E.C.1010.10-2
「キャリーは、ローズマリー姫にやきもちを妬いているのよ」
「やきもち……ですか」
「えぇ。大好きなお兄様といつでもお会いできる姫のことが、羨ましくて仕方ないの」
可愛らしいこと、ところころ笑うセレスティアに、レオンハルトはそうですか……と曖昧に返す。
レオンハルトの誕生日の二日後。すっかり風邪の治ったレオンハルトはセレスティアの元を訪ねていた。
二日遅れの誕生祝を兼ねて一緒に食事をとろうと部屋に招かれたためだ。
「わたくしのところにも、ローズマリー姫からお手紙が届きましたの。皇太子殿下にはとてもよくしていただいています、ですって。
それを読んだキャリーってば、拗ねてしまってもう大変」
「……そうなのですか」
セレスティアは至極楽しそうだが、レオンハルトは胸中複雑だった。
ローズマリーが手紙を書いたのはレオンハルトにだけではないこと、「よくしていただいている」とは具体的に何をどうよくしていただいているのか、など。
あらゆる思惑をひっくるめての「そうなのですか」だが、レオンハルトの反応に、セレスティアは碧い瞳を細める。
「……本当に、貴方たちは皇太子殿下のことが大好きね」
「え……」
「貴方もキャリーも、口を開けば皇太子殿下のことばかり。わたくしの方が妬いてしまいそう」
「そんな……」
楽しそうに言うセレスティアに、レオンハルトは困ったように眼差しを落とす。
からかわれている、と思ったが、セレスティアの言っていることは真実なのだから反論のしようもなかった。
「レオン様」
「……はい」
「兄弟の仲がよろしいのは、素晴らしいことよ。血を分けた兄と弟が争うなど、哀しいこと。
だからきっと、それでいいの。レオン様は御心のまま、皇太子殿下のことをお慕いなさって」
「……セレス様……」
「でもたまには殿下だけでなく、わたくしのことも構ってくださいな」
そう言ってセレスティアは悪戯っぽく笑う。
セレスティアはいつも養母として溢れんばかりの愛情を注いでくれる。
けれど彼女よりも先に―――一番最初に家族の温もりをレオンハルトに教えてくれたのは、他でもないアデルバートだった。
初めて会ったとき、レオンハルトのことを「弟」と呼び華奢な腕で抱きしめてくれた。
そのことに、幼い日のレオンハルトがどれほど救われたことか。
あの頃のレオンハルトにとってはアデルバートがすべてだった。
あの温もりがあれば生きていけると、本当に思っていた。
あれからどれくらいの時が経ったのだろう。
兄を慕う心は変わらない。アデルバートもレオンハルトのことを変わらず愛してくれている。
それなのに、確実に変わってしまったものもある。
いつまでも、幼いままではいられない。
「それで?レオン様宛のお手紙には何と書いていらしたの?」
「何と言われましても……」
季節の挨拶と誕生日の祝いの言葉が覚えたてであろう拙い字で書かれていただけだ。
それだけなのに、その手紙は今レオンハルトの机の引き出しの一番奥にしまわれている。
まるで、宝物みたいに。
「まぁ、いじらしいこと」
相も変わらず楽しげなセレスティアに、レオンハルトはもう何も言い返さない。
何と答えてもきっと、彼女にとってはからかいの種にしかならないのだろう。
だからレオンハルトは反論を諦め、別の問いを口にする。
「……セレス様」
「なぁに?」
「姫君と兄上は、まだご婚約されないのですか」
「あら、そうなの?」
「え」
「お二人はご婚約されるの?」
「え……」
意を決しての問いに、しかしセレスティアは答えない。間髪入れず訊き返され、レオンハルトの方が戸惑った。
「ご存知ない……のですか」
「えぇ。むしろレオン様はどなたからそんなことをお聞きになったの?」
「どなたというか……皆噂しています。アメジアの姫君はいずれ皇太子妃になるためにこの国にいらっしゃったのだ、と」
だからアデルバートとともにセイレーヌの離宮で暮らしているのだと、城内ではもっぱらの噂だ。セレスティアの耳に入らないわけがない。
「奥」に関わることで、セレスティアが把握していないことなど無いのだから。
「……『噂』ですか」
セレスティアは持っていた扇をパラリと開き、肉厚的な唇を覆う。
長いまつげに縁どられた瞳はどこか官能的でさえあった。
「いけませんわね、レオン様。皇子殿下ともあろう御方がそんな根も葉もない噂をお信じになられるなんて」
「ですが……現に姫君は今、兄上の元にいらっしゃるではないですか」
「あら。わたくしは嫁ぐまで陛下と別々に暮らしていましてよ。それどころか、『後宮』に入るまでお話したことさえありませんでしたわ。
それでもわたくしは陛下の元へ嫁ぎましたわ」
「それは……」
「そもそも、ローズマリー姫が離宮にいらっしゃるのはご静養のためです。
そう陛下がおっしゃったでしょう。
他のどなたが何を噂されようと、陛下がおっしゃることだけが真実ですわ」
あまりにも頑ななセレスティアに、かえってレオンハルトの確信は深まる。
けれど同時に、これ以上の追及は無意味だということも確信してしまった。
セレスティアは決して皇帝の意に反することはしない。
どれほどレオンハルトを溺愛していようと、彼女にとって何よりも誰よりも絶対的な存在は、皇帝なのだから。
「……出過ぎたことを申しました。大変失礼いたしました」
「それだけ皇太子殿下のことを大切に想われている証ですわ」
「……」
レオン様は本当に皇太子殿下のことがお好きなのね、と。
先程と同じセリフなはずなのに、セレスティアの言葉は今度はなぜかまるで違う風に聞こえた。




