E.C.1003.04-1
眩い金の髪と、空のような蒼い瞳。
輝くばかりの美貌を誇る彼女のことを、人々は「太陽の女神」と讃えた。
美しく、気高く、心優しい女神に仕えることを、彼らは誇りに思っていた。
けれどジャンは知っている。
彼女は、女神などではない。
利己的で、計算高く、自らの美しさも価値も理解しているただの女だ。愛されることに慣れ、愛されることを当然だと思う傲慢な女。
自らの願いを叶えるために、彼女は人の心を弄ぶ。
そんな彼女の本性を知ったジャンの中に生まれたのは、彼女への失望ではなく恋慕だった。
神秘性さえ感じていた彼女の人間らしさを知り、言いようのない劣情を抱いた。
きっと誰にも理解されない。自分でもどうかしていると思う。
けれど彼女と言葉を交わし、彼女の本性を知った瞬間、急に彼女が肉体を持った生身の人間であると実感した。
手の届かない女神などではなく、どこにでもいるただの女なのだと。
そう感じた瞬間、彼女への愛しさが募った。
跪いて愛を乞うのではなく、高みから引きずり下ろして自らの愛で穢してやりたいと。
それは敬愛ではなく、愛欲だった。
欲望への衝動を踏み留まったのは、ただの女であったとしても、彼女が皇帝の妃であることに変わりはなかったから。
「宮廷」での「密会」以降、彼女と顔を合わせることはおろか、言葉を交わすこともなかった。
アデルバートの護衛として「後宮」に出入りしていても、彼女の姿を見かけることはなかった。
第一皇子と第二皇妃が鉢合わせたりしないよう常日頃から配慮がなされていたのだろう。
ガゼボでの予期せぬ遭遇は本当に異例なことだったのだ。
勝手な「お願い」を一方的にしておきながら、「ジャンの意思を尊重する」という言葉通り、彼女の方から接触してくることもなかった。
会えない日々に、想いばかりが募っていった。
会いたくて、会いたくて、気が狂いそうだった。
けれどジャンの方から面会を申し込んでも会うことはできないだろうと予想できるほどには冷静だった。
理性と欲望がちぐはぐで、どうにかなってしまいそうになった頃、彼女は皇帝の子を産んだ。
そしてそのまま、還らぬ人となった。
彼女の訃報を聞いても、涙などは出なかった。むしろ安堵さえ覚えた。
これで彼女の幻影に惑わされずに済む、決して会えないとわかっているのなら、会いたいと思うこともない、と。
あんなにも恋い焦がれた――今なお狂おしいほど想い続けている彼女の死に安堵する自分は、きっとどこかおかしいのだ。
彼女と出逢った瞬間から、ジャンはずっとおかしかった。
自分が異常なことを自覚していれば、取り繕うのは簡単だった。
彼女のいない日々は、至極穏やかに過ぎていった。
いつも通り仕事をして、たまにアデルバートの相手をして、時折夜会に出て恋の真似事を楽しんで。
彼女が生きていた頃と、彼女に出逢う前と何も変わらない生活を送っていた。
城に入って一年もする頃には、候補生から正式な文官に昇格した。
その間もアデルバートとの交流は続いていた。
すぐに飽きると思っていたのに、むしろ以前にも増してアデルバートはジャンを呼び出すようになった。
散歩の護衛だけでなく、話し相手としてサロンに呼ばれるようになるなど、第一皇子付の教育係は他にいたのに、アデルバートはやたらとジャンを傍に置きたがった。
幼いながらも利発で大人びたアデルバートの相手をするのは苦痛ではなかった。
そして更に一年経った頃、ジャンは侍従見習いとして「後宮」に上がった。
侍従見習いと言っても、具体的な仕事は無いに等しい。
今まで通りアデルバートの相手をしたり、第一皇子の教育係の補佐をしたりとそれくらいだ。
謎の出世に実家の父は手のひらを返したように喜んだ。エリオスはドン引きしていた。レベッカは片眉をピクリと動かした。兄からは、何の音沙汰もなかった。
そんな風にして、ジャンの城での日々は過ぎていった。
気付けばマリアンヌとの「密会」の日から、早四年半もの歳月が経っていた。
―――この子が無事に生まれた暁には貴方に教育係になってほしいの
―――あと五年……は無理ね。四年くらいは考えてくださって結構よ
そう言って微笑んだマリアンヌの表情も、ジャンの記憶の中ではもうおぼろげだ。
こうして人は、忘れていくのだ。
忘却と喪失が同義なのか、忘れることが罪なのか。
ジャンにはまだわからない。
わからないのはきっとジャンが、本当の意味ではマリアンヌを忘れられなかったからだ。
その証拠に、「約束」の期日を半年過ぎても、ジャンはまだ答えを出せないでいる。
彼女の「お願い」を、忘れたわけではない。
わからないのだ。
どうすればいいのか、どうしたいのかすら。
マリアンヌがその命と引き換えに産んだ子は、男児だった。
「金の皇子」の二つ名を与えられ、第二皇子として「後宮」で大切に育てられているその子についてジャンが知っていることはそう多くない。
マリアンヌとアデルバートの接触が防がれていたように、第二皇子もまたアデルバートから遠ざけられていたため、第一皇子付侍従見習いのジャンではその姿を見ることは叶わない。
生きてはいること、まだ公には発表されていない本名、身体の弱い兄と違って大した病気もせず健やかに成長していること、あと半年で五歳になり教育係がつけられる予定であること。
ジャンが知っているのはそれくらいだ。
この国では第二皇子は第一皇子と同じく皇太子教育を受けることが通例であるため、その教育係には厳選に厳選が重ねられていることだろう。
ジャンならばその務めをやり果せる。
この五年の城仕えでそのことを確信した。
誰よりもうまくやれる自信がある。
けれどいまだに志願することができない。
時々すれ違う際のカーティスの物言いたげな視線を感じながらも、決断できずにいた。
だって、第二皇子の教育係になるということは、それはつまり――。
「あぁ、ジャン。ちょうどいいところに。散歩に行きたいのだけれど、ついてきてくれる?」
書類を運んでいると、ちょうど部屋から出てきたアデルバートににこやかに尋ねられた。
今年の冬九歳になったばかりのアデルバートは、いつの間にか幼子から少年へと成長していた。
幼い頃から落ち着いた大人びた子ではあったが、年を重ねるごとに知的さも増し、穏やかで聡明、非の打ち所の無い完璧な皇子へと成長した。
父親譲りの美貌にもますます磨きがかかり、来年には第一位帝位継承権を授かり皇太子となる予定だ。
誰もが彼の将来を楽しみにしている。
「申し訳ございません。今からこの書類をサイラス卿に届けなければいけませんので……」
「わかった。じゃぁ準備して待ってるね」
「……」
何もわかっていない。
今は無理です、と断ろうとしたのに、アデルバートは急がなくても大丈夫だよ、とにこにこと笑いながら部屋の中に引っ込んだ。
アデルバートは、穏やかで理性的な少年だ。
駄々を捏ねたり癇癪を起こしたり、見苦しいことは一切しない。少なくともジャンはアデルバートが泣き喚く姿など見たことはないし、周囲の侍女たちからも聞いたことはない。
けれどそれは彼が我儘を言わないということでも、自己主張をしないということでもない。
アデルバートは、わりとさらっと強引だ。彼はいつも、笑顔で自分の要求を通す。
あまりにスマートすぎて、言われた方が気付かないほど鮮やかだし、何より彼もまた無理を言っているという自覚が無い。
天然の、生まれながらのお姫様気質なのだ。皇子なのに。
嘆息し、ジャンは書類を第一皇子付の教育係の元へと届ける。
といっても教育係に与えられた部屋はアデルバートの部屋の隣だ。
届けたついでに皇子御指名で庭園の散策に出かけることを告げると、あからさまに不機嫌な表情をされた。
爵位も与えられていない単なる侍従見習いのジャンがアデルバートに気に入られていることが面白くないのだろう。
いつ自分の地位にとって代わられるかと怯えているのかもしれない。
教育係の部屋を出て、アデルバートの部屋をノックする。
扉を開けて出迎えてくれたのは皇子付の侍女、レベッカだ。相変わらず、顔は少しも歓迎してくれていないが。
「お待たせいたしました、皇子殿下」
「こちらこそ、忙しいのにありがとう、ジャン。
レベッカ、行ってくるよ」
「お気を付けて行ってらっしゃいませ」
毎度のことながら城の中で何に気を付けろと言うのだろうかと思いながら、レベッカに一礼し、アデルバートのあとに続く。
「今日は御加減はよろしいのですか?」
「うん。もう大丈夫」
昨日までアデルバートは熱を出して寝込んでいた。
季節の変わり目で風邪を引いてしまったのだろうというのが医師の見立てだった。
眉目秀麗、頭脳明晰、品行方正、歴代の皇子の中でも飛びぬけて優秀だと言われる第一皇子の唯一の欠点は、身体の弱さだ。
そればかりは長じてもあまり改善されることはなかった。
激しい運動をすれば寝込み、季節の変わり目には風邪を引き、雨が降ると頭が痛くなり、暑い日には体温調節がうまくいかないのか熱を出す。
本当に難儀な体質だ。
病床で苦しむアデルバートを見ていると、いつもやるせない気持ちになる。
熱に浮かされ苦痛に顔を歪めながら、アデルバートは謝罪の言葉をうわ言のように繰り返す。
ごめんなさい、父様。ごめんなさい、母様。
どうしてそんなにも謝るのか、ジャンにはわからない。
空を切るアデルバートの手を握っても苦悶の表情が和らぐことはなく、何もできない自分の無力さを思い知らされる。
「今日はどちらに行かれますか?」
「今はネモフィラが綺麗な時期だから、押し花にして栞を作ろうと思うんだ」
「左様で御座いますか」
自分の身体の弱さ、自分が倒れれば周りの者が咎められることを理解しているアデルバートは、次第に体を動かすことを控えるようになった。
好きだった乗馬も得意な弓術もほとんどしなくなった。
その代わりのように、以前にも増して植物に興味を示すようになった。
ただ愛でるだけでなく実際に育ててもいるようだが、土や日当たり、肥料や水の量などを変えて育ち方を分析するなど、研究者さながらだ。
この子はいったいどこへ向かっているのだろうと思いながらも、病弱な皇子の「趣味」を周りの大人が取り上げることはできなかった。
「そんなに要りますか?」
庭園内のネモフィラが咲いているエリアにやって来たアデルバートは、綺麗に咲いているものを選びながら丁寧に摘んでいく。
栞を作るには二、三本で十分だろうに、気付けば彼の右手には十数本ほど握られていた。
「父様と母様にも作ってさしあげようと思って」
「それはお喜びになりますね」
「そうだといいな」
喜んでくださったら僕も嬉しい、とアデルバートは微笑む。
アデルバートは顔立ちは彼の父にうりふたつなのに、笑うとまるで印象が異なる。
とはいえ皇帝の笑顔など、公の場での貼り付いたような笑みくらいしか見たことはないが。
「……ねぇ、ジャン」
「はい」
「ジャンも喜んでくれる?」
「はい?」
「栞。ジャンにも作ったら、もらってくれる?」
「……作っていただけるんですか?」
はにかんだように微笑むアデルバートに、何とも言えない気持ちが込み上げた。
ありがとうございます、大切にします、と返すとたったそれだけでアデルバートは嬉しそうに笑った。
理由はわからないけれど、初めて出逢ったときからアデルバートはジャンによく懐いた。
ジャンを傍に置き、いろいろな話をせがむ。
レベッカが眉を顰めるような話を強請っては、教育に悪いと一緒に叱られたこともある。
怒られちゃったね、と笑うアデルバートはとても楽しそうだった。
ジャンのことを慕ってくれるアデルバートに、ジャンを見上げて嬉しそうに笑うアデルバートに、ジャンもまたほだされているという自覚はある。
美しくて賢くて―
―憐れな皇子のことが、心配で仕方ない。
守ってやりたいと思うし、彼の憂いを取り除いてやりたいとも思う。
彼が笑顔で生きていける世界を守りたいと、柄にもなく願う。
彼の気まぐれに付き合わされていただけのはずなのに、いつの間にか離れ難くなってしまっていた。
だから第二皇子の教育係に志願することができない。
その道を選ぶということは、アデルバートの傍を離れるということだから。
それなのに正式に辞退の申し入れをすることもできないジャンは、どうしようもない優柔不断だ。
ネモフィラの花を摘んだあとも、アデルバートは庭園内の花を見て回った。
庭園内を優雅に闊歩し、時折しゃがんで花に顔を寄せ、その香りを楽しむ。まるで花の精のようだと思った。
春に咲く色とりどりの花は、アデルバートの可憐さをより引き立てる。
皇帝とうりふたつの容貌をしているのに、アデルバートの姿にはなぜか儚さを感じる。
光の中に溶けてしまいそうな、危うい美しさ。
「……殿下は花が似合いますね」
思わず口を突いた言葉にハッとする。
まずい。今のは失言だった。
そう思うのは、以前似たようなことを言ってアデルバートの機嫌を損ねたことがあるからだ。
けれどジャンの心配をよそに、アデルバートはただ瞬きを繰り返す。
「そう?ありがとう」
照れるでもなく怒るでもなく、何でもないことのようにあっさりと礼を言うアデルバートに、ジャンの方が驚いた。
「……怒らないんですか」
「え?」
「以前は『花が好きだなんて女の子みたいでおかしい?』とおっしゃって、拗ねてしまわれたのに」
「何?ジャンってば、僕を怒らせたいの?」
「いえ……」
変なの、とくすりと微笑んでアデルバートは立ち上がる。
出逢った頃と比べてアデルバートは随分背が伸びた。
それでもまだ、ジャンの胸のあたりまでもない。シャツの襟元から伸びる首もまだ細く、頼りない。
「もうそんなことで怒ったりしないよ」
「……」
「前も別にジャンに怒ったわけじゃないよ。あの頃はダニエルがあまりにも女の子みたいだってからかうから、ちょっと過敏になってしまってただけだよ。彼、顔を合わせるたびに女の子みたいに可愛らしいだ何だとからかってきてしつこかったんだ」
「……からかっていたわけではないと思いますけど」
「え?」
「……いいえ、何でも」
確かに今よりもっと幼い頃、アデルバートは本当に女の子のように愛らしかった。
遊び相手として城に呼ばれていたアデルバートと同い年のアルフォート侯爵家の長男は、初めの頃は本気でアデルバートのことを女の子だと思っていたような節があった。
むしろ今でも女の子であればいいのにと思っているように見える。
「最近はさすがにからかわれなくなったし、それにジャンが教えてくれたでしょう」
「え……?」
「『紳士の嗜みとして淑女に合った花を贈って口説けるよう、男も花に詳しくないといけない』って」
「あぁ……。そんなことも申しあげましたね」
ちなみにそのあといつものようにレベッカに「教育に悪い!」と足を踏まれたのだが。
「ジャンはいつも、僕に知らないことを教えてくれるね。だからジャンと話をすることはすごく楽しい。ジャンと一緒にいるのが、一番楽しいんだ」
「……殿下……」
真っ直ぐにジャンを見つめる少年の瞳を、なぜか怖いと思った。
その先を、聞きたくなかった。
「ねぇ、ジャン。ジャンはこれからもずっと、僕の傍にいてくれる?」
無邪気な問いに、ジャンは即答できない。
肯定も、拒絶も選べない。
「私、は……」
どうしたいのだろう。
アデルバートの傍にいたいのか。
それとも―――。
≪ピチチッ。レオン。レオン。トウサマ≫
「……?」
どこからか、奇妙な声が聞こえてきて、反射的にあたりを見渡す。
アデルバートもきょろきょろしていたが、ふい何かに気付き、左手の人差し指を差し出した。
「殿……」
制止する間もなく、アデルバートの指に舞い降りてきたのは手のひらほどの大きさの小鳥だった。
鮮やかな水色をしていて、カナリアやヒバリとは違って尾が長い。
先程の奇妙な声は、この鳥が発したものだろうか。
「この鳥……」
「鸚哥……でしょうか……?」
「『インコ』?」
「東大陸に棲息する鳥です。とても賢く、人の言葉を覚えて喋るものもいると聞いたことがありますが、どうしてこんなところに……」
再び飛び立つ様子もなく、アデルバートの指の上で寛ぎ始めた小鳥をまじまじと見つめる。
文献でしか見たことのない鳥がどうしてここに?と疑問に思うも、それを自力で解明する暇など無かった。
「シエラ!」
「!?」
「!?」
茂みの中から急に袋を持った四、五歳ほどの幼子が現れた。
その幼子の顔を見て、ジャンは思わず息を呑む。
ズボンを穿いているためかろうじて男児だとわかるが、そうでなければ女の子と思うほどに愛らしい。
けれどジャンの動揺の理由は、彼の容姿の愛らしさでも、妙なところから飛び出してきたからでもない。
彼の顔に、瞳の色に、髪の輝きに、ある人物の面影が重なったからだ。
甲高い声に驚いたのか小鳥は飛び立とうとするが、とっさにアデルバートが右手で鷲掴みにした。
こういうところ、アデルバートは意外と思い切りがいい。
現れた幼子、掴まれた小鳥、掴んだアデルバート。
三者三様に驚き、皆固まってしまっている。端から見れば奇妙な光景だが、本人たちは大まじめだ、きっと。
膠着状態の中、最初に我に返ったのはアデルバートだった。
「……この小鳥……君の……?」
おそるおそる尋ねると、幼子はハッとしたように身を竦ませたあと、何度もこくこくと頷いた。
そして手に持っていた小さな袋を差し出し口を広げる。
ここに小鳥を入れろと言うことなのだろう。
促された通りアデルバートはその袋の中へと小鳥を入れた。
「……早く籠の中に入れておやり」
「……とうさま……?」
アデルバートの言葉が届いていないのか、幼子は不思議そうに呟く。
アデルバートの息を呑む音が聞こえた。
この幼子が誰であるのか気付いたのだろう。
けれどジャンは、この子が現れた瞬間から、気付いていた。
「……初めまして。僕はアデルバートと言います」
「……」
アデルバートの名乗りに、レオンハルトは双眸を目いっぱい見開いてアデルバートを見返す。
母親と同じ、蒼い瞳で。
「君の名前は?」
「……れおん……。れおんはると……」
おそるおそるといったふうに名乗ったその名は、もうすぐ五つになる第二皇子――第二皇妃マリアンヌの産んだ皇子のもの。
確信が、現実に変わる。
「……やっと」
アデルバートは幼子に向かって手を伸ばす。
白い手が柔らかそうな頬に触れ、幼子はビクッと身を竦ませる。
けれど逃げたりはしない。
されるがままに、アデルバートの腕を受け入れる。
「やっと会えたね……。僕の弟……」
幼子――第二皇子のレオンハルト=ランス=ジュエリアルを抱きしめたまま、アデルバートが囁く。
今は亡き第二皇妃と同じ色の髪と瞳、うりふたつと言っていいほどよく似た容貌を持つこの幼子こそが、マリアンヌの忘れ形見だ。
―――この子をたくさん愛してあげてください
―――この子が寂しい想いをしなくていいよう、たくさん抱きしめてあげて
アデルバートが夏の日にマリアンヌと交わした約束がよみがえる。
歌うように美しく、囁くように優しいマリアンヌの声が、記憶の中で響く。
おぼろげだった彼女の姿さえも、鮮やかに色を得る。
あの日のことをアデルバートもずっと覚えていたのだ。
誰ともしれない女との約束を、今日までずっと大切に抱いてきた。
アデルバートに抱きしめられた皇子は放心していたようで、せっかく捕まえた小鳥の入った袋を手から落とす。
袋の口が開いた拍子に、小鳥が再び空へと飛び立った。
羽ばたく音を、皇子の声が掻き消す。
アデルバートの腕の中で、皇子は声を上げて泣いていた。
この四年間、母を亡くした皇子がどうやって生きてきたのか、ジャンは知らない。
知るすべも持たない。
知ったところで何も変わらない。
それでも。
泣きじゃくる小さな弟を、アデルバートはまるで宝物のように、大切に抱きしめていた。
それは、母の異なる兄と弟が初めて出逢った日。
そしてジャンが、マリアンヌの息子を見つけた日だった。




