方が勝手に……ッ」

「ちょっとー!なぁーにイチャイチャしてんの!?」

「い……いちゃ……?」


 聞き慣れない単語は元より突然響き渡った甲高い声に驚き、セシルは音源の方を向く。

 声の主は灰色の髪に翠の瞳をした十四、五歳ほどの少女。

 右手に籠を提げ険しい表情でセシルたちの方に向かって大股で歩いてくる姿は、淑女からは程遠い。

 そもそも淑女は怒鳴らない。いついかなるときも。


「もー!!目を離すとすぐこれなんだから!ちょっとあんた!ロイに色目使うなっていつも言ってんでしょ!?」

「イロメ……?」

「ロイも!あたしには『あーん』してくんないのになんでこの人にはするの!?」

「お前はもう一人で食えるだろ」

「この人だってそうでしょ!この人ロイより年上じゃん!」

「お前はそろそろ兄離れしろ」

「~~~もう!」


 少女の剣幕に呆れたように少年は言うが、二人は兄妹などではない。

 「兄妹のように育った」けれど、二人に血のつながりはなかった。


 少年の名前はロイ。姓は無い。平民の生まれで、今はセイレーヌの街で硝子職人をしている。

 手や腕にある無数の火傷痕は、見習い時代修行中についたものなのだという。

 淡々とした口調とツリ目がちの鋭い双眸で冷たい印象を相手に抱かせるけれど、見た目ほど怖い人間ではない、と言うのがセシルのロイに対する印象だ。

 斜に構えたところがあり、皮肉屋なのは間違いないが。


 そして少女の名はリリー。同じく姓は無い。

 緩く波打つ灰色の髪を高い位置で一つに結わえた活発そうな少女だが、感情の起伏が激しく、何だかしょっちゅう怒っている。

 特にセシルに対しては当たりが強く、キャンキャンと喚く姿は小型犬のようだ。


 そんなリリーをロイが「妹」扱いするのは、二人が同じ孤児院で育ったためだ。


 皇太子領であるセイレーヌには離宮の東側に市街地があり、少し北上すると開けた土地がある。

 小さな民家が点在するなか、森の入り口近くに孤児院と教会が並んで建っている。

 二人はそこで育ったのだという。


 孤児院は寄付や国からの支援で運営されており、十人ほどの子どもが暮らしている。

 そこにいるのは皆戦争や事故、病などで親を喪った、或いは親に捨てられて身寄りのない子どもたちばかりだ。

 ロイは前者、リリーは後者らしい。

 ロイは十六年前の帝国と隣国ブリティックス王国との戦争で両親を喪い、リリーは生まれてすぐ教会の前に捨てられていたのだという。

 二人だけではない。ここにはそういう子どもが大勢いる。

 孤児院で暮らす子どもは、この国の成人年齢である十六歳までに身の振り方を決める。

 運がよければ里親に引き取られるが、そうでない子は神父或いはシスター見習いとして孤児院の運営を手伝うか、自立して孤児院を出て行く。


 その話を聞いたときセシルはとても驚いたけれど、ローズマリーは少しも動じていなかった。

 驚くことも過剰に憐れむこともなかった。

 きっとアメジアにも、そういう子どもたちがいたのだろう。セシルが知らなかっただけで。


「もー!油断も隙も無いんだから!やっぱりあたしも残ればよかった!」

「何言ってんだよ。お前が行かねえと何摘んだらいいのかわかんねぇだろ。つーかアデルと姫さんは?置いてきたのか?」

「気を利かせてあげたの!あのふたりず――――っとイチャイチャイチャイチャしてんだもん。ふたりの世界なんだもん!」


 また「イチャイチャ」。聞き慣れない単語だが、帝国独特の言葉だろうか。

 だがぷりぷり怒っているリリーには訊けそうもないし、ロイは訊いても教えてくれない気がする。


 セシルよりも一つ年下のロイは、年下のくせに生意気で、セシルのことをからかってばかり。

 先程の苺の件も、狼狽えるセシルを見て楽しんでいるのだ。


 祖国にいたとき、男性からこんな扱いを受けたことはなかった。そもそも周囲に異性はほとんどいなかった。

 アメジアにも帝国で言うアカデミーのような集団学習施設はあったが、それは平民のためのものだった。

 セシルたち貴族は個別の家庭教師を雇うため、不特定多数との交流はほとんど無い。

 また貴族女性は十を超えると結婚するまでは気軽に外を出歩くことははしたないとされている。

 セシルは十五歳から城仕えのために生家を出ていたが、主の傍を離れることはほとんどなかったため、異性と触れ合う機会など無かった。

 一番顔を合わせる機会が多かったのはローズマリーの次兄である当時の第二王子だったが、恐れ多くて「異性」にはカウントできない。同じ理由でアデルバートも。

 だからセシルにとってロイが初めての「身近にいる同世代の異性」だ。


 だからなのか、ロイといると調子が狂って仕方ない。

 妙に緊張するし顔が熱くなるし心臓がやけに早鐘を打つし。

 切れ長の瞳で見つめられると、どうしていいかわからなくなる。


「もうね、ウサギ見つけてお姫サマが『可愛いですね』って言ったら皇太子サマ、『姫君の方が可愛いですよ』って。何なの!?もう聞いてるこっちが恥ずかしいんですけど!っていうかそんなのあたしもロイに言われたい!!」

「言ったら言ったでお前『なんでウサギと比べんのよ!』って怒るだろ」

「ぐぬぬ……」


 図星なのか、唸りながらリリーは持っていた籠を作業台の上に置き、ロイの隣に座る。

 わざわざ椅子を寄せたため腕が触れそうなほど距離が近いが、ロイは何も言わない。

 なぜかセシルの方が何となくもやっとしたけれど、ロイは気にした様子もなく苺のヘタ取りを再開した。


「二人で何の話してたのよ?」


 疑惑の眼差しを隠そうともせずリリーはジト目になりロイに尋ねる。


 何を疑っているのかわからないが、リリーはセシルとロイが接触することをやけに嫌う。

 そんなに「兄」を奪られるのが嫌なのか。

 別にセシルはロイを奪ろうなんて思っていないけれど、長女のセシルには妹の気持ちがよくわからない。


 一方問われたロイは妹分の表情に気付いていないのか無視しているのか、こともなさげに答えた。


「ん?あぁ、アデルが変な奴だって話」

「皇太子サマが?まぁフツーではないわね。偉い人のこととかよくわかんないけど、自分で森ん中入って薬草採るお貴族サマが普通じゃないことくらいはわかるわ」

「ほら、リリーもこう言ってる」

「……」

「って言うかね、皇太子サマってばまた森の中でウサギに埋もれそうになってたんだけど。超ウケる。あの人なんであんなに動物に好かれんの?変なフェロモンでも出てんの?」


 ウケルって、またセシルの知らない言葉。

 きっと平民の間では普通に使われているのだろうから、訊いたら「これだからお貴族サマは」とか言われてしまうのだろう。

 正確にはセシルはこの国の貴族としての爵位は持っていないのだけれど、きっと二人には「どーでもいい」ことなのだろう。


 何にせよ、自国の皇太子に対し容赦無い二人に、セシルは何と答えていいのかわからない。

 そもそもどうしてロイはアデルバートのことを愛称で呼び、あまつさえ呼び捨てにしているのか。

 初めて聞いたときは本当に驚いたし、今も慣れてはいない。


 セシルがロイとリリーに初めて会ったのは――アデルバートが支援している孤児院に訪れたのは、二ヶ月前のことだった。

 セイレーヌの領主であるアデルバートは月に何度か城下の視察をしていて、二ヶ月前、一緒に行かないかとローズマリーが誘われた。

 当然主一人を行かせるわけもなくセシルも付き添ったのだが、初めて見る帝国の街は、アメジアとは何もかもが違っていた。

 否、そもそもアメジアでも外を歩いたことはほとんどない。

 家や店、広場や劇場。そこには人々の暮らしがあり、見るものすべてが新鮮だった。


 さほど広くない市街地を回り終わると郊外に出て農地を見回り、最後に教会と孤児院に訪れた。

 そこでアデルバートに友人だと紹介されたのがロイだった。


 今年十七歳になるロイは既に孤児院を出ている。十三歳の頃硝子職人に弟子入りし、今もそこで住み込みで働いているのだという。

 その日はちょうど仕事が休みで、朝から院を訪ねていた。ロイは院を出たあとも幼い弟分妹分たちのことを気にかけ、頻繁に顔を出しているらしい。


 今日も仕事が休みだったため院に訪れ、雨漏りしていた屋根を直したり備蓄用の薪を割ったりとこき使われていた。

 ちなみに今はジャムを作るための苺のヘタ取りをしている。

 セシルはそれをただ見ていた。森へ薬草採りに行くアデルバートたちに置いて行かれたからだ。


「何やら楽しそうだね」


 涼やかな声が聞こえ、セシルは慌てて立ち上がる。

 森の方から歩いてきたのは、侍女や侍従、騎士を引き連れた皇太子御一行。

 アデルバートは城の中で見るときよりも簡素な衣服を身に着けているが、太陽の下亜麻色の髪が金に見えるせいもあってか、相変わらず神々しいまでに美しい。

 その隣にはラベンダー色のワンピースを纏い、同じ色の鍔の広い帽子をかぶったローズマリーもいる。

 セシルはようやく戻ってきた主の元へ駆け寄った。


「お帰りなさいませ、姫様。大丈夫でしたか?ウサギを触ろうとして噛まれたりしてません?鳥も油断したらつついてきますからね。お怪我はされてませんか?」

「やだ、心配性ね。セシルったら」

「大丈夫ですよ、ブライトナー嬢。私の騎士は熊をも倒せますからね。絶対に姫君を危険な目に遭わせないと約束したでしょう」

「いや殿下。勝手なことおっしゃらないでください。誰が熊を倒せると?」

「大丈夫。お前ならできると信じているよ、フェリックス」

「……」


 どこまでも爽やかなアデルバートに、彼の近衛騎士であるフェリックス=ジノが額を抑える。

 そんな信頼嬉しくないだろうし、熊と戦うために剣を磨いていたわけでもないだろう。


「それより皇太子サマ。言った通りの物採って来てくれた?」

「もちろん。リンドウとヨモギとツユクサだろう?」

「さっすがー。ありがとう!」


 リリーがフェリックスに駆け寄り、持っていた籠を受け取る。

 「皇太子サマ」と一応敬称を付けているものの、ロイ同様少しも敬意の感じられない口調だ。


 ロイの二つ年下のリリーは孤児院の中では最年長で、下の子たちの世話をしたり院長の仕事を手伝ったりしている。 

 現院長は薬師でもあり、リリーは将来そちらの方を継ぎたいらしい。

 そのため院のすぐ前にある森でよく薬草採りをしている。

 今日もセシルたちが訪ねてきたときはちょうど森に出かけようとしていたところだった。


 せっかく皇太子サマたちが来てくれたんなら今日はやめとこうかな、と言うリリーに、アデルバートの方から同行を申し出た。

 昼間とは言え女の子が一人で森に入るのは危険だし、一度薬草採りをしてみたかった、と言うのがアデルバートの主張だが、おそらくは後者の方が本音だ。

 植物が好きだというアデルバートは薬草にも興味があるらしい。


 一時間もかからないからローズマリーとセシルは孤児院か教会で待つように指示され、セシルが頷きかけるとまさかのローズマリーも一緒に行きたいと言い出した。

 首飾りの一悶着から三ヶ月、少しずつローズマリーは自分の要望を主張するようになったが、まさか森に行きたいと言うなどとは思わなかった。

 セシルが驚いているうちにアデルバートが「じゃぁブライトナー嬢はロイと留守番していてください」と当然のように言い、森の中へと消えていった。

 あまりに自然だったので従ってしまったが、考えてみればどうしてセシルがローズマリーと離れて留守番しなければいけないのか。セシルはローズマリーの付き人なのに。

 気付いたときには既に皇太子御一行の姿は無く、おかげでセシルは苺のヘタを取るロイを延々眺め続けるという謎の時間を過ごすハメになった。


 置いてけぼりを食らったセシルにロイは院の中で待つよう声をかけてくれた。けれどセシルはそれを頑なに拒んだ。

 ロイと二人きりが気まずいからではない。未婚の淑女として男性と室内で二人きりになることは避けるべきだと考えたからだ。

 正直にそう伝えると、ロイは不可解な表情を見せた。

 「貴族ってやつは面倒くせぇな」。

 ポツリと零した呟きは、思った以上にセシルの心を抉った。

 さほど親しくもない、本来ならば話をすることもなかったような男にどう思われようとかまわないはずなのに。

 動揺するセシルを置いてロイは院の中に入っていった。

 呆れられてしまったのだろうかと不安になる自分とそれが何だと毒づく自分がいて、ますます動揺しているとロイは大量の苺と空の鍋を持って戻ってきた。

 行くぞ、と促され、よくわからないまま慌ててロイについて院の裏へと回ると、そこには十人ほどで使えそうなくらいの大きな作業台と簡易の丸椅子がいくつかあった。

 作業台の上に苺を置いて座ったロイは、黙々と苺のヘタを取り始めた。

 先程と違う理由でセシルは驚いた。

 アンタも座れば、とそっけなく促すロイが「室内で二人きりにならない」よう「配慮」してくれるなど、どうして予想できただろう。

 セシルは角を挟んで斜め横に座り、ロイの話に耳を傾けながら作業を眺めていた。

 一応途中手伝おうとしたが、あまりに不器用すぎて早々に戦力外通告された。

 最終的にジャムにするのだから少々不格好でも構わないだろうに、見かけによらず神経質な男だ。



「じゃぁあたしが採ってきた分も合わせて選別しちゃうから、ふたりは休んでて」

「ロイとブライトナー嬢は何をしているんだい?」

「苺のヘタ取ってもらってたの。全部取れたら煮詰めてジャムにするの」

「じゃぁそっちを手伝おうかな」

「は!?いえ、皇太子殿下にそんなことをさせるわけには……」

「わたくしもやってみたいです」

「姫様!?」

「じゃぁ姫君もいっしょにやりましょう」

「はい」


 セシルの制止など気にも留めず、アデルバートとローズマリーはうきうきと苺の置かれた作業台につく。

 助けを求めてレベッカを見ると、無言で首を振られた。諦めろということなのか。


「手伝ってくれようとしてるとこ悪いけど、もう終わってるぞ」

「そうなのかい?残念だな」

「苺のヘタ取りたがる皇子様なんてお前くらいだよ」

「たまにはいいだろう?」

「フン」


 ロイは皮肉気に鼻を鳴らすが表情はどこか柔らかだ。

 やはりロイはアデルバートに対してまったく敬意を払おうとしないのに、アデルバートがそれを咎めようとする気配は無い。

 そんなことよりも苺に興味津々だ。


「これでどれくらいの量のジャムが出来るんだ?」

「五瓶くらいかな」

「へぇ。しかしこの量を二人でやったとはすごいな」

「あ……いえ……」

「そのお嬢さんは何もしてねぇよ。見てただけ」

「な……ッ」

「片っ端から握り潰してんだ。苺がいくつあっても足んねぇよ」

「あなたねぇ……ッ」

「セシルはちょっぴり雑……おおらかなところがあるものね」

「姫様!?」


 悪意の無い見当はずれなフォローにショックを受ける。

 最愛の主にそんな風に思われていたなんて。


「あ、でもわたくしの髪を梳くときやお風呂で身体を洗うときはとても丁寧にしてくれます。特に髪を梳かすのが上手で、とても気持ちいいんですよ」

「……だから姫君の髪はそんなにも美しいんですね」


 息をするようにローズマリーを褒めるアデルバートに、ロイが胡乱な眸をする。


「そう言うアデルも意外といろいろ雑だよな」

「そうかな」

「そんなことありませんわ。アデルさまは何でも丁寧に扱われています。先程の薬草摘みのときも、早いけれど丁寧だと、リリーさんも褒めていらっしゃいました」

「……へぇ」


 おっとりと反論するローズマリーにロイは目を丸くし、にやりと笑う。

 おそらくは先程リリーが言っていた「イチャイチャ」を思い出したのだろう。


「それはそれは。楽しかったようで何より」

「ちょっと!何です姫様に向かってその口の聞き方!」

「あぁ、楽しかったよ。何より小鳥やリスと戯れる姫君はとても愛らしかったしね」

「まぁ……」


 ロイのからかいやセシルの小言を華麗にスルーし、アデルバートは微笑む。

 ストレートな賛辞に頬を染めるローズマリーを見ていると、何だか小競り合っているのが馬鹿らしくなってきた。


「あー。皇太子様!」

「ロイ兄もいるー!」


 四人で話していると教会の扉が開き、中から子どもが五人出てきた。

 いずれも年齢は十歳前後。皆この孤児院で暮らしている子どもたちだ。


「やぁ。元気にしていたかい」

「皇太子様見て見て!ぼく名前が書けるようになったんだよ!」

「それよりこっち見て!わたしね、お花の指輪作ったの!!」

「あー!苺がいっぱい!食べていい?」

「ロイ兄おみやげは?」

「あー、うるせぇ。いっぺんに喋んな」

「きゃー!!」


 男二人にまとわりつきながら好き放題喋る子どもたちをロイは片っ端から投げ飛ばす。

 もちろん子どもたちが着地できるよう加減しているのだろう。

 投げられた子どもたちは楽しそうに悲鳴を上げながら再び突進してくる。

 さすがにアデルバートに体当たりしてくるようなことはないが、孤児院出身のロイ同様アデルバートも子どもたちに懐かれているようだ。


「リリー!おいリリー!!何とかしろこいつら!」

「何よー。もう、うるさいわねぇ。あらあんたたち、もう授業終わったの?」


 ロイに呼ばれエプロンを付けたリリーが孤児院から出てくる。

 ここに来てから子どもたちの姿が見えなかったが、皆教会で神父による授業を受けていたらしい。


 孤児院での生活は、国からの援助があるとはいえ基本的には自給自足だ。院の裏に畑があり、自分たちで農作物を育てている。

 パンや肉などの加工品や衣服などの生活必需品は街で購入するが、そのための費用も育てた作物や院長の作った薬を売ることで捻出している。

 そのためここでは幼い子どもでも畑仕事を行ったり薬草採りに行ったりと「人手」として数えられる。

 ロイもリリーも幼い頃は遊ぶ時間などあるわけもなく、朝から晩まで働きづめだったらしい。

 そうしないと生きていけなかったのだ。


 しかしこの数年の間に支援が増えたことや農具の改良、技術の進歩により、院での生活に余裕が生まれ、できた時間で子どもたちは教会で神父による「授業」を受けられるようになった。

 読み書きや計算等、院を出て行ったあとも生きていくために必要な知識を学べるようになったのだ。

 これらはすべてアデルバートによる「支援」だ。

 幼き日にアデルバートが抱いた疑問、「どうしてロイは字が書けないのか」を彼なりに考えた結果が今なのだという。


 もちろんアデルバートは孤児院だけを特別扱いしているわけではない。

 土壌に合った農作物の育成を推奨したり、交通整備のために川に橋をかけたり。

 どうすれば民の暮らしが豊かになるのかを考え、民のためにできることに尽力していた。

 まだ十六歳でありながらアデルバートは立派に領主としての役目を果たしている。

 どこか誇らしげに話すロイの話を聞きながら、彼は生まれながらの「皇族」なのだと思い知った。



 それからセシルたちは一時間ほど孤児院に滞在した。子どもたちのはしゃぎっぷりは微笑ましく、久しぶりに会う兄貴分にじゃれつきまとわり大騒ぎだった。

 男児はロイに投げ飛ばされる遊びを満喫し、少し年長の子にはフェリックスに勝負を挑む子もいた。

 幼くとも男の子。騎士に対する憧れに年齢は関係ないのだろう。


 そんな男性陣の遊びを、アデルバートは女児たちと花飾りを作りながら眩しそうに見ていた。

 あまりはしゃぐと体調に支障をきたす、とレベッカに止められたからだ。

 それでもアデルバートの作ったシロツメクサの指輪や首飾り、花冠は一番上手で、女児の間で争奪戦が起きていた。

 早々に制作を諦めたセシルの目には、ローズマリーも欲しそうにしているように見えた。

 競争相手が幼女という手前言い出せなかったようだけれど。


 そうこうしている間に陽は傾き、帰る時間となった。

 はしゃぎ疲れた子どもたちを寝かせ、ロイや薬草の選別を終えたリリー、孤児院の院長たちに見送られて馬車に乗り込む。


「気を付けてな」

「あぁ」

「また来てねー。皇太子サマ。お姫サマも、今度は林檎のジャム作ろ」

「えぇ、ぜひ」


 ロイの隣でリリーはにこやかにローズマリーに手を振る。

 ローズマリーに対して馴れ馴れしいのが若干気に食わないが、それよりどうしてそんなにセシルに対する態度と違うのか。釈然としない。


「あぁそうだ。またしばらくは来れないから」

「あー……。もうそんな時期か」

「あぁ。次来るのは再来月かな。それまで元気で。

 ではまた」


 その言葉を合図に馬車は走り出した。


「アデルさま。次は再来月、とは?」


 馬車の中でローズマリーはアデルバートに尋ねる。

 この二ヶ月の間でアデルバートは五回孤児院を訪ねていた。そのうち二回は街には行かず直接孤児院を訪ねた。

 おそらくはロイに会うために。


 「友人」であるロイと話すアデルバートはとてもリラックスしているように見えた。

 きっと孤児院の訪問は「視察」と称した息抜きなのだろう。

 だからこそ侍女たちも、アデルバートに対し気安く接するロイを咎めたりはしない。

 それなのに次の訪問が再来月、一月以上顔を出さないということは、そんな心安らぐ時間よりも優先することがあるということだ。


「来月から一月の間、弟たちが離宮に来るんです」

「弟君たちが……?」


 アデルバートには腹違いの弟妹が何人かいる。

 そのうち二人、すぐ下の妹姫の第一皇女と末弟の第三皇子にはセシルも会ったことがある。


「毎年この時期になると避暑を兼ねて遊びに来るんです。……楽しみだな、レオンたちに会えるの」


 そう言って、アデルバートはとろけそうな笑顔を浮かべた。




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