E.C.1009.08-3
帝都から離宮にあるセイレーヌの街までは、馬車で約一日かかる。
しかしまだ十歳のレオンハルトがいるため、途中途中で休憩を挟んでいると、どうしても一日半はかかってしまう。
レオンハルトたちは途中の街で一泊し、離宮に着いたのは出発日の翌日の昼過ぎだった。
離宮に到着したレオンハルトはまず湯殿に通された。旅の疲れを癒してほしいという心遣いなのだろうが、そんなことよりも早く兄に会いたかった。
しかし旅の埃っぽい着物のまま兄の前に出るのも躊躇われ、大人しく言われるままに湯浴みと着替えを済ませる。
到着から約一時間、侍女たちにあれやこれやと世話を焼かれと身づくろいを施されたレオンハルトは、どこに出しても恥ずかしくない立派な「第二皇子」だった。
そうしてようやくレオンハルトは兄と対面できることになったのだが、兄の侍女によると、兄は今レオンハルトの歓迎の茶会の用意で庭園にいるらしい。
離宮は通称薔薇の宮とも呼ばれていて、初夏から一月の間、それは見事な薔薇が宮中で咲き乱れる様がその通称の由来だった。
赤、白、薄紅色、黄色、紫。色とりどりに咲き誇る薔薇は本当に美しく、中でも庭園で咲くものは別格だ。
その薔薇を見ながらティータイムを楽しもうという趣向らしい。
反論する理由もつもりもなく、レオンハルトはステラとジャンを従え、庭園へと下りていった。
「レオンにいさまー」
「ウィル」
庭園に入ると、五、六歳ほどの男児が駆け寄ってきた。
レオンハルトの四つ下の異母弟、ウィリアムだ。
一見少女にも見える甘い顔立ちは彼の母親によく似ているが、レオンハルトのそれよりも淡く柔らかにきらめく亜麻色の髪は、父親譲りのものだった。
レオンハルトは駆け寄ってきたウィリアムを抱き上げ、額にキスを送る。
にいさま、くすぐったい、と笑うウィリアムを抱きかかえたまま、レオンハルトは再び歩き出す。
庭園の中央に用意されたテーブルには、数人の侍女に囲まれ、ウィリアムと同じ亜麻色の髪をした十四、五ほどの少年が座っていた。
少年は、レオンハルトの姿を見つけて穏やかに微笑む。
「やぁ、レオン。よく来たね。いらっしゃい」
「は……本日はお招きにあずかり……」
「あぁ、いいよ。堅苦しい挨拶は。私と君との仲だろう?それよりも、座っておくれ、レオン」
「はい、兄上」
柔らかな物言いでレオンハルトに着席を促すこの少年こそが、この離宮の主でありレオンハルトの兄であるアデルバート=セイルヴ=ジュエリアルだ。
父親譲りの精悍な顔立ちと銀灰色の眸は、見る者を惹きつける。
だが彼の父であり、レオンハルトの父でもある男とうりふたつであるのに与える印象がまるで異なるのは、父に比べてアデルバートがあまりにも白く、線が細いためだろう。
ジュエリアル帝国の第一皇子にして皇太子であるアデルバートは生まれつき身体が弱く、幼い頃から床に伏しがちだった。
そのため十歳のときに帝位継承権を授かると同時に、静養も兼ねて気候の穏やかなこの離宮で暮らすようになった。
アデルバートが帝都に戻るのは、新年の祝いの祭事を行う時期と、皇帝である父の生誕を祝う式典の時期だけだ。
病がちな兄を案じる気持ちと、たまにしか兄に会えない淋しさ。
その両方がレオンハルトの胸の内に混在しているのだが、兄の笑顔を見るだけで、複雑な胸の中が穏やかさを取り戻す。
「ウィル。
いつまで兄様のお膝に座っているつもりだ。早く下りなさい。それでは兄様がお辛いだろう」
レオンハルトの膝の上にちゃっかり腰掛けた弟皇子を、アデルバートの右隣に座す少女が咎める。
少女の名は、キャロライナ=ブレイド=ジュエリアル。
ウィリアムの同腹の姉姫であり、アデルバートとレオンハルトにとっては異母妹にあたる第一皇女だ。
ウィリアムとキャロライナの母親は第三皇妃―――つまりセレスティアで、二人ともレオンハルト同様夏の初めに長兄からの離宮への招待状を貰っていた。
本来ならば三人で同日に城を出る予定だったのだが、レオンハルトはアルフォート侯爵の来訪により出発を遅らせたため、二人は一足先に到着し、レオンハルトの到着をアデルバートとともに待っていたのだ。
「え……でも……」
「でもではない。口答えをするな」
まだまだ甘えたい盛りのウィリアムに、キャロライナはぴしゃりと言い捨てる。
緋色の髪と碧色の瞳を持つ皇女は兄二人に比べ気が強く、また弟皇子に対し常に毅然とした態度で振る舞う。
ピンと伸ばされた背筋からは十歳でありながら既に上に立つ者の気品のようなものが溢れ出ている。
一方、まだまだ幼く、姉姫に比べると気弱な性格のウィリアムは、キャロライナの叱責にビクッと身を震わせ、レオンハルトにすがりついた。
対称的な姉弟に零れそうになる苦笑を噛み殺しながら、レオンハルトは膝の上のウィリアムの背をそっと撫でる。
「相変わらず勇ましいね、キャリーは」
「兄様。兄様もウィルを甘やかさないでください」
「おや、私まで叱られてしまったよ。どうしようか、ウィル」
「レオン兄様!!」
「やめなさい、二人とも」
からかいの滲む声で膝の上のウィリアムに問うと、キャロライナは父親譲りの凛々しい顔を真っ赤にして声を張り上げた。
期待通りの素直な反応に、レオンハルトは相好を崩す。
腹に一物も二物も抱えていそうな教育係に頭を悩まされながら日々を過ごすレオンハルトにとって、キャロライナのように感情表現がストレートな者は、かえって新鮮だ。
心のままに怒り、心のままに笑う。そんな素直な妹を、好ましく思う。
それゆえついついからかってしまうのだが、それはこうして妹を怒らせても、その場を収めてくれる人がいると知っているからだ。
「レオン、キャリーのことが可愛くて仕方ないのはわかるけれど、あまりからかうのはおやめ。度が過ぎては嫌われてしまうよ。
キャリーも、そのように怒っては可愛い顔が台無しだよ。
それに、ウィルのことが羨ましいのなら言ってくれればいくらでも私の膝を貸してあげるよ」
「な……ッ」
緋色の髪を撫でながら紡がれた長兄の言葉に、キャロライナの顔が先程とはまったく異なる意味で朱に染まる。
怒りではなく、羞恥のため。兄に図星を言い当てられて、照れているのだ。
―――やはり、兄にはかなわない。
「だ……っ誰がそのようなことを申しましたか!!わたくしは別に、そのようなこと……ッ」
「おや、違ったかい?
けれど私は久しぶりにこうして会えたのだから、私の可愛い姫君に、もっと甘えてほしいよ」
「きゃ……ッ」
そう言ってアデルバートは立ち上がり、キャロライナを抱き上げる。
病弱な皇太子の突然の行動に、レオンハルトはもちろん控える侍女たちも目を剥く。
けれどアデルバートは妹姫を抱き上げたまま、今日の空と同じくらい晴れやかな笑みを浮かべた。
「久しぶりのお茶会だ。今日はピクニックにしよう。
レベッカ、何か敷く物を持ってきておくれ。庭に座ってお茶をしよう」
「かしこまりました」
「さ、レオンもウィルも、こちらにおいで」
「はい、兄上」
柔らかな笑みに、レオンハルトは膝の上のウィリアムを下ろし、その手を握って立ち上がる。そしてアデルバートの元へと駆けた。
この兄に、どこまでもついて行きたい。
そんなことを思いながら。
ようやくアデル兄様ご登場。
登場人物が増えてきたので簡単に。
レオンハルト=ランス=ジュエリアル(10)
・第二皇子 髪:金色 瞳:蒼色
マリアンヌ=ランス=ジュエリアル(故20)
・第二皇妃 レオンの生母 髪:金色 瞳:蒼色
ジャン=アトリー(27)
・第二皇子付教育係 髪:褐色 瞳:鉄色
ステラ=ミーリック(22)
・第二皇子付侍女頭 髪:濃灰色 瞳:榛色
アデルバート=セイルヴ=ジュエリアル(15)
・皇太子(第一皇子) 髪:亜麻色 瞳:銀灰色
レベッカ=エイミス(35)
・皇太子付侍女頭
セレスティア=ブレイド=ジュエリアル(26)
・第三皇妃 キャリー・ウィルの生母 レオンの後見人 髪:緋色 瞳:碧色
キャロライナ=ブレイド=ジュエリアル(10)
・第一皇女 セレスティアの長女 髪:緋色 瞳:碧色
ウィリアム=ブレイド=ジュエリアル(6)
・第三皇子 セレスティアの長男 髪:亜麻色 瞳:碧色