E.C. 997.12-1
前回より少し進んで皇帝とセレスティアの初夜のお話です。
今日からセレスティアの夫となる人は、恐ろしいほど美しい男だった。
この世のあらゆる美しいモノを集めてこしらえたかのように思えるほど。
そんなルーカスと婚礼式を挙げて国民の前で祝賀パレードを行い貴族たちへの披露宴を終え、浴室で侍女たちにどこもかしこも丸洗いされて風呂上りに髪やら爪やらピカピカに磨き上げられたセレスティアは、シルクの夜着を着せられベッドの上で正座していた。
これから何が起こるのか、わからないわけではない。夫婦となった男女が行うほにゃららについては、皇妃教育の一環として一応説明を受けた。
とはいえその内容はわりかしふわふわしていて、最終的には「夫に身を任せ、すべてを委ね、何があっても耐えなさい」という根性論に終わった。
具体的には何をされるのか、一体何に耐えるのか、詳細は謎のままだ。未知との遭遇にもはや恐怖しか無い。
それでも「頑張れ」という侍女たちのシンプルな励ましに心を奮い立たせ、夫の訪れを待った。
緊張して、緊張して、緊張しすぎてもはや眠くなった頃、ルーカスは訪れた。
昼間の豪奢な衣装から夜着へと着替え、クラウンも取り、髪も洗いざらしのまま。
かろうじてガウンは羽織っているものの、いってしまえば気のぬけた格好ですらあるのに決してだらしないというわけではなく、むしろどこか妖しげな雰囲気があった。
それが「男の色気」というものだということは十四歳のセレスティアにわかるわけもないが、一気に眠気は吹き飛んだ。
「……遅くなってすまないね」
「あ、いえ、あの、こ、こんばんは……」
どこか気だるげながらも神々しく微笑むルーカスに何か言わないと、と思って口から出たのはあろうことかそんな間抜けな一言。
ルーカスは驚いたように目を丸くし、小さく微笑んだ。それだけで、部屋の中の雰囲気が華やいだような気がした。
ガウンを脱ぎ、ルーカスはセレスティアの待つベッドに腰掛ける。
ギシリという音が何だかとても生々しくて、息が止まりそうだった。
「こんばんは、セレスティア。……そんなに怖がらないでおくれ」
「こ……怖がってなど……」
「大丈夫。今宵は何もしないよ」
セレスティアを見つめるルーカスの瞳には、言葉通り情欲の色は無い。
脱いだばかりのガウンをセレスティアの肩にそっとかけた。
近くに寄ると、ルーカスからかすかに酒の匂いがした。
宴でルーカスは未成年のセレスティアの分も呑まされていた。きっとセレスティアが中座したのちも貴族たちの相手をしていたのだろう。
とはいえ皇帝である彼に本当の意味で強要できる者などいない。
勧められるまま呑んでいたのは、きっと強いからなのだろう。
実際、表面上はまったく酔っているようには見えない。
目尻がほんのりと赤いのは、湯浴みを済ませてきたせいだろうか。
ルーカスに見つめられ、何となく居心地が悪い。
マリアンヌはもちろん正妃のアンジェリカも息を呑むほど美しい女性だった。
あんな二人を妻に迎えているルーカスが、セレスティアなんか相手にするだろうか。明日にでも実家に帰されたらどうしよう。
そんな不安に押し潰されそうになっていると、ルーカスはようやく口を開いた。
「……姉君のこと、気の毒だったね。さぞつらかっただろう」
「え……」
「第二皇妃から聞いたよ。大切な姉君を失くしたばかりなのに、家族の元から引き離すようなことになり、本当にすまないことをしたね……」
「な……や……やめてください、皇帝陛下!」
頭を下げて謝罪するルーカスに、セレスティアは今度は青ざめる。
皇帝に頭を下げさせることがどれほどのことなのか。城に上がって日が浅い、今日皇妃となったばかりのセレスティアにだってわかる。
それにきっと、セレスティアが「後宮」に入れるよう無理を通したのはブラッドリー公爵家の方だ。
フィオナがいなくなった今、本来ならば皇妃として皇帝に嫁ぐ権利は他家に移るはずだった。
ブラッドリー公爵家と同じく「四大公爵家」と呼ばれる家のうち、ランチェスター公爵家は既に長女が嫁いでいるが、残りの二家には適齢期の娘がいて、元々皇妃候補として挙がっていた三人のうち、誰が選ばれてもおかしくなかった。
ならば第一候補がいなくなった今、第二候補が繰り上げ当選するのが自然な流れだ。
けれどこの機を逃せば、きっともうブラッドリー公爵家に皇妃の話は回ってこない。
だからこそ無理やりにセレスティアをフィオナの代わりに仕立てた。
セレスティアの父であるブラッドリー公爵は、そういうことをする人だ。
娘の死を悼むよりも、ブラッドリー公爵家から皇妃を出すことの方が、彼にとっては重要だった。
そしてきっと皇帝だって、セレスティアなんかよりもフィオナの方がよかったはずだ。
優しくて賢くて淑やかで穏やかなフィオナの方が。
本当は、セレスティアが嫁いできてがっかりしているのかもしれない。
それでも。
「陛下は何も悪くありません!大丈夫です、わたし、ちゃんと頑張ります!姉様の代わりにちゃんと務めを果たしてみせます!」
必死に主張するも、わりと大胆なことを口走っていることに気付いていない。
けれど実家に帰されるわけにはいかない。
そうなると、マリアンヌとの約束を守れなくなる。
彼女の期待を裏切りたくない。
必死に説得すると、ルーカスはようやく顔を上げた。
「ありがとう、セレスティア」
耳を撫ぜる重低音に、ぞわりと肌が粟立つ。不快感などではない。ただ柔らかながらも厚みのある男の声に、今まで感じたことのない何かを感じた。
やけに動悸が早くて、胸が熱い。この世で最も美しい男を前に、胸の高鳴りが抑えられない。
けれど。
「……疲れただろう。今日はもう休もう」
「え……?」
「大丈夫。君の心が整うまで、何もしない。誓うよ」
「何もしない」という言葉がかえって生々しく聞こえ、セレスティアはかぁっと赤面する。
ルーカスはそれに気付いた様子もなく、ブランケットをめくって中に横たわった。
さぁ、おいで、と促されておずおずと隣に身を横たえる。
男の人と同じベッドに入るなんて生まれて初めてで、何だかとっても悪いことをしているような気分だった。
「セレスティアの髪の色は、とても綺麗だね」
セレスティアの額にかかる前髪を指でよけながらルーカスが言う。父よりも大きな節ばった手は、そのままセレスティアの頭を撫で始めた。
これは「何も」に当てはまらないのだろうか。そう思ったけれど、温かな手が心地よくてどうでもよくなった。
誰かに頭を撫でてもらうのは、いつぶりだろう。
最後に撫でてくれた人がフィオナだったことは覚えているのに、あれがいつのことだったのか、もう思い出せない。
「あり……と………ま……」
「眠いのかい?」
「……ぃ……え……」
「おやすみ、セレスティア」
優しい声が、耳に心地よかった。
第三皇妃セレスティアの初夜は、こうして更けていった。
【本編では触れなかった設定⑮】
側妃との婚礼式や披露宴に正妃は出席しますが、他の側妃は出席しません。
側妃を迎えることは「国事」であり、公式の行事には代表として正妃が出席するためです。
ちなみにもしも正妃が病欠のときも側妃が代理で出席することはないですし、正妃が亡くなった場合も側妃が正妃に繰り上がることはありません。
あくまで側妃は側妃で、どうしても正妃が必要な場合は新たに正妃を迎えます。




