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夢のあと  作者: 緋桜
第一章
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E.C.1009.07-2


「まぁ、離宮に?」


 レオンハルトの言葉を繰くり返しながら小さく首を傾げた淑女は、やけに可愛らしい。

 二児の母であり二十も半ばを越えようという年齢でありながら、十歳のレオンハルトの目から見ても、やたらと可愛らしい人だ。


 しかし同時に、このうえなく不可思議な女性でもあった。


 来月の頭から避暑を兼ねて兄の暮らす離宮へ行きたいとレオンハルトが告げると、淑女は小さく首を傾げたあとぷっくりと肉厚的な唇を尖らせた。

 その表情はまさしく拗ねた子どもそのもの。いったい今の自分の発言のどこに彼女の機嫌を損ねる要素があったのだろう。

 常のことながら理解し難いその反応に、レオンハルトは恐る恐る口を開く。


「あの……妃殿下……?」

「あら、『妃殿下』だなんて冷たいこと。いつも言っているでしょう。わたくしのことは名前で呼んで、と」

「ですが……」

「レオン様」


 碧色の双眸で見つめられ、レオンハルトはぐっと詰まる。目をそらしたいのに、そらせない。


 おっとりとした口調、少女のように愛らしい面立ちでありながら、彼女には見る者を魅了し、圧倒する独特の雰囲気がある。

 それから相手に有無を言わせない問答無用の押しの強さもある。


 しばらく見つめ合っていたが、やがてレオンは観念する。


「……申し訳ございません。セレス様」

「よろしくてよ」


 観念したレオンハルトに満足げに頷き、淑女は優雅に微笑む。


 レオンハルトとともにアフタヌーンティーを楽しむこの淑女の名は、セレス。

 正式にはセレスティア。もっと正式にいうならばセレスティア=ブレイド=ジュエリアル。

 公称をクイーン・セレスティアといい、身分をいえば第三皇妃だ。


 十四歳で皇帝に嫁ぎ、のちに第一皇女と第三皇子を産んだ第三皇妃のセレスティアと、亡き第二皇妃を母にもつ第二皇子であるレオンハルトの関係は、少々複雑にして不可解なものだった。


 義理の親子である二人の間には、当然のことながら血の繋がりは無い。

 またセレスティアもレオンハルトの母、マリアンヌも同じ四大公爵家と呼ばれる有力貴族の出身であるものの、セレスティアの生家はブラッドリー公爵家、マリアンヌの生家はランチェスター公爵家と、血縁関係などは皆無だ。

 それどころか、同じ四大公爵家であるからこそ表面上は友好関係を築いているがその実、水面下では熾烈な権力争いを繰り広げている。

 二人が皇妃として皇家に嫁いできたのも、両家の政治的思惑の一環だ。


 そのような勢力争いの中、マリアンヌの方がセレスティアよりも先に皇帝に嫁ぎ、皇子――レオンハルトをもうけた。

 生前のマリアンヌは「太陽の女神」と謳われるほどの美貌を誇った皇帝最愛の寵妃だった。

 そんな彼女の忘れ形見であるレオンハルトも母の美貌をそっくり受け継いでおり、また十の祝いを迎えた昨年、正式に皇帝から帝位継承権を賜った。


 一方セレスティアは皇帝との間に二人の子どもを授かるも、彼女の長子は女児でまだ九歳であるため、二人とも未だ帝位継承権を得ていない。

 皇子が十歳で継承権を授かるのに対し、皇女は十三歳まで待たなければならない。つまり早くともあと四年はかかる。

 現時点でセレスティアは――ブラッドリー公爵家はランチェスター公爵家に対し、大幅に遅れをとっていると言わざるを得ない。

 そのような間柄であるから、本来ならばレオンハルトはセレスティアにとって、生家の繁栄には邪魔な存在であるはずだ。


 にもかかわらず、セレスティアは我が子と同じくらい――もしかしたら我が子以上にレオンハルトのことを溺愛している。

 マリアンヌの死後、ランチェスター公爵家を押し退けてレオンハルトの後見人を引き受けようとするほどに。


 五つの頃から彼女と共にこの宮で暮らしていたレオンハルトは幼い頃はその状況を特段不思議に思わなかったが、成長し、分別がついた今ならそれがいかに奇妙なことかわかる。

 もしや政敵であるレオンハルトを籠絡し、飼い殺しにでもしようとしているのかと思ったこともあるが、セレスティアからレオンハルトに注がれる愛情の量は尋常ではなく、また疑いようもないほどに純粋かつ強烈であるため、ますます困惑するしかない。


「それにしても、夏の間皇太子殿下の元で過ごすなんて、ずるくってよ。わたくしだってレオン様といっしょに夏を過ごしたいのに」

「で……では、セレス様もご一緒にいかがですか」

「まぁ、お優しい御言葉。

 でもいくらご一緒したくても、それは無理というものですわ。わたくしは、陛下がお留守の間この城をお守りしなくてはいけませんもの」


 ツンと顔を背け、拗ねた子どものように言うセレスティアの姿を見て、彼女が今現在この「後宮」における最高権力者だと誰が信じるだろう。


 皇帝とその妻子――「皇族」と呼ばれる人間の住まうジュエリアル城は、大きく分けて三種類のエリアがある。


 一つは「宮殿」、或いは「表」と呼ばれ、ここでは皇帝を中心として政が執り行われる。

 「宮殿」内に入ることができる人間は基本的には皇族と貴族たちだが、儀式や祭事の際には申請を出し、それが通れば、特定の職業についている人間ならば貴族でなくとも入城は可能だ。


 「宮殿」を進むと、「中」と呼ばれる「宮廷」となる。ここは「宮殿」よりも私的な空間であり、主に皇族と貴族の社交場となっている。定期的に皇妃の開いた茶会等が行われる。

 また他国の王族など賓客をもてなすスペースにもなっており、この「宮廷」に入ることができるのは、大臣や宰相などの皇帝の側近、「皇爵家」と呼ばれる皇家に連なる家の者や伯爵家以上の人間に限られている。


 そして「宮廷」を更に進むと、「奥」と呼ばれる「後宮」がある。

 ここは完全に皇族の私的な生活空間であり、入ることのできる人間は「宮廷」以上に限られており、皇族とその身の周りの世話をする侍従と侍女、皇子や皇女の教育係以外は皇爵家さえも足を踏み入れることは許されない。

 また入るにかぎらず、「後宮」から出るためにも皇帝の許可が必要となる。


 しかし先程のセレスティアの言葉どおり、現在皇帝は国内に不在だ。


 ジュエリアル帝国は建国以来一度も内乱やクーデターが起きたことのない、世界でも稀有な国だ。

 国民は皇帝に対し絶対的な忠誠、或いは服従を誓う。

 それは「信仰」と呼んでもいいかもしれない。事実、この国において皇族は、神の血を引く聖なる一族として崇められてきた。


 神の末裔である皇帝は神の名の元に国を治め、民を統べる。人と神をつなぐ存在である皇帝を国民は畏れ、敬い、崇拝する。

 そこに反逆心など存在しようもない。そうしてこの国は秩序を保ってきていた。


 しかしそれはあくまでも国内での話。一歩でも国を出れば、強大な権力を誇るジュエリアル帝国に脅威を抱く国も多い。

 ジュエリアル帝国は本国といくつかの属国からなる連合国家であり、古来より周りの国々――自国に仇為す敵国を、武力をもって制圧し、従えてきた。

 もちろん、仮にも「神聖国家」を謳っているのだからむやみやたらと武力を行使するわけはないが、それでも必要とあらば皇帝自ら戦地へ赴き指揮を執る。

 皇帝は、国主であると同時に軍の指揮官でもあり、特に現帝は「戦神」と謳われるほどの戦上手で、十八歳で初陣を飾って以来いまだ負け知らずの英雄だ。

 今回の戦もこれまでと同じように皇帝自ら軍を率い、遠征に出ている。ことを構えているのが西大陸と東大陸の中間に位置する遥か遠方の島国であるため、三ヶ月ほど前から国を空けていた。


 そんな現状であるから、「後宮」における全権は現在、第三皇妃のセレスティアに一任されていた。

 レオンハルトが今日こうして離宮を訪なう――「後宮」から出る許可を彼女に求めに来たのもそのためだ。


「それで?出立の日はもうお決めになっていらっしゃいますの?」

「え?」


 このままセレスティアの機嫌を損ねたままではその許可ももらえなくなるかもしれない。どうしたら彼女の機嫌を直してもらうことができるだろう。

 レオンハルトが必死に考えを巡らせていると、思わぬ質問がセレスティアから飛び出した。


「離宮に向けて発つ日取りですわ。来月の頭に行かれるのでしょう?」

「セレス様……」

「離宮への遊行、許可いたしますわ。その代わり、条件が御座いましてよ」

「条件?」

「出立までにもう一度こうしてわたくしとお茶を飲みながらお話していただくこと。向こうでは、週に一度はお手紙を書いていただくこと。

 それから……」

「それから?」

「向こうで皇太子殿下ととびきり楽しい想い出を作られること」

「セレス様……」

「存分に楽しんでいらっしゃいませ、レオン様」


 そう言って微笑むセレスティアの顔は、紛れもなく「母親」だった。


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