E.C.1010.10-1
今度は約九年遡りまして。
レオンハルト十二歳の誕生日からのお話です。
ジュエリアル帝国では、十月のことを別名紅月と呼ぶ。夏の名残もすっかり去り、森の木々が赤い衣を纏うように色を変える様がその由来だ。
そんな木々が最も美しく色づく季節にレオンハルトは生まれた。
通常皇族の誕生祝は帝都じゅうの高位貴族が城に集まって盛大に催され、また地方の貴族や他国の王族からは祝いの品々が続々と届く。
しかし十二歳の誕生日である今日、主役であるレオンハルトは床についていた。
季節の変わり目の流行風邪にかかってしまったというのがその理由であり、主役不在のため誕生祝の宴は中止となったのだが、本当は、城中の誰もがこうなることを予想していた。
第二皇子が誕生日に風邪をひいて寝込んでしまうのは毎年のことであり、その理由は公然の秘密だ。
「せっかくのお誕生日ですのにお風邪を召されてしまうとは、本当に残念なことですね」
「レオン兄様、まだおつらいですか?」
「……心配をかけてすまないね、キャリー、ウィル。でも随分よくなったから大丈夫だよ。二人とも、お見舞いありがとう」
心配そうな表情で寝台のすぐ傍に座る弟妹を安心させるよう、レオンハルトは微笑んでみせる。
疑うことを知らない二人の真っ直ぐな瞳に見つめられると心が痛んだが、必要なことなのだと自分に言い聞かせて。
「姫様、ウィル様。皇子殿下にお渡しする物があるのではないですか?」
「あっ、そうでした!姉様、僕から先にお渡ししてもかまいませんか?」
「あぁ」
キャロライナの侍女に促され、二人はいそいそと何やら取り出す。
「本当は宴の席でお渡ししようと思っていたのですが、お誕生日のプレゼントです、レオン兄様」
「ありがとう、ウィル。何を貰えるのかな?」
「レオン兄様を描きました!」
そう言ってウィリアムが差し出したのは、豪奢な飾りの彫られた額縁に入った一枚の絵で、描かれているのは金髪に蒼眼の少年――レオンハルトだ。
それは肖像画と呼んでもかまわないくらいの出来栄えで、とても八歳の幼子が描いたとは思えないほどだ。
「本当にこれをウィルが描いたのかい?」
「はい!」
「すごいな……。ウィルはとても絵が上手だね」
ウィリアムが美術の才に秀でていることは噂には聞いていたが、まさかこれほどまでとは思わなかった。
驚嘆や謝辞、様々な意味を込めて弟の頭を撫でてやると、ウィリアムは嬉しそうな声を上げた。
「こちらはわたくしからです、兄様」
「これは……」
「先日の狩りの際に仕留めたウサギの毛皮です。
これから寒くなりますから、もうお風邪など召されないようこれで温かくしてくださいませ」
「……ありがとう、キャリー」
真っ白い見事な毛皮に、しかしレオンハルトは少々複雑な念にかられる。
ジュエリアル皇室の長い歴史上、自らの仕留めた獣の毛皮を贈った皇女がいったい何人いただろう。おそらくはゼロだ。おそらくというか、確実にゼロだ。
しかしある意味、彼女らしいといえば彼女らしい。
父親譲りの美しくも凛々しい貌をもつ第一皇女のキャロライナは性情の方も父に似ていた。
皇女でありながら武芸を好み、またその才に恵まれてもいる。いつのまにか馬も乗りこなせるようになり、最近では侍従を率いて遠駆けにも出かけているらしく、何とも勇ましいお姫様だ。
一方母親によく似た甘い美貌をもつウィリアムは、母親同様どこかおっとりとした性格をしており、武術よりも芸術を好む。
「ジュエリアルの幼き画聖」という声はレオンハルトの耳にも届いているが、あながち言いすぎではないかもしれない。
双方の性別が逆であれば完璧な皇女と皇子であったのに、といわれるほど対称的な二人だが、共通することは二人ともレオンハルトの誕生日を心から祝ってくれているということだ。
しかしいくら二人が祝ってくれていたとしても、レオンハルトは誕生日である今日を素直に楽しむことができない。
また城の中の誰もが、今日という日を扱いかねていることを知っていた。
第二皇子の誕生日。それは即ち、第二皇妃の命日でもあるからだ。
この国の風習としては、命日だからといって何かしらの祭事を行うことはない。
死者を悼んで涙を流すこと、それは当たり前のことだ。しかしそれ以上に、死とは神の元へと呼び戻されることを意味し、死をもって肉体という枷から解き放たれた魂は神の元で永遠の安らぎを得るとされている。
だからこそ、命が尽きたことは嘆き悲しむも、葬儀が終わり死者の魂が神の元へと召されたのちはむしろ、その魂の幸いを願う方が重要だ。
そして常に清く正しく神の御心のままに生きることがその証であるため、命日だからといって特に祭事があるわけでもない。
しかし、皇帝にとっての第二皇妃の場合は違う。
皇帝にとって、第二皇妃――マリアンヌという女性は、「特別」だ。
彼はいまだにマリアンヌの死を嘆き、哀しんでいる。
だから十二年経った今も、彼女の命日には「公務」が終われば一人聖堂に籠り、亡き妻へと祈りを捧げる。
その「公務」には第二皇子の誕生会も含まれている。
例年皇帝はレオンハルトの誕生会は出席こそするものの早々に中座する。気付けば玉座から皇帝の姿は消えている。
初めのうちは父の姿を求め淋しがっていたレオンハルトも、毎年のことだからいつしか慣れた。
そしていつの頃からか誕生日を祝えない「理由」をつくるようになったのだ。
父から最愛のひとを奪ったせめてもの償いに。
そのことを、幼い弟妹はまだ知らない。
知らなくていい。
知らないままでいてほしい。
後宮内での密やかな確執も臣下たちの悪意を孕んだ囁きも、何も知らず、ただ無邪気に笑っていてほしい。
いつしかレオンハルトはそう思うようになっていた。
あの頃のジャンも、同じだったのだろうか。
アデルバートに関する「噂」をレオンハルトにひた隠しにしていた頃のジャンも。
「ご機嫌麗しく存じます、皇女殿下、皇子殿下。
それはそうと御加減はいかがですか、我が君」
「……ジャン」
彼のことを考えた矢先に現れたジャンに、レオンハルトは秀麗な眉を寄せる。
盗み聞きだけならばまだしも頭の中まで盗み見ることができるようになったのだろうか、この男は。
「ごきげんよう、アトリー卿。お元気そうで何よりだ」
「もったいなき御言葉にございます、皇女殿下。
これほどまでにお優しく麗しき妹君と弟君が殿下のお誕生日を祝いに来てくださったのですから、風邪などはたちどころに治ってしまうことでしょうね」
「……」
いけしゃぁしゃぁと宣うジャンを、レオンハルトはじろりと睨みつける。キャロライナやウィリアムの目もあり邪険に追い払うことはできないため、せめてもの抵抗だ。
「そんなことよりジャン。何か用があるんじゃないか」
「あぁそうでした。皇太子殿下より、誕生祝いの贈り物が届いております。お持ちしてもよろしいですか?」
「兄上から?あぁ。持ってきてくれ」
いつものように意味無く割り込んできたわけではないのか、と思いながらジャンに命じる。
運ばれてきたのは、色とりどりの鮮やかな花籠。コスモスやダリアなど季節の花々は、おそらく兄が手ずから育ててくれたものなのだろう。
「わぁ、とても綺麗ですね」
「さすがお兄様ですわね」
「……あぁ」
目を輝かせる弟妹と共に、レオンハルトもまたまなざしを和らげる。
「あと手紙も届いておりますね。皇太子殿下からと……これはローズマリー姫からでしょうか」
「え……」
「―――ッ」
思いもよらないジャンの言葉にレオンハルトが思わず声を漏らすと、一拍遅れてガタッと、椅子が倒れる音がした。
何事かと音のした方を見ると、キャロライナが立ち上がり、そのすぐ傍に先程まで彼女が座っていたはずの椅子が転がっていた。
おそらく立ち上がった拍子に倒れたのだろう。
どうして急に立ち上がったのか、それよりも気になったのは彼女の表情だ。
顔面蒼白のキャロライナは、まるで親の敵でも見るかのような目を、ジャンの差し出した手紙に向けていた。
「キャリー……?」
「……申し訳ありません、レオン兄様。わたくし、気分が優れませんので部屋に戻らせていただきます」
「え……」
「お大事に、兄様」
キャロライナの突然の退出に、レオンハルトもウィリアムも目を白黒させるばかりだ。いったいどうしてしまったのか。
部屋の中に残された男三人は、キャロライナの出て行った扉を呆然と見つめることしかできなかった。
【本編にはたぶん出てこない設定⑦】
レオンは10月生まれ、兄様は1月生まれです。
ほぼほぼ五歳離れてますが、一応二人は四歳差ってことになってます。
学年四つ、的な感じに思って頂ければ。
ちなみに皇帝は4月生まれ、キャリーは7月生まれ、ローズマリーは12月生まれです。




