E.C.1015.06-2
※流血表現・暴力描写がありますので、苦手な方はご注意ください※
セレスティアの部屋を後にしたレオンハルトは、近衛騎士を連れて自室のある西の塔へと続く廊下を進む。
養母であるセレスティアと過ごす時間は楽しい。
穏やかな彼女を取り巻く空気はいつも柔らかで、癒される。
けれど今夜ばかりは、レオンハルトの表情は硬い。
ずっと、薄々は感じていた。
セレスティアがレオンハルトに構う理由。レオンハルトを気にかけ、可愛がり、手元に置いておこうとする理由。
彼女が口にするマリアンヌへの思慕が偽りでないのなら、きっと彼女にとってレオンハルトは、マリアンヌの代わりでしかないのだろう。
どこか恍惚とした表情でマリアンヌへの思慕を語る彼女を見ていると、疑念は確信へと変わった。
そしてまた、マリアンヌでさえも誰かの代わりなのではないか、と。
今宵のセレスティアには、そう思わせるだけの危うさがあった。
「……殿下」
「うん?」
数歩後ろを歩いていた近衛騎士のグレイスターがふいにレオンハルトを呼ぶ。
一つ歳上のグレイスターとは、レオンハルトのアカデミー在学中に出会った。
とはいえ、初めて顔を合わせた場所はアカデミーではない。当時アカデミーとは別にグレイスターが通っていた士官学校だ。
ジュエリアル帝国皇帝は君主であると同時に軍を率いる指揮官でもある。
有事の際には自ら戦地に赴くこともあるため、自分の身を守れるだけの力を求められる。そのため皇太子教育の一環として、レオンハルトは剣術・弓術・体術の稽古は一通り受けてきた。
だが自分の力量がいったいどれくらいなのかはわからなかった。
試合形式の稽古で講師から十本に五本はとれるようになってきたが、同年代の少年と比べた場合優れているのか劣っているのかも不明だった。
そのため視察も兼ね、国が運営する騎士や兵士を育成する士官学校に出向いたのだが、そこで手合わせしたグレイスターに完膚なきまでに打ち負かされた。
他の訓練生は皇子に怪我をさせられないと妙な緊張と遠慮で実力の半分も出せないなか、グレイスターだけは本気で向かってきた。
剣を弾かれ、彼の愛剣を喉元に突きつけられたとき、初めて「死」を意識した。
皇子に対して何たる無礼を、とその場は大恐慌に陥ったが、グレイスターは冷静だった。
「主より弱くてどうして主を守れましょう」。
淡々とそう言い切ったグレイスターを、レオンハルトは自らの剣に望んだ。
そんななかなか衝撃的な出逢いを果たし、晴れてレオンハルトが十五の祝いを迎えた日に正式な近衛騎士となったグレイスターのフルネームは、グレイスター=アルフォートという。
四大公爵家に次ぐ権力をもつアルフォート侯爵家の次男で、父親は現宰相のロワル=アルフォート、妹はレオンハルトの婚約者ディアナ=アルフォートだ。
蜂蜜色の髪と瑠璃色の瞳をした精悍な顔立ちの青年で、彼の三つ年長の兄よりも父親によく似ていた。
しかし性格の方はあまり似ておらず、自尊心や自己顕示欲の高い父親とは対称的に、グレイスターは口数が少なく、物静かな性格だった。
もちろんレオンハルトが話しかければ答えるが、自分から口を開くことはめったにない。
そんな「めったにない」はずのことに密かに驚き、レオンハルトは足を止めた。
「どうかしたか?グレイスター」
「今……何か聞こえませんでしたか」
「今?」
言われて耳を澄ましてみるも、何も聞こえない。しかしだからといって、グレイスターがいい加減なことを言っているというわけではない。
騎士としての訓練を受けたグレイスターの身体能力は、常人をはるかに凌ぐ。それは聴力も同じだ。
レオンハルトには聞こえないような音でも、グレイスターの耳でなら拾えるのかもしれない。
「どんな音だ?」
「何か……悲鳴のような」
グレイスターがそう言った瞬間、何かが倒れ、壊れる音がした。
何事かと、二人は同時に振り向く。
――そう。
音は、先程までレオンハルトたちがいた方向、「後宮」の奥から聞こえてきた。
「殿下……」
「行くぞ!」
問う声に、レオンハルトは促すことで応えた。
近衛騎士たるグレイスターはレオンハルトを危険に晒したくないというのが本音だろうが、レオンハルトは仮にも皇子。
「後宮」で何か起こっているというのなら、見逃すわけにはいけない。ましてや皇帝が不在にしている今、皇妃の身に何かあっては申し訳が立たない。
元来た道をグレイスターとともに駆ける。
セレスティアに与えられた「暁の間」の前を通り過ぎると、残された部屋は一つしかない。騒音はどうやらそこから聞こえているようで、たどり着いた二人は勢いよくドアを開け、そして息を呑んだ。
部屋の中には、三人の女がいた。
一人は寝台にうち伏し、一人は短刀を持ち、そしてもう一人は短刀を持った女ともみ合っている。
いったい何なのだ、この状況は。
我が目を疑うレオンハルトより先にグレイスターが我に返り、部屋に踏み込んだ。
一瞬の出来事だった。
グレイスターは一足跳びに距離を詰め、もみ合う女たちを引き離す。
そして短刀を持っていた方の女の手からそれを奪い取り、腕を捩じ上げて床へと押しつけた。
「―――ッ」
「何の真似だ」
「はな……離せ……ッ」
痛みに声を上擦らせながら、女は必死にもがく。しかし一流の訓練を受けた皇子付の近衛騎士と女の力の差など明らか。抵抗は意味を成さない。
「答えろ。貴様、ここで何を……」
「姫様……っ」
女を詰問するグレイスターの声にかぶさるように、悲鳴に似た声が上がる。
叫んだのは、グレイスターが捕らえた女ともみ合っていた女だった。
彼女の顔を見て、レオンハルトは思わず息を呑む。
グレイスターに突き飛ばされ、床に倒れ込んでいたのは、第六皇妃付の侍女、セシルだった。
ならば必然的に、彼女が「姫」と呼ぶ女は、一人しかいない。
セシルの視線の先にいた――ベッドにうち伏したままの女は、第六皇妃のローズマリーだ。
「後宮」の最奥に位置する「十六夜の間」。
ここはローズマリーに与えられた部屋だったのだ。
「妃殿下……ッ」
我にかえったレオンハルトはベッドへと駆け寄り、うち伏したままのローズマリーを抱き起こす。
ローズマリーは青白い顔のまま目を閉じていたが、抱き起こして肩を揺らすと盛大に咳きこみ、やがて荒い呼吸が聞こえてきた。
「ご無事ですか!?妃殿下!!」
「……皇子殿下……?」
目を覚ましたローズマリーは状況がつかめないのか、ぼんやりと虚空を見つめていたが、瞬きを繰り返す内に次第に焦点が合い、目の前にいるのが誰なのかわかったようだ。
けれどそれでもどうしてオンハルトがここにいるのかということまでは理解できていないのか、それとも気を失う前のことを覚えていないのか、色を失くした唇で不思議そうにレオンハルトを呼んだ。
甘い声に呼ばれ、アメジストの瞳を向けられ、レオンハルトは全身の血が沸騰したかと思った。
ローズマリーが、腕の中にいる。
その事実に、めまいがした。
一方、意識を取り戻したローズマリーに向かって、短刀の女は憎悪の言葉を投げつけた。
「……そのような女を皇妃と呼ばれますか、第二皇子殿下」
「何……?」
「お忘れですか。その女は我が国の敵国、アメジアの王女です。その女の祖国が我が国に刃向かい、兵士たちをたくさん殺した。
そのような女に生きる価値などない!!だからお前など、私がこの手で……ッ」
憎悪に満ちた女の声が、不自然に途切れた。喚く女の首にグレイスターが手刀を入れ、昏倒させたのだ。
グレイスターは気を失った女の手を後ろ手に縛り、床に寝かせる。乱れた髪の間から覗く顔はまだ若く、二十代半ばほどに見えた。
「妃殿下……その女は……」
「……ミレーヌ。わたくしの侍女です」
レオンハルトの腕に身体を預けたまま、ローズマリーが答える。その瞳には、自分を殺そうとした女に対する怯えの色は無かった。
ただどこかまだ夢見心地のように、訊かれたことに答えているだけのように思えた。
「……侍女がどうして……」
「その女は元々姫様の御命を狙って城に潜り込んだのです。それを見抜けなかったのはそちらの落ち度。姫様にもしものことがあったら、どのように責任をとるおつもりですか」
「……侍女殿……」
レオンハルトの問いに答えたのは、今度はセシルだった。
その顔はローズマリーと同じくらい蒼白で、左手で押さえている右腕からは血が滴り落ちていた。ミレーヌともみ合ううちに斬りつけられたのだろう。
けれど第二皇子であるレオンハルトを詰問する口調は強く、どこまでも毅然としている。
レオンハルトがセシルと言葉を交わしたのは、これで二度目だ。
一度目は、彼女たちがこの国に来た年の夏、離宮の庭園でローズマリーが落とした首飾りを拾ったときだ。
あのとき半泣きでパニック状態だった少女と、ここにいる侍女が同一人物だなど信じられない。
けれど、あのときも今も、主へと捧げる忠義は変わらない。
「……セシル……。おやめなさい……」
「いいえ……いいえ、姫様。セシルはもう我慢できません。
アメジアの王女であり、今や皇帝陛下の妃たる姫様がこんな城の奥に追いやられ、ないがしろにされ、あまつさえあのような無頼の輩に御命を狙われるなど……ッ」
「セシル……」
「姫様に何かあったら、セシルは生きていけません……ッ。どうして姫様が……ッ」
主にたしなめられるも、セシルは引かない。
「人質」として、「戦利品」として、祖国からこの国へ送られてきたローズマリーの扱いは、王族としてはお世辞にもいいとはいえなかった。
来国後数年間、静養と称して帝都から離れた田舎の街で暮らし、突然第六皇妃となることが決まったかと思うと、ようやく帝都に迎え入れられるも「後宮」の最奥に追いやられて。
つけられた侍女の数も、皇妃の中でも最少と聞く。
そういった主への扱いの理不尽さに、長年の不満が溜まっていたのだろう。
しかしそうして言葉をつのらせているうちに興奮が絶頂に達したのか、セシルは突然意識を失う。
「セシル!?」
「侍女殿!」
「セシル……セシル……ッ」
レオンハルトの腕の中でローズマリーが倒れたセシルを必死に呼ぶ。かつては「人形姫」と称されたほどの美貌が、今は焦燥に歪んでいる。
それだけでわかる。
この主従が、強い絆でつながっているのだと。
「セシル……ッ。いやぁ……っ」
「落ち着いてください、妃殿下!
誰か……!!誰かおらぬか!!医師を早くここへ!!」
【本編にはたぶん出てこない設定⑩】
皇子や皇女は十五歳のときに近衛騎士をつけられます。
騎士になるためには国営のアカデミーとは別に士官学校に通い訓練を受ける必要があります。
士官学校には騎士クラスと兵士クラスがあり、騎士には貴族でなければなれませんが、兵士は平民でも志願できます。
ちなみに近衛騎士には伯爵家以上の貴族の子息でなければなれません。
基本長男が家を継ぐので、だいたい次男以下がなることが多いです。




