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夢のあと  作者: 緋桜
番外編 或る侍女頭の内証
69/114

E.C.1001.04-1


 前回更新分から少しだけ時間は進み、ステラ13歳のときのお話です。



 ステラ、と。


 優しい声で名前を呼んでくれる彼のことを、本当の兄のように慕っていた。

 穏やかで温かくて、ステラのことを好きだと言ってくれる彼のことが、大好きだった。

 だからそんな彼が将来本当の義兄(あに)になると初めて聞いたとき、本当に嬉しかった。

 大人になったら彼とずっと一緒にいられるのだと、ばかみたいな思い違いをしていることにも気付かずに。




―・-・-・―・―




 風に舞う桜の花が美しくて、ステラは思わず目を細めた。

 窓から手を伸ばすと、広げた手のひらにひとひらの桜が乗った。

 こんな小さな花びらが盛りの時期には山一面を覆い尽くすなんて信じられない。

 いつか一緒に見に行こうと交わした約束を覚えているのは、きっとステラだけだろう。


 手のひらを傾けると、花びらはすぐに風にさらわれ、あっという間に行方もわからなくなる。

 地面に落ちる前に掴めれば願いごとが叶うというおまじないが級友の間では流行っているけれど、ステラの叶えたい願いごととは一体何だろう。


「窓から桜、入ってきてるよ」


 春の日差しのように柔らかな声が、一人きりだと思っていた図書室に響く。

 司書の教諭がいても叱られない声量だけど、ステラの耳にははっきりと届いた。


「……オルグレン先輩」

「髪にも花が。桜の精みたいだね」


 そう言って伸ばされた手は、濃い灰色の髪から桜の花びらを取り去る。

 はい、と差し出されたそれを受け取ろうとしないステラに、リカルドは少し困ったように微笑み、そのまま窓の外へ放った。


 桜の花びらを目で追い、視線を戻すとリカルドが微笑んでステラを見ていた。

 その笑みを見ただけで、胸が痛い。他の誰に何と言われても何をされてもこうはならない。

 リカルドだけが、ステラの心をこんなにも乱す。


「……お手を煩わせてしまって申しわけありません。オルグレン先輩」

「もう以前のように名前で呼んではくれないの?」

「……もう子どもではないのですから、公私の区別はつけるべきです」

「けれど今は放課後だし、ここは僕と君の二人しかいないよ?」

「ですが……」

「君にまで冷たくされたら、僕は哀しくてどうにかなってしまいそうだ」

「―――ッ」


 まるで責めるような言葉なのに、けれどリカルドの口調はどこまでも穏やかだ。

 ステラが言葉に詰まると困ったような微笑を返された。碧色の瞳からは、彼が何を考えているのかは伺えない。

 リカルドにそんなつもりはないとしても、後ろめたさがステラから冷静さを奪っていく。


「……リカルド兄さま」

「うん。ありがとう、ステラ」


 唇に馴染んだ呼び名を口にすると、微笑んだリカルドは幼い子どもにそうするようにステラの髪をそっと撫でる。


 変わらない、温かな手。優しい微笑み。

 リカルドは、何も変わらない。

 変わったのはステラだけだ。


 もうステラは子どもではない。

 つい数ヶ月前にアカデミーの高等科に上がり、来年の誕生日には十五歳になる。

 デビュタントを終えれば立派な淑女(レディ―)だ。

 いくら幼馴染とはいえ、気安い触れ合いが許される年齢ではない。


 それなのに、ステラはこの手を拒むことができない。


「……お姉様と、また何かあったんですか?」


 胸の中のざわめきを誤魔化すように――戒めるためにも、わかりきったことを尋ねた。


「『また』ね」

「……ごめんなさい」

「いや、ステラが謝ることじゃないよ」


 苦笑のように自嘲のように笑い、リカルドは窓の外へと視線を移す。

 健康的で絵に描いたような好青年のリカルドの憂いを帯びた様子は、以前ならば珍しかった。

 それが歳を重ねるほどに目にする機会が増えてきた。


 優しいリカルドをこんなにも悩ませているのはいつも、他でもないソフィアだ。


 姉の奔放な交友関係は以前から、初等科にいた頃からステラの耳にも入ってきていた。

 高等科に上がってからは、リカルドではない男子生徒と仲睦まじそうに顔を寄せ合い話す姉の姿を実際に目撃したこともある。


 一度それとなく注意したことがあるが、泣かれてしまった。

 彼らとの仲は何でもない。大切な友人だ、というのがソフィアの主張だった。


 「大切なお友達にどうしてそんなことを言うの。ステラはお友達がいないから姉様の気持ちなんてわからないのね」。


 大きな瞳に涙を浮かべてそう訴えられては、もう何も言えなかった。何を言っても無駄だと思った。


 だがそもそも、ステラに姉を非難する資格などあるだろうか。


 幼い頃からずっと、本当の兄のように慕ってきた。本当の義兄(あに)になると知って嬉しかった。優しく頭を撫でてくれるリカルドのことが、大好きだった。


 だって、ソフィア以外でステラのことを好きだと言ってくれるのは、リカルドだけだったから。


 父は優しかったが温かな人ではなかったし、六つのときに他界した母はあまりステラに興味が無かった。

 幼い頃から両親に愛されていないことに気付き愛情に飢えていたからこそ、理不尽なことを言われても抱きしめてくれる姉のことを嫌いになれなかった。

 ソフィアの言葉に傷付きながらも悪いのは自分の方だと言い聞かせることで、姉の愛情を失わないように必死だった。


 そんなステラがいつも微笑んで優しくしてくれるリカルドのことを好きになるのは、当然のことだった。


 そう。


 すきになってしまった。


 兄のように慕っていたはずが、いつのまにかリカルドに恋をしていた。

 彼はソフィアの婚約者なのに、想うことをやめられなかった。

 今日だってリカルドに会えるかもしれないと思ってここに来たのだ。


 リカルドが微笑むたび、リカルドに触れられるたび、嬉しくて苦しかった。

 切なかった。

 どうしようもなく恋だった。


 未来の義兄に許されない想いを抱き、人目を忍ぶようにして会うことをやめられないステラに、ソフィアを責める資格など無い。


 もちろんリカルドとどうにかなりたいなどと思っているわけではない。

 この気持ちを伝えるつもりはないし、応えてほしいわけでもない。

 リカルドがステラのことを婚約者(ソフィア)の妹としか見ていないこともちゃんとわかっている。

 リカルドがステラにかまうのは、優しくしてくれるのは、ステラが婚約者の妹だから。

 本当はソフィアにしてあげたいことをステラにしてくれているのだと気付いたのは、いつだっただろう。

 結局リカルドにとってステラは、ソフィアの代わりでしかない。


 だがそれでもステラがソフィアのことを裏切っているということは変わらない。


「……お姉様は、本当はリカルド兄さまのことを一番に大切に想っているはずです」

「……」

「兄さまとお会いになった日はとても嬉しそうですし、兄様に頂いた物をとても大切にされてます。ネックレスも、ブローチも、大切だから全部ちゃんとしまって……」

「ありがとう、ステラ」


 ステラは優しいね。


 そう言って頭を撫でるリカルドに、胸が、千切れそうに痛くなる。

 嘘をついた罪悪感なんてもう麻痺してしまっている。

 哀しい顔をしてほしくなくて吐いた嘘なのに、誰も幸せになれない。

 いったい何をしているのだろう。


 ステラが知っていることを、リカルドが知らないわけはない。

 かつて仲睦まじい幼馴染同士だった二人の仲が冷え切ってしまっていることは、周知の事実だ。


 否。


 きっと、冷えてしまったのはソフィアの方だけ。

 リカルドは今もソフィアのことを想っている。

 だからこそいまだにステラに優しくしてくれるし、ソフィアの不実を追及できないでいるのだ。

 ソフィアを失うことが何よりも怖いから。


 ステラと同じだ。


 ステラもずっと、リカルドに嫌われることが怖かった。


(……私だったら)


 リカルドにそんな表情させないのに。

 ずっとリカルドのことだけをすきでいるのに。


 そんなことを考えてしまう自分の浅ましさが恐ろしい。


「……ステラだったらよかったのに」


 リカルドがポツリと呟く。


 何がよかったのか。

 その先に続く言葉はいくら待ってもリカルドの口からは出てこない。

 ただその呟きは残酷以外のなにものでもない。

 酷い男だ。最低の男だ。

 けれどこの目の前の男をどうしても嫌いになれない。


(……どうか)


 そんな表情をしないでほしい。

 ソフィアの隣で、幸せそうに笑っていてほしい。


 もしも本当に桜の花びらに願いを叶える力があるのなら、どうして先程この願いごとを思い付くことができなかったのだろう。



【本編で出てこなかった設定】


 アカデミーは初等科と高等科に別れています。

 初等科は10~13歳(11歳になる年で入学・13歳になる年で終了)

 高等科は13~16歳(14歳になる年で入学・16歳になる年で卒業)の間通います。

 一応1月始業12月修了ですが、1月の間は長期休暇となってるため入学式は2月の中頃に行われます。


 ちなみに帝国には四季も存在し、

 ざっくり 春3~5月 夏6~8月 秋9~11月 冬12月~2月 です。


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