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夢のあと  作者: 緋桜
第四章
32/114

E.C.1015.06-1


時間は再び戻りますが、若干時間は進んでレオンハルト16歳のときのお話です。

ここからはずっとシリアスというか暗いお話が続きますのでご注意ください。



 この部屋にあるものはどれも高価なものばかりで、すべてをかき集めればおそらく、帝都に屋敷の二、三軒は建てられるだろう。

 けれどこの部屋の主は、特別な贅沢を好むわけではない。

 すべては、必要なことなのだ。


「陛下のいらっしゃらない城内は、まるで灯が消えたようですわね。本当に、寂しいこと」


 きらびやかな装飾の施されたグラスを傾けながら、淑女は言う。

 既に酒が注がれていたグラスを幾杯か空けているため、その頬はほんのりと朱に染まっている。けれど見た目ほど酔ってはいないということは、これまでの経験から知っていた。


「申し訳ありません。晩酌のお相手が陛下ではなく、私などで」

「まぁ、意地の悪い言い方をなさるのね。わたくしが貴方とこうしてお話しするのを楽しみにしていること、ご存知のくせに」


 酷い人、と責めるように、けれどあくまで口調は朗らかに、淑女――セレスティアは言う。レオンハルトは「恐れ入ります」と肩をすくめた。


 彼女の言うとおり、彼女の夫でありレオンハルトの父である皇帝は現在、国内の視察のためここ一月ほど帝都を離れている。

 その間、セレスティアは三日と空けずレオンハルトを自室に呼び寄せてはこうして晩酌の相手をさせていた。


 皇妃の部屋に血の繋がらない皇子――それも年頃の男を招き入れるなど、本来ならばあまり褒められたことではない。

 けれど彼女とレオンハルトの関係は、ある意味特殊だ。噂好きの侍女たちが煙を立てる余地も無いほどに、セレスティアのレオンハルトへの溺愛ぶりは、城内の誰もが知るところになっている。


 それに二人には、残された時間がもうあまり無い。


 通常皇室の男児は十八歳になり成人するとともに「後宮」を出る。

 本来「後宮」は皇妃のために作られたものであるから、皇子――皇帝以外の男児は成人し、「男」になるともうそこにいられない。

 そして一度出てしまえば、二度と入ることは許されない。

 そうすればもう、今のように気安く会うことも叶わなくなる。


 レオンハルトの十八歳の誕生日まであと一年と少し。長いようで短い。

 会えなくなってからの時間の方が、ずっと長い。

 そういった事情もあるため、残された時間を少しでも長く共に過ごしたいと願うセレスティアの「親心」を咎められる者はいなかった。


「そう言えば、婚約者の御令嬢とは順調?」

「えぇ……まぁ…」


 セレスティアからの質問に、レオンハルトは曖昧な相槌を打つ。


 今から一年半ほど前、十五歳になって間もなくレオンハルトは婚約の義を結んだ。


 相手はアルフォート侯爵家の長女、ディアナ=アルフォート。

 宰相ロワル=アルフォートを父に持つディアナは、蜂蜜色の髪と璃色の瞳をした色白な少女だった。

 歳はレオンハルトの二つ下で、侯爵家の御令嬢らしくおっとりとした穏やかな性格をしていた。

 口数はあまり多くないが、常に笑顔を絶やさず、レオンハルトの言葉に真剣に耳を傾け、レオンハルトの話に驚いたり笑ったり、くるくる表情が変わる忙しい娘だと思った。

 素直で純粋そのもののディアナには、天真爛漫という言葉がよく似合った。


 正式に婚約したと言っても、ディアナは城下にある生家で暮らしており、レオンハルトもまだ「後宮」に身を寄せているため、月に二度、多くて三度会うくらいだ。

 そのたびにこぼれんばかりの笑顔を向けてくれるディアナに対して、レオンハルトは何の興味も抱かなかった。

 貞淑な御令嬢である彼女に、何の不満もない。

 今のところとりたてた欠点も無く、レオンハルトに気に入られようと躍起になって女の争いを繰り広げていた他の婚約者候補とは違って、変に媚びたりしないところには好感がもてた。


 けれど、それだけだ。


 包み隠さず言うなら彼女と過ごす時間は退屈だし、彼女の言葉に心が動くこともなかった。

 彼女に会うのは、花を贈るのは、甘い言葉を囁くのは、彼女がレオンハルトの婚約者だからという、ただそれだけの理由だった。


 ディアナとの婚約を承諾したのは、自暴自棄になっていたわけでも、ディアナを彼女――ローズマリーの代わりにしようとしていたわけでもない。

 ローズマリーはレオンハルトにとって唯一の女性。誰も代わりになどならない。


 ローズマリーが皇妃となってもう三年半が経つ。

 その間に彼女は皇女を一人産んだ。亜麻色の髪と紫の瞳、皇帝によく似た面差しをもつ第四皇女クリスティーナは、レオンハルトの妹でもある。


 けれどその事実をもってしても、今なおレオンハルトの想いは潰えていない。

 皇女を抱くローズマリーを見るたび、皇帝に付き従う姿を見るたび、千切れそうに胸が痛む。

 いっそ忘れてしまった方が楽だとわかっているのに、どうしても消えてくれない。

 むしろ以前よりも彼女を目にする機会が増えたことによって、ますます想いはつのっている気さえする。


 けれどそれでもレオンハルトは皇子として皇族として、神に連なるこの血を残していかなくてはいけない。そのためには妻を迎え、子を成すという使命があった。


 大事なのは、それだけ。そこにレオンハルトの意思など関係ない。


「あんなにお小さかったレオン様が御婚約だなんて、月日の経つのは本当に早いこと。あっという間に成人されて、いずれは御子ができたりするのよね」

「セレス様……。さすがにそれはお気が早すぎかと」

「あら。まだお若いレオン様にはおわかりにならないかもしれませんけれど、本当に、あっという間ですのよ。

 ふふふ。レオン様の御子君は、どんな子になるのでしょうね。レオン様やお姉さまにそっくりな、可愛らしい子がいいわ」

「……」


 いいわ、と言われても、返答に困る。

 前言撤回。どうやら今日は相当酔っているようだ。

 酔っ払いの言うことは本気にしないのが一番。それを知っているから、レオンハルトはそれ以上否定せず、黙ってグラスを傾けた。


 しかし黙っていられないほど、セレスティアの視線が肌に突き刺さる。


「……どうかされましたか」

「いいえ」


 視線を感じセレスティアの方へと目をやる。セレスティアは常の通り、慈しむような懐かしむような、慈愛に満ちたまなざしをレオンハルトへと注いでいた。


「レオン様は本当に、日に日にお姉さまに似てきますわね」

「……左様ですか」

「こうしていると、まるでお姉さまとお話しているよう……。とても懐かしいこと」


 そう言ってセレスティアは目を閉じる。それはまるで過ぎ去りし日へと想いを馳せているようだった。


 幼い頃は、どうして彼女がこんなにも、血の繋がらない義理の息子であるレオンハルトに愛情を注いでくれるのかわからなかった。

 けれど理由を知った今では、彼女の心がますますわからなくなっていた。


 セレスティアがレオンハルトを溺愛するのは、レオンハルトが今は亡き第二皇妃、マリアンヌの息子だから。

 更にいうなら、レオンハルトの顔立ちがマリアンヌにうりふたつだからだ。


 セレスティアは生前のマリアンヌを「お姉さま」と慕い、今もなお、溢れんばかりの敬意と思慕を寄せている。

 ことあるごとに彼女との想い出を語り、彼女がいかに美しくて気高くて優しくて聡明で淑女の中の淑女であったかを説く。

 レオンハルトの中の母の姿は、ほとんどセレスティアから聞かされたものだった。

 しかしレオンハルトは、そうやってセレスティアから母の話を聞かされるたび、不思議でならなかった。


「……セレス様は、妬んだことなどないのですか」

「『妬む』……?誰をです?」

「母のことを、です」


 レオンハルトの問いに、セレスティアは目を開け、レオンハルトを凝視する。

 湖の淵のように碧い瞳は真ん丸に見開かれ、そのようなこと、考えたこともなかったと言わんばかりの表情だ。

 だからこそますます、レオンハルトは不思議で仕方ない。


「どうしてそのように、母のことを大切に想ってくださるのです。母は、貴女にとって……」


 長年抱いてきた疑問をついにぶつける。けれどそれ以上続けることができず、結局言葉を濁した。


 セレスティアは現在の五人の皇妃の中では唯一二人の子に恵まれ、皇帝の「寵妃」だとされている。

 アンジェリカのように政の表に出ることはないが、「奥」の全権を握り、皇帝からの信頼も厚い。

 そして彼女も、「陛下のために生きることが生きがい」と公言してはばからず、献身的に皇帝を支えている。


 けれどそのように「夫婦」として仲睦まじい二人ではあるが、未だに皇帝が最も深く愛しているのは、亡き第二皇妃マリアンヌであるということはもはや、城内の誰もが知るところだ。

 皇帝は彼女の命日には公務が終わるとすぐに一人神殿に籠り、彼女の冥福を祈り続けている。

 いまだかつて、それほどまでに皇帝に愛された妃はいないと言われるほどの「寵愛」ぶりだ。


 死してなお皇帝の心を捉えて離さないマリアンヌに対し、セレスティアは嫉妬や妬みはないのだろうか。


 それを問うのはあまりにも無礼だと思ったため言葉を濁したのだが、セレスティアはきっぱりと告げる。


「お姉さまのことを妬むだなんてそんなこと、ありえませんわ。一度だって、思ったことはありません」

「……なぜ」

「お姉さまは、わたくしにとって一番大切な御方。あの御方の言葉にわたくしがどれほど救われたことか……。感謝こそすれ、妬ましく思うだなんてありえません」

「……どういうことですか」


 グラスをテーブルの上に置いたセレスティアは、ぼんやりと虚空を見つめる。その目は酔った色を帯びながらも、どこか恍惚としていた。


「……本当は、陛下に嫁ぐことが決まっていたのは、わたくしではありませんでした」

「え……」

「本来第三皇妃となるはずだったのは、わたくしの五つ上の姉様。聡明な、とても優しい方でした」


 マリアンヌと同い年のブラッドリー公爵家の長女は、彼女から遅れること三年、第三皇妃として皇帝に嫁ぐはずだった。

 けれど実際にその座に就いたのは、ブラッドリー公爵家の次女、まだ十四歳のセレスティアだった。


「それはなぜ……?」

「姉が城に上がる一週間前、事故でこの世を去ったためです」


 レオンハルトの問いに、セレスティアは淡々と答えた。

 ――否、「淡々と」などではない。

 震える唇は、揺れる瞳は嘆き哀しんだ証。

 彼女のそんな様子を、レオンハルトは初めて見た。


「両親はおおいに嘆き、特に父は半狂乱になるほどでした。城からの使者にも監督不行き届きを責められ、母はとうとう倒れました。

 そんななか、一族の誰かが言いました。『そうだ、娘ならもう一人いるじゃないか』と」

「え……」

「その一言で、わたくしが嫁ぐことが決まりました。……死んでしまった姉の代わりに」


 皇族の成人年齢が十八歳であるのに対し、貴族の子女は通常十六歳で成人とみなされ、十八歳から二十二歳の間に結婚することが多い。

 そんななか、十四歳の皇妃とは異例中の異例だ。そんなことがまかり通ったのは、セレスティアの実家、ブラッドリー公爵家の権勢を物語っているようだった。


「落ち着きを取り戻した父を見ながら、気付きました。

 誰一人、姉の死を悼む者などいなかった、ということ。公爵家にとって必要なのは姉でもわたくしでもなく、皇帝陛下の御子を産むことができる娘だということに」


 最愛の姉を失い、両親からの愛情も偽り――自らが望んでいたものではないと知ったとき、どんな心地だったのだろう。

 どんな想いで十四歳の少女は純白のドレスを身に纏ったのだろう。


「皇妃となることが決まったわたくしに、両親や一族の人間は皆、必ず皇子を産むようにと、何度も何度も繰り返しました。

 城に入ってからは、誰もが祝いの言葉を贈りました。なんて幸せ者なのだろうかと。

 ……たった一人の姉を亡くしたばかりのわたくしに」

「……」

「誰もわたくしの心などわかってくれない。誰も気付いてくれない。そう絶望していたときです。お姉さまに会ったのは。

 お姉さまは、わたくしが嫁ぐことになった経緯をご存知でした。いいえ、お姉さまだけじゃない。城にいる誰もが承知のうえでした。

 けれどお姉さまだけがおっしゃってくださったんです。『つらかったでしょう』と」


 たったそれだけの言葉は、セレスティアの心を救うのに十分だった。


「お姉さまだけが、わたくしの心をわかってくださった。守ってくださった。そのことがどれほど嬉しかったか……」

「セレス様……」

「それにお姉さまは、皇妃としての心得や礼節、陛下の御傍に侍るために必要な様々なことを教えてくださいました。今のわたくしがあるのは本当に、すべてお姉さまのおかげなのです」


 そう言ったセレスティアは再び酒の入ったグラスを手に取り、口を付ける。唇を濡らす赤い液体は、どこか妖美に見えた。


「……レオン様は、本当にお姉さまに似ていらっしゃる……。お姉さまが遺してくださった御子君が、レオン様でよかった」

「……セレス様……」

「だって、お姉さまによく似たレオン様が傍にいてくだされば、寂しくないもの」


 目を閉じたセレスティアの言葉に、レオンハルトは瞠目する。

 まるでそれは、レオンハルトはマリアンヌの代わりだと言われたようなものだった。

 ――否。

 「まるで」などではない。

 セレスティアにとって、レオンハルトはマリアンヌの代用品でしかないのだ。


「……妃殿下。そろそろ皇子殿下をお部屋にお帰しになった方がよろしいかと」


 侍女に進言され、セレスティアは重い瞼をそっと上げた。


「あら……もうそんな時間……?」


 気付けばセレスティアの部屋を訪ねてもう二時間近く経っている。

 遠回しに侍女に退室を促され、レオンハルトもそろそろ失礼します、と隣室で控える侍従を呼ぶ。


「楽しい時間はあっという間ですわね。またいらしてね、レオンさま」

「……えぇ。もちろん」


 レオンハルトの見送りや就寝の準備でにわかに慌ただしくなった侍女たちに、ふとセレスティアが尋ねる。


「あぁ、そういえば、三階の窓はどうなったの?」

「本日はもう門も閉まっておりますので、応急処置だけで。修理は明日になるようです」

「何かあったのですか?」

「今夜の嵐で木の枝が飛んできて、三階の窓が割れてしまったようなのです」


 そういえば、今日は朝からずっと雨が降っていた。昼頃から雨足が強まり、夕刻には雷雨となった。

 今日の公務は書類仕事のみで日中ずっと自室にこもっていたため気に留めなかったが、枝が折れて飛んでしまうほどだ。風も強かったのだろう。


「木の枝が、ですか……。大丈夫でしたか?怪我人は?」

「幸い人が通っていないときだったようなので、廊下に雨が吹き込んだだけで怪我人はおりません。ただその水が浸水し、二階の天井まで染み出てしまったようです」

「『後宮』も随分と古くなっておりますからね。

 問題はその割れた窓がある廊下が、第四皇妃殿下のお部屋の前だったことくらいでしょうか。何やら大騒ぎされていらっしゃいましたが、まぁいつものことですわ」

「……」


 扇の陰であくびを噛み殺すセレスティアは、今夜はどうやら相当酔っているようだ。だから普段言わないこと――本音も口から滑り出てしまったのだろう。


「そのわりにはこちらの塔に伺った際、やけに静かでしたね」

「皇子殿下がいらっしゃった頃には応急処置も終わり、他の塔にも被害が出ていないか調べているときでしたので」


 調べた結果西の塔の水漏れが見つかり、今はその処理に警備兵の大半が駆り出されているらしい。


「皇太子殿下が御不在のときでよかったと言えばよかったですけれど」


 日頃の点検項目を見直させる必要がありますわね、と言うセレスティアは、正真正銘この「後宮」の主だった。


「そういうわけですから、お気を付けてお帰りくださいませ、レオンさま」

「お気遣いありがとうございます。では、失礼いたします」


 眠たげなセレスティアに一礼し、レオンハルトは部屋を後にした。


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