E.C.1009.08-1
皇帝が城を構え、中央貴族と呼ばれる貴族たちが暮らすジュエリアル帝国の帝都、ジュリアスの夏は暑い。
連日気温が三十度を超えることもあり、三桁近い熱中症患者が出るほどだ。
そのためレオンハルトは毎年一年のうちで一番暑い期間、帝都よりも気候が穏やかな北の離宮で過ごしていた。
帝都の北西に位置する離宮のあるセイレーヌの街は都会の喧騒などとは無縁で、いってしまえば結構な田舎なのだが、気候が穏やかで空気のきれいなところだ。
セイレーヌは元々帝国の直轄領で、現在はレオンハルトの兄である皇太子が管理している。
十歳のときに第一帝位継承権を賜ると同時に統治権を与えられたアデルバートは、以来一年のほとんどをセイレーヌで過ごしていた。
その兄から夏が始まる頃に避暑の誘いの手紙が届き、八月の初めに弟妹と共に離宮に向かう。それがレオンハルトの夏の恒例行事となっていた。
セイレーヌには、帝都には無いものがたくさんある。
きれいな空気、澄んだ川のせせらぎ、温かな城下の人々との触れ合い。
何より、一夏を兄と過ごせることが、レオンハルトは嬉しくて仕方なかった。毎年離宮への出発の日を、指折り数えて待ち望んでいた。
しかし今日、その離宮へと向かう馬車の中、レオンハルトはすこぶる機嫌が悪かった。
母親譲りの美しい顔を歪めながら頬杖をついて窓の外を見る。否、睨む。澄み渡る夏空にも似た蒼い双眸は、憤りに燃えていた。
弱冠十歳の幼いレオンハルトをここまで怒らせることができるのは、彼の従者にして教育係のジャン=アトリーくらいだ。
アトリー伯爵家の次男坊であるジャンは、文武ともに秀で社交性に富み立ち居振る舞いも洗練された褐色の髪と鉄色の瞳のとびきりの美丈夫で、皇子の教育係としては申し分ないのだろうが、人間性に問題がある。
少なくとも、レオンハルトはそう評していた。
五歳の誕生日から早五年、朝な夕なに世話をされていたが、いまだにレオンハルトはこの男のことがあまり好きではなかった。
しかし今日にかぎっては、レオンハルトの怒りの原因は彼ではない。
「殿下。そのようにむくれていては折角の麗しき御尊顔が台無しにございますよ」
「……お前はいつもそうだ。人の顔を見れば麗しい麗しいとそればかり。他に言うことは無いのか」
「殿下。そのように不貞腐れていては女神のように美しく天使のように愛らしき御顔が大変不細工になっていらっしゃいますよ」
「……もういい。黙れ」
いつもどおり、主をおちょくることに命をかけているこの教育係りがレオンハルトの怒りに拍車をかけていることはいつもどおりなのだが、そもそもの原因は、ジャンではない。
レオンハルトの不機嫌の原因はひとつ。
大切な兄との時間を邪魔されたことにほかならない。
八月の某日。
本来ならば今頃レオンハルトは帝都から馬車で半日程のところに位置する離宮で兄と過ごしているはずだった。昨日の朝一番で城を出立し、夕方には到着している予定だった。
それなのにレオンハルトはいまだ馬車に揺られている。
どうしてそのようなことになったのか。
その理由を説明するならば、昨日の朝に遡る。