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夢のあと  作者: 緋桜
番外編 或る侍女の永日
79/114

E.C.1010.04-1


前回更新分より時間は遡りまして、ローズマリーとセシルが帝国に来て間もない頃のお話です。



 セシルの祖国アメジア王国は、西大陸と東大陸を分かつファルジア海の中央に浮かぶ小さな島国だった。

 国土は西大陸最大の国ジュエリアル帝国の十分の一にも満たないが、豊かな資源と独特の文化を持つ国で、何より世界でもそこでしか採れない珍しい鉱物の産地でもあった。

 濃い紫の色をした美しいその宝玉は、セシルの主の瞳とよく似ている。

 アメジア王国第一王女ローズマリー=ヴィヴィアン=ルシア=シャムロック。

 「宝石姫」と謳われるほど美しい彼女は、セシルの世界で一番大好きで大切な主だ。


「姫様。皇太子殿下から贈り物が届いてます」

「皇太子殿下から……?」

「薔薇の花と、あとお手紙も」


 日当たりのよい窓際で揺り椅子に腰掛けて本を読んでいた少女は、セシルの声に顔を上げる。

 その拍子に、緑なす黒髪が一筋肩からこぼれ落ちた。

 襟が無く、裾の広がった見慣れぬ衣服に身を包んだ少女は、けれど祖国にいたときと変わらず美しい。

 黒曜石の髪にアメジストの瞳を持つ十四歳の少女は、祖国では「宝石姫」と呼ばれていた。

 輝くばかりの美貌は元より、明るく心優しい少女は国の宝だった。誰もが少女を愛し、少女もまた皆を愛した。

 少女――ローズマリーはセシルにとって理想の王女であり、最愛の主だ。


「ありがとう、セシル」


 読んでいた本を閉じて膝の上に置き、セシルに向かって柔らかに微笑む。

 微笑んでいるのに、その表情はどこか物憂げだ。

 もうここしばらく、セシルは彼女の心からの笑顔など見ていない。


 けれどそれも、仕方のないことなのだろうとは思うけれど。


「綺麗。それに……いい香り」

「皇太子殿下も律儀な御方ですね。二日に一度はこうして何かしら贈ってくださるなんて」

「……それだけ思いやりの深い方なのよ」

「姫様はそう仰いますけど、あんまり花ばかり贈られても、ねぇ。お世話する方の身にもなっていただきたいものですわ」

「セシル」

「はぁい」


 咎めるように名を呼ばれ、セシルは肩を竦める。

 毎日大量の花の水を替えたり虫が付かないよう手入れしたりするのはそれなりに大変なのだから、これくらいの口答えは許してほしい。


「それはそうと姫様。皇太子殿下からのお手紙には何と?」

「……明日、都合がよければいっしょにお庭でお茶をしませんか、ですって」

「え、それってデートのお誘いですか?」

「……おかしなこと言わないで。それよりもお返事を書くから、紙とペンと、あと辞書も用意して頂戴」

「はぁい」


 セシルとしてはからかうつもりはなかったのだが、すげなくあしらわれ、言われた物を用意するため一旦退室する。


 ローズマリーはまだ十四歳。

 ならば浮いた話に心をときめかせたとしても何もおかしくないはずなのだが、彼女の態度に浮かれた様子は一切無い。


(……まぁ、当然と言えば当然か)


 彼はセシルたちが祖国を離れる原因となった敵国の皇太子なのだから。


 世界最大にして最強の国、ジュエリアル帝国とアメジアの戦争が始まったのは、一年ほど前だった。

 とは言え王都で暮らしていたセシルにとって「戦争」はあまり現実味のないものだった。

 戦争が始まった理由も、セシルは詳しくは知らなかった。アメジアでは女が政に興味を持つことは「小賢しい」と敬遠されていたからだ。

 またセシルの生家は王宮に仕える文人の家系だったため親族が戦地に赴くことはなく、兵士団にも知り合いはいなかったため、やはりあまり実感が湧かなかった。

 セシルに限らず王都に住まう貴族たちのほとんども、楽観的に考えていたように思える。

 実際王城に出入りしていた者は皆、以前と変わらぬ優雅な生活を送っていた。

 花を愛で、恋を楽しみ、日々を謳歌し。

 「我が国の誇りにかけて帝国軍を打ち果たす」という何の根拠もない国王の声明を呑気に信じていた。


 そんななか、ローズマリーは暗い表情をしていた。

 それまで通り王女教育にまじめに取り組み、王妃や妹姫と仲睦まじく過ごしながらも、表情はいつも物憂げだった。

 また以前よりも教会に足を運ぶ回数も増えていた。


 そのときは、まだ十三歳の少女にとっては異国の人間も戦争も恐ろしくて仕方ないのだろうと思っていた。

 城の中にいれば安全ですよ、とセシルはいたわりの言葉をかけ、騎士も命に変えてもお守りしますと宣言していた。

 臣下たちの言葉にローズマリーはありがとう、心強いわ、と微笑んでくれたけれど、今思うと、なんて見当違いの気遣いだったのだろう。

 ローズマリーは自分の身が危険にさらされることに怯えていたわけではなかったのに。


 彼女は哀しみ、心を痛めていたのだ。

 国の長に連なる者として、民の命が失われていくことに。


 楽観的に考えていたセシルたちがようやくそのことに気付いたのは、開戦から一月ほど経った頃だった。

 その頃になるとさすがにセシルの耳にも戦況が入ってくるようになっていた。

 帝国軍は破竹の勢いで進撃し、見る見るうちに地方都市を制圧した。

 王都のすぐ傍まで来ている。田畑は焼かれ、街も壊され、ジュエリアル皇帝の通った後にはおびただしい数の躯が積み上がって山となっている。王国軍最強と言われた兵士も首を刎ねられた。

 そんな噂が王城内にも届いていた。

 どうして大丈夫だなどと思っていたのか。二月も経つ頃には敗戦の二文字が頭をよぎるようになっていた。


 だが敗戦が濃厚になっても、戦争はなかなか終わらなかった。

 国王が降伏を受け入れなかったのだ。それどころか、自ら軍を率いて戦地に赴こうとさえした。


 代替わりして間もない若き王は、決して暴君ではなかった。

 常に清廉として高潔な理想を掲げ、誰よりこの国の未来を考えていた。

 王太子であった頃から政に実直に取り組み、民にも慕われていた。


 それがいけなかった。


 これがもし、自分一人安全な場所で指令を下すだけだの王ならば、民も見限り内乱(クーデター)が起こっていただろう。

 だが王は誰よりも誇り高く、気高く、優しかった(・・・・・)

 民のために涙を流し心を痛め、共に戦い共に散ろうと味方を鼓舞した。

 敵に命乞いをして惨めに生き延びるくらいならば、誇り高い死をもって先に逝った民を弔おうと。

 残された民はそれに同調した。誰もが王と共に誇りに殉じることを選んだ。


 王の三人の子どもたち以外は。




「お待たせいたしました、姫様……」


 再び主の部屋に入ったセシルは、思わず息を呑む。

 光が差す部屋の中、窓の外を見つめるローズマリーはまるで彼女自身が光り輝いているように見えた。

 あまりに美しくて、そのまま光の中へ消えていってしまいそうな―――。


「ありがとう、セシル」

「……太陽が、眩しくないですか?カーテンを閉めましょうか」

「いいえ?今から手紙を書くんだし、このままでかまわないわ」

「あ……そう、ですよね」

「?どうしたの。おかしなセシル」


 くすり、と零すように小さく微笑む主に、セシルもえへへと誤魔化すように乾いた笑みを返す。

 窓際の机に紙とペンと辞書を並べ、椅子を引く。

 帝国文字は帝都に滞在していたときに第三皇妃が手配してくれた講師が教えてくれたが、失礼があってはいけないからと書くときは必ず辞書を使う。

 それでも読む方は辞書が無くても差し障りないレベルまで習得したのだから、本当に勤勉だ。


「……姫様」

「んー……?なぁにー……?」

「わたし、姫様にお仕えできて幸せです」

「えぇ?どうしたの急に」

「……なんか、急に言いたくなっちゃって」


 驚いたのか、ローズマリーは手を止めて顔を上げる。

 大きな瞳を丸くして瞬きを繰り返す様は年相応の少女に見えた。


 どうしてこの人が、普通の幸せを手に入れられなかったのだろう。

 当たり前の日常を奪われなくてはいけなかったのだろう。


 何がいけなかったのか。どこで間違えたのか。

 考えたところで答えなど無いのに。


「……わたくしの方こそ、貴女には感謝してもしきれないわ」

「え……?」


 ペンを置き、セシルの方に向き直ってローズマリーはそう告げる。

 主従関係でありながら、ローズマリーは決してセシルを軽んじたりしない。

 世の中には使用人や従者を物のように扱う主人もいるというが、セシルの主は常に誠意と慈愛をもって他者と接する。

 そんな主のことを、セシルは誇りに思っている。


「わたくしのせいで貴女をこんなところまで連れてきてしまって、本当にごめんなさい」

「そんな……ッ」

「けれどね、貴女が一緒に来てくれるって聞いて、すごく心強かったの」

「姫様……」

「身勝手でごめんなさい。……そして……ありがとう」

「……ッ」


 違う。

 望んだのは、セシルの方だ。

 主の傍を離れたくなかった。両親も弟妹も止めたけれど、セシルが無理を言ってついてきたのだ。

 誰よりも優しくて哀しい主を支えたくて。


 アメジアの第一王女であるローズマリーは臣下に、民に、皆に愛されていた。ローズマリーも彼らを愛していた。

 だからこそ自らの身体を、命を差し出そうとした。

 国のために命をなげうつ彼らのために、自分も命を懸けることにした。


 国王が王座を明け渡し、人質として王女を帝国に差し出すこと。

 それが帝国側が提示した終戦の条件だった。

 彼女の兄である二人の王子は妹姫を必死に止めた。王妃も第二王女も大いに泣いた。けれどローズマリーは頑として譲らなかった。

 国のため、民のためなら本望だと。


 そうしてローズマリーはこの国に来た。

 だからセシルはここにいる。


「……姫様」

「なぁに?」

「大好きです……っ」

「あらあら」


 知っているわ、と微笑む主が幸せであること。

 それだけが、セシルの願いだった。



【本編では出てこなかった設定】

 作中の言語について。

 話言葉は方言レベルの差異はあれど世界共通です。

 書く方は国ごとの文字があります。


―・-・-・-・-・-・-・―・―・―・-・-・-


番外編に登場予定人物の今回更新時点での年齢等です。


セシル=ブライトナー(17)

 ・アメジア王国出身 髪:鉄色 瞳:榛色


ローズマリー=ヴィヴィアン=ルシア=シャムロック(14)

 ・アメジア王国第一王女 髪:漆黒 瞳:紫色


アデルバート=セイルヴ=ジュエリアル(16)

 ・ジュエリアル帝国皇太子


ロイ(17)

 ・硝子細工職人 髪:褐色 瞳:青色


リリー(15)

 ・薬師見習い 髪:灰色 瞳:翠色


クラリス=アッシェン

 ・孤児院院長/薬師 髪:シルバーブロンド 瞳:翠色


レベッカ=エイミス(36)

 ・皇太子付侍女


フェリックス=ジノ(27)

 ・皇太子付近衛騎士 髪:蜂蜜色 瞳:褐色


ポール=サイラス(42)

 ・皇太子付侍従 髪:飴色 瞳:藍色


ミア=ドレイユ(18)

 ・皇太子付侍女



レオンハルト=ランス=ジュエリアル(11)

 ・ジュエリアル帝国第二皇子 アデルバートの異母弟


キャロライナ=ブレイド=ジュエリアル(10)

 ・ジュエリアル帝国第一皇女 アデルバートの異母妹


セレスティア=ブレイド=ジュエリアル(26)

 ・ジュエリアル帝国第三皇妃 キャロライナの生母


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