E.C.1016.05-1
最初に惹かれたのは、アメジストの瞳だった。
この国には無い、深く濃い紫の宝玉。同じように、彼女もまたこの国でただ一人の紫の瞳を戴く少女だった。
その瞳を初めて見た瞬間、美しい、と思った。
視線も思考も奪われて、まるで時間が止まったかのように感じた。
止まった時間が再び動き始めたのは、彼女が微笑んだから。
白皙の頬を紅く染め、薔薇色の唇が弧を描き、アメジストの瞳に映る自分を見た瞬間、レオンハルトの世界は変わった。
すべてが鮮やかに塗り替えられ、音を立てて動き出した。
あの瞬間、レオンハルトは生まれて初めて愛しいという情のありかを知った。
けれど。
「神よ。穢れなき魂に、祝福と幸福を……」
朗々と紡がれる福音の詞。肉体から解き放たれた魂がまたひとつ、神の御元へと招かれる。
けれどこの国の血が一滴も流れていない―――神の血脈に纏ろわぬ者である彼女も、そこへゆけるのだろうか。
眠っているようにしか見えないローズマリーの死に顔を見つめながら、レオンハルトはぼんやりと思った。
彼女がこの国へ来て七年目の春。レオンハルトと出逢った夏を迎えることなく、ローズマリーは神の元へと召された。
まだ二十歳という若すぎる齢は、レオンハルトの母、マリアンヌが身罷った年齢と同じだ。
何の因果だろう。
昨年の夏、ローズマリーは二人目の子を身籠った。
現在の皇妃のうち、二人の子に恵まれたのは第三皇妃のセレスティアのみだった。そんな中での懐妊は、さぞ気苦労の多いことだっただろう。
どうしてあの「人形姫」が今更陛下のご寵愛を得たのか。今度こそ皇子が生まれたらどうするのか。
そんな口さがない侍女たちの囁き、貴族たちからの中傷、第四皇妃ジャスティーンからの嫌がらせ。
そういった心労のためか、或いは生来の身体の弱さからか、子を産んだローズマリーはそのまま一月程床に臥したのち、我が子を抱くことなく還らぬ人となった。
彼女の訃報を聞いたとき、動き出したはずのレオンハルトの時間は再び止まった。
今度こそ本当に手の届かないところへ行ってしまった初恋の君に、心が凍ってしまったかのようだった。
本当に哀しいとき、人は涙さえ出ないということを初めて知った。
ここ数日、どうやって過ごしてきたのかよく覚えていない。気付けば彼女の葬儀が始まっており、棺に花を手向けていた。
第六皇妃の葬儀はしめやかに行われた。
それは一国の皇妃に相応しい厳粛にて壮大な葬儀だったが、彼女の祖国からの参列者は一人もおらず、また、彼女のために涙を落とす者もほとんどいなかった。
来国以降の二年を帝都から離れた離宮で過ごし、結婚後も「後宮」の自室に引きこもって他者との関わりを持とうとしなかったことを思えば、それも無理からぬことだろう。
誰も愛さず、誰からも愛されなかった哀れな「人形姫」として、彼女は一生を終えたのだ。
(……いや)
そうではない。
彼女は、確かに愛されていた。
レオンハルトが、彼女を愛した。
あの夜レオンハルトは、幼いまでの熱情と狂おしいほどの激情で、彼女を確かに愛した。
そして彼女も、それに応えてくれた。
誰にも言えない、知られてはいけないほんの一時のふたりだけの秘め事を、レオンハルトだけが知っている。
だから他の誰が彼女のことを忘れても、レオンハルトだけは忘れない。
―――忘れてはいけない。
忘れることなど、赦されない。




