E.C. 996.04-1
前回更新分から時間は遡りまして、これから数回はステラの少女時代、「後宮」に上がる前のお話です。
「ねぇ、ステラ。やっぱり今日のピクニック、貴女は来ない方がいいと思うの」
鈴が鳴るように愛らしい声で、ソフィアはおっとりとそう言った。
まるで素敵なことを思いついた、とでも言わんばかりに微笑んで。
「もちろんわたしはステラと一緒にピクニックに行けたら素敵、と思っているのよ。けれどみんなが、ステラは来ない方がいいと言いっているの。
ほら、貴女って愛想が無いでしょう?みんなでおしゃべりしていてもちっとも楽しそうにしてくれないじゃない?だからきっと、ステラはいっしょに遊びたくないのね、ってみんな言うの」
「みんな」とはいったい誰なのか。
ソフィアの主張は流暢だけど主語がバラバラで、誰の意見なのかわからない。
来ない方がいいと思っているのはソフィアなのか「みんな」なのか、或いはその両方なのか。
困惑気味に見返すと姉は、可哀想なステラ、と言いながらステラを抱きしめた。
「大丈夫。姉様はステラの味方だからね。たとえみんながステラのことを嫌いでも、姉様はステラの味方よ」
胸元のくるみボタンが頬に当たって痛いな、と、ソフィアの腕の中でステラはそんなことを考えていた。
だからいい子でお留守番していてね、と命じる姉の中では、ステラのピクニックへの不参加は決定事項なのだろう。
ここで反論しても、ソフィアを哀しませるだけだ。
どうして姉様の言うことを聞いてくれないの。ステラは姉様のことが嫌いなの。
榛色の瞳に涙を溜めてステラを責める姉の姿を見るのは、あまり気分のいいものではなかった。
「……わかりました。お姉様」
別に、どうしても行きたかったわけではない。
本当は外に出かけるよりも、部屋の中で本を読んでいる方が好きだ。
ソフィアの言う「今日のピクニック」とは、彼女のアカデミーの友人たちとアルフェスの丘に出かける予定のことだった。
明るくて社交的なソフィアは友人が多い。
いつも友人に囲まれている人気者の優しい姉は、友達のいないステラが可哀想だからと、自分の友人の集まりにも妹を誘ってくれる。
姉の友人は皆親切で、ステラにも優しくしてくれる。
仲間外れにしたり幼いステラをからかったりする人は一人もいない。
ただやはり一人だけ年齢の違うステラが疎外感を覚えてしまうことは、どうしても仕方のないことだろう。
姉の友人たちとおしゃべりするのも楽しくないわけではないけれど、時々彼女たちはステラのわからない話をする。
別にそれが不満なわけではない。そういうときは話の腰を折るのも申し訳ないので聞き役に徹しているだけだ。
それを「つまらなそう」と思わせてしまうのは、きっとステラが悪いのだろう。
もっとにこにこして相槌を打てればいいのだが、いかんせん、笑うことはあまり得意ではなかった。
「つれて行ってあげられなくてごめんなさい。怒らないでね」
大好きよ、ステラ、とそんな言葉を残してソフィアはピクニックへと出かけていった。
急に予定の無くなったステラはとりあえず外出着から部屋着へと着替える。
気を遣ったメイドたちがアフタヌーンティーでもするかと訊いてくれたが、別に拗ねても気落ちしてもいない。
行かない方がいいと言われたから行かない。ただそれだけのこと。
特に心乱されることもなく、普段通りの休日を過ごした。
途中妹のジェシカのお人形遊びに付き合ったり気分転換に庭師の仕事を眺めながら日向ぼっこをしたりしたが、結局ほとんど一日中本を読んでいた。
陽が傾きかける頃には本も残り数頁となり、夕食までに読み切れるだろうかと思いながら頁をめくっていると、にわかに一階が騒がしくなった。
何かあったのだろうかと顔を上げると、帰宅した父が呼んでいるとメイドが呼びに来た。
「おかえりなさいませ、お父様。お呼びでしょうか」
言われた通り父の部屋に向かうと、室内には先客がいた。
いつの間に返ってきたのか、目を潤ませたソフィアが父の傍に座っていた。
「お姉様もお帰りになっていたんですね」
「ステラ。そこに座りなさい」
ステラの言葉に答えず、父、リディアンは向かいのソファーを指す。
穏やかな父にしては珍しく、少し苛立っているように見えた。
部屋の中の異様な雰囲気に気付きながらも、ステラは大人しく命じられた通りソファーに座る。
端から見れば常と変わらぬ様子のステラに、父はため息を吐いた。
「ステラ……。どうして今日ピクニックに行かなかった」
「え……」
「今日はオルグレン伯爵家やスコールズ家の御子息たちも来ていたんだぞ。ただ遊びに行くわけじゃない。それなのに急に『行きたくない』だなんてどうしてそんな我儘を言ったんだ」
父が何を言っているのかわからなかった。
今日のピクニックはソフィアのアカデミーの友人たちとだと聞いていたし、そもそもソフィアが来ない方がいいと言ったのに。
驚いてソフィアを見ると、なぜかソフィアは今にも泣き出しそうな表情をしていた。
「ごめんなさい、お父様。わたしがいけないの。わたしがもっとちゃんとステラに言い聞かせていればよかったのに……」
「ソフィア……」
「ステラを叱らないであげて」
隣に座る父の腕に自らの手を添え、榛色の瞳を潤ませながら切々と訴える姉を見ても、いったい何の話をしているのか、ちっとも理解できなかった。
オルグレン伯爵家やスコールズ家というのは父が贔屓にしている美術商を営んでいる家だ。
オルグレン伯爵家は同じ貴族ではあるが、家格だけを見ればミーリック侯爵家の方が高いし、スコールズ家に至っては貴族ではなく商家だ。
けれど美術品や骨董品を集めることが趣味の父にとっては大事にしておきたいコネクションなのだろう。
けれどステラはそんなこと知らなかった。ソフィアも一言も教えてくれなかった。
そもそも来ない方がいいと言ったのはソフィアだ。ステラは行きたくないなどと言った覚えはない。
だが少しも悪びれていないソフィアを見ていると、もしかしたらステラが何かを聞き逃した、或いは曲解したのではと不安になってくる。
あれは命令ではなく確認、或いは忠告だったのだろうか。
みんなはステラが来ない方がいいと言っているけれど、ステラはどうしたい?という。
「お宅のお嬢さんは奔放ですねと恥をかかされたんだぞ。ソフィアだって、我儘な妹で恥ずかしい思いをしただろう」
「そんなことないわ、お父様。ステラはわたしの大事な妹よ。どんなに我儘を言っても、ステラのこと大好きなの」
「ソフィア……」
「だからね、お父様。ステラのことを許してあげて」
「ステラ、聞いたか。こんな優しい姉様にこんな風に謝らせて、どういうつもりだ。きちんと自分の口で謝りなさい」
常よりも厳しい口調で命じられ、ステラはますます混乱する。
一方で思った。
もしも今ステラがソフィアと同じように泣き出せば、父は許してくれるだろうか、と。
―――答えは、「否」だ。
父は、穏やかな人だ。温厚で理性的で、取り乱したり声を荒らげたりは決してしない。
子どもたちを叱るときも、怒鳴ったり手を上げたことはない。
けれどこちら側の言い分に耳を傾けるような公平な人、というわけでもない。
彼の中では既に物語ができていて、それを覆すことなど認めない。
今回のことも父の中では「ステラが行きたくないと我儘を言った」というのが揺らぎようのない真実で、ステラの言い分など聞く必要が無いのだ。
だからステラには、「ごめんなさい」と謝る以外の選択肢など無い。
父の筋書き通りきちんと謝れば、父は許してくれる。
もうこんな我儘を言ってはダメだよ、と優しく諭してくれる。
本当のことなど、少しも重要ではないのだ。
「大丈夫よ、ステラ。姉様が一緒に謝ってあげるから。そうすればお父様も許してくださるわ」
「……」
目を潤ませながらソフィアはそう言うが、いったい何を謝ればいいのだろう。
姉の言葉を誤解したこと?ピクニックに行きたいと思わなかったこと?父や姉に恥をかかせたこと?
わからないけれど、哀しそうな姉の顔を見ていると、やはりすべてステラが悪いのかもしれない、という気になってくる。
心優しい姉を哀しませるステラが全部悪いのだ。
「……ごめんなさい、お父様、お姉様……」
何が悪いのか理解できないのに、うわべだけの謝罪を口にできる自分はなんて悪い子なのだろう。
それでもこんなステラにも、姉は優しくしてくれるし、父も大事に育ててくれた。
そのことにステラは、感謝しなくてはいけない。
「わかればいいんだよ、ステラ。もう二度とこんなことはしないようにね」
リディアンが満足げに微笑むと、ステラともソフィアとも違う色の緑の瞳から険しさが消える。
二人の瞳の色は、数年前に亡くなった母、エライザから受け継いだものだった。
「よかったわね、ステラ。お父様が許してくださって」
「……はい」
いつものように穏やかに微笑む父や姉を見て、やはりこれでよかったのだと自分に言い聞かせた。




