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夢のあと  作者: 緋桜
第三章
28/114

E.C.1011.07-4


 「後宮」の敷地内には四つの塔が建てられており、南の塔は皇帝、北の塔は皇妃、西の塔は皇太子、東の塔は皇太子以外の皇子や皇女が使用している。

 幼い頃は毎日のように兄の部屋を訪ねて入り浸っていたが、中に入るのは久しぶりだった。


 ノックをすると、中にいたレベッカが扉を開けてくれた。

 部屋の主が不在がちのこの部屋は、けれどいつも清潔に保たれていて、埃っぽさなど微塵も無い。


「兄上……」


 呼ぶと、窓の近くで本を読んでいたらしいアデルバートは立ち上がり、近付いてきた。


 昼間の「賭け」では結局レオンハルトはすべての矢を的中させることはできなかった。

 レオンハルトの実力を考えれば当然といえば当然だが、とはいえそれでも落ち込むレオンハルトに、アデルバートは「では罰として私の願いごとをきいてもらおうか」と微笑んだ。

 「久しぶりに一緒に寝てほしい」。

 アデルバートにそう言われ、夕食も湯浴みも済ませたレオンハルトは、こうして兄の部屋を訪ねた。


「皇太子殿下。皇子殿下のことをよろしくお願いいたします」

「えぇ。もちろんです。ミーリック女史」

「殿下。あまり夜更かしなさいませんように。明日もいつもどおり八の刻からご朝食を召しあがっていただきますので、それまでにお迎えにあがります」

「わかってる。大丈夫だからステラももう休め」


 レオンの返事にステラはお休みなさいませ、と一礼して部屋を出て行く。


「ミーリック嬢も、お務めがすっかり板についているようですね」


 主従のやりとりを微笑ましそうに見守っていたレベッカが、ランプに油を足しながら言う。


「エイミス女史はステラのことをよくご存知なのですか?」

「彼女が新人侍女として城に上がったばかりの頃はわたくしもまだこちらにおりましたので。何をやらせても器用にこなす、可愛げの無い子でしたわ」


 言葉は辛辣だが、声色にはどこか温かみを感じられた。

 きっとレベッカはステラのことを好きなのだろう。

 何となくそう思った。


「ではわたくしもこれで失礼いたしますが、お二人とも、くれぐれも夜更かしなさいませんように。

 殿下、いつものように長々とした講釈をなさって皇子殿下を困らせてはいけませんよ」

「えぇ?私がレオンを困らせる方なのかい?」

「ではおやすみなさいませ」


 アデルバートの抗議を無視し、てきぱきとアデルバートのガウンを脱がせてそれをクローゼットにしまったレベッカは一礼して部屋から出て行く。

 無遠慮な物言いにレオンハルトは目を丸くし、アデルバートは肩を竦めた。


「では、レベッカやミーリック女史に叱られないように寝るとしようか」

「兄上でも叱られることがおありなのですね……」

「そりゃそうさ。うちの侍女頭殿は口うるさいからね」


 そう言いながら寝台に入ったアデルバートはレオンハルトにも入るよう促す。

 レオンハルトが五人くらいは寝そべれそうな大きな寝台からは、ラベンダーの香りがした。


「こうして一緒に眠るのも久しぶりだね。

 覚えているかい?初めて会った日も、レオンは私の部屋で眠ってしまったよね」


 母の違う兄であるアデルバートと初めて会ったのは、レオンハルトが四歳のときだった。

 それまで自分に兄がいるということは知っていたが、姿を見たことはなかった。


 通常皇子や皇女は三歳になるまで父である皇帝と生母、身の周りの世話をする侍女以外と接触することはほとんどない。

 美しいモノは「魔」にさらわれやすい。

 赤子の生存率が今よりずっと低かった頃の名残だ。

 赤子という無垢で美しいものが死の神にさらわれないよう、その存在は隠される。

 生まれたときに母を喪ったレオンハルトは特に過剰なほどに「後宮」の奥深くで「大切に」育てられた。


 あの頃はまだジャンもいなくて、ステラも侍女頭ではなかった。身の周りの世話をしてくれる侍女や侍従はたくさんいたけれど、いつも寂しかった。

 大好きな父にはめったに会うことができなかったし、会ったとしても、抱きしめてくれることはない。

 寂しくて寂しくて、癇癪を起こしては周囲を困らせてばかりいた。


 そんな頃だ。「後宮」の庭園で兄に出会ったのは。


 大好きな父と同じ髪と同じ瞳、同じ顔をした父ではない少年。

 驚いて立ちすくむレオンハルトを、近付いてきた少年は抱きしめた。


 あのときの腕の温もりを覚えている。

 嬉しくて懐かしくて、でも無性に哀しくて。見も知らぬ少年に縋りついて声を上げて泣いた。

 泣き疲れて眠ってしまったレオンハルトを抱きかかえて自室まで連れて来たアデルバートは、レオンハルトが目を覚ますまで傍にいてくれた。

 目を開けて最初にアデルバートを見つけたときに覚えた感情は、今もまだうまく言葉にできない。


 言葉になんて、できない。


「……兄上」

「何だい?」


 呼ぶと、答えてくれる。名前を呼んでくれる。呼ぶことができる。

 なんて幸せなのだろう。

 幸せなのに、泣きたくなるのはどうしてなのか。


「我儘を言って……困らせてごめんなさい」

「……」


 銀灰色の瞳を和らげ、アデルバートはレオンハルトの頬をそっと撫でる。


「知らなかったかな?私は私の宝物に甘えてもらえることが何より嬉しいんだよ」

「兄上……」

「私の方こそ、ごめんよ。レオンには、寂しい思いばかりさせているね」


 アデルバートが謝る必要なんてないのに、レオンハルトは優しい兄を謝らせてばかりいる。


「……私も兄上と一緒に離宮で暮らしたいです」

「……レオン……」

「勉強は、向こうでだってできます。レオンは兄上の御傍で、兄上のお役に立ちたいのです」

「……そんなことを言っては、キャリーやウィルが寂しがるよ。父上だって……」

「父上は私のことなどどうでもいいのです。それよりも私は……」

「レオン」

「……」


 咎めるように名を呼ばれ、レオンハルトは頭からシーツをかぶる。

 そのまま兄の方へとにじり寄り、その胸に額を寄せた。

 兄から隠れたいのに、兄に近付きたい。

 矛盾した行動に、アデルバートが苦笑する声が聞こえた。


「こら。そんなに潜り込んだら暑いだろう。暑苦しくて窒息してしまうよ」

「……平気です」

「仕方のない子だね」


 シーツをめくられ、代わりに頭を抱き寄せられる。

 そのまま髪を撫でられていると、何だか眠くなってきた。


「レオン」

「……はい……」

「本当はね、私もずっとレオンと一緒にいたいんだよ。レオンやキャリー、ウィルと一緒にいられたらどんなにいいか……」


 温かな手が心地よい。アデルバートの声を子守歌に、レオンハルトはそっと目を閉じた。


「けれど私には、セイレーヌでやらなければいけないことがあるんだ」

「やらなければ……いけないこと……」

「私には私の、レオンにはレオンの役目があるんだ。だから、今は傍にはいられない」

「……」

「けれど、忘れないでほしい。どこにいても、どんなときも、私はお前のことを愛している。大切に想っているよ」

「あに…うえ…」


 眠りの淵で聞こえるアデルバートの声に、レオンハルトはやがて意識を手放した。


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